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8 その男は2回恋をする

 ナウカ王国の最南端に位置する、無駄に土地だけは広い場所、そこがライザニア地方だった。


 4年前までは、そこは魔獣の狩り場として知られていたが、現在は発展途上の城壁都市がある場所として人々に認知されている。この辺り一帯の魔獣や魔物を全て狩り尽くした為、代わって人間が新たな居住地としてそこに移住し始めている場所だった。


 広さはおおよそ王都と同じぐらい。一男爵が持つ領土としてはあまりに規格外な広さなのだが、しかし、未開の土地が7割を占めており、人口的にはまだ小都市としか言えない。50年後、100年後にはどうなっているかは別として、今はまだ辺境の田舎でしかなかった。


 そこの領主であるクレイは、元はサキと同じで『討伐者』である。サキが邪神竜を討伐した際、その偉業に貢献したという理由で、褒美として男爵の爵位とライザニア地方一帯を国王から与えられ、その後には王国の名誉騎士ともなった。


 その後、アギト・インフェルノの魔神討伐、ミサ・カミヤマの鬼神討伐にも同行し貢献した事により、『天騎士』の称号を与えられる。これはクレイの為だけに作られた新たな称号で、王国の騎士の中で最強だと示す証でもあった。


 また強さだけでなく、容姿の面においてもクレイは群を抜いている。背が高く、顔立ちは完璧と言えるぐらい整っている。強いて言うなら目付きがやや鋭いところが完璧さを欠いているとも言えるのだが、それすらも大半の女性は、あの凛々しい目が素敵、と褒めるのだから、結局のところ、彼が美男子である事には変わりがない。魔力持ちは老化が遅い為、顔から若さが失われているという事もない。昔から女性に一目惚れされる事が多かったが、昨今は少し表情に深みが増したのか、その回数が更に増えていた。


 そんな激強美男子の騎士が今!


 執務室の机で!


 絶望の表情を浮かべて頭を抱えていた!


「終わった……。今度こそ、本当に終わった……」


 その原因こそ、クレイの目の前にあるサキからの手紙。およそ40日前に届いたものだ。その中にはこう記されていた。


『親愛なるクレイへ。私も気が付けば27歳となり、色々と区切りもついて空いた時間も作れるようになりましたので、本格的に結婚相手を探そうと思っています。今のところ、なかなか良い御相手が見つかってはいませんが、粘り強くがんばっていこうと思います。何かありましたら、また御相談いたしますので、その時は宜しくお願いします。サキより心を込めて』


 もしもこんな手紙を出していたと知ったら、イリスはサキに頭突きをかましていたかもしれない。アンタ本当にアホなんですか! 好きな相手に贈る手紙じゃないでしょうが! と。


 しかし、これはおよそ40日前にサキから届いた手紙であり、当然、手紙が配達されるまでの日数も含めると、これをサキが書いたのは王宮で婚活婚活と言っていた頃となる。サキとしては、クレイへの気持ちに踏ん切りをつける為に、悩んで悩んで悩み抜いた末に涙を滲ませながら送った手紙だ。もしもイリスが頭突きをしてきたら、同じように頭突きで返しただろう。私の気持ちなんか全然知らないくせに、と。


 だが、その手紙のせいで心に相当な深手を負った男が実はいた。サキにずっと恋い焦がれ、実に8年もの間、延々と片思いを続けてきた一途で哀れな情けない男。


 つまり、彼。クレイ・フェルナート。34歳である。


 26歳の頃にサキに恋をして以来、彼はずっと自分の想いを伝えられずにいた。サキとは歳が7歳も離れている。サキは自分を恋愛対象としてまるで見ていない。サキに見合う男に俺はまだなっていない。……彼女が聖女になってからは尚更だった。サキとはまるで釣り合わない。夢に向かって努力している彼女の邪魔をしたくない。俺なんかよりサキに似合う男はいくらでもいるだろう、こんな辺境の貧乏男爵が何を言える。やんわりと傷つかないよう、優しく振られるだけだ……。


 それでいて、すっぱりと諦める事も出来ず、他の女に魅力を感じる事も出来ず、いつかあいつを胸張って迎えに行けるような男になりたいと研鑽を続ける日々。もしその間に、あいつに好きな人が出来て付き合うような事があれば、その時は潔く諦めよう……。ずっとそう思いながら一人辺境で過ごしてきた。


 だが、5年の歳月が過ぎても、サキには恋人も婚約者も結婚相手も現れなかった。これはもしかしたら、俺にもまだチャンスがあるのか、と思った矢先の事だった。先程の手紙が届いたのは。


「…………」


 初めて読んだ時は、本当に絶望しかなかった。駄目だ……俺の事などまるっきり眼中にない……。何度読み返しても、そうとしか捉える事が出来ない文章。更には結婚相手を探すという宣言まで。


 自分でも驚くぐらいフラフラとした足取りでトイレに行くと、そこでクレイは思い切り吐いた。あまりにショックな事を聞くと人間は吐く生き物だという事をクレイはこの時初めて知った。


