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8 独占願望

 同じ頃、クレイもまた、サキとの思い出に心を馳せていた。


 クレイが思い出していたのは、サキが聖女となった後ではなく、聖女となる前の事だった。


 サキからお兄さん認定をされてから2年ぐらい経った頃の事だ。サキが珍しい質問をしてきた事があった。


「ねえ、クレイ。クレイは今、好きな人とかいないの?」


「…………」


 返答にクレイは甚だ困った。好きな人はいる。目の前に。だが、それを言う訳にもいかず、かといって、本人を前にして、いないとも言いたくない。


 しかし、結局、彼は「いない」としか言いようがなかったのである。いると答えたら、誰なの? と尋ねられるのは明白だったからだ。


「そうなんだ。いないんだ」


 だが、サキはそれだけで許してはくれなかった。


「じゃあ、恋人を作ろうとか、そういう気はないの?」


 また困るような質問をする。作る気は無論あった。バンバンにあった。だが、これを言っても良いものかどうか。「じゃあ私も応援するね。良い人がいたら紹介するから」なんて事を言われたら、神を呪う悪魔にでもなりかねない。だが、作る気はないと言うのも、サキとの交際の可能性を自ら潰す行為のようにも思える。


 熟考した末にクレイは答えた。


「今のところはな。良い人がいたら別だが」


「ふうん」


 それで、ようやく終わりかと思ったら、サキはまだクレイを許さなかった。俺はそんなに殴りやすいのかと彼には思えたのだが、サキは意図してやっている訳ではない。


「じゃあ、クレイの好みの人ってどんな人?」


 どうしてこうも困る質問ばかり投げつけてくるのか。


 俺の好みは、お前だ。お前と会った事で、俺の好みはお前になったんだ。


 そう言いたいのだが言えない。仕方なしにクレイは別の言葉を口に出したが、それはある意味、間接的な告白だと言えた。


「顔で言えば、綺麗な人だ。綺麗にも色々あるが、彫刻のような美しさを持っている人じゃなく、笑顔が似合う、はつらつとした健康的な美人だな。そして、性格が可愛らしくて、それでいて格好良い人だ。喜怒哀楽がはっきりしていて、裏表がなく、時には凛としていて、頑張り屋で、素直で明るくて、一緒にいると楽しくさせてくれるし、なおかつ心の底から尊敬が出来る。そして何より、優しい心を持っていて、側にいるだけで安心と癒やしを与えてくれる。この人とならずっといたい、一生過ごしたいと思えるような人。それが俺の好みだ」


 サキからの返答はこうだった。


「クレイの理想って高過ぎない? 恋人がなかなか出来ない訳よ」


 いや、お前の事だからな! 俺はお前を恋人にしたいんだよ!


 だが、何度も言うようだが、それは口には出せない。


 そもそも何でこんな事を訊いてくるのか。恋愛関係の話をサキはあまりしないのに。


「急にどうしたんだ? 俺にこんな質問をしてくるなんて。何かあったのか?」


 サキは首を振った。


「別に。何もないわよ。ただ、ちょっと、考える事があって。この前、シェリルの事があったから」


「…………」


 その言葉に、クレイは黙る以外の選択肢がない。サキはお構いなしに続ける。


「あの時、思ったのよ。もし本当にクレイに恋人が出来たら、私はどうすればいいのかしらって。クレイは本当のお兄さんって訳じゃないから、恋人からしたら、こんな風に私がずっと一緒にいるのは嫌なんじゃないかなって考えちゃったのよ。そうなったら、クレイと遊びに行ったりする回数もだいぶ減らさなきゃいけないのかしらって。そう思ったら、なんか心配になっちゃって」


「……それで、俺に訊いてきたんだな。恋人が出来そうな予定があるのかみたいな事を」


「そう。でも、そんな感じはなさそうだから、ちょっと安心したわ」


 そう言ってから、すぐに何かに気付いたようにサキは言った。


「でもね、クレイ。こんな事を言っといてアレなんだけど、私はクレイには幸せになって欲しいって本気で思ってるのよ。だから、好きな人が出来たら、その人と付き合って欲しいと思ってるの。その時は、私の事なんか放っておいていいから。クレイが幸せになるのが、私にとって一番大事な事なんだからね」


 サキの真剣味を帯びた言葉を聞き、今、俺はどういう顔をしているのだろうとクレイは思った。サキの気持ちは嬉しいのだが、そうではないのだ。それは俺の望んでいる幸せと、かなり違うのだ。クレイはどう表現していいかわからない気持ちで一杯になった。


