序章|あの夜の鐘の音
新世紀前夜。
暗闇の中、耳をつんざくような轟音が響いた。
ドォォォン――!
続いて、あちこちから悲鳴が上がる。
金属のぶつかり合う音、建物の崩れる音、そして無数の人々の絶望の叫びが重なり、まるで永遠に終わらないかのような戦争を形作っていた。
人類と災裔の対立は、すでにおよそ二千五百年ものあいだ続いているといわれている。
その長い歳月の中で、数え切れないほどの命が失われ、数え切れないほどの文明が滅びた。人類は生き残るために戦い、災裔はいつの時代も、この世界を脅かす存在であり続けた。
幾世代もの人々が生まれ、成長し、やがて死んでいった。
生涯、本当の平和を知らずに終わる者もいた。
それでも、長く続いたこの争いにも、ついに世界を変える時が訪れようとしていた。
世界を巻き込んだ戦争は、少しずつ終わりへと向かっていた。
後に人々は、戦争が終わった後の時代を――
新世紀と呼ぶことになる。
⸻
炎が街全体を呑み込んでいた。
高くそびえる城壁が次々と崩れ、燃え盛る瓦礫が空から降り注ぐ。濃い煙が空を覆い、明るかった昼の景色を暗い紅色に染めていた。
街路には、逃げ惑う人々があふれていた。
負傷した仲間を背負い、瓦礫の間を必死に進む者。幼い子どもを強く抱きしめ、城門を目指して懸命に走る者。
負傷者を満載した木製の荷車が、混雑した街路をゆっくりと進んでいく。車輪が何度も瓦礫を踏み、耳障りな音を立てていた。
「急げ! 後方がもう持たないぞ!」
兵士の怒号が、混乱する人々の間を貫いた。
秩序を保つ役目を負った数人の衛兵が、避難民を城門へ向かわせようと必死に誘導している。
だが、人々の流れはあまりにも混乱していた。
泣き声、助けを求める声、そして遠くから絶え間なく聞こえてくる爆発音。街全体が、終わりのない恐怖に沈んでいるかのようだった。
誰もが、自分はあとどれだけ逃げられるのか分からなかった。
城壁があとどれほど持ちこたえられるのか、知る者もいなかった。
街の一角、防衛指揮区にある軍用通信塔。その内部では、若い兵士が制御盤の前に立っていた。
通信設備は、かろうじて稼働を続けている。
遠方の爆発のたびに壁が揺れ、天井からは時折、ほこりが落ちてきた。
兵士の軍服は土埃にまみれ、頬にはいくつもの小さな傷が刻まれていた。額に浮かんだ汗が、顎を伝ってゆっくりと滴り落ちる。
彼の手には、たった今届いたばかりの撤退命令が握られていた。
目の前の制御盤には、戦場と周辺道路を記した地図が広げられている。
地図には、街の外へ続く二本の道がはっきりと描かれていた。
一本は、軍が指定した撤退地点へ向かう道。
もう一本は、遠くにある村へと続く道だった。
少し前に届いた情報によれば、その村の住民はまだ避難の途中だった。
すでに村を離れた者もいる。
だが、まだそこに残っている者もいた。
若い兵士は地図を見下ろしたまま、長いあいだ視線を動かさなかった。
彼の指に、ゆっくりと力がこもる。
力を入れすぎたせいで、薄い紙にしわが寄り始めていた。
「早くしろ! 起動しなければ間に合わない!」
遠くから、仲間の焦った声が飛んできた。
兵士は答えなかった。
ただ、二本の道を見つめていた。
地図に引かれた線は、単なる目印にすぎない。
だが、彼は誰よりもよく分かっていた。
その線が示しているものは、道だけではない。
逃げ続けている人々。
そして、危険が近づいていることさえ知らないかもしれない人々だ。
「でも……」
兵士はようやく口を開いた。
声は少しかすれていた。
「そこには、まだ人がいるんじゃないですか?」
通信機の向こう側が、しばらく静まり返った。
ザ……。
かすかな雑音が、通信機から漏れる。
若い兵士は息を潜めた。
返事を待つ。
もしかしたら、上層部が命令を再確認してくれるかもしれない。
もしかしたら、別の手が打たれるかもしれない。
あるいは、避難を終えていない人々も、すでに別の道を見つけているかもしれない。
しかし、短い沈黙の後、通信機から返ってきたのは、冷たく簡潔な一言だけだった。
「実行しろ。」
説明はなかった。
問い直す余地も残されていなかった。
兵士の動きが止まる。
ゆっくりと顔を伏せ、再び地図を見つめた。
村を示す印は、今もそこに残っている。
何も変わっていないかのように。
だが、彼には分かっていた。
次の動作を終えた瞬間、もう後戻りはできない。
「……」
兵士の唇が、かすかに震えた。
何かを言おうとした。
それでも、言葉は出てこなかった。
ドォォォン――!