「……だが、仕方がない。……いつか来るかもしれないと……予想していた事だろ……。今更じゃないか……」


 自分に言い聞かすように、ゆっくり声を吐き出す。笑えるぐらい震えた声で。


 ……そう、この結果は全て俺のせいだ。自信も持てず、ろくな才覚もなく、半ば諦めていた自分のせいだ。サキに好かれる男になれなかった、出来損ないの俺が全部悪い……。


 そう思い、踏ん切りをつける為にも、サキに返事の手紙を書こうとした。俺も応援している、良い結婚相手を見つけて幸せになってくれと。しかし、どうしても最後まで書けず、クレイは途中書きの紙を破り捨てると外に飛び出して馬に跨っていた。急にどこに行かれるのですかと慌てて尋ねる使用人に、クレイは当たり前のように返した。


「王都に行く。聖女に会ってくる」


 そしてお供もつけずに全力で飛び出していった。


 険しい山道を使い最短距離で飛ばして行けば、王都までは10日で着く。今はとにかくサキに会いたかった。声が聞きたかった。話がしたかった。それだけの為にクレイは3年ぶりに公務を全部放り出してきたのだ。


 しかし。


「聖女様なら、昨日、お供の方を連れてお出掛けになられました。いつ帰ってくるか、どこに行くかについては、私は存じ上げておりません」


 王宮の護衛兵はそう型通りの返事をした。この兵士は本当に知らなかったのだが、例え知っていたとしても同じ返事をしただろう。王宮の中の事についてペラペラ喋る兵士などいない。その事はクレイもよくわかっている。


 結局、置き手紙だけを彼は頼んだ。これを聖女の部屋に届けて欲しいと。ごくごく短い手紙を。


『親愛なるサキへ。どうしても今、お前に会いたい。どこに行けば会える。連絡をくれ。クレイより心を込めて』


 そして、また急いで馬を走らせた。放り出していた公務に戻る為に、再び10日かけてライザニア地方へと。


 ……しかし、帰ってきてから3週間が過ぎても聖女からの返事は来なかった。通常であれば、王都からの郵便は届くまでに18日ぐらいかかる。つまり、サキがその翌日に王宮に戻ってきていたとしたら、置き手紙を読んでからもう10日ぐらいは経過した事となる。となると、まだサキは王都に戻ってきていないのか。あるいは……。


「何かしらね、この手紙。いきなり会いたいとかちょっと気味が悪いんだけど。変な事を言い出されても困るし、読まなかった事にした方がいいわよね、これ。なかった事にしましょう」


 想像しただけで血の気が引いてきた。心臓が痛い。苦しい。サキの性格を考えたら、なかった事にするのは十分に有り得る。付き合いが長い分、反応もリアルに想像出来て、余計にキツい。


 恋愛は片想いの時が一番楽しい、なんて馬鹿な事を言いだした奴をクレイは延々と説教してやりたい。俺は8年それをやっているが、楽しいと思った事なんて最初の1年ぐらいだけだったぞと。後の7年は地獄のような日々で、今だって動悸がおかしくなっていて、死ぬほど不安で仕方がないのだが、それでも楽しいとかぬかすのか、お前はと。


 本当にもう駄目かもしれない……。


 揺れ動く不安定な情緒の中、クレイの心は今度は絶望方面に傾いた。置き手紙はとうの昔に捨てられ、今頃サキは王都で貴族の息子の誰かと、俺の知らない男と楽しく過ごしているような気がしてきた。サキを好きにならない男なんていないだろう、とクレイは信じ込んでいるし、その中には当然良い男も混ざっているはずだ。サキの好みに合う優しくて頼りがいのある人間だって何人かは絶対にいる。だから……。


「終わった……。今度こそ、本当に終わった……」


 前述したクレイの台詞へと戻る。


 静まりかえった広い部屋の中、クレイの重苦しい呼吸音だけがわずかに聞こえる。まるでクレイが時を止めたかのように、静寂が長い間続いた。


 しかし、物事には始まりというものが必ずあり、始まりがあれば必然的に終わりもあるのだ。この静寂さも例外ではなく、軽いノック音がそれを破った。


「我が主様、お客様がお見えです。お通しして宜しいでしょうか」


 クレイの屋敷で雇っている侍女からだった。鍵はかかってなかったが、流石に主の許可なく開ける事はしない。ドア越しのままそう尋ねられ、クレイもドア越しのまま尋ね返した。


「誰が来た? 名前は?」


「会えばわかります。我が主様もよく知っている方です」


 クレイが疑問に思うよりも早く、何故か侍女がドアを勝手に開けた。どうぞ、と促す。侍女の横に、少し緊張した面持ちで恥ずかしそうに立っていたその人物は、確かにクレイのよく知っている人物だった。


 会いたいと、ずっと恋い焦がれていた女性。


 鼓動が一気に早まる。


 長い金髪を微かに揺らしながら、その女性は照れ臭そうに言った。


「クレイに会いたくなって……来ちゃったの」


 同じ女性にもう一度恋をした瞬間だった。

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