第六十二話 呪いの太陽
その小さな村の名は、レトロというらしい。
酒場の女主人とその息子を強盗団から救ったことのお礼として、ご飯をいただくことになった響里たち三人。ただ、店内は強盗団が好き放題荒らしたせいで皿や瓶の破片が散乱し、家具類が横倒しになっていたりと酷い有様だった。
一時間ほど店内の片付けを手伝い、ひと段落したところで食事が振る舞われた。
「さあ、たーんと食べておくれ! 遠慮なんかしなくていいからね!」
酒場の女主人はサルーナといった。彼女はドアのプレートをひっくり返し、戸を閉めた。本来ならばまだ営業時間らしいが、響里たちのために早めの店じまいだ。
「おほー! ステーキ! いっただっきまーす!」
目を輝かせて、陽ノ下は合掌した。響里たちはバーカウンターに横一列に並んで座り、それぞれ出された料理のお皿を前に生唾を飲み込む。
「おかわりはいくらでもあるからね」
「すいません、俺たちまでご馳走になって」
「いいってことさ。腹すかせてたんだろ? じゃんじゃん食いな」
申し訳なさそうな響里を、豪快に笑い飛ばすサルーナ。
白く丸い皿に乗った分厚い肉からは香ばしい匂いが立ち上っていた。かぶりついてみると、牛とも豚とも違う、独特の甘みがあり絶品の美味さだった。サルーナが言うには、この近辺には猪の狩場があるらしい。狩猟者から仕入れた肉を素早く調理しているため、臭みもなく質もいいのだろう。
「サルーナさん! おかわり!」
「はやっ!? おま、ちょっとは慎みってもんをだな……」
ソースで汚れた口元を手で拭い、空になった皿を掲げる陽ノ下。まだ三分の一程度しか食べていない芝原は、陽ノ下の驚異的な食欲に辟易する。
「こちとら朝からずっと食べてなかったんだから、もう限界だったんだって。要らないんだったら芝原のも貰っちゃうぞ、コラ!」
「やめい! はしたない!」
フォークで鍔迫り合いを行うなんとも行儀の悪い両者。そこへ、カウンター奥の厨房から少年が大きな皿を抱えて小走りにやってくる。
「はい、おねぇちゃん! おかわりどうぞ!」
精一杯背伸びをしてカウンターの上に乗せる少年。彼の名はニール。サルーナの息子だ。気の利くタイミングで焼き立てのステーキを持ってきた彼に、陽ノ下は破顔した。
「お~! ありがとね、ニール」
「えへへ~」
「ほら、おねぇちゃんの膝においで。一緒に食べよ?」
「うん!」
強盗団から助けられたことから、すっかりニールは陽ノ下に懐いていた。陽ノ下も彼をあやすようにステーキを小さく切り分け、ニールの口に運んであげる。
その様子をサルーナは微笑ましく見守り、無事だった食器類を棚に収めながら言った。
「しかし、この村によそ者なんて珍しいね。見たところ見慣れない服装だし……。旅人かい? アンタたち」
「え、ええ……まあ……」
苦笑いしつつ、曖昧に返す響里。
「俺たち、人を探しているんです。女の子で、俺たちと同じような格好をした年も一緒の……。見てませんか?」
「いや、知らないねぇ」
サルーナは考える素振りもなく、かぶりを振った。
「そもそもここはルーンガルドでも辺境でね。外からのお客さんも、アンタたちが数年ぶりってレベルさ」
「……ルーンガルド?」
「アンタたち、そんなことも知らないのかい? この大陸の名だよ」
呆気に取られるサルーナ。まるで珍妙なものを見るような眼差しに、響里も誤魔化し笑いを浮かべるしかない。
だが、サルーナは人がいいのか「仕方がないねぇ」と、カウンターの下から丸まった羊皮紙を取り出す。そして、テーブル席の方に移動すると、紙を広げてみせた。
「これは……、地図……ですか?」
「ああ、そうさ。ルーンガルド全域のね」
朽ちて今にも破れそうなその紙の上には、少し歪な形をした絵が書かれてあった。食事の手を止め、膝からニールを下した陽ノ下がそれを覗き込む。
「なんか……サンタクロースが履くブーツに似てない?」
「なんじゃ、その例え……。ま、分からんでもないが」
