エナ=ルージュの過去
荒れた路地を彷徨う。
家など無く、今日を生きていく希望すら無い。
道路にはゴミが散乱しており、人が生活しているとはとても思えない場所だ。
服はボロボロで身体の至るところに傷跡がある。身体は小さく痩せ細っており、顔には生気がない。
神魔大戦――。
神の使徒と呼ばれる勇者率いる人間と魔王率いる魔族の戦争だ。
そんな状況なのもあってか貧しい者も多く、子供を育てることが出来なくなり、子を捨てる者も少なくはなかった。私もその一人だった。
捨てられた子供達が多くいる街の一角はスラム街と呼ばれ、一般人は疎か、国の警備ですらそこに近づくことはほとんど無い。来たとしてもガラの悪い連中だけだ。
そこにいる者達は街のゴミを漁って食料を確保したり、店の食べ物を盗んだりして毎日を過ごしていた。
そんなある日勇者一行が魔王の討伐に向かったと耳にする。
勇者が勝てばやっとこの生活から抜け出せる。戦争が終われば豊かになるはずだ。と私は淡い期待を抱いた。
それから数日経ったある日。街の中に魔物が入って来たのだ。
今まで魔物になど入られたことが無く、極めて異例の事態に街は混乱に陥った。
魔物が入ってきた原因は防衛力不足だった。
魔王討伐の部隊に戦力を割きすぎてしまい、街の防衛が耐えきれなくなったのだ。
スラム街の者達も魔物の居ない方へと逃げ始め、私も死にたくないと必死に逃げようとする。
だが私の足は力が弱く、周りと比べても著しく遅かった。
それでも必死に走ったがここはスラム街。地面に散乱した物で躓いてしまい、私は転けてしまった。
転んでしまった体を地面から起こし、顔を上げる。
すると、目の前に周りの建物より遥かに大きい魔物が現れた。
魔物は恐竜のような見た目で、その巨体を動かす度に尻尾も動き、周りの建物を次々と薙ぎ倒していく。
既に別の人を喰ったのか、口からは血が涎のように垂れていた。
初めて見る魔物に恐怖を覚え、起こした体は腰が抜けるように尻餅をついた。
あぁ…私は餌だ。魔物にとっては道端に落ちている食料と何ら変わりないんだ。と私は生きることを半分諦めかけた。
魔物は私の体を掴み上げ、脱力しきった脚を喰った。
「うわああああああああああああああ!」
スラム街には私の悲痛な叫びが響き渡り、喰われた裂け目からは尋常ではない程の血が出ている。
生と死の狭間で私は意識を保ち続け、顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
――そんなときだった。
魔物が突然炎に包まれ、瞬く間に死んでしまったのだ。
魔物に掴まれてた体は地面へと落下していく。
地面にぶつかると思ったその直後、空中で何者かに抱えられた。
「お嬢ちゃん大丈夫……なわけないか」
私を助けたのは見知らぬ女性で、背中からは翼が生えており、開いた口には尖った歯が見えた。
その特徴的な見た目から、女性が前に本で読んだことのある吸血鬼だと理解する。
吸血鬼は人類に仇なす魔族だと言われている存在だ。とは言っても存在自体が幻のような生き物であり、実際に目にした者は少ないという。
その身体に所有する魔力は桁外れで、勇者をも上回る程だと言われており、再生能力や身体能力も高く、不老不死とも言われている。
弱点らしい弱点は無く、日の光を浴びれば、少し力が弱まることくらいだ。
人類にとっては魔王を除いた最大級の厄介な種族である。
その吸血鬼が魔物を倒し、人間である私を助けた。それは助けようと思って助けたのか、偶然助けたのかは分からない。
とにかく今は死にたくないという気持ちで一杯だった。
吸血鬼は私を抱きかかえたまま魔物がおらず、人気の無い森の近くへと移動し、女性は私に問うた。
「今から聞くことに正直に答えなさい。吸血鬼として生きていくか、それともこのまま死ぬか。どちらか選びなさい」
生死の選択を迫られたが、答えは決まっていた。
「私……は…死にたく…ない…」
力を振り絞り、掠れた声を出しながらそう言った。死にたくないと。
このときの私にとっては、吸血鬼になるなど問題ではなかった。
