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夜空の狐仮面  作者:
飢えの狼牙
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回避のプロ怪盗塩犬



 大きな邸宅の中、ソファに腰掛けた牡丹一華(いちか)がゆるりと微笑む。



「来てくださり、ありがとうございます。警察の方が居るとやっぱり頼もしいですね」


「……いえ。我々はこれまでも怪盗塩犬を取り逃がしている……それに加え、今回の件は不審な点もありますので、警戒はしておいてください」



 瑠璃(ルリ)の言葉に、牡丹女史は一瞬だがピクリと眉を反応させた。



「不審、とは?」


「予告状が、これまでの怪盗塩犬の予告状とは差異がありました。怪盗塩犬が来るという可能性については否めませんが、しかし怪盗塩犬以外も……いつもの獣達以外にも来るやもしれません」


「……そう、ですね。例えるなら人を食らう獣のような者が出るかも」


「?」



 突然雰囲気を出してそんな事を言う牡丹女史に、瑠璃(ルリ)は不思議そうな視線を送る。

 その視線を受け、牡丹女史は口元を隠してクスクスと控えめに笑った。

 まるで、先程のは何でもなかったとでも言うように。



「うふふ。いえ、ちょっとした裏話と言いますか……今回狙われた飢えの狼牙ですが、かなり昔から我が家に受け継がれているものなのです」


「牙の元がニホンオオカミとなれば最近、という事は無いでしょうな」


「いえ、まあ、それもあるのですけれど」



 牡丹女史は視線を彷徨わせる。

 言うのを躊躇うように、しかし覚悟を決めたように。



「……その牙の持ち主は、人を食らった狼だったんです。曰く、親族が食われた。その復讐、そして敵討ちとして討った。そうしてご先祖様は、忌まわしい獣を討ち取ったという事で耳飾りに加工したとの事なのです」


「成る程、それで人を食らう獣のような、ですか」


「怪盗塩犬で無いとすれば、無害な犬と思われているニホンオオカミが迎えに来たのかもしれませんね。自分の牙を……あるいは仲間の牙を取り返しに」


「その場合、人を食らう事に遠慮が無さそうなので我々が全力を尽くす事になりそうですね」


「…………冗談、ですよ。ええ、冗談です」



 ただの冗談ですよ、と牡丹女史は控えめに笑む。

 本当、彼女は噂通りの美しさだ。


 ……捩花も深窓の令嬢みたいな見た目だけれど、彼女に関しては纏っている空気そのものに雰囲気があるわよね。


 未亡人染みた気配というか、しっとりした空気というか。

 寄り添ってあげたい、と思うような気配を持っている。


 ……だからモテるのかしら。


 牡丹女史は男好きだとか男漁りが趣味だとか言われている。

 彼女の美しさを妬んだ人が流した根も葉もない噂だと言われているが、しかし実際、様々な男性と親しくしているというのは事実らしい。

 が、ここで重要なのは男好き云々ではないところ。


 ……彼女と親しくした男性は、全てとは言わないまでも殆どが姿を消す……。


 牡丹女史に関して、というか今回の件自体原作でのご登場が無かったので完全に何もわからない状態だったが、雷那(ライナ)があっという間に調べてくれた。

 そうしてわかった真実からすると、今回の件は実に反応に困る代物。

 親しい男性が姿を消す事、そして噂にもならない事の真実は何とも理解しがたくて、しかし納得の出来るものではあった。



「…………ああ、そろそろ、時間ですね」


「そのようです」



 何かを諦めたような目の牡丹女史が、壁に掛けられた大時計を見て呟く。

 瑠璃(ルリ)がそれに同意すると同時に時計が時間を告げる音を鳴らし、



「怪盗塩犬ここに参上!」



 窓を蹴破るんじゃないかという勢いで怪盗塩犬が登場した。



「どうだ時間通りにピッタリ来たぞ! というかあの人本当勝手に出したとか言ってたけど時間ピッタリ指定とか酷く無いか!? 時間ピッタリキッカリに来るのがどれだけ大変だと思ってるんだ前後五分程度の余裕は! 精神的負担を軽減する為には必須じゃないのか!? 正直言ってこのプレッシャーが凄くてうっかり遅れたりしないよう十分前から窓の前にスタンバイしてたんだぞ!?」


