第092話:静謐の杯
ギルドを後にした一行は、激戦による魔力の消耗や精神的な疲労も考慮し、まずは三日のまとまった休暇を取ることに決めた。
「そう言えば、私たちもこのエデルナの街に来てからというもの、連日のように迷宮にこもってばかりだったな。ここいらで一度、しっかりと羽を伸ばして休んだ方が良いだろう」
アイラのその言葉に、それまで緊張の面持ちだったリィンもパッと顔を明るくする。
「では、美味しいものをたくさん食べに行きましょう!」と声を弾ませた。
「そうだな。では、さっそく今から行くことにしようか?」
すると、その会話に乗るように神官のアリアが優しく微笑んだ。
「いいですね! 私、この近くにすごく美味しい料理を出すお店を知っているんですよ!」
さらにアリアが、隣にいたキリカの肩を親しげに突つきながら続けた。
「エルフィラとステラも、良ければこれからご一緒にどうかしら?」
しかし、ステラは穏やかに首を振った。
「……私は今回の戦いで少し疲れてしまったから、今回は遠慮しておくわ。ゆっくり楽しんできてね」
その隣にいたエルフィラも同調するように「私も今回はやめておくわ。少し静かに過ごしたい気分なの」と言って頭を振った。
「そうね、二人とも今回は本当に大活躍だったもの」
「ええ。私たちの分まで、宿でゆっくりと身体を休めてね!」
キリカとアリアは二人の言葉に笑顔で頷くと、さっそく街の美味い店へと足を向けた。
あぶれて残されたガルクとルインの男二人は、「さてと、余り物の俺たちは大人しく酒場で憂さ晴らしといくか」と、お互いに肩をすくめながら賑やかな大衆酒場の方へと歩き去っていった。
「――さて、エルフィラ。私に何か、改まってお話でもあるのかしら?」
ギルド前の喧騒と雑踏のただ中で、二人きりとなったステラは、少し後ろに佇んでいたエルフィラを振り返り、悪戯っぽく問いかけた。
「……ステラ、もし良ければ、私たちも少し飲みに行かない?」
エルフィラはそう言うと、翡翠色の瞳を少しだけ泳がせて続けた。
ステラは小さく頷きながら、「……私の行きつけは少し庶民的だけど、いいかしら?」とエルフィラに伝えた。
「それは楽しみね」
――――
そうしてステラが向かった先は、フェンリルがウェイターとして働いているあの酒場だった。
扉をくぐり、賑やかな店内の様子を見渡したエルフィラが、意外そうに呟く。
「アイラや貴女のような高貴な雰囲気を持つ人でも、こんな庶民的な酒場に足を運ぶことがあるのね」
「……あの子は元々、こういう気取らない場所の方が好みのようね。彼女の近臣は、きっと日頃から色々と苦労しているでしょう」
ステラは、今頃、別の酒場でエールを片手に豪快に飲み交わしているであろうアイラと、それを困り顔で必死にフォローしている健気なリィンの姿を思い浮かべ、ふっと笑みを浮かべた。
荒くれ者の冒険者たちが豪快に酒を酌み交わしながら大声で騒いでいる中、突如として店内に現れた、神秘的な銀髪の美女と、腰まで届くストレートの美しい「氷藍色」の長髪をたなびかせるエルフの二人組は強烈に目立った。
特にエルフィラは、このエデルナでも知らない者がいない『金ランク』の召喚士だ。多くの者が彼女の顔を知っていながらも、普段はこのような大衆酒場では見かけない高嶺の花だっただけに、酒場は一瞬にして驚きとどよめきで迎えられた。
周りの男女の冒険者たちからの畏怖が入り混じった密かな注目を浴びながら、二人は店の一番奥にある、比較的落ち着いたテーブル席へと案内される。
「ご注文はお決まりですか?」
さっそくオーダーを取りにやってきたフェンリルに対し、ステラたちはまずは定番のエールと、いくつかの簡単なつまみ料理を注文した。
【――ステラ様、お帰りなさいませ】
周囲に完全に溶け込んだ見事なウェイター姿のまま、フェンリルが並行思考を用いてステラの脳内へ直接、静かな念話を飛ばしてきた。
【フェンリル、お疲れ様。こちらで何か、変わったことはあったかしら?】
【王都のラルスから不穏な報告がありました。詳細は後ほど。……それと、このエデルナでも一点】
フェンリルが淡々と念話を続ける。
【ステラ様が以前に一時的にパーティを組まれていた『灰狼の牙』の面々が、迷宮内で『宝箱の強奪』の被害に遭ったようです。その際に幾ばくかの負傷を負ったとか】
【ボルグたち? 怪我の具合は?】
【命に別条はなく、大した負傷ではないようですが、この間もこの酒場で『せっかくの獲物を横取りされやがった』とひどくぼやいているのを聞き及びました】
【そう……生きていて良かったわ】
ステラはフェンリルと迅速に念話での情報交換をこなしながら、同時にエルフィラとの世間話も器用に進行させていく。
最初は奥のテーブルに座り、周囲の空間から完全に浮き上がっていた美女二人だったが、やがて夜が更け、周囲の酔いも回るにつれて、酒場全体が元の心地よい喧騒へと包まれていった。
「――ところで、ステラ。私、ギルドマスターのマルガから少しだけ聞いたわ。神具のこと」
ステラは黙ってグラスを傾け、その言葉の先を促す。