女性はその答えを聞いて、満足そうに微笑むと、自ら自分の手に傷を入れ、血を流した。
「私の血を飲みなさい」
女性はそう言うと、私の口に自分の血を入れて飲ませた。
「どうなるかは分からないけど、次に目を覚ましたときはきっと綺麗な青空が広がっているわよ」
女性はそう言い微笑むと、翼を大きく広げてどこかへ飛んでいってしまった。
太陽の光は空に覆われた黒い雲によってほとんどが遮られ、地上は薄暗かった。
街の方は魔物や魔術による炎で赤くなっており、そこが戦場と化していたのは一目瞭然だった。
体から流れていた血はいつの間にか止まっており、痛みは消えていたが、身体に疲労が溜まっていたのか眠ってしまった。
* * *
目を覚まし空を見上げると、何十日ぶりか分からない青い空が広がってり、太陽が地上を明るく照らしていた。
失ったはずの脚の感覚があることに驚いたが、眠る前の出来事を思い出し、納得することができた。
生き残ったことによる喜びに満ち溢れ、吸血鬼になったことへの後悔は無かった。
長かった黒髪は銀髪に変色しており、ボロボロだった体は傷一つ無い綺麗な体になっていた。これは吸血鬼になったことによって起きたものだった。
自分の街に向かおうとすると、自分の寝ていた側に服と手紙らしきものが置かれているのに気がつく。
この服はあなたを吸血鬼にしちゃったお姉ちゃんからのせめてもの謝罪の品だよ。こんなものしかあげることが出来ないけど、どうか許して欲しいな。
この服は汚れても傷がついても元通りになる私の自信作だから気に入ってくれると嬉しいな〜。
吸血鬼になったことで今までといろんなことが違ってくると思うけどどうか強く生きてね。
手紙にはそう書かれていた。
私を助けた女性が書いたもので、どうやら服も女性が置いていったものみたいだ。
その服は一般人が持っているような品ではなく、今までボロボロの服しか着たことのない私は、まさか自分がこんな立派なものを着るとは思いもせず、暫く固まってしまった。
こんなものを着ては街で目立ちそうだが、今着ている血だらけの服を着ているよりは良いと考え、着替えることにした。
周りに人が居ないのを確認すると、近くの茂みに隠れて服を着替る。
翼は自由に出し入れすることができ、服を着ている状態でも問題無く翼を出すことが出来た。
翼を仕舞っている状態だと背中がむず痒く、街の近くに行くまでは翼を出したままでもいいかと思い、そのまま街の方へと向かった。
街へ行く道中で魔物に襲われないかと少し怯えながら歩いていたが、魔物の姿どころか人の姿も無かった。
街の入り口も警備はされておらず、容易に入ることができた。
私は街に入るとその光景に驚く。
見たことのある街並みは無く、建物は崩れ落ち、道は瓦礫で埋め尽くされていた。
それでも被害は街の入り口付近がほとんどで、街の中心に進むほど、被害は少なくなっていた。
街の人々は建物の修繕や瓦礫の撤去をしているようで、お互いに助け合っていた。
魔物が侵攻してきた後だというのに、街の人々からは元気な声も聞こえ、悲観的な声は少なかった。
そんな中、やはり私の見た目は目立つのか、歩くたびに人々の目を奪っていた。
特に目的も無く街を転々としていると、突然目の前に女の子が飛び出してきて、話しかけられる。
「あなた何処の子なの? すごく綺麗な服を着てるし、髪と肌も綺麗でお人形さんみたいだ〜」
目の前にいる女の子は私をまじまじと見つめ、そう言った。
黒髪で短髪の何処にでもいるような女の子で、魔物が侵攻した後とは思えないほど明るい印象を受ける。
服は白いワンピースを着ており、風にひらひらと揺られている。
「私に住む場所は無い。この服は恩人に貰ったもの」
過ごしていた場所と言えばスラム街だったが、そこに行くつもりは無かった。
今の格好で行けば何をされるか分かったものではないからだ。
「お父さんとお母さんは?」
「どっちも居ない」
居ないと言ったが、捨てられただけなので、生きていれば何処かにいるかもしれないが、探す気は無いし、会いたいとも思わなかった。