「いきなり自分語りとは余裕だな怪盗塩犬! 協力者が居るらしい発言について詳しく署で聞かせてもらおう! 総員確保!」


「あっヤバ」



 雪崩のように襲い掛かる警官の群れをジャンプで回避した怪盗塩犬は、人波の上を走るように、頭を軽めに踏みつけて開けたところへと着地する。



「甘イ!」


「あっぶな!?」



 突然怪盗塩犬の眼前に繰り出された裏拳に、怪盗塩犬は反射で背を逸らすようにしてソレを回避。

 完全なる反射で動いたらしく、避けてから視認して驚いていた。


 ……本当、そういう反射が凄いわよねえ。



「シッ!」


「どっ、ぅ、どわっ!?」



 怪盗塩犬は回し蹴りをしゃがんで避けるも、陳霞(チェンシィア)の方はそのまま身を回転させてしゃがみ、手で床をついてバネ代わりにし、後ろ向きに蹴りを放つ。

 腕の力、そしてしゃがんだ時の勢いによるバネと両足を曲げてから伸ばすという動きに込められた両足の蹴りを、怪盗塩犬は体勢の低いブリッジで避けた。

 低いブリッジなので仰向けになりながら蜘蛛の真似をしたかのような無様寄りの格好であり、移動する姿の気味悪さに、向かう先に居た牡丹女史はか細い悲鳴を上げてソファから立ち上がり距離を取る。

 しかし怪盗塩犬はその状態でもめげずにカサカサと陳霞(チェンシィア)から距離を取りつつ、腹筋の力だけで起き上がった。



「いきなりあんなレベルの攻撃するか普通!?」


「いきなり不法侵入、強奪繰り返す犬に言わレル、したくナイ。お前常識知らないノカ?」


「正論が痛い!」


「言葉以外の痛みも味ワウ、すれば良イゾ!」



 一気に距離を縮めた陳霞(チェンシィア)がみぞおち狙いの肘を繰り出すも、怪盗塩犬はみぞおち狙いで腰を落としていた陳霞(チェンシィア)の頭を跳び箱代わりにして飛び越え躱す。



「ええい、とにかくこのイヤリングは貰ったー!」


「ナッ!?」



 いつの間にか、テーブルに置かれていたイヤリングは怪盗塩犬の手の中にあった。

 それも当然、カサカサと移動した際、腹筋の力で起き上がる時に掠め取っていたのである。

 腹筋の力だけで起き上がるというパワータイプな動きを見せる事で視線を誘導し、その隙に奪取していた。

 動きの気味悪さによってイヤリングに一番近かった牡丹女史が距離を取ったのも大きかっただろう。



「ではこれにて御免!」



 そう言い、怪盗塩犬は懐から犬のキーホルダーを取り出し、突き刺さっているピン部分を抜いて放り投げた。

 それは爆発する事も光を発する事も無く、しかし、とんでもない爆音を響かせる。



「うっわうるっせえ何だこの犬の吠え声!」



 そう言って顔を顰めながら耳を塞ぐ七。

 そう、響いたのは爆音級の犬の吠え声だった。



「しかもこれ犬種多くない!? よく収録したね!?」


「大甘菜は変なところにワクワクすんな! 確かに凄い事だけどよ!」


「立麝も立麝で興奮しないでくれるかな?」


「苛立っている暇はありませんよ雲雀! この騒音、実際結構鼓膜にダメージが入ります! あとこんな音が響いてると僕ら自身の声も聞こえ辛いです!」


「森鐘、今何か言ったか!?」


「ちょ、待草逃げるなうっかりキャッチしてしまったコレどうしたら良いか教えてくれ! 私は楽しい事大好きだがこれはちょっと予想外というか楽しい超えてジョークグッズも超えて悪質グッズだと思うんだコレ! 最早ご近所迷惑を考えないといけないレベル!」