 その事にサキが気付いた様子はなかったが、クレイが妙な表情をしている事には気付いたのだろう。


「……どうしたの、クレイ? 私、何か変な事を言った?」


「いや……。そうじゃない。ありがとうな、サキ」


 何故か落ち込んでる心を隠しつつ、クレイは折角の機会だからと、サキにも全く同じ質問をした。


「サキはどうなんだ? 好きな人はいるのか」


 サキの返答は予想通りだった。「いないわよ」と彼女は答えた。そうだろうな、とクレイは思う。


 もし好きな人が出来たら、サキは真っ先に報告してきそうな気がクレイにはしていたからだ。それはクレイにとって死の宣告となる為、彼は事ある毎に怯えていた。しかし、話を聞く限りでは、今のところは大丈夫そうに思えた。


「私、昔の事もあってか、今でも男の人をあんまり好きにならないみたいなのよね。だから、恋した事とか今まで一度もないのよ」


「……それなら、恋人を作ろうとか、そういう気はあるのか?」


「今のところ、それもないわ。恋人が欲しいとか全然思わないし。子供なら欲しいんだけど。でも、結婚相手がいなかったら、子供も出来ないし。困ったものよね」


「……それなら、サキの好みは? どんな男がタイプなんだ?」


 サキの返答は、クレイと違ってだいぶわかりやすかった。


「やっぱり、優しくて、頼りになる人かしらね。側にいて安心出来る人がいいわ」


「…………」


 それを聞いた時、クレイは一種の絶望を覚えた。サキ好みの男に自分がなるなど、それは不可能な事のように思えたからだ。


 せめて、努力家だとか、真面目だとか、そういった好みであれば、まだチャンスはあるとクレイには思えた。だが、側にいて安心出来るは、あまりにきつ過ぎた。それはサキ目線から見て、頼りになるし有能だし包容力や決断力があると思われなければ不可能な事だからだ。


 それがどれだけの無理難題かをクレイは思い知っていた。サキと比べると、自分がいかに格好悪く、弱くて器の小さい男なのか、それを一番よく知っているのは他ならぬクレイだったからだ。


 サキほど強く、サキほど優しく、サキほど格好良い人間を、クレイは他に知らない。


 サキの過去は、辛い事の連続だった。親の顔すら知らない事から始まり、同じ境遇の子供達からは酷い目に遭わされ、シスター達からは理不尽な罰を与えられた。


 サキは初めから強かった訳ではない。彼女は後から魔力に覚醒した。それまでは一般人だった。それも、過去の体験から、酷く臆病で怖がりな女性だった。


 クレイと出会った時のサキは、不幸が積み重なって路頭に迷う寸前だった。偶然サキに出会わなかったら、彼女は本当にどこかで野垂れ死んでいたのではないかと、たまにクレイは思うのだ。


 普通の人間なら、自分のこれまでの境遇を呪い、そうなった原因である捨てた親を恨み、嫌な思い出しかない孤児院を大嫌いになっていただろう。しかし、サキは違った。彼女は、いるかいないかもわからない女神様に対してだけは、恨みに似た感情を持ってはいたが、孤児院やシスター達については恨み辛みを持ってはいなかった。全ての原因は、貧困と人手不足にあると考えていた。


 魔力に覚醒し、自信と強さを手に入れたサキは、自分一人で堂々と生きていけるだけの自立を果たすと、クレイに言った。


「孤児院をどうにかしたいと思ってるの。私と同じ目に遭っている子供を一人でも減らしたいのよ」


 それがサキの願いだった。貧しさ故に辛い思いをしている孤児院の子供達全員を助ける事が。


 その為にサキは、こつこつと貯金をしていた。討伐者は実入りが良い職業だ。危険も多いが、代わりに報酬も多い。2億クランまで貯めるとサキは言っていた。無駄遣いが多くてなかなか貯まらないけど、貯まったら各地の孤児院に寄付しに行くのと笑顔で言っていた。


 そんなサキをクレイは最初、微妙な顔をして見ていた。サキの事が全く理解出来なかったからだ。


 ……聖人なのか? とクレイはそんな感想を抱いた事がある。実際、後から聖人となった訳だが、この時のクレイは良い意味でそう思った訳ではない。悪い意味でそう思っていた。


 何故なら、それはサキが毎日働いて手に入れた金だからだ。宝くじなどでポンと手にした金ではない。労せず手に入れた金ならまだわかる。全額ではなく半額だけ孤児院の為に使おうとかいうのなら、それもまだわかる。しかし、サキはそうではない。働いた報酬の大半を使おうとしている。


 普通は自分の為に使うなり、将来の為に貯蓄しておく。それが人間という生き物だとクレイは思う。まず優先されるのは自己であり、他者への施しではない。見知らぬ赤の他人の為に、喜んで財産のほとんどを使おうとしているのは、どう考えても人間らしくはないし、普通ではないと思う。しかも、自分の人生を年単位で費消してそれを行おうとしている。


 クレイからすれば、サキが何故それを笑顔で出来るのかが謎なのだ。使命感を持って、誰もやらないから私がやるとか、そういう事ならまだ理解出来なくもないのだが。


 もちろん、孤児を助けようとする行為自体は良い事であり、素晴らしい事だとはクレイも思っていた。自分と同じ目に遭っている人を減らしたいという、その気持ちも理解出来た。だが、その一方で、度が過ぎたお人好しにも見えた。優しすぎてどうにも人間らしさが感じられず、不可思議にも思えた。


