episode3
十歳だったアタシは、自分を救ってくれたカイドが王子様みたいに見えていた。
今ならそんな勘違いはしないわ。
だってあの人はただの研究馬鹿で、弟子の心の内も知らない鈍感な魔法使いなんだから。
♢♢♢
カイドに弟子入りしてから、アタシはすぐに気が付いた。
この人は、下手な子どもよりも手がかかる。
決まった時間に食事?――食べない。
決まった時間に就寝?――寝ない。
お風呂は……三日に一回入ればいい方ね。
カイドの頭を占める大半は、魔法と研究のこと。
その隙間を埋めるように、自分の命を繋ぎとめる必要最低限の生活をしているように見えた。
「カイド、朝ごはん食べたの?」
「あ、忘れてたよ!ごめんね!」
「昨日何時に寝たの?」
「寝たのは一昨日かなあ」
「またこんなに本を買ったの!?どこに置くの!?」
「だ、だってこれはもう絶版された超貴重な元素魔法の本だし、こっちは古代語で書かれているアルデバラン様のサイン入りの……」
保護者であるはずの師匠が万事こんな様子なので、アタシは早々に理解した。
(頼る相手を間違えた……)
師弟は寝食を共にするが、カイドと同じように暮らせばアタシは魔法使いになる前に死んでしまう。
とりあえず、この魔法使いに人並みの生活を送らせようと決意した。
「いかんいかん、弟子をとったのだからもう少し師匠としてきちんとせねば……」
自覚はあるようだが、その戒めが果たされたことはない。
唯一良かったというべき点は、教え方は非常に分かりやすく丁寧でかつ論理的、といったところ。
「魔法使いの体内には、魔力貯蔵器官がある。心臓の……そう、このあたりだ」
心臓の少し上を指で示されると、とくん、と胸が高鳴った。
「魔力の源泉、エーテルは常に星から降り注いでいる。体内に貯められた魔力を取り出して、右手に集めるイメージだ」
体の中にある、魔力。
胸が熱くなる。
光が体の中を駆け抜けていく。
右手に光の粒が集まっていき、ゆっくりと縁取っていく。
アタシの手の中には箒が出現していた。
(で……できた)
咄嗟に振り返ってカイドを見上げれば、彼はアタシと同じくらい――いや、それ以上に嬉しそうに顔を破顔させていた。
「凄い!凄いぞ!初めてなのに、筋がいい!リリーは魔力の扱いが上手だね」
大きな手がアタシの頭を撫でていく。
もっと褒められたい。この人のために、頑張りたい。
アタシの努力と才能もあると思うけど、同じ年ごろの他の魔法使いと比べてもアタシの魔法は一歩先を進んでいた。
「カイド、お前の弟子は優秀だな!将来が期待できるんじゃないか」
「そうでしょう!?リリーは習得も早いし、応用もきく。僕の話の理解は早いし、自慢の弟子なんですよ!」
カイドは謙遜なんかせず、いつでも素直にアタシを褒めてくれた。
ぼさぼさの前髪から覗く瞳は、心底嬉しそうに細められていた。
その言葉が嬉しいはずなのに、なぜか胸がもやもやした。
まだカイドを手のかかる師匠だと思っていた、十五の夏。
あれが、アタシの恋が花開いた出来事だった。
♢♢♢
弟子入りして五年が経ち、大人の階段を一歩ずつ上り始めたアタシは、自分の中の淡い恋心を認められなかった。
(これは断じて恋ではないわ。師匠に懸想?ありえない!あんな生活能力皆無の研究馬鹿に恋だなんて、アタシのプライドが許さない!)