「白獅子は叫びながら待草を追いかける前にどうにかスイッチを切る方法探せ!」



 そう叫んだ鋸が怪盗塩犬の放ったピン部分を拾い上げ、キャッチしたまま持ち続けていた薄雪の手の中にある小さい犬の人形に差し込み音を止める。

 目覚まし時計なんて可愛らしい小鳥の囀りレベルだったなと思うような爆音が停止し、室内に居た全員が安堵の息を吐いた。



「いやあ……驚いたな。驚いたというか、本当、驚いた」


「驚いたしか言えてねえぞ白獅子」


「そう言うな変化。今のは自分達も虚を突かれたのだから致し方あるまい!」


「お前は花と羽撒き散らせながら叫ぶな。いや鼓膜がやられたのか聴覚が一時的に麻痺したのか叫んでくれねえと意思疎通が出来ねえけどよ」



 七は耳に小指を突っ込んで軽く動かし、顔を顰める。

 怪盗塩犬はとっくに室内から逃げ出していた。





「逃がしてしまい、申し訳ありません」


「いいえ」



 頭を下げる瑠璃(ルリ)に、牡丹女史はにこりと微笑む。



「刑事さんも、気付いていたのではありませんか? ……あのイヤリングは偽物だ、と」



 そう言った牡丹女史は懐からアクセサリーを仕舞うケースを取り出した。

 開かれたその中には、怪盗塩犬に奪われたはずの飢えの狼牙。



「……正直、確認の為に来た時とは違う代物だという事は気付いていました。本物を知らずとも、ある程度なら区別もつくくらいには色々見てきていますので、尚更」


「え、俺何度か見ても区別つかないのに」


「お前は黙ってろ」


「イッタイ!」



 瑠璃(ルリ)の言葉に菊がポソッと呟き、苛立ったらしい七に足を踏みつけられて悲鳴をあげる。

 実に賑やかだが、瑠璃(ルリ)も牡丹女史もそちらは特に気にならないらしい。


 ……中々のスルースキルだわ。


 うちの店に来る客も中々にスルースキル高めなので、この世界では基本的にスルースキル高めな人が多いんだろうか。



「気付いても言わないでいてくださった事、感謝します」


「……いえ。我々の信用が無いからこその対応なのだろうか、と思ってしまったので」


「ふふ、信用してるから用意したんですよ」



 そう、と牡丹女史はうっそりとした笑みを浮かべる。



「警察の皆さんには、本命の獣を捕らえていただかなくては」


「……は、まあ、犬を始めとして狐狸の方も捕らえる気ではありますが」


「人に害を及ぼす獣は、捕らえて処罰を与えなくては、ですものね」



 うふふと微笑む牡丹女史だが、会話がいまいち噛み合っていない。

 瑠璃(ルリ)もそう思ったのか、微妙な顔で小首を傾げていた。



「と、さておき盗られたのが偽物とはいえ、怪盗塩犬を捕らえなくては。申し訳ありませんが、邸内を散策しても?」


「勿論」



 牡丹女史は優しく微笑む。



「ああ、ですが中々に複雑な作りをしているのでご一緒させてください。先代が少々……そう、遊び心のある人なんです。なので隠し部屋もいくつかあったり、向こう側へ行く扉が隠されていたりしますし」


「成る程……ご同行、感謝します」


「いえ」



 そうだ、と牡丹女史は持っていたケースをテーブルの上へと置いた。



「コレは置いていった方が良いですよね。私が持ったまま怪盗塩犬の方へ行ったら、自分から持っていくようなものですし。……何より、これ、私からすると得意ではないというか、あまり近くに置いておきたくなくって」


「ふむ……」



 牡丹女史の言葉に、瑠璃(ルリ)は顎を撫でながら頷く。



「貴女に害が及ばないよう全力を尽くすつもりではありますが、リスクを減らすという点で言えば正解かと。数人、ここの警護に残しましょう」


「ありがとうございます」



 瑠璃(ルリ)は指示を出して数人を残し、他の皆を連れて部屋を出る。



「……では、俺も行って参ります」


「ええ、よろしく」



 怪盗塩犬の方へと行くモダン大吉に手を振り、私は室内を観察する。

 残ったのは三人。



「それじゃあ……このソファで寝っ転がったりってしても良いのかな?」


「大甘菜、貴様やる気が無いならいっそ帰れ」


「待草ってば相変わらず冗談が通じないよね!」



 眉をひくつかせた宵色に、星夜はケラケラと笑った。



「ハハ……まあ、そういうのを言って良い状況でもないしなあ」



 控えめに苦笑したのは、緋衣(ひごろも)誠二(せいじ)