自分を捨てた人は親などでは無いと、自分勝手なクズでしかないと思っていたからだ。
「じゃあ私のところに来なよ! 最近できたばかりの小さな孤児院なんだ!」
女の子は私の手を掴み、孤児院があるであろう方へと歩き始めた。
最初は断っていたが一向に引く気配が無く、最終的に押し負けた。
「まだ名前を言ってなかったねー。私はフィーナ=シュミット。よろしくねー」
「私はエナ=ルージュ。よろしく……?」
その後もいろんなことを話しながら孤児院へと向かった。
神魔大戦はどうやら終戦したようで、話では三人の勇者と魔王は相打ちになり、街には勇者の仲間だけが帰ってきたらしい。
街に侵攻してきた魔物を国の兵士や魔術師を総動員して抗戦していたところ、魔王を倒れたことで全て消えたのだとか。
街の外に魔物が居なかったのも頷ける。
街の人々が悲観的ではないのは魔王が倒されたからだろう。
そんなこんなで孤児院に来てしまった。
被害のほとんど無い街の中心の近くに建物があり、人通りもそこそこ多いところだった。
「ただいま〜」
フィーナがそう言うと奥からドタドタと足音をさせながら数人の子供達が出迎えた。
「みんな、フィーナが帰ってきたよ! おかえりー!」
私やフィーナより一歳下の子も居れば、五歳くらいの無邪気な子などもおり、大変賑やかだ。
そんな中にスラム街で見かけた子もちらほら居たが、私に気づく様子は無い。
名前を知らないのは勿論のこと、今の容姿では気づかないのも無理はなかった。
子供達の視線はフィーナから私に移り、奥からこの孤児院の経営者らしき男性が出てきた。
少し癖のかかった茶髪で服は相当使い古されているのか、いろんな所がほつれている。
「おかえりフィーナ。……その子は?」
「街で拾って来た!」
「『拾って来た』って……。犬や猫じゃないんだから……」
その男はやれやれと言わんばかりに首を振った。
声は低く、少し聞いただけだと怖く感じるが、その声には優しさが籠もっていた。
「この子はエナちゃん。両親共に居ないらしいんだけど孤児院に住まわせてもいいかな?」
「なんだそんなことか。それなら構わないよ。むしろ大歓迎だ」
「だってさ。良かったねエナちゃん!」
どうやら、もう孤児院で住まわせて貰えることになったらしい。
「ひとまず中に入ろうか。話さないといけないこともあるだろうしね」
男がそう言うとフィーナが私を居間へと連れて行き、三人はそれぞれ椅子に座った。
子供達に男が戻るように言うと部屋へと遊びに戻った。
「僕の名前はアラン=エクサルヴァ。君の名前は?」
「エナ=ルージュ……です」
「よろしくね、エナちゃん」
アランさんはそう言って私に向かって手を伸ばす。私はその手を握り、互いに握手を交わした。
「エナちゃんを受け入れておいてなんだけど、今空き部屋が無いんだよねぇ。誰かと同じ部屋になると思うんだけど…」
アランは少し困ったように言った。
フィーナは小さい孤児院と言ったが、街でもそこそこ目立つような大きさはある。
それでも空き部屋が無いということはそれだけ子供が多いということなのかもしれない。
最悪今のソファで寝てもいいのだが、できればそれは避けたい。
私もどうしようか悩んでいるとフィーナが勢いよく手を上げた。
「はいはい! 私とエナちゃんを同じ部屋にしたい!」
「まぁ…エナちゃんを連れてきたのはフィーナだし、エナちゃんさえよければそれで構わないが…」
フィーナとアランさんは私の方を向き、答えを待っているようだ。
さっき出会ったばかりだけどフィーナとなら大丈夫だろうと思い、その案に同意するように頷いた。
「なら決まりだ。私は国に報告してくるよ。そうしないとエナちゃんの分の食料が支給されないからね」
アランさんはそう言うと孤児院を出た。
どうやら食料は国から直接支給されるようで、街の人々にも支給されているらしい。
「そう言えばエナちゃんの目って不思議だね〜」
「そう?」
私の目の色は青色のはずだ。青色なんて珍しくないしそんなに不思議に思うだろうか?
「左右で目の色が違うなんて見たことがないよー」
「……え?」
左右で目の色が違うとはどういうことなのか?