素直な感想を吐く彼女に、芝原もげんなりしながら妙に納得する。
もっと詳細に言えば、そのブーツも決して綺麗ではなく、幾年にも渡って履き古されたかのようにボロボロ。破れ、千切れ、へこんだ――これがルーンガルド大陸の形なのだろう。
サルーナが大陸の下端に指をさす。赤く囲みがされており、そこがこのレトロの村の位置だと言う。
「もう少し北に行けば、リンネっていう大きな街があるんだ。そこはこの大陸でも中心街のようなものでね。人を探すなら、まずはそこへ行ってみちゃあどうだい」
「……だってさ。どうする?」
芝原が響里に訊く。しかし響里が答えるよりも早く、陽ノ下が口を開く。
「行くに決まってんでしょ!」
と、カウンターに戻った陽ノ下が残りのステーキを一気に頬張る。乱暴に咀嚼し、飲み込んだ彼女はさらにコップの水を流し込むと、さっさと店から出ていこうとする。
「おおおい! 待て待て待て!」
焦った芝原が、陽ノ下の腕を掴む。
「探すって今からかよ!?」
「躊躇してる場合じゃないでしょ! 綾音だって今頃どこかで凍えてるかもしんないんだよ!?」
「そりゃそうだけどよ! せめてこの雪がやんでからじゃねぇと、俺たちまで死んじまうぞ!?」
「そんな悠長なこと言ってらんないよ!」
腕力にものを言わせて陽ノ下は芝原を引きずりながらでもドアの前に行こうとする。
「離せ、芝原!」
「この馬鹿力め!……オイ、響里! お前もこの暴走女を止めるの手伝ってくれ!」
これでもかと伸ばした陽ノ下の手が、遂にドアノブを掴む。すると、僅かに開いたドアの隙間から吹雪と共に鋭い冷気が砲弾のように流れ込んだ。この短時間で天候がまた悪くなったらしく、外を出歩けるような状況じゃないことが瞬時に分かる。
「お、落ち着いて、陽ノ下さん!」
慌てた響里が、強引にドアを閉める。
「この悪天候で探し回るのは無謀だよ! 下手したらこっちが遭難する!」
「そうだぜ! ミイラ取りがミイラになっちまうぞ!」
ドアにへばりつくように立ち塞がって説得を試みる。芝原も、響里の言葉に同意。陽ノ下は、挟み込むようにして立ちはだかる男二人を恨めしく睨みつける。
「じゃあ、アンタたちは綾音が凍え死んだっていいわけ!?」
「そうは言ってねぇだろ! お前も見たろ、あんな猛吹雪じゃ視界も悪い! 見つかるもんも見つかりゃしねぇんだって!」
陽ノ下は、月村のこととなると途端に冷静さを失ってしまう。
単なる心配ではない。むしろ飛び越えて、親友への依存すら感じてしまう。
月村綾音に対する盲目なまでの想い。さすがに危険だと判断せざるを得ない。
「だったら、二人はここにいればいいよ! アタシ一人でも探しに行くから!」
「陽ノ下さん!」
「何よ!?」
「月村さんは天権だ! 簡単に死にはしない! むしろ、こうして世界が機能していることこそ、彼女が生きている何よりの証拠だろ!」
「…………ッ!」
響里の訴えに、陽ノ下が息を呑む。ようやく聞く耳を持ってくれたことで響里も安堵し、一呼吸置く。
静まり返った室内。
そこから彼女を宥めるように、穏やかに声色を落とす。
「恐らくだけど、天権と異界っていうのは同一存在なんだ。陽ノ下さんも見たよね? 銀城栄介さんのときのこと」
簡単に理解してもらうために、彼女の父親を例として出す。陽ノ下にとっては心を抉る卑怯なやり方かもしれないが、この際、なりふり構わない。
「……うん」
「あれは、銀城さんを倒したことで異界が崩壊した。要因としてはそれが一番大きい。けど、それだけじゃない。魂の部分こそが大事なんだ」
異界とは創造した人物の人生や経験が密接に関わってくる。根本的な世界観がそれぞれ違うのはその為だ。
そして、その根幹となるのはやはり“魂”。脳のリソースを使うのではなく、血脈や細胞に蓄積された想いのデータが具体性を持って精密な世界を創り上げる。
「異界の維持に、何故、他人の魂を必要とするのか。その理由を陽ノ下さんは知らないよね?」
「単純にエネルギーの消費量が激しいから、じゃなくて?」