 穏やかな性格の既婚者であり、うちの店に来る度すくすく育つ一人息子についての話が止まらない。


 ……結果、私までその子の好みとかに詳しくなっちゃって。


 尚、彼の父親は町の催し物などで色々手配し一般市民の味方をしてくれる存在という、実質的な町の長。

 その為顔が広くて色々詳しく、息子自慢以外の話題では意外な話も聞かせてくれる事が多い。

 そんな彼の最近の悩みは、息子に煙草臭いと言われて抱っこを拒否され始めたことらしい。


 ……前から吸い過ぎは注意されてたみたいだけど。


 うちの店はそもそも禁煙仕様なので店内で吸わせる事は無いが、彼曰く幼馴染が警察病院に勤めており、煙草の吸い過ぎについてを頻繁に注意してくるんだとか。

 それもあって警察病院にはあまり顔を出したくない、と愚痴っていた。

 まあ瑠璃(ルリ)のようにスパッと禁煙出来る人も居ればそうでもない人も居るので、その辺は個人差だし実際個人の問題なので何も言うまい。

 うちの店で勝手に吸わなければ良し。



「しっかしこういうのの護衛ってのはどうにも落ち着かないっつーか」


「む、そうなのか?」


「いがーい」


「お前らの中で俺はどういうヤツなんだよ」


「一般的にはお前も金持ちの部類だろう。このくらい持っていそうなものだがな」


「親が金持ちなんであって俺はお前らと変わらねえよ。一般市民に何期待してんだか」



 くく、と誠二は顔をくしゃりとさせて笑う。



「しかしまあ、こうして見る限り、牡丹一華にヤバそうな部分があるとは思えないけどなあ」


「…………迂闊な事を言うな、緋衣。俺達はあくまで市民の味方だ」



 ふん、と宵色は不機嫌そうに顔を顰めながら後ろ手を組み胸を張った。



「怪盗塩犬がターゲットに定めたというだけの理由で相手の経歴を疑うなどしてはならん」


「警察って実際やってるのはストーキングだったりするけどね。あと市民全員を疑ったり」


「身も蓋も無い言い方をするな大甘菜!」


「否定出来ないから辛いよなあ」


「うぐ……」



 宵色は悔しそうに唇を噛む。

 まあ確かに不審者がどうとかいうのも、今時は普通にファッションだったりする事もある。

 何を不審と定義するか、みたいな事だ。

 そうなると片っ端から疑いを持って見る、というのもあながち間違いではないだろう。


 ……それやられると主に火和良(カワラ)が引っかかりそうだから、あまりやらないで欲しいけど。


 あの子は嘘が苦手過ぎて暴露しまくってしまうので厄介だ。

 否定しながら全部ゲロってるので本当困る。


 ……ま、そろそろ良いでしょう。


 足音はすでに聞こえなくなっているので、瑠璃(ルリ)達はちゃんと怪盗塩犬を追いかけていったらしい。

 うっかり戻って来た彼らと鉢合わせる危険性が無い事を確信してから、私は天井裏から飛び降りた。



「はいワンプッシュ」


「うぶっ!?」



 着地までの間に、一番近くに居た誠二の顔を狙ってワンプッシュし眠らせる。

 うっかり踏んづけないよう気を付けつつ着地した。



「なっ、狐仮面! 貴様また現れたか!」


「はいはいその通りよん」


「ふがっ」



 宵色にもワンプッシュ。

 彼は書類関係に強く、かつ責任感が強いので自主的に瑠璃(ルリ)と共に残業するという社畜精神の持ち主なので、よく目の下に隈をこさえている。

 今日もうっすら隈が出来ていたし、この後色々始末書やらのアレコレで大変だろうから、今の内にぐっすり寝ると良い。



「さて」


「あ、俺は抵抗しないよー」



 あとは星夜だけ、と思い視線を向ければ、星夜はへらりとしたいつもの笑みと共に床に座って両手を上げる。ホールドアップだ。



「…………本当に敵意が無いから反応に困るわねえ。トラップだったりしない?」


「んー、警察としてはそうした方が良いんだろうけどね」



 完全に力を抜いたまま、ホールドアップをやめた星夜は膝を抱えてにっこり笑う。



「キミ達は警察が全う出来ない部分の正義を担ってくれてるって思ってるから、良いかなーって。公的に見逃したりは出来ないけど、誰も見てないなら別に好きにして良いんじゃない?」



 星夜らしいが、言っている事は大分酷い。



「貴方、ソレって警察としてかなりアウトよ? 職務放棄よりも酷い気がするんだけど」


「気にしない気にしない。困ってる誰かを助ける為に動いてるっていうのは今までので何となくわかってるし、ここでその本物のイヤリングを置いてった辺り、多分あの人も守る気はあんまり無さそうだし」


