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episode1

episode1 

 寝台に横たわる彼の白髪を撫で、皺だらけの手を握った。

 第三者の目には、祖父を見送る孫娘のように映るのだろう。

 左手の薬指には、お揃いのシルバーリングが瞬きを繰り返すように光を放っている。


 「……リリー、君は幸せだった?」


 「ええ、カイド。とても幸せだったわ」


 「僕のこと……忘れないで」


 枯れるのを待つだけの乾いた唇に、最後の口付けを落とす。

 もう二度と、忘れたりなんかしない。

 愛した男は消えない呪いを残して、永遠の眠りについた。

 

 ♢♢♢

 

 魔法宮廷にある、巨蟹宮の研究室。

 くたびれた魔法使いの男が、机の上に突っ伏して規則正しい寝息を立てている。

 無精ひげに、白んだ金糸の隙間から覗く長い睫毛。目元にはうっすらと隈が浮かんでいた。

 乾いた頬に、静かに唇を落とす。


 アタシのどうしようもない師匠で、たった一人の好きな人。

 でも彼がこの想いを知る日は――永遠に、来ない。

 

 アタシの師匠は、研究馬鹿だ。

 昼夜を問わず、研究研究、また研究。


 腹立たしいほど気持ちよさそうに寝入っているカイドの肩を叩いて揺り起こした。


 「宮長、こんな所で寝たら風邪引いちゃうわ」


 重たそうに瞼が持ち上がると、透き通った檸檬色の瞳にアタシが映り込んだ。


 「んん……あ、リリーボレア……おはよう」


 「また徹夜して寝落ちしたでしょう」


 「昨夜良い術式が浮かんできてそのまま……」


 「もうあんまり若くないんだから、無理しないでよね」


 「酷いよリリーボレア!僕はあの化け物みたいな宮長達の中じゃ若輩者なんだからね!」


 皺だらけのローブを纏い大あくびをした。右の胸元には、太陽のエンブレムのバッジがきらりと光る。カイド――魔法宮廷巨蟹宮の宮長であり、アタシの師匠でもある彼は、結界や防御魔法の研究者だ。王都の堅牢強固な結界魔法も、彼が構築した術式によるもの。人は彼を、「レクトノガード王国の守護神」と敬意を込めて呼ぶ。


 けれどアタシに言わせてみれば、研究に人生のほとんどを捧げて自分のことは顧みない、生活能力皆無の男なのだ。


 「ほら、今日は宮長会議があるんでしょう。お風呂に入って髭をそりなさい」


 「ああ、嫌だなぁ、行きたくないなぁ。僕はずっと研究だけしていたい」


 「だらしない恰好しないで、しゃんとして!」


 カイドの背中をぽんっと叩けば、彼は子どものようにふてくされて机の上の本を名残惜しそうに開いていた。


 「うう、リリーボレア、一体君はいつからそんなに厳しくなってしまったんだい。まるで僕の母親のようだ」


 「師匠がこんなに頼りなくてだらしなかったら、弟子は必然的にしっかりするわよ」


 甘えるような目をするカイドをぴしゃりと跳ねのける。

 ついに観念した彼は、すごすごと自室に戻った。


 先ほどまでカイドが座っていた机の上に目を向ける。

 本は山積みになって今にも雪崩を起こしそうだ。

 結界魔法理論、防御魔法応用論、それにカイドが書いた論文が散乱している。

 

 古びた本と、インクの匂い。それに仄かに混ざる、ベルガモットの彼の残り香。

 カイドが書いた文字を指でなぞり深呼吸をすると、胸の奥がきゅんと音を立てて震えた。


 報われない恋。

 叶うはずのない望み。


 それでも、アタシは今のこの気持ちを忘れることは出来なかった。


 ♢♢♢


 魔法宮廷内にある食堂に行くと、カイドが朝食を食べていた。

 言われた通りに入浴して髭を剃ったのだろう。少しは小綺麗になったものの、相変わらず前髪は長くて目が隠れているし、後ろ髪もぼさぼさだ。


 「宮長、会議それで行くんですか?」


 「え?駄目……かな?風呂には入ったし、髭も剃ったよ!」


 アタシは脳内で他宮の宮長に白い目で睨まれて震えるカイドを想像した。

 特に天蠍宮のイザーク宮長は規律に厳しい。カイドなんか目の敵にされるだろう。


 目の前の席に座っている彼はサンドイッチを齧っていたかと思えば、「あっ今いい術式が……!」と前髪の隙間からぎらついた瞳を輝かせ、メモ書きを始めた。こうやって生活に関することは一瞬で頭の片隅に追いやられてしまうのだ。


 「宮長、会議に行く前にその髪をなんとかしますよ」


 「……」


 サンドイッチを咥えながらペンを走らせる彼の耳には、何の音も届いていない。

 カイドは今、深く深く、術式の海に潜っているのだ。

 誰かが注意深く見て時折引き上げてやらなければ、きっとこの人は溺れてしまう。


 「宮長!」


 「っ!はいっ!」


 びくりと肩が跳ねたカイドの瞳に、ようやくアタシが映った。


 ♢♢♢


 巨蟹宮の、宮長室。

 アタシはカイドの髪を梳かしていた。

 ごわごわの髪の毛は、きちんと手入れをすれば綺麗な金髪だろうに。

 枝毛だらけでやや白んだ色は、カイドが見た目以上に長く生きた魔法使いなのだということを物語っていた。

 

 前髪をあげて、ハーフアップに結ぶと端正な顔立ちが露わになる。

 鼻筋は高く、まつ毛は瞬きのたびに音がしそうなほど長い。

 

 カイドは、ちゃんとすれば綺麗な顔をしているのだ。人間でいえば四十くらいの容姿だが、喋り方や顔付きのせいでもっと若く見えた。

 

 「ありがとう、リリーボレア。でも、視界が良好だ、良好すぎる……ああ、怖いなあ、行きたくないなあ宮長会議」


 「宮長は全員出席でしょ。観念して行きなさい」


 しょぼくれたカイドの背中を軽くはたく。


 「もお、ほんっと宮長はアタシがいなきゃ駄目なんだから!」


 「確かに、僕はリリーボレアがいなかったらもっと早くに過労で死んでいたかもね」


 これがアタシたち師弟の距離。

 踏み越えることは許されない。


 だって、ずっとそばにいたいもの。

 今日もアタシは師匠に嘘をつく。


 カイドがいないと駄目なのは、ほんとはアタシの方なんだから。

30000文字程度の短編作品です!すでに完結済みですので、三話以降毎日更新します(*'ω'*)


面白い、続きが気になると思ってもらえたら評価、ブクマ、リアクションをいただければ嬉しいです!

リリーボレアとカイドの二人の関係をお楽しみください!

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