それもあるんだと思う、と響里は表情を緩めた。
銀城栄介の事件後、陽ノ下と有沢を引き合わせる直前に簡単な説明はしてあった。そもそも聖傑とは何か。加えて、龍源の穴蔵との関係。そして自分たちの今後をどうするべきか――。
少し前まで陽ノ下は戦いに対して消極的だったために遠慮していたが、彼女も今後深く関わるならきっちりと話しておくべきだろう。
「いくら天権とはいえ、一人の力じゃ脆弱な世界にしかならない。天権は基板であって、それを支えるのは数多の人間の魂だ。リアリティの底上げのためにね」
「あの紫堂って男の仕業なんだよね、全部……」
「そう。天権にとって、もうその世界は不要――そう魂が判断した時点で存在意義は失われる。同時に紫堂にとっての利用価値も無くなる」
「逆に、こうして異界がありさえすれば綾音は守られているって? あの紫堂に」
卑屈な笑みだった。皮肉なように思えるが、それが事実。
響里は、挑むような陽ノ下の眼差しをしっかりと受け止める。
「創造自体は月村さんベースでも、維持は紫堂の役割だろうからね」
陽ノ下の肩から力が抜けた。掴まれていた腕も、芝原の指先から滑り落ちていく。
「安心して、とは言えない。けど、確実に月村さんは無事だ。ちゃんと助けるためにも、俺たちも体力を温存しておかなきゃいけない」
「……綾音と戦うようなことがあっても?」
「現世を否定する力だからね。それに紫堂も、またいつどこで現れるかも分からないし」
到底納得がいっていない表情の陽ノ下。理性と本心とで葛藤の時間が続き、やがて天井に向かって大きく息を吐いた。
――そこへ。
「……ってか、アンタら。さっきから何を言ってるんだい?」
ポカンと口を開けながら、サルーナが言った。
……しまった。
陽ノ下を説得するためとはいえ、不用意に喋りすぎてしまった。三人とも顔を引き攣らせて、視線を見合わせる。
どう誤魔化したものか。思考がまとまらず、誰もが沈黙する。
「雪が止むだって? 正気かい?」
「へ……?」
てっきり追及されるものだと思っていた。が、サルーナの疑問点は別らしく、今度は響里の方が気の抜けた返事をする。
「まさか……この調子でずっと降り続けるんですか?」
「当り前じゃないか!」
間髪入れず、サルーナは言った。
「アンタたち、恐ろしいこと言うねぇ。今がもっとも過ごしやすいっていうのに」
「この猛吹雪が……ですか?」
「最高じゃないか。雪は天の恵みだよ? それが無くなるなんて想像しただけでゾッとする」
ふくよかな身体を自らの腕で抱きしめるサルーナ。
極寒な地域に住む人は独自の感性を持つのだろうか。しかし、よくよく思い返してみれば、他の村人も寒さをしのぐにしてはかなりの軽装だった。
「確かに雪景色も綺麗ですけど……。さすがに晴れてくれないと困るっていうか……」
同意しつつも、響里は笑みを引き攣らせる。
「だからやめておくれ! 太陽の光が欲しいってのかい? アンタたちがこの国の人間じゃないのは分かったけど、あんな物騒な光、出たら死んじまうよ!」
さらに感情が昂ったのか、今度は悲嘆まじりに叫ぶサルーナ。
「そりゃあ食料事情はどこも厳しいよ? 作物は育ちにくいしね」
サルーナが振る舞ってくれた料理にはステーキの他に、野菜スープがあった。寒冷地でも野菜は育つ。が、技術や知識、整った環境が必須になる。特にこんな文明が発達していない世界だと、野菜類は高価になってしまうだろう。
「あの強盗団も、ここの材料を狙っていたんですよね」
「奴らも冬眠の準備なんだろうさ。自分たちでまかなうより、他人から奪った方が早いしね」
「へ? アイツ等ってクマかなんかっスか?」
素っ頓狂な声を出す芝原。サルーナは豪快に吹き出した。
「働かず、食料を確保するだけして、後はどこか山にでも籠るってこと。最近、そういう特に若い連中が多くてね」
「ああ……なるほど」
納得する芝原の横で、響里は怪訝な表情をより強めた。
(どういうことだ……?)