「思いっきり苦手扱いしてたものねえ」


「そうそう。廃品回収みたいなものなら警察が邪魔するのも変な話だよ」


「大前提として廃品じゃないわよ?」



 しかしまあ、星夜は本気で止める気が無いらしいのでありがたくケースを頂戴して胸の谷間に仕舞う。

 星夜の性格上、積極的な協力をする気は無さそうだが、子供染みた素直さがあるから今回の件の本質部分に何となく気付いているのだろう。

 ワンプッシュせずに済んだのは良かった、と思うべきか。



「それじゃ、失礼するわ」


「うん、じゃあね」



 星夜はのほほんとした笑みを浮かべてひらりと手を振る。

 同僚二人が思いっきり床に転がってぐーすか寝ているというのに、その辺は気にならないんだろうか。





 到着した時には既に諸々が終わっていた。

 牡丹女史は安堵した表情で手首に手錠を掛けられ、怪盗塩犬は窓から飛び降りて逃げようとし、そこに陳霞(チェンシィア)が一切の躊躇い無く続いていく。



「ヤッ!」


「どわっ!?」



 飛び降りる力を利用した踵落としに、怪盗塩犬は着地の際転がるようにして着地点をずらす。

 咄嗟の反射的な回避によって逃げられた陳霞(チェンシィア)は、靴についた土汚れを手で軽く叩いて落とした。



「チ」



 舌打ちをし、陳霞(チェンシィア)は重心を下にして脇を締める。



「大人しく捕マレ、怪盗塩犬!」


「そういうわけにもいかないし、一人捕まえただけじゃ足りないのか?」


「お前を逃がす理由、ワタシに無イ! お前、あると思ウカ?」


「いや、うん、それは思わないけど……」



 陳霞(チェンシィア)の正論に、怪盗塩犬は微妙な顔をしてマズルガード越しに頬を掻いた。



「……まあ、そもそもはあの人が捕まった事も、真実についても俺からすれば衝撃的だったわけなんだけど……だからって逃がしてもらえる道理は無いか」


「当然ダ。そんな道理が通ル、あり得なイナ」


「なら自力で逃げる!」


「させルカ!」



 即座に身を反転させて逃げ出す怪盗塩犬だったが、陳霞(チェンシィア)は地面を蹴り飛ばして跳び、怪盗塩犬に蹴りを放つ。

 怪盗塩犬の回避力は凄まじいので当然のように避けられたが、しかし怪盗塩犬の逃げ方は基本的に直線走りな為、動線を潰されたのは痛手だった。

 体勢を崩す事で攻撃こそ回避したが、ここからまた走り出すには陳霞(チェンシィア)の立ち位置がよろしくない。



「シッ!」


「うおっ」



 陳霞(チェンシィア)が拳を放ち、怪盗塩犬は頭部を中心に横へずらしてその拳を避ける。

 風を切る音を纏った拳は怪盗塩犬を捕らえる事能わず、向こう側にあった木の幹へと直撃した。

 衝撃が貫通した木の幹はめきょりと歪にゆがみ、メリメリという音を立てて地に倒れた。



「…………えっ」


「隙アリ!」


「あっぶなあ!」



 倒れた木に気を取られて冷や汗を垂らしていた怪盗塩犬は、続いた肘打ちをブリッジで避ける。

 どうやら体が結構柔らかいらしい。良い事だ。



「いや待て待ってくれ! 木が文字通りに一撃で倒れ伏すとかどういう事だ!? さっき攻撃して来た時、ソファは無事だったし盾に使ったテーブルも無事だったのに!」



 私が知らない間に何をやってたんだろう。

 帰ったら雷那(ライナ)に詳しく聞こう。



「わからないノカ?」


「っひゅ!」



 怪盗塩犬は放たれた膝蹴りをバク転の要領で避ける。



「室内、器物損壊する可能性、あるかラナ。加減していたという事ダ!」


「だあああもう危ない!」



 頭部狙いの蹴りに、怪盗塩犬はしゃがんで避けた。

 その隙を逃がさず陳霞(チェンシィア)は即座にしゃがみ、ブレイクダンスのような動きで下狙いの蹴りを放つ。



「ふん!」



 が、怪盗塩犬は足を揃えたまま、足の力だけで垂直に飛んで避けた。

 変わり種の縄跳びみたい。



「避けルナ盗人! 少なくともお前、ワタシ殺さナイ! 殺す違ウ、捕まエル! だから大人しく捕まるスル、わかルカ!?」


「わかるけどわかりたくはない!」


「わカレ! 致命傷にはしナイ!」


「場合によっては致命傷にするっていう事だろうソレ!」


「当たり前ダ!」



 ……うーん、でもこれだと困るわよねえ。