私は自分で確かめるべく、フィーナに鏡があるか尋ねて、鏡の場所まで行って自分の目を確認した。
鏡に映る自分の目は左目は青色だったが、右目は赤色だった。
これも吸血鬼になったことによる変化で、私の場合は中途半端に変化が現れたのだろう。
髪と右目の色は死にそうになっていた私を助けた吸血鬼と同じ色だ。
フィーナはこの目を綺麗だと言ってくれたが他の人がどう思っているかは分からない。
アランさんは特に何も言わなかったけど、あの様子なら悪くは思われてなさそうだ。
その日から孤児院の生活はつつがなく続いた。
孤児院のみんなは最初は私のオッドアイを少し怖がっていたが、一緒に暮らしているうちに気にする子は居なくなった。
みんなはアランさんのことを先生と呼んでいるらしい。
フィーナは私のサラサラの髪が気に入ったようで、よくいじるので度々髪型を変えられた。
普段はフィーナが持っていたリボンで、一番似合うと言ってくれたツインテールにしている。
そして時は経ち、私が孤児院で暮らし始めて一年が経過した。
国の支援もあってか街の復旧は滞りなく進み、終戦直後に比べて見違えるほど綺麗になっている。
孤児院に居た子の中には引き取られ、孤児院を出た子も居れば、新しく入ってきた子もいる。
そして私とフィーナが十歳になると、先生……もといアランさんは二人に学び舎に行ってみないかと言った。
それに二人とも行くと答えると、三日後から通い始めた。
私やフィーナは孤児院の子供の中でも一番年上で、同じ歳の子と関わる機会はほとんど無かったので、二人の成長にとってもいい機会だった。
学び舎に入ったばかりの頃は私の右目が気になる子が多く居たが、その綺麗な容姿と私自身が口数の少ない子だったのもあってか、積極的に話そうとする子は少なかった。
だけど、それもフィーナの陽気な性格のお陰で解消され、何人か友達も出来た。
だけど、同じ教室の中に居た四人の女の子のグループは私のことを快く思っていないことには気づかなかった。
学び舎では文字の読み書きや計算の仕方などを普段は学び、時々魔族のことについて学んでいた。
そんな日々を過ごしていたある日、フィーナに引き取り手ができ、孤児院を出ることになった。
場所は遠いらしく、今の学び舎は辞め、別の学び舎に行くらしい。
孤児院ではみんなのお姉さん的な存在で、学び舎ではクラスのムードメイカー的な存在だ。
孤児院でも学び舎でもお別れ会が開かれたほどみんなにとって大きな存在だった。
そして、今日はとうとうお別れの日。
フィーナの迎えは昼過ぎに来るらしく、フィーナと一緒に過ごせるのもあと数時間になってしまった。
「皆、顔を洗って外に出て来てごらん」
先生は用事から帰ってくるなり、孤児院の皆にそう言った。
皆は素直に言うことを聞き、一時洗面所が渋滞していたが、数十分後に全員外に出た。
「先生〜、それ何〜?」
と、一人が先生が手に持っている物を指す。
「これはね、カメラって言ってね。そこに居る先生の知り合いに借りたんだ」
先生がそう言うと、孤児院を囲っている塀からひょこっと女性が出てくる。
「簡単に言えば、これはそのときの景色を保存する機械だよ。フィーナのお別れの前に少しでも思い出を残そうと思ったんだ」
先生は女性にカメラを渡すと、孤児院の入り口の前に立つ。
「さ、皆並んで。じゃなきゃ写真が撮れないぞ〜?」
先生がそう言うと、子供達はその周りに並び始める。
私とフィーナは先生の目の前、一番真ん中に二人で立たされた。
「それじゃあ撮るわよー」
女性はカメラをこちらに向けた。
すると、男の子が先生に飛び掛かった。
「俺、先生の上がいい!」
男の子がそう言うと、他の子も先生に肩車をしてもらおうとしたり、それを静止しようとする子が居たりと、わちゃわちゃし始める。
「わっ、ちょっと先生でもみんなは無理だー!」
先生がそう叫ぶと同時に、カメラからパシャと音がした。
「あっ……」
全員がその場で固まってしまい、動かなくなってしまった。
先生は地面に倒れており、子供達が背中に乗っている。
カメラを持っていた女性は「あははー……」とぎこちない笑みを浮かべている。
女性はカメラを逆に持ち替え、フィーナに画面を見せた。
「ふふっ」
フィーナはカメラの画面を見て小さく笑った。
私もカメラの画面を覗いてみるが、フィーナが何故笑ったのか分からなかった。
先生と子供達も撮ったものを見ようと周りに集まってくる。
「もう一回撮るかい?」
「いや、これでいいよ〜」
「まぁ、フィーナがそれでいいなら……」
フィーナはカメラを持ったまま、その画面をじっと見て笑っていた。
「じゃ、皆部屋に戻ろうか」
先生はどうやら女性から撮った写真を貰って来てくれるらしく、子供達だけで部屋に戻った。
昼が過ぎると、フィーナの迎えの人がやって来た。
孤児院の皆でフィーナを見送ろうと、一斉に孤児院の前に行く。
そこには若い夫婦二人と先生が居た。
女性の方はおっとりとしていて、優しい目をしている。
男性の方はピシッとしていて、頼り甲斐のありそうな人だ。
「まあまあ。可愛らしい子供がこんなに沢山……」
「はははっ。こんなに居るなら家に一人とは言わず、ニ、三人引き取るか!」
「貴方、家にそんな余裕はありません」
「じょ、冗談だよ……」
頼りになる……のだろうか?