突然、遠方で激しい爆発が起きた。
通信施設全体が大きく揺れる。
壁から大量のほこりが落ち、机の上の書類が床へ散らばった。
「敵が外周防衛線を突破した!」
扉の向こうから、衛兵の怒鳴り声が聞こえた。
「命令を実行しなければ、避難隊が追いつかれるぞ!」
兵士は勢いよく顔を上げた。
狭い窓の向こうに、燃え盛る街路が見える。
濃煙が立ち上り続けていた。
人々は今も走っている。
そして街の防衛線は、少しずつ崩れていこうとしていた。
彼は再び、目の前の信号装置に目を向けた。
手を伸ばせばいい。
ただそれだけの、簡単な動作をすればいい。
あらかじめ定められていた軍用信号が、送信される。
それでも彼は、地図に記されたもう一本の道を忘れることができなかった。
そこには、まだ避難を終えていない人々がいる村がある。
「……」
若い兵士は、ゆっくりと目を閉じた。
深く息を吸い込む。
手のひらは、とうに汗で濡れていた。
わずか数回息をする間にも、外ではさらに何度か爆発が起きた。
時間は刻一刻と過ぎていく。
誰も、彼の代わりに選んではくれない。
そして、彼が迷っているからといって、命令が消えるわけでもなかった。
ついに。
兵士は再び目を開いた。
手に握っていた撤退命令を、机の上に置く。
それから、ゆっくりと右手を伸ばした。
指先は、まだわずかに震えている。
それでも今度は。
彼は止まらなかった。
次の瞬間。
信号装置を起動させた。
わずかな沈黙の後。
通信施設の上にそびえる軍用信号塔から、低く長い鐘の音が鳴り響いた。
カァン――!
一度目の鐘の音が、街の喧騒を突き抜ける。
カァン――!
二度目の音が、燃える街路を越えて遠くへと伝わる。
カァン――!
三度目の鐘の音が、戦場全体に響き渡った。
あの夜。
鐘の音が、空いっぱいに鳴り響いた。
若い兵士は、ずっと制御盤の前に立ち尽くしていた。
右手は、信号装置のそばに置かれたままだった。
しかし。
彼が再び地図へ視線を向けることはなかった。
もう何かを口にすることもなかった。
窓の外では。
戦火が燃え続けていた。
⸻
新世紀21年。
チュン、チュン――。
澄んだ鳥のさえずりが、木々の間から聞こえてくる。
暖かな陽光が枝葉の隙間を通り抜け、地面に細かな光と影を落としていた。
そよ風が優しく吹き、土と草の匂いを運んでくる。
燃え盛る城壁もない。
耳をつんざく爆発音もない。
必死に逃げ惑う人々の姿もなかった。
そこにあるのは、穏やかな村と、ありふれた平凡な朝だけだった。
村では、何人かの住民が道を通って畑へ向かっている。
一人の女性が家の外で洗濯物を干していた。
少し離れたところからは、子どもたちが追いかけっこをする声が聞こえる。
すべてが、あまりにも平穏だった。
まるで、二十一年前に世界を巻き込んだ戦争が、遠い過去の出来事になってしまったかのように。
村の片隅にある、さほど広くもない木造家屋。その前で、突然、慌ただしい足音が響いた。
「父さん!」
十二歳ほどの少年が、木剣を手に家の中から勢いよく飛び出してきた。
寝起きのせいか髪は少し乱れていたが、その顔には期待に満ちた笑みが浮かんでいた。
少年はものすごい勢いで走っていた。
玄関前の木の段差につまずきかけるほどだった。
だが、すぐに体勢を立て直し、何事もなかったかのように走り続ける。
庭の向こう側には、中年の男が空き地に立っていた。
男もまた、木剣を手にしている。
少年が駆け出してくるのを見ると、男はわずかに顔を上げ、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「今日はずいぶん元気だな。」
男が言った。
少年はすぐに胸を張る。
「もちろん!」
木剣をさらに強く握りしめた。
「昨日は、すごくたくさん練習したんだ!」
男は思わず笑った。
「そうか?」
「本当だよ!」
少年は悔しそうに答える。
そして一歩前へ踏み出し、木剣を構えた。
朝の光が、まだ幼さの残る顔を照らしていた。
少年の瞳には、未来への期待が満ちている。
「父さん!」
少年の声が、庭いっぱいに響いた。
「今度こそ、絶対に当ててみせる!」
男は目の前の少年を見つめる。
そして、ゆっくりと木剣を構えた。
「それなら、見せてもらおうか。」
次の瞬間。
少年は嬉しそうに父親へと駆け出した。
二本の木剣が空中でぶつかり、澄んだ音を立てる。
パシッ!
少年の笑い声が、その後に響いた。
遠くの空は、相変わらず晴れ渡っていた。
それは、新世紀21年。
どこにでもある、ありふれた朝だった。
――序章〈あの夜の鐘の音〉 完。