軽い反抗期と十代の恋への憧れに片足を突っ込んでいたアタシは、芽生え始めた気持ちをとにかく否定したかった。
(恋人にするなら、カイドみたいに研究にしか興味ありません!なんて男じゃなくて、ちゃんとアタシを見てくれる人がいいわ)
カイドはアタシと話している時でも、新しい魔法の術式が浮かべば何もかもを放り投げてそちらの世界に入り込んでしまう。
もう慣れたから諦めているけれど、カイドの瞳に途端に自分の姿が映らなくなるのは――レモンピールをかじった時のように、口の中に苦いものが広がるのだ。
アタシはカイドにとって、ただの弟子。いいえ、自虐は良くないわ。そう、自慢の弟子よ。
♢♢♢
四年に一度の、星霜祭の日がやってきた。
女友達からも男の子からも誘われたけど、アタシはその誘いを全部断った。
(だって、約束したし……四年前だけど)
四年前の星霜祭の日、熱を出したアタシはお祭りに行けなかった。
『また四年後があるさ、すぐだよ四年なんて』
『四年後なんでヤダ!待てない!』
散々泣いてカイドを困らせて、四年後には絶対に連れて行くからと約束させた。
でもきっと、子どもの頃の約束なんてカイドは覚えていないだろう。
♢♢♢
朝起きてダイニングに行くと、カイドは死体のような顔をしていた。目の下には真っ黒な隈が深く刻まれている。
「カイド、何徹目?」
「三日かなぁ、依頼された守護魔法が上手く発動できなくて……」
何杯目か分からないコーヒーを取り上げ、代わりにホットミルクを注いだ。
「少し休んだら?そんなんじゃできる仕事もできないわよ」
「そうだねぇ……」
いつも以上にくたびれたカイドの背中を押し、寝室へと強引に押し込んだ。
(この分じゃ、無理よねぇ……)
胸の奥にちりっとした痛みが走る。期待はしていなかったけど、人間行けないと分かると余計に行きたくなるものだ。
昼過ぎに自室に戻ると、カイドはダイニングの机の上に突っ伏して眠っていた。
「またこんなところで……」
上からそっとブランケットをかけ、置手紙を残す。アタシは一人で行こうと決めた。
♢♢♢
(この日のために買った転移魔方陣だけど、一人で使っちゃうもんね)
転移魔方陣のスクロールを広げて、座標を王都に固定する。
眩しく発光し、瞬きの内に王都の城門近くまで転移していた。
「出来た出来た!なーんだ、カイドったら転移魔方陣は僕がいる時に使えって言ってたけど、全然簡単じゃない」
流石は優秀な自慢の弟子。
自画自賛して、王都の城門に続く行列に並んだ。
♢♢♢
夜空にはぼんやりとランタンの火が灯り、王道の大通りには出店が並んでいた。
肉がこんがりと焼ける香ばしい油の匂いや、アップルサイダーの芳醇な香りが漂っている。
人々の笑い声の間をすり抜け、アタシは揚げ菓子を頬張りながら出店に売っているものを横目に歩いていた。
「あ、これカイドの好きなお菓子だ、買って帰……」
(って、なんでアタシが約束破ったカイドにお土産買わなきゃいけないのよ)
心の中で一人突っ込み、髪をくしゃくしゃに握りしめた。
ふと周りに目を向けると、恋人同士で手を繋いでいたり、賑やかに食べ歩きしている家族連れがいる。
(……別に、寂しくないし)
精一杯の強がりは、穴の空いた風船のように心を萎ませていく。
今から帰って、カイドを叩き起こそうか。
それでお祭りで買った食べ物を夜食にして、二人で食べればこの気持ちも晴れるはず。
大通りを外れて城門に向かうと、薄暗い路地裏から下品な笑い声が聞こえてきた。
すると酒瓶がゴロゴロと転がり、アタシの足元で止まる。
「姉ちゃん、悪ぃな、拾ってくれねぇか?」
白い目で睨み、無視して門へと向かった。すると、手首を強く掴まれる。
「冷てぇなあ、せっかくの祭りなんだ、仲良くしようぜ!あっちで一緒に飲まねぇか?」
酒臭い呼気に顔を歪め、「未成年です」と吐き捨てた。
十五にしては大人びた顔立ちと発育の良さのせいで、成人女性に間違われることはよくあることだった。
「言っておくけど、アタシは魔法使いよ。怪我したくなかったらさっさと離してよ」
絵に描いたようなゴロツキの顔を一瞥すれば、男は赤い顔を厭らしく歪めた。
「なんと、魔法使い様でしたか!」
奥からまた薄汚い笑い声が飛んでくる。何がそんなにおかしいの?
男は強引にアタシの腕を引っ張って路地裏へと引き込んだ。
「おい、お前ら魔法使い様に感謝の酒を捧げようじゃねえか!」
「ちょっ……痛い!離してよ!」




