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Ghetto Angel 少女が世界を変えるまで  作者: 天野椿/あおたか
2 君が想像する愛よりも
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黒く咲く花

 チャットの主は、サキさんだった。


 ――偉いよ――カズが見つけた子なだけある!

 ――恥ずかしいからって、いつまで昔の呼び方なんだよ!


『逃げて』


 その一言を最後に、通知はなにも来ない。カズハの端末からいくら返信を送っても、既読の表示一つつこうとしない。

 ――これ、どういうこと?

 彼女の様子を伺おうとしたところで、


「ごめん。私、二人を探すから、カレンは――」

「私も……! 私も、行く!」


 カズハの言葉に、考える間もなく返していた。


「……来るの?」

「だ、だって、だって」


 だって、あなたが行くなら――私だけ逃げたくない。

 言葉に詰まった私の表情をずっと見つめていたカズハは、そんな私を察するよう、先んじて口を開いた。


「ありがとう。そしたら、すぐに着替えよっか」

「……うん」


 口調も声も、一見すると普段と変わらないように映る彼女。

 だけど、言葉尻に仄かな揺れが残る。

 なにかを怖がるような、焦るような――その雰囲気に押し流されるよう、慌ててジャージを脱ぎ始めた。ジャケットを羽織って、ポケットのスマートフォンを握り締める。

 出ると、外は少し冷えた臭気に包まれていた。


「サキさんとサノさん場所って」

「家は覚えてる。ついてきて」


 そう言いながら、丘を駆け足で下るカズハ。

 慌てて後を追いかける道半ば、不安を煽るように雲が暗い赤を落とし始めていた。


「はっ……はっ……!」

「車に乗るまでは走るけど、大丈夫?」

「うん……! きに、しな、いで……!」


 車任せの体力不足と言いようのない焦りが、私の呼吸を荒くさせる。

 滑り落ちるようにたどり着いたそこには、小さな駐車場がある。崩れたトイレの横、書かれていたはずの白線は消えて、私たちが使っている軽トラしかない。

 汚れにまみれた車体に乗り込んでキーを掛けると、うなるようなエンジン音が響く。


「案内する」

「わ、わかった……!」


 アクセルを踏み、公園を飛び出す。

 煤けた窓、ダッシュボードに肘をついたカズハが目を凝らす。運転しつつ横目で確認する彼女の表情は、一見すると何ら変わらない落ち着きを持っているようにも思える。


「ここ、左。それで大通りに出たら、そのまま右折して」

「うん……!」


 でも――私にはわかる。

 きっと、平穏を装った彼女の表情の下には、吐き出せないくらいどろどろした感情を隠そうとしている。ただ、私みたいに不安のままに泣いたりしないだけ。

 少し多いまばたき、噛むように隠す下唇。肘を載せた手を少しだけ強く握って、顎の下に置いている。


「このまままっすぐ、十分くらいしたら廃病院が見えてくるから、その近く」

「わ、わかった……!」


 ひびの入った地面を、使い古したタイヤがぐんと回る。倒れ込むように崩れていた瓦礫を避けて、なるべくブレーキを踏まないようにしながらひた走る。

 ――『逃げて』って、どういうことですか。サキさん。

 障害物にあくせくしながら進む道には、私にもわかる変化が徐々に表れ始めた。

 沿道の光景に、私の口が開かれる。


「ねぇ、これって……変、だよね?」

「――そうだね」


 ゲットーでは、少し俯瞰すればあちこちから煙が昇っている。それは私たちがやっている焚き火や、レイヴで広がっている炎、規模の大小を問わず点在する工場の排煙。灰色や茶色、黒色の煙が空に昇って、雲に混じって太陽を深く閉ざしているのは、この世界では普通の光景だ。

 けれど、今沿道に見えているものは、それらとは明らかに様子を異なっている。

 大小に差はあれど、濁った色の炎が不規則に点在して、黒く燻ぶった煙がじりじりと空へ揺らめいている。風のなすままに運ばれていくそれは、昇る高さに比例して空気へ溶けていく。

 窓越しのそれを確認するように、一度だけ窓を下げたカズハ。けれど、少し顔を出したきり、すぐに窓を閉じる。エアコン設定を数度押した彼女の小声が、車内の風に混じって聞こえる。


「ごめん、私はだめだ。すごい臭う」

「んぅ……ほんとだ」


 鼻をつく臭いは、運転席の私のところにまで届いた。

 酸っぱくて、鼻の穴に張り付くようなそれは、ゲットーでよく嗅ぐ臭いな気がして――長い年月ここにいれば正体を知っているそれを、私ははっきりと言うことができなかった。

 ――多分、これって、さ……。

 そう訊こうとした口を閉じて、彼女の指示を待っていると――その姿が遠目に映った。


「カズハ、あれ!」


 私が声を上げるのと同時に、窓ガラス越しの人たちからも大きな声が発される。


「――あれ、カズ!?」

「カレンちゃんも! 二人とも、どうして」

「……二人とも、生きてる」


 破けたシャツを着ながら、体のあちこちで血を流している彼ら。窓越しのくぐもった声に、カズハの声もほんの少し上ずった。慌てて車を停止すると、カズハが再び窓を開けた。


「二人とも、こっち!」


 普段の彼女からは聞くことのないような、大きな声。それを聞いた二人は、近づいたところですぐに後部座席のドアを開ける。投げ出すように乗り入れたところで、カズハはハンドルを握ったままの私に声をかけた。


「私たちの家まで、出せそう?」

「うん、すぐ」


 広い大通り、後ろを一度見遣っても、車が来る様子はない。

 Uターンのためハンドルを切ったまま、思い切りアクセルを踏みつける。遠心力で振られる体、誰もいないのを確認して、べた踏みのまま車を走らせる。

 車内で最初に聞こえたのは、サキさんのうめき声だった。


「うぅ……! いたい、いたいよ……!」

「サキ! 大丈夫、もう逃げられたから! 大丈夫!」


 自分の外傷も気にせず、サキさんの脇腹を撫でるサノさん。二人の吐息は荒いまま、痛みを逃がすように細い呼吸を車内で続ける。

 助手席から振り返ったカズハは、その呼吸が少し落ち着き始めたところで、やっと口を開いた。


「チャット見て、ただごとじゃないと思ったから。カレンにも、助けてもらって」

「ふーっ……カズ、カレンちゃん……ふーっ……ありがとう、ね……」

「いいの。それより、二人とも――どうしたの?」


 血の臭いが混じり始める車内で、彼女の言葉は投げかけられたまま消えていく。バックミラー越しに後部座席を覗くと、憔悴した目を合わせた二人がアイコンタクトを数度取っている。

 それで決まったのだろう。深く呼吸をしながら一度目を伏せたサノさんは、重々しく話し始めた。


「……『人間狩り』って言いだす集団が、急に北から現れて……俺たち以外のほとんどが、殺された」

「……『人間狩り』?」

「あぁ……マスクと、ヘルメットをして……みんな、アサルトライフル持ってた……それに、多分、だけど……」


 赤黒くなった肩が痛むのか、一度歯を食いしばりながら顔が上を向く。肩で息をしながらそれを落ち着かせたサノさんは、振り絞るように言葉を再開した。


「多分、な……あいつらが……俺が話した『神隠し』の――正体だ」


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