見る限りでは仲の良い若夫婦二人で、良い人そうだ。
この二人ならフィーナも安心して過ごせるかもしれない。
フィーナは私が初めて会ったときと同じ白いワンピース姿だ。
私の隣から一歩踏み出し、若夫婦に近寄る。
「わ、私がフィーナです! これからよろしくお願いします!」
いつもの元気のある声だが、珍しく緊張しているようだった。
「えぇ、よろしくね。フィーナ」
女性はフィーナの頭を優しく撫でながら言った。
フィーナはそれが心地よかったのか、頬が緩んでいる。
私は髪を結んでいたリボンを取り、髪を下ろす。
今日でフィーナとはお別れ。私の髪を結ぶために使っていたこの黒いリボンはフィーナに返さないといけない。
「フィーナ!」
寂しさで込み上げてくる涙を抑え、黒いリボンを手に持ちフィーナに渡そうとした。
だがフィーナはリボンを受け取らず、首を横に振った。
「エナちゃんにあげる」
「え、でも……」
「そのかわり、私のことを忘れないで欲しいな」
みんなと別れて一番寂しいのはフィーナのはずなのに、一粒も涙を見せることはなく、笑顔で私に言った。
「うんっ……! 絶対にっ……! 忘れないからっ!」
フィーナが泣いていないのだから、私も泣くわけにはいかないと我慢していた。それなのに、気がつけば目からは涙が溢れ、手に持っていたリボンをぎゅっと握っていた。
孤児院の子供に里親が見つかることは喜ぶべきことだ。しかし、私は離れ離れになってしまうことが嫌で、ずっと気持ちの整理がつかなかった。
約一年間同じ屋根の下で暮らし、何時も一緒に過ごしてきたフィーナは私にとって家族同然の存在だ。
ずっと一緒に居られるはずがないということは知っていた。いつかこうなる日が来ると分かっていた。
「もう、エナちゃんってば泣かないの」
フィーナはポケットからハンカチを取り出し、私の涙を拭った。
「今度はエナちゃんがみんなのお姉ちゃんになるんだから。私の分もお姉ちゃんとして頑張ってほしいな」
「……うん。分かった……」
「もし辛くなったら先生を頼るといいよ。エナちゃんの可愛さの前には先生も逆らえないはずだからね」
「出来れば先生のほうがエナちゃんを頼りたいなーって思ったり……」
私達二人の会話を聞いていた先生が、会話に入ってくる。
「でも先生は断らないでしょ?」
「あはは……」
先生はフィーナの言葉に否定出来なかったのか、誤魔化すように笑った。
「フィーナにはいつまで経っても勝てそうになさそうだ」
先生は参ったと言わんばかりに頭の後ろに手をやり、軽く頭を掻いた。
そうやって話していると、若夫婦がこちらにやってきた。
「ではそろそろ時間ですので……」
先生は男性にそう言われると、自分の腕時計を確認する。
「そうですね……」
そう返事をした先生は名残惜しそうに言った気がした。この孤児院に居る子供に里親が見つかり、孤児院から居なくなるときに何度も見た顔をしていて、けして子供たちに見せまいと子供たちのほうを向こうとはしない。
「じゃあ、みんなともお別れだね」
するとフィーナは、孤児院のみんなのほうを向いた。
「今までありがと! みんなも元気でね!」
* * *
フィーナが居なくなり、孤児院と学び舎は前より少し静かになった気がした。
フィーナが居なくなっても私は楽しく毎日を過ごしていたが、ある時から学び舎では気づかない内に一人で過ごすことが多くなっていた。
そしていじめは起きた。
いつも通り学び舎に通い、教室に入るとクラスのみんなの視線が一斉に私の方へと向いた。
その状況に疑問を持ちながら自分の席に着こうとすると机に何かが書かれているのが見えた。
『気持ち悪い』
『死ね』
『消えろ』
そこに書かれていたのは数々の誹謗中傷だ。
机に書かれたものを消しているとクスクスと私を笑う声が聞こえた。
それは私を快く思っていなかった四人の女の子のグループだった。
そして消し終わった頃には先生が来た。
先生がクラスに雰囲気に違和感を覚えたのか、少し首を傾げて何かあったのかみんなに尋ねたが、みな一様に何も無かったと言った。
私も先生に対しては何も言わなかった。
