22.エレナの話
「私……牢屋に入れられる?」
不安そうに、エレナ様の瞳が揺れている。
今、私とアレクシス様とエレナ様、そして何故かマイク・レイガーの四人は別室に移動している。
震えながらマイク・レイガーに尋ねるエレナ様の様子は、まだ幼い少女のようだ。
「大丈夫、そんなことにはならないから落ち着け。……ですよね、殿下?」
「ああ。これくらいで拘束したりはしない」
「……あのっ私……っ」
エレナ様は何かを話しかけたものの、何か怯えるように口をつぐんでしまう。
「焦らなくていいわ。……もしかして、脅されてたり……誰かを人質に取られていたりする……?」
私、アレクシス様、マイク・レイガーと順番に見回したエレナ様は、話すかどうか迷っているのか考え込む素振りを見せたが、マイク・レイガーに励ますように軽く背中を叩かれ、決意したように顔を上げた。
「……母が、病気で……」
「リントン男爵夫人が……?」
そんな設定あったっけ……?
「あ、いえ男爵家の奥様ではなく、私の実の母が……。脅されるというか、治療費を出す代わりに協力しろ、とは言われています……」
そうだった。ヒロインは、男爵家の正妻の子ではない。男爵の私生児で、母子で慎ましく暮らしていたが、大きな魔力を持っている事が判明したため、実父の男爵家に引き取られた、という設定だった。
物語では、実母がどうなっていたかまでは覚えていない。覚えていない、ということは、話には出たかもしれないが、本筋にはあまり関わってこなかったのだろう。
そして、今の魔法医学では、治癒魔法は、怪我と違い原因が様々である病気には有効的な魔法は疲労回復など簡単なものしかあまり研究が進んでおらず、魔法を用いない医療が中心だ。
「治療費か。君は治癒魔法の色持ちだ。王家の保護下に入り、将来国に貢献してくれるならば、国……いや、王家から出してもいい。それだけの価値がある。もしくは、王立の治療院に入院してもらって、そこで君も働く、という手もある。あそこは、治癒魔法医術も、非魔法医術も進んでいるからな。学園の勉強も疎かにせずにきちんと勤めることは楽な道ではないが、今は未熟でも君ほどの潜在能力があるならば、王立治療院も歓迎するだろう」
アレクシス様の提案に、エレナ様は一瞬、希望を持ったように顔を上げたが、私とアレクシス様の顔をそれぞれ迷うように見てから、やはり視線を床に向ける。
「そうしろよ。俺もできることがあるなら、協力するから」
「でも……やっぱり……」
マイク・レイガーが後押しするも、エレナ様は躊躇いを見せる。
男爵家からの脅しは、自作自演の一番の理由ではないのだろうか?
──やっぱり、エレナ様……ヒロインは、ヒーローたるアレクシス様が好きになってしまったの……?
「他に……どんな心配事が? それとも君は、リントン男爵の考えを積極的に支持して動いていたのかな……?」
アレクシス様の問いに、俯いたまま、左右に激しく首を振るエレナ様。
「ちっ……違います……! 私は、マリアンナ様にっ……ずっと申し訳なくて……っ」
──そうだ、そういえば彼女は、私をライバル視しているようで、敵意ではない、何か言いたげな顔をときどき向けていたわ。
「あなた……やっぱり……そうだったのね。……ずっと、何か訴えるような目で見られているような気がしたの」
「うっ……はい……。あの、も、申し訳……っ」
頭を下げたエレナ様は、まだかすかに震えている。
「大丈夫よ、あなたの意思ではないもの。……と言いたいところだけれど、ちゃんと、聞くわ。あなた自身の言葉を。……大丈夫だから、安心して話してごらんなさい?」
どうにも、このヒロインを相手にすると、たまに子供に接するような言い方になる。
「ふぅっ……! マリアンナ様……ご、ごめんなさぁぁあいい! ごめんなさいでしたぁぁぁぁ!!」
「大丈夫、許すわ。苦しかったのね、あなたも……。もういいのよ」
「でも、でもぉ、ストーリーと違うようになっちゃう、……から、消えちゃったり……」
言っても伝わらないと思っているのだろう、エレナ様の迷う声は、謝罪の言葉と打って変わって、小さくなっていく。
──ストーリー……ということは……やっぱり……。
「……私も、物語の強制力、というものがあるんじゃないか、って不安だった。……いえ、今も不安。……でも、一人で悩むより、協力していきましょう? 私とエレナ様で、ストーリーを良い方向へ変えていきましょう?」
エレナ様は、ぽかんと口を開けてこちらを見る。
「え……? 私の、言ってること、……分かって、くれるんですか……?」
「……ええ、分かる。あなたのその不安な気持ち、私には、痛いほど分かる」
私の共感に、エレナ様の瞳に、みるみる涙がたまっていく。
「私……、この世界で、自分の人生を生きていいの……?」
エレナ様が何歳のときに思い出したか分からないけれど、相談できる相手もおらず、さぞ不安だったのだろう。私は、ストーリーのレールに沿って歩めば破滅なので、悩むまでもなく違う道を歩もうとした。しかし、神様から明確な役割を言われて転生したわけでもないのに、知っている話に転生して、物語に沿わずに好きに生きることは勇気がいる事だろう。
「……私は、そう思うわ。だって、こうして生まれてきて、確かに自分の足で立って生きているのに、自分が思う道へ進んじゃだめなんて、おかしいもの」
「……マリアンナさまぁ……そんな仲じゃないって分かってるんですけどぉ……抱きついてもいいですか……?」
エレナ様は言いながら、今にも飛び込んできそうに手を前に出している。
「ふふっ……おいで」
「ううっ……マリアンナさまぁぁーーーー! 間延びした喋り方するの、嫌だったぁぁーーーー! 自分のこと自分の名前で呼ぶのも、ほんとすごい嫌だったぁぁーーーー! お、王太子妃とか王妃なんてものになるのも、絶対嫌だったしぃ……っ」
さっきから喋り方がまともだな、とは思ってたけれど、あの口調はわざとだったのか。
最後は不敬な気もするが、それをわざわざあげつらう者はここにはいない。
……元の物語に、ヒロインのそんな間延びしたしゃべり方の描写は特になかったように思うけれど……、彼女の完全なるイメージなのだろうか。
エレナ様の背中を、とんとん、とゆっくりと軽く叩きながら、先程から口を挟まず何も発さない隣の男性陣に、ちらりと目をやる。
マイク・レイガーはぽかんと口を開けて見守っていたが、号泣のエレン様を見ておろおろと近づいて手をさ迷わせた後、ぽんぽん、とエレナ様の頭をなでた。
アレクシス様は、きっと理解できない話が続いていただろうが、口を出さず見守ってくれている。
私の視線に気づいて、今度はアレクシス様が、私の頭に、一回だけ、ぽん、と手を乗せ、すぐ離した。この話に関しては、そっとしておいてくれるのだろう。
と、思いきや。
私の耳元へ緩やかな弧を描く唇を近づけて、ささやく。
「今の話は、後でじっくり聞かせてもらうね」
……そりゃそうですよね。




