第1話 猫と魔王
この日ボクは、世界で一番大好きな人と敵対する運命を歩むことになる。
――
思わずしっぽを体に巻きつけた。瞳孔が開く。……こいつは危険だ。
全身がそう語っている。
見たこともない建物の中。赤黒いシャンデリアの照明が床を照らす。石と鉄の匂い。床の冷たさが肉球を刺すようだ。慣れない感覚に顔をしかめる。
玉座のような椅子に座っている男性。
色は黒と緑のグラデーション、長くボリュームのある髪。龍の爪のような耳飾り。頭には大きな角が生えている。大きなマントは、その場の照明すら飲み込むような闇を纏っている。
見た瞬間、全身の毛が逆立つ。感じるのはとてつもない殺気。返答を間違えたら、握り潰されて殺されそうだ。
そう。ボクは猫だ。ラグドール。
フワフワの白とグレーの自慢の毛並み。しっぽのモフモフ具合は、その辺の猫には負ける気がしない。
名前はステラ。飼い主から貰った大事な名前。
――数時間前まで、いつも通りの日常を送っていた。
飼い主を見送り、カーテンに包まれながら庭の警備をしていた。雀が三羽、遠くにカラスが一匹。野良猫はいない。よし、安全だ。
大きな欠伸をする。
飽きて何か面白いものがないかと部屋をうろついて、棚の上で見つけたのが古びたゲーム機。
飼い主が『中古屋で懐かしいゲーム機を買った。』と言っていたが、猫のボクには価値がよく分からない。正直、ただのオモチャにしか見えなかった。
チカチカと赤いランプが光っていた。なんだろうと、思わず猫パンチしたら……
コントローラーのケーブルに爪が引っかかった。急いで前足を戻すと、本体がジジジ……と耳障りな音を立てる。
ゲーム機が異常な熱を帯びて煙を吐く。目の前が真っ白になり、耳が裂けるような鋭い音がした。
(あ、死んだ……)
と思ったら、地獄のような空気が漂うここにいた。目の前の男が口を開く。
「お前は誰だ。何故、ここにいる。」
声を聞いただけで、体の芯まで凍てつく。聞きたくない。思わずボクは耳を後ろに向けた。
……知らない。ボクが知りたいよ。でも馬鹿正直に答えたら、多分殺される。
全身の震えが止まらない。だってボクはただの猫ですから……。それに、人間相手にボクの言葉は通じない。相手はどう見ても猫じゃない。
「にゃーん。」とでも言っておくか。
「え、えっと……」
「……」
「名前を伝えたらいいニャ?」
「……言え。」
嘘でしょ!? 通じた!?
思わず目を見開く。動物語がわかる人間なのか。もしくは人間ではないのか。
(……よし、やるしかない。猫語で誤魔化すのは諦めるニャ!)
「ステラ、ですニャ。」
「ステラ、だと!?」
目が見開かれる。開放された禍々《まがまが》しいオーラがボクの毛並みを逆立てる。やばい、怒らせた!?
男は手をかざし、引き寄せるような動きをする。ボクの体がふわりと宙に浮く。必死にもがいたが空振りに終わってしまった。見えない力に引っ張られるように男性の目の前に連れていかれる。
「星閃ステラ……!」
男の低い声が響く。頭からしっぽまで舐めるような視線に呼吸ができない。その視線はボクの首元に止まった。
男が指を動かすと、首輪につけられた宝石が引っ張り出される。
「この紋章は……星閃ステラの紋章だ。間違いない。この宝石……」
これは飼い主が首輪につけてくれたものだ。星閃ステラなんて聞いたこともない。
「星閃ステラ。世界の理であり全ての命の源。手にした者の願いを叶えるもの。二百年前、勇者から守りぬいたもの。」
「世界……? 願い……?」
全く分からない。首を傾げていると、男の声が熱を帯びる。ステラの体が更に近くに引き寄せられる。男の手がゆっくりと伸びてきた。
殺される……! と思った瞬間、優しく抱きかかえられた。大きくて優しい手つきだった。
「美しい……柔らかく温かい。血と屍の上を歩き……ようやく手に入った命の温もりだ。」
(……あれ? 殺されない?)
あまりの優しさに、ボクは思わず目を細めた。
「ふニャ。」
どんなギャップだよ!
ボクが星閃ステラだと偽っておけば、殺されずに済むのか?
ならば、やるしかない。命のためだったら仕方ない。
「我が名はノクティス・ルーナ。皆、私のことは魔王と呼ぶ。」
しっぽをパタパタと縦に振りながら、できる限り可愛くにゃーと鳴いた。
(どうにかしてここから逃げだして、家に帰ろう……それまでは仲間になったフリでもしておくか。)
ボクは前足で毛繕いをした。
(あぁ、早く大好きな飼い主に会いたい……)
佐藤 優陽
ボクの飼い主で大好きな人。
優陽は今、どこで何をしているのだろう。
そっと目を閉じた。
――この時はまだ誰も気づいていなかった。
その小さくとも強い想いが、知らぬうちに世界の理へ波紋を落とし、僅かな歪みを生んだことを。
温もりのあるあの部屋で、古びたゲーム機が小さく何度も光っていた。
★★あとがき★★
※この作品は可愛い、癒し、ギャグから始まりますが、気づかないうちに取り返しのつかない選択へと進みます。物語の途中から、重い描写・死・喪失を含みます。
可愛い物語として始まりますが、救うという言葉は、途中から簡単には使えなくなります。伏線は回収され、最後にタイトルの意味が明らかになります。
それでも、ステラと飼い主の行く先を見届けてくださる方へ。続きを楽しんでください。