それからも、机の落書きは毎日続いた。
あるときからはトイレに入っていたら水を浴びせられたり、汚れた雑巾を投げつけられたりした。
それを友達だと思っていたクラスのみんなは知らん振りだ。
何故誰も助けてくれないんだ。何故みんな何も言わないんだ。といつしか思うようになり、それからというもの毎日が苦痛だった。
遂には口で直接的に言われることが多くなっていった。
「気持ち悪い目」
「顔が良いからって調子に乗るな」
特に「気持ち悪い目」と言ってきたのは四人の女の子のグループだけではなく、クラスのみんなまで言い始めた。
そして、廊下で先生が自分のことを話しているのが聞こえたので近づいてみると、その話の内容は悪口だった。
先生は自分がいるのに気がつくと途端に笑顔になり、いつもの声音で話しかけてきた。
その偽物の笑顔を私は不快に思い、今までの笑顔は全部偽物だったと思うと吐き気すらした。
ここには自分の居場所は無いのだと思うとクラスメイトや先生のことなど、どうでもよく感じるようになった。
それからはクラスメイトどころか、先生も避けるようになった。
孤児院では新しく入って来た子達からは良いようには思われず、仲間外れにされることが多かった。
それでも先生や、私を慕っていた子達のお陰で居場所はあったが、それも数人程に減っていた。
「エナちゃん、ちょっと二人で散歩をしないかい?」
ある日突然、先生にそう言われた。
今日は学び舎は休み。昼が来ようとしている時間だった。
孤児院のみんなは外で追いかけっこをしていたり、孤児院内で盤上遊戯で遊んでいたりする。
少し悩んでから、先生の言葉に対して小さく頷いた。
「決まりだ」
先生に手を繫がれ、二人で玄関へと行く。
「エナちゃんと少し外に出るから、大人しく待ってろよー!」
「「「分かったー!」」」
先生は二階に居る子供達に向けて大きい声で言うと、子供達からも大きい声で返ってきた。
「それじゃ、行こうか」
先生の声はいつもの柔らかい声だった。
孤児院を出て、先生の背中を追いかける。
歩く速さは自然と私に合わせてくれていた。
王都を出て、南の港まで続く道を進んでいくと、港の手前に小さな丘が見えた。
先生はその丘へと登り、その後ろに着いていく。
丘を登り顔を上げると、目の前には青く綺麗な海が広がっていた。
「すごくいい景色だろう」
先生は自慢げに言った。
「この景色を見ていると、嫌なことを忘れられるんだ。それでね、明日も頑張ろうって思えるんだ」
その言葉はエナに向けて言ったものか、それともただの独り言なのかはわからなかった。
「……今度フィーナにでも会いに行くか?」
「フィーナに?」
「本当は良くないんだけどね。でも、フィーナはきっと喜ぶと思うよ」
「……うん。絶対に行く。私も……会いたい」
風に掻き消されそうなほどに細い声で私は言った。
先生の言ったことはもしかしたら、落ち込んでいる私を励ますために言った嘘かもしれない。
それでも、もしまた会うことができるのなら会いたい。そう願った。
「なら、エナちゃんも以前のように明るくならないとね」
やはり、目に見えて暗くなってしまったのだろう。
それは、自分でも薄々気づいている。
最初のうちは、孤児院の皆に心配されたくないからと、自分を取り繕っていた。
だが、それにも限界があった。
孤児院で無理に明るく振る舞い続けた結果、自分でも気づかない間に、心は疲弊しきっていた。
数日前、食事の後に気分が悪くなって、トイレに駆け込んで吐いてしまった。
食べたばかりの食べ物と胃液が入り混じり、異臭を放つ。
口の中には、何とも言えない酸っぱさが広がっていた。
その日から、食事をする度に胃の中身を全て吐き出すようになってしまった。
それを繰り返していると、次第に食べ物が喉を通らなくなった。
今では食事をほとんどしていない。
そんな状態でも、私の身体機能に異常は表れなかった。
それもそうだ。私はもう、人間ではないのだから。
そのせいで私は更に化け物扱いされるようになってしまった。
「エナちゃん、無理して孤児院に行かなくていいんだよ」
「別に、無理はしてない……」