 怪盗塩犬の逃げ足については信頼しているし、問題も無いだろう。

 しかしこのまま長引いて応援が来ては面倒。

 なにより面倒なのは、怪盗塩犬が持っているのは偽物のイヤリングであるという事。


 ……今回の件は牡丹女史による自首の為の策だったわけだし、元の持ち主がどうとか撫子家がどうとかも無いから良いんでしょうけれど。


 それでも、怪盗塩犬がターゲットを初めて逃がすというのは、何となく面倒な気もする。

 結構人気出てるから尚更だ。


 ……いやまあ警察側からしたら奪取された事実には変わらないんでしょうけど、怪盗塩犬が確保出来てない、っていうのはちょっと痛手かしら。というか私も持っていたいわけじゃないし。


 そう思い、私は深く息をする。



陳霞(チェンシィア)! 何をしている! ここらにある木だって壊せば充分に問題だ! あとで色々調べる庭を荒らすな!」


「!」



 瑠璃(ルリ)の声で放ったその言葉に、陳霞(チェンシィア)は咄嗟に動きを制御した。

 怪盗塩犬に向かっていた拳は空を切り、灯りに直撃しそうになっていたところを無理矢理軌道がずらされ、鈍い音が小さく響き、陳霞(チェンシィア)の顔が僅かに顰められる。



「隙あり!」


「ッ、」



 無理矢理軌道をずらした事で捻った手首をもう片方の手で押さえる陳霞(チェンシィア)の横をすり抜けて逃げようとする怪盗塩犬の背に、声を掛ける。



「怪盗塩犬! こっちが本物よ! 持ち帰るならこっちになさい!」


「!」



 振り向いた怪盗塩犬に向かってケースを投げる。

 夜空の下で弧を描いたソレは、綺麗に怪盗塩犬の手の中へと入った。

 怪盗塩犬は何かを言おうとするも、立ち止まってはいけないと思ったのかケースをしっかり握って前を向き、そのまま走り去っていく。



「…………今ノハ」


「ちょっとした声真似よ。似てたでしょう?」



 にっこり笑って見せれば、陳霞(チェンシィア)は苦々しい顔で小さく舌打ちをした。

 可愛らしい童顔だというのに無表情としかめっ面が似合う人だこと。


 ……まあ、ゲームの限りある立ち絵と違うからか、結構色んな表情を見せてくれるって事を知ったけれど。


 それでもやっぱり、警察の敵に対しては無表情やしかめっ面がメイン表情らしい。

 ゲームの中で見慣れた表情だ。



「それじゃ、私も逃げさせてもらおうかしら」



 モダン大吉なら抜け目なく逃げているだろうし、迎えに行かずとも家に帰っている事だろう。



「逃がすと思ウカ?」


「ふふ、今のでちょっと手首を捻っちゃってるんでしょう? そこまでするつもりは無かったけれどごめんなさい。早めに処置しなさいな」


「片手でも攻撃スル、出来ル」


「あら、責任を取ってくれる気があるって事?」


「なっ、なっ!?」



 からかうつもりで言えば、陳霞(チェンシィア)は瞬間湯沸かし器の如く、一瞬でぼぼぼとその白い肌が真っ赤に染まった。

 思った以上の動揺を見せた陳霞(チェンシィア)に笑みを向け、私は袖の中にある一つのアイテムのスイッチを入れる。



「じゃ、バァーイ」


「待テ…………っ、消エタ!?」



 無論、消えてなどいない。

 使用したのは(カオル)お手製、対象の視覚に認識されないようになるというヤバいアイテムである。

 使用者の表面部分に原子レベルの光学迷彩をセットする事で人間の肉眼では捉えられないようにするという、雑に言えばプロジェクションマッピングみたいなもの、らしい。

 欠点は使用者一人しか使用不可能な点だとか。

 明らかに雑に言い過ぎな気がするが、本当(カオル)の技術はオーバーテクノロジーというものではないだろうか。

 まあ、ソレのお世話になりまくっている身なのでただひたすらにありがたいけれど。


 ……じゃ、のんびり帰るとしましょうか。


 これが瑠璃(ルリ)相手であれば、地面の僅かな変化などからバレる可能性がある。

 何せ姿を隠せるだけで動いた形跡まで消せるわけではない為、僅かな空気の振動からバレる可能性も無いわけじゃないのだ。

 もっとも、だからこそ瑠璃(ルリ)が居ない今この時に使用したわけだが。



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