「貴女たち、この迷宮で『神具』を探しているようね」
いつの間にかエールから、かなり度数の強い透明な蒸留酒へと切り替えていたステラに対して、エルフィラは真っ直ぐな視線を投げかける。
「ええ。そのためにここに来たの」
「そう……。もう公然の事実だけど、私の故郷――エルフの国には、古くから『神具』と呼ばれる未知の遺物が、厳重に保管されているわ」
エルフィラはそう言うと、空になったエールのジョッキを下げさせ、ステラと同じ強い蒸留酒を追加で注文した。
「私たちエルフには、太古の昔より『来るべき時が訪れるまでは、何があっても厳重にその神具を秘匿し、保管せよ』という言い伝えがあるの」
運ばれてきた透明な蒸留酒を受け取り、エルフィラはそれを静かに口に含む。強いアルコールが喉を焼くが、その表情は真剣そのものだった。
「……『適合者』。あの火山層で戦った伝説の神鳥は、確かにリィンに向かってそう叫んだ。そして、その適合者たる彼女に付き従い、守護している貴女という規格外の存在」
ステラは途中で口を挟むことなく、グラスを傾けながら、静かにエルフィラの言葉に耳を傾け続けている。
「……もし、今後貴女たちが、エルフの国に眠る神具を探しに行くというのなら、その時は必ず私に声をかけてちょうだい。――私が、貴女たちを国へと案内するわ」
「……それは助かるわね」
「そのことだけ、貴女に直接伝えておきたかったのよ」
エルフィラがふっと、白皙の頬を少しだけ朱に染めて照れくさそうに視線を外した。その意外にも可愛らしい反応に、ステラは少し驚きながらも、クスリと上品に微笑んで話しかける。
「エルフって、もっと他種族に対して排他的な種族かと思っていたわ」
エルフィラは小さく肩をすくめた。
「貴女のような、超越した種族を目の当たりにしたら、誰だって冷徹ではいられなくなるわよ」
そして、声を潜めて静かに続ける。
「――ステラ、貴女、今は姿を変えているけど……『天龍の一族』でしょう?」
ステラはそれには答えず、ただ不敵な笑みを湛えて静かに酒を飲んだ。
「あの全てを喰らう黒炎の竜巻、天災級の時空魔法、そしてあの神鳥の間際の言葉……すべてが符合する。このような世界の変革期に、計らずも貴女たちのような存在と巡り合えた運命に、私は今、心から感謝しているの」
「ふふ……貴女、どこかアイラに少し似ているわね」
「そうかしら。……そうかもしれないわね」
そう言って、二人は静かに蒸留酒のグラスを合わせ、飲み交わしていく。
ステラも今夜ばかりは気分が良いのか、毒物耐性のスキルによる自動解毒をあえて働かせず、心地よい酔いに身を任せていた。
「おお――うい! あんたら、べっぴんさん二人で何しんみり飲んでんだぁ? 良ければ俺たちと、盛大に飲み交わさねえか?」
その時、絵に描いたような泥酔状態の男の冒険者たちが数人、赤ら顔で下卑た笑みを浮かべながら、ステラたちのテーブルへと強引に絡んできた。
男たちの無礼な言葉を聞いた瞬間、周囲の席にいた馴染みの冒険者たちが一斉に顔色を変えた。
「お、おい! バカ、やめろ!」
「その人達を知らねえのか!」
周囲が慌てて男たちの服を引っ張って止めようとするが、酔漢たちは「あァん? 何言ってんだお前ら。一期一会って言葉を知らねえのかよぉ!」と、全く聞く耳を持たない。
「――そう? 私たちと、飲み交わしたいというのね?」
美酒に心地よく酔っていたステラであったが、あまりにも不躾な横槍に、その紫色の瞳を僅かに据わらせ、珍しくその声音にピリピリとした不機嫌な感情を滲ませた。ステラの手が、テーブルの上のグラスへとかかる。
しかし、そのステラの動きよりも早く、エルフィラが慣れた様子で溜息をつき、冷徹にその場を切り裂いた。
「せっかく気持ちよく飲んでいるというのに。本当に無粋ね――」
エルフィラがただ一言、冷たく静かに呟いた、その瞬間。
酒場全体の気温が、一瞬にして急低下した。
床からの激しい氷結音が響き渡り、絡んできた酔漢たちの足元の床が瞬時に凍りついた。
「ひ、ひぃっ……!?」
「こ、氷が……う、動けねえ……っ!?」
「エルフィラさん、すみません、こいつらには後で私たちがキツく言い聞かせます!!」
「本当に申し訳ありませんでした!!」
周囲にいた常連の男女の冒険者たちが、腰を抜かしかけている酔漢たちの首根っこを強引に掴み、靴底と床を少し凍らせた氷を引き剥がすようにして、文字通り引きずりながら一目散に酒場の外へと連れ出していった。
「……全く。せっかくの雰囲気が台無しじゃない。どこかの分をわきまえない馬鹿な冒険者の一味かしら」
少し酔いが回っているのか、普段のクールさとは裏腹に、ほんのりと顔を赤く染めたエルフィラが不機嫌そうにぷうと頬を膨らませている。
ステラはその様子を見て、思わずクスリと笑う。
(そう言えば……さっきフェンリルが言っていた、ボルグたちが強奪に遭ったっていうお話。明日、少し調べてみようかしら)
フェンリルから並行思考で聞いた王都の不穏な気配、そして足元の迷宮での新たな異変。それらを予感しながら、エデルナの夜は静かに更けていった。