先生には関係ないと言わんばかりに、素っ気なく返した。
普段から孤児院の子供たちの世話で忙しいのに、たかが私個人のことで心配させたくなかった。
「学び舎で何があったのか僕にはわからない。けれど、自分は大切にしなきゃいけないよ」
先生はそう言うが、これは私の問題。
そこに先生を巻き込みたくはない。
「さて、そろそろ帰るかい?」
私は首肯した。
先生は暗い空気は好きじゃないのか、こういうときはいつも無理に明るく振る舞う。
普段から無理をしているのはどっちなのだろうか。
私は先生の傍を歩きながら、孤児院へと帰った。
* * *
ある日、事件は起きた。
その日は学び舎のみんなで街の外で遊んでいた。
神魔大戦終戦後、魔物が消えたことで街の外で遊ぶ人も多かった。
近隣の平原には小川が流れており、そこには小さな魚が元気に泳いでいる。一年半前までは戦争していたと思えないほど自然が豊かだ。
少し離れたところでは先生二人と子供二十人前後の学び舎のみんなが遊んでおり、私は相変わらず一人で過ごしていた。
私は花を見ながらぼーっとしていると、遠くから男が手を振りながら走って来る姿が見えた。
みんなも血相を変えて走っている姿を見て、何事かと男を見る。
男は息を切らしながら叫んでいた。
「魔物が出た! 早く街に逃げろ!」
その声を聞き、みんなは焦るどころか男を馬鹿にし始めが、直後に「ズドン!」と大きな地響きが聞こえた。
それを聞いた人々は男の言ったことは本当だと思ったのか、一斉に街の方へと走り出した。
私も街へ逃げようとしたが、その場から立てずにいた。
嫌だ。死にたくない。という感情とは裏腹に体は言うことを聞かなかった。体はガタガタと震え続ける。
平原に咲いている花は人々によって踏み荒らされ、美しい景色は失われていた。
魔物は逃げ遅れた女性に目をつけると大きな手を女性目掛けて振るった。
「きゃあああああああああああ!」
女性の悲鳴と同時に魔物の手が地面に叩きつけられた音が響き、その周りには血が飛び散る。
その魔物は数年前、スラム街を襲った魔物そっくりだった。私の足を喰った魔物に。
「お前さえ……! お前さえ居なければ……!」
頭に血が上り、私は冷静な判断ができなかった。
次の瞬間、魔物は炎に包まれ悲鳴を上げる。
平原に座り込んでいたはずの体は魔物に向かっていた。
このとき私は自分が何をしたのか分からなかった。
ただ、自分を助けてくれた吸血鬼が魔物を倒した炎を頭の中に浮かべただけだった。
魔物の悲鳴は徐々に小さくなっていき、倒れると塵となって消えた。
私が使った炎によって私の周りは火の海と化しており、背中には引っ込めていたはずの吸血鬼の翼が出ていた。
逃げ惑っていた人々はその様子を目の前で見て、助かったと思う者も居れば、炎の中にいる私を見ている者も居た。
すると、誰かが討伐隊を呼んでいたのか兵士や魔術師が六人ほどで駆けつけてきた。
「魔物は何処だ!」
駆けつけてきた者達は周りを見渡すが、魔物の姿は無い。それもそのはず、既に私が倒してしまったからだ。
「その…魔物は既に倒されたのですが…」
付近に居た一般人が討伐隊の兵士にそう言うとその兵士だけでなく、討伐隊の全員が驚く。
今この場で目立つのは広がる炎の海と、その中に居る私だろう。
「あれを見てください!」
一人が炎の方に指を差すと全員がそこを見る。
その場に居た全員が見ているのは、炎の中に居る私だ。
「あれは…吸血鬼か! 何故こんなところに!? 一体何があった!?」
一人が私を吸血鬼だと判断したのは、背中に生えた翼と炎の中で平気で居るからだ。
「……あの子が魔物を倒したんです」
「何、あの吸血鬼が? どういうことだ? ……まあいい、そんなことより早く逃げろ!」
周りに居る人々も吸血鬼が居るということに驚いたのか、再び街へ逃げ出す。
私のことを知っている学び舎のみんなは、いじめていた私のことなど悪としか思っていないのか、憎悪を向けてきた。
先生が殺されたとなればその殺した対象と思い込んでいる私を憎むのは仕方が無かったのだろう。事実は違えど。
「この悪魔! 先生を返せ!」
