第4話「分かってもらえるとは思っていなかったけど...」
セレスティア王国科学技術省の戦略AIプロジェクトでAffecticsの研究開発者となった澪。
その澪が普通の高校生から引きこもりになる迄のフラッシュ・バック ストーリー。
朝。
母がドアを激しく叩く音が家に響いた。
「澪! もう八時半よ! いつまで寝てるの!」
だがドアは硬く閉ざされ、小さな紙が貼られていた。
《もう学校には行きません。理由は後で話します》
母はしばらく目を見開いて、その文字を睨みつけた。
「……なにこれ?」
拳でドアをもう一度叩く。
「澪! ふざけないで! すぐに開けなさい!」
中からは物音ひとつしない。布団の中の澪は、静かに眠り続けていた。
(今日は行かない。怒られるのは分かってる。でも、私は……行かない)
母は深く息を吐き、かろうじて冷静さを保つ声で言った。
「いいわ、澪。後でどういうことか説明してもらうから」
ヒールの音が階段を下り、玄関のドアが勢いよく閉じられた。
昼。
澪は目を覚ました。窓から差す光が、机の上に広がったノートを照らす。
ページの隅に書き込まれた「仮想空間」「レジスタ」「割り込み」。
(学校を休むなんて、病気の時以外じゃ初めて。……罪悪感、少しだけある。でも、それ以上に)
澪は頬に笑みを浮かべた。
(自分の時間を手に入れた。そう思うと……罪悪感が消えていく)
夕方。
ダイニングテーブルの上に並ぶ料理。スープからは香草の匂いが立ちのぼり、パンが温められている。
部屋の空気が淀んで感じられた。
母は腕を組み、硬い声で言った。
「食べたら――ちゃんと説明しなさい」
澪は「うん」とだけ答えて椅子に座った。
兄はその空気の重さを感じ取り、黙ってフォークを動かしていた。
食事の間、母は一言も話さなかった。ナイフが皿に当たる乾いた音だけが響いていた。
食後。
母は椅子を引き、澪に鋭い視線を向けた。
「で? これは一体どういうことなの?」
澪は背筋を伸ばし、声を震わせながら言った。
「……学校を辞めたい。やりたいことができたの」
「はぁ? 馬鹿なこと言わないで! 高校を辞めるですって? そんなの許すわけないでしょう!」
「でも、本気なの」
「その“本気”とやらで人生を壊すつもり? 何をやりたいの?」
「……プログラミング」
母は一瞬沈黙し、そして爆発した。
「プログラミング?! そんなの学校にだって授業があるじゃないの! しかも今の時代、どこにでも教材が転がってる! 学校を辞めてまでやることじゃないでしょ!」
「違うの。授業でやってるのは……あれはただの作業。私がやりたいのは――」
「やりたいって言うけど、何処でどうやってやるつもりなの? 学校の授業じゃ出来ないことなの!?」
「家で、自分で...」
「澪!」母はテーブルを叩いた。
「私はね、あなたを立派に育てたいのよ! 学校を辞めて引きこもって……そんなの途中で挫折するに決まっているわ!」
澪の喉が詰まった。言葉を探しても、うまく出てこない。ZEBRAの黒い画面に浮かぶ無骨な文字列を、どう説明すれば伝わるのか。
母は冷たい声で言い放った。
「とにかく絶対に許しません! 明日は必ず行くのよ! いいわね!」
澪が涙声で訴える。
「母さんは、いつも進路希望の事を言っていたでしょう...これがやっと見つけた私の進路希望なの!」
「だから無謀なのよ! 今の時代、コンピュータは誰にでも使える。逆に“作る側”に回れるのは、一握りだけ。昔のように誰でもエンジニアになれた時代はもう終わったの!」
「……」
「夢なんかに振り回されて、現実を壊すようなことは許さない!」
澪(涙をこらえながら声を荒げる)
「無謀?! 神様でもないお母さんが、何故そんな事言い切れるの? 何故“やりたい事が見つかって良かったね”って言ってくれないの!?」
母親は澪を険しい表情で一瞥すると、椅子を乱暴に引き、踵を鳴らして部屋を出ていった。
澪は頭を抱えて大きく息を吐いた。
(……分かってた。言っても理解されないって。でも、それでも言いたかった)
その時、隣に座っていた兄が澪の顔を覗き込み口を開いた。
「澪、本当は何がやりたいんだ? ちゃんと話してみろよ」
澪はゆっくり顔を上げた。兄の瞳は責めるものではなく、ただ知ろうとしていた。
胸の奥にため込んでいた思いが、堰を切ったようにあふれ出した。
「……ZEBRAっていう古いマシンに出会ったの。あれは便利さなんかじゃなくて、シンプルで、正直で、無駄のない世界。みんなはコンピュータの外側しか見てない。でも、その中には――本当に美しい仕組みが広がってる。私はそれをもっと知りたい。自分の理想の空間をその中に作りたい。そのために勉強したいの。やっとやりたいことが見つかったのに、学校に行く時間が……もったいない」
兄はしばらく黙って澪を見ていた。そして、小さく笑った。
「……本気なんだな」
澪は強くうなずいた。
「分かった。でもひとつだけ条件だ。卒業資格は取っておけ。通信制の高校に行け。授業は全部オンラインだ。要領よくやれば、授業なんて流しっぱなしで済む。その間にお前は好きなだけプログラミングに集中すればいい。母さんには俺から話しておく」
「通信制……」
澪の目に、光が差したようだった。
「兄さん……私、いずれは家を出たい。本当は今すぐにでも」
「……金は?」
「ない……」
「だろ。一年我慢しろ。俺はもうすぐアカデミーを卒業する。その後は海外の研究施設に行く予定だ。給料はいい。お前のアパート代くらい、出してやる」
澪の胸が熱くなった。
(兄さん、ありがとう)
翌日から、母はほとんど澪と口をきかなくなった。
それでも澪は迷わなかった。
学校には行かず、一日中部屋に籠もり、ZEBRAのコードを打ち込んだ。仮想空間の構造をノートに書き、失敗しては書き直した。
ある日、兄が新品のノートPCを抱えて帰ってきた。
「ほら、これを使え。新品だぞ。お前なら活かせるだろ」
澪は息を呑んだ。机の上に並んだ二つのマシン――ZEBRAの小さな黒い画面と、最新PCの光る大きなモニター。
「やったー!!兄さん、ありがとう!」
澪はPCを両手で抱きしめ、微笑んだ。
引きこもる...これは逃げではない、自分が前進する為にした選択。
澪の新たな日常「引きこもり」がポジティブに始まろうとしていた。