違和感。
どうも、話が噛み合っていない気がする。
サルーナの言葉は大袈裟のように聞こえるが、冗談を言っているようには思えない。
――太陽というものを酷く恐れている。
「ねぇ、お兄ちゃん」
響里の足元で声がした。
ニールだ。彼は、そのあまりに無垢な表情で、響里を見上げながら問いかける。
「お兄ちゃんたちは太陽の光を浴びても平気なの?」
「う……うん。ひょっとして、君たちは違うのかい?」
さも当然のことのように、ニールは頷いた。
「僕はよく知らない。生まれてから一度も太陽を見たことないから。でも、皆言ってるよ。太陽は呪いだって」
「呪い……?」
その時だ。
酒場の扉が突然開かれた。またしても突風が店の中で暴れ、ようやく温まってきた室温が急激に低くなる。
「うぃ~す、お前ら無事か~?」
現れたのは、茶褐色のロングコートを羽織った壮年の男。
身長は百九十センチを超えていた。なにせ店の扉を少し屈んで入るくらいだ。肩幅もかなり広く、それが余計に窮屈そうに見えた。
外に長時間いたのだろうか。頭部には雪がどっさりと乗っていた。乱暴に雪を払うと、短く刈った金髪が水分を含んでキラキラと輝く。
「なんだい、遅かったね」
「さっき、任務から帰ってきてな。騒ぎを村の連中から聞いて、寄ってみたんだが……どうやら心配なさそうだな」
バツが悪そうに、男は深く傷が彫られた頬を掻く。
「ああ。この子たちが助けてくれてね。バカどもを一瞬で片づけてくれたよ」
「なに、本当か!?」
男が驚きに目を剥く。屈強な肉体の彼にしてみれば、響里たちは貧弱な子ども同然。強盗団を退けたという話を信じられないのも無理はない。
「お前らがねぇ……。そんな風には見えんが」
「本当だよ、すっごく強いんだから! こう……バシッ、ビシッって! とにかく凄かったんだから!」
「ほーそうか、そうか。ハハッ、良かったな」
興奮気味に飛び跳ねるニール。陽ノ下のアクションを再現しようとしているのだろう。勢いあまって転びそうになったところを、男は太い腕で支える。
「あの、この方は……?」
響里の言葉を引き継ぐようにして、陽ノ下が首をかしげる。
「サルーナさんの旦那さん?」
「だっはっは、違うよ!」
サルーナが豪快に笑い声を上げた。
「こいつはトーチ。この村の出身でね、冒険者をやりながら各地を回ってるんだ」
「冒険者……」
青少年なら胸を躍らせるような響き。呟く響里の横では、芝原が瞳を輝かせていた。トーチは少し疲れた様子で背負っていた大剣を下し、テーブル席に腰かけた。
「そうだ、アンタの口から説明してやってくれないか。アタシじゃうまく説明できそうになくてね」
「……ん? なにをだよ?」
「この子たち、この国の人間じゃないみたいでね。常識が通用しないのさ」
「……本当か」
投げ出していた脚を戻し、トーチは響里たちを見据えた。鋭い眼光は少しばかりの警戒の色。獣すら射すくめそうな眼差しに、響里は臆せず一歩、トーチに踏み込む。
「サルーナさんから聞きました。太陽を浴びると死ぬ……と」
「ああ、そうだが」
「それは比喩的な意味……ではなく?」
「事実だ」
頷きつつも、眉を顰めるトーチ。
「……お前らは違うのか?」
「真逆ですね。俺たちのいた世界では、日光こそ大事なものです。太陽のおかげで全ての生き物は健康的に育っていける」
「……それこそ信じられねぇな」
「噓じゃありません」
「いや、疑ってるわけじゃない。よその国のことは何も知らんからな。面白いもんだ」
トーチは無精髭の顎を撫でる。興味深そうに鼻息を出し、椅子の背もたれにゆっくりと体重を預けた。
「俺たちルーンガルドに住む民にとって、太陽は忌むべき存在なんだ。災害といっていい」
「災……害……」
バチンッと鋭い音が鳴った。羽虫が天井の照明に当たり、頼りなく落ちてくる。終わりを迎えた生命を、トーチは見届けながら言った。
「どんな炎よりも熱く、また、どんな高級な宝石よりも眩しい。抗いようのない粛清の光源。俺たちが一瞬でもあれを浴びれば、肉体は溶け、大地へと還る」
「俺たちだって太陽が悪影響を及ぼす部分はありますが……。まさかそんな……」
「そういう体質なのさ。太陽は憎むべき害悪。けれど、相手は天体だ。どうすることもできない。神同然に、畏怖の対象なんだ」
にわかには信じられず、響里は言葉を失う。
「そう、真逆なんだよ。この暗闇こそ平穏たる証。雪は俺たちを守ってくれる天使だ。そして、それを運んでくれる雲――その隙間から優しく光る月こそが俺たちにとっての救いだ」