クラスの一人が私に向かって大声で罵倒した。
それを聞いた私は今すぐにでも自分を虐めてきた奴らを殺したくなった。
しかし、同時にそれは駄目だと自制心が働く。
目からは涙が流れ、地面に落ちた涙の粒は炎の熱によって蒸発する。
周りに居た人々は既にここから離れており、残っているのは私と討伐隊だけだ。
討伐隊は一向に動く気配の無い私を訝しげに見る。
「全員気を抜くな! 見た目は子供だが相手は吸血鬼だ! 全力でやれ!」
そう言うと、討伐隊は一斉に私に向かってきた。
このままでは殺されると思い、抗戦する。
頭の中に炎や雷をイメージすると自然と魔法が使えた。
武器を使っている人は魔法で薙ぎ払い、魔術を使って来るなら魔法で防御するか、回避するかをした。
討伐隊を殺さない程度の攻撃を繰り返していると、討伐隊にはすぐに疲労しているのが見え始め、ほとんど動けなくなっていた。
だが一人だけ疲れた様子を見せない人が居た。
黒の鎧を身に纏い、自身の身長くらいあるであろう大剣を持っている先生だった。
優しかった目は今だけ怖い目をしていて、その目と剣の切っ先には私が捉えられていた。
先生だけには攻撃をすることが出来ず、回避に専念していた。
だが次の瞬間、回避が間に合わないと思い魔法で防御をすると、剣と障壁が触れ、先生が話しかけてきた。
「……魔物を呼んだのはエナちゃんかい?」
先生はどうも兵士の言葉を疑っている…というよりはあまり信じていない様子だった。
私は首を横に振り、これを否定した。
「そうか……」
「信じてくれるの……?」
「僕はエナちゃんが悪い子だとは思ってないよ。孤児院ではフィーナと同じ様にみんなのお姉さん的存在で、誰よりも優しかった」
先生の表情は暗く、剣には力がほとんど籠もっていなかった。
そう言われるとボロボロと涙が溢れ出し、視界が歪んだ。
改めて自分にも味方は居たんだと思うと、涙が止まらなかった。
「もう直別の討伐隊が来る。そしたらエナちゃんは殺されるかもしれない。だからあの近くの森に逃げるんだ」
先生は目でそこに逃げろと訴える。
怖かった目はいつもの優しい目へと戻っていた。
「エナちゃんを絶対に殺させないようにする。お願いだ、先生を信じてくれ」
先生は必死に私に言ったが、私の頭の中はひどく混乱し、直ぐには首を縦にも横にも振れなかった。
先生と話していると遠くから多くの兵士や魔術師が来ているのが見えた。
「時間が無い。早く森に!」
先生がそう言うと私は身体をビクッと震わせ、その翼で森へと急いで飛んでいった。
「追え! 絶対に逃がすな!」
と、一人の兵士が声を上げた。それを聞いた兵士達は私を追いかけてきた。
「待ってください、相手は吸血鬼です。ここは被害を最小限に抑えるために、森を結界で囲い、吸血鬼を森ごと封じ込めましょう」
私を逃した先生が兵士達の足を止め、一つ提案をした。
私を死なせないためにしたその提案は、神魔大戦終戦の影響で戦闘ができる人員が減った今、兵士達にとっては願ったり叶ったりなものだった。
吸血鬼という脅威を、ほとんどの被害を出さずに無力化出来るその提案に、そこにいる者達は賛同した。
その後は私が森に入るとすぐに人避け、封印の結界が作られた。森全体を覆う程の結界をどうやって作ったかは分からなかった。
その日から森での生活は始まった。
自分で食料を確保したり、魔物に襲われるのを避けるために家も建てた。
先生は時々森に来ては私と話をしたりした。森で生活していると時間が分からなかったので、どのくらいのペースで来ていたのかは分からなかったが。
そして、ある時から先生は森へ訪れる回数も減っていき、遂には来なくなってしまった。
私は吸血鬼になったことで体の成長が止まり、今でも十一歳の体のままだった。だからこそ余計にどのくらい経ったのかは分からなかった。
それからというもの、何故か私を助けた吸血鬼が森にやってきたが、ほとんどは孤独の日々だった。過ごしている内に寂しいという感情は薄れていった。
何度か結界を破ることも試したが、仕掛けが分からずに断念した。
そんなある日、森で死にそうになっている少年を見つけたのだ。