 だから、一時はサキの事を、自分の理解の外にある特殊な人間だと思った事もあった。自己犠牲と献身を何より尊ぶ天使のような心の持ち主、悪意を持った言い方をするのであれば異常者だ。無償の愛を惜しみなく振り撒く事が出来る、そんな偉人であり、見方を変えれば奇人なのかと考えた事すらあった。


 だが、そうではなかった。サキはその理由を後からこう話したからだ。


「私はクレイに助けてもらったでしょ。だから、今度は私が、他の子達を助けたいの。クレイが私にしてくれたように。私も、そうしたいの」


「…………」


 つまり、サキは自分が助けられたと思っているから、今度は助けたかったのだ。例えるなら、空腹だった時にパンを貰って嬉しかったから、同じような事を自分もしようと考えた。ただ、それだけの事だった。


 もう少し見方を変えるのであれば、サキは自分の不幸と戦おうとしたとも考えられる。サキが不幸に襲われていた時は、代わりにクレイが助けた。だから、強くなった今、今度は私が誰かの不幸を代わりに助けなきゃと思った。だって、今の私ならそれが出来るのだからと。ただ助けられるだけの無力なお姫様じゃなく、今度は助ける側の王子様になるのよと、そんな風に考えた。そういう捉え方も出来なくはない。


 しかし、それらの考えに至った根底を突き詰めるのであれば、結局のところ、サキはあの時助けられた恩を返したいのだと、クレイはそう理解した。


 それを俺一人にするのではなく、他の子達全員にするというのが、クレイには本当にサキらしく思えた。


 恩返しの規模が違う。


 砂漠で渇きに苦しんでいたサキにコップ一杯の水を渡したら、お返しにと、砂漠を緑の大地に変えようとしているサキの姿が想像出来た。そして、それは後で実現した。サキが実現させてしまったのだ。


 これ以上の恩返しはないだろうなと、クレイは思った。自分がサキをたまたま助けた事によって、それで孤児院にいる全員が助けられたのだから。大規模で、不器用で、心優しい恩返しだと、クレイは思った。


 そんなサキがクレイは好きなのだ。


 サキは格好良い女だった。そして、可愛くて、頑張り屋で、強く、優しい女だった。心の底から尊敬出来る女だった。


 そんなサキに頼られるような男になれる気が、当時のクレイには全くしなかった。それは現在においても、いささかも変わっていない。


 サキの面倒なら、彼女が聖女になるまでいくらでもクレイは見てきた。サキは世間知らずで危ういところがだいぶあったからだ。しかし、サキの面倒を見る事と、サキから頼りになる男と思われる事では、まるで中身が違うのだ。前者はクレイが勝手にやっている事であり、後者はサキが決める事だからだ。


 思えば、俺はサキに一度も頼られた事がないのでは、とクレイは切なくなる。それだけ頼りない男に見えていたのではないかと。どれだけ困っていても、サキは一度もクレイに助けてほしいと頼んだ事はなかった。出会った時から今に至るまで、一度も。全てクレイが勝手にお節介を焼いただけである。頼まれてもいないのに。


 サキが魔力に覚醒していなかった時なら、クレイはサキから頼られる男になれる自信があった。しかし、サキは現在、最強の聖女となっている。そんなサキから見て、彼女から頼られる男になるのは不可能な事のようにクレイには思えた。地位も名誉も財力もある貴族のボンボン共の方が、余程頼りになる男のように見えるのでは、と心底不安にもなっていた。


 サキの好みの男に──サキが結婚しても良いと思えるような男になるには、俺はどれだけの時間と労力と犠牲を払えば良いのか。


 それがクレイには、想像もつかなかった。5年かけてもサキに相応しい男にはなれなかった、こんな情けない自分には、一生かけても無理なような気もしていた。


 俺に出来たのは、せいぜいサキを応援する事ぐらいだった、とクレイは過去を振り返る。最初の頃と幾つかの出来事を除けば、本当にクレイは応援しかしてこなかった。心配するなと、ただ、サキを励まし続けただけだった。これからも、それしか出来ないのではないかと、未来に絶望を抱いたりもする。


 だが、それでも。


 無謀を承知で、サキから頼られる男にクレイはなりたかった。サキと釣り合う男に意地でもなりたかった。そして、サキと付き合い、結婚がしたかった。


 サキの事が、たまらなく愛おしかったからだ。誰かにサキを取られたくなかった。サキの事を、クレイは独り占めしたかった。そして、独り占めされたかった。サキから、好きだと言われたかった。サキから愛されたかった。サキと一生過ごしていきたかった。


 サキの事が、どうしようもなく、好きだったから。

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