第五十一話 演劇部にて
「はーい、今日はここまでー!」
明霊山高校には、本校舎とは別にクラブ棟がある。二階建ての構造で一階部分が体育会系、二階が文化部に割り当てられ、終業後には本校舎との渡り廊下を使って生徒たちが大移動を始める。
校長の方針からか、基本どの部もお気楽なものだ。特に力を入れることもなく、大会関連もいつも参加程度。トロフィーの類も長い歴史の中で数個しかない。
とは言いつつ、やる気がないわけではない。逆に精力的にこなす部員は多い。緩やかながらものびのびとやりたいことをやれるのが、多感な学生時分には魅力なのだろう。
二階部分、その一室。
演劇部がその日の活動を終えようとしていた。
「みんな、お疲れさん!」
稽古終了の合図と共に手を叩く女子。演劇部部長の雨宮だ。
高身長かつ凛とした雰囲気を持つ三年生で、そろそろ引退を控えた現在は主に監督と演出に回っている。が、劇中ではその容姿から男装することが多く、特に女子生徒から圧倒的な人気がある。
「うんうん、イイ感じだね。この調子で明日も頼むよ、もうそろそろお披露目も近いしね」
教室の中央で迫真の演技をしていた部員たちは、肩の力が抜けたのか一斉に疲れた息を吐く。
練習熱心な部員たちを誇らしく見つめる雨宮。丸めた台本で自身の肩を叩きながら、一人の女子に呼びかけた。
「月村」
「――は、はい!」
黒髪を肩口から二つに結ったおさげの少女が、驚いたように反応する。ずれかけた眼鏡を慌てて直し、見開いた大きな瞳を部長へと向ける。
月村綾音。
割と自由な校風からか制服をいじる学生は多い。しかし彼女は学校指定にきちんと従い、スカート丈はそのまま。生活態度も真面目。まさに模範的生徒といえた。
「上出来だよ。真に迫る演技だった。さすがだね」
「あ、ありがとうございます」
「今回、主役に抜擢したのは正解だったね。元々演技力はずば抜けていいのは分かってたけど、これなら本番も大丈夫そうだ」
満足げに何度も頷く雨宮。尊敬する部長からの労いの言葉に、月村は安堵の笑みをこぼす。
「いえ、そんな……。必死なだけですよ」
「そう? 私には役に憑依しているようにしか思えなかったけどね」
「まだまだな部分も多いですから。もっと完成度を高めないと」
後輩からタオルを渡され、月村は汗を拭う。
「ま、私は心配してないから。本チャンの舞台も頼むよ、主演女優!」
「はい!」
部長からの期待に、月村は表情を引き締める。これまでは部長が主役だったために脇役が多かったが、今回は初の大役。月村は知らぬ間にタオルを強く握り絞めていた。
「オーホッホッホ! やりますわね、月村さん!」
すると、かなりキツめなフローラルな香りが月村の鼻腔を刺激した。
妙にお嬢様チックな高らかな笑い声を発したのは、同級生の阿澄李恵奈。ブロンドの髪はフランス人の父親譲りらしく、こちらはド反則級の改造制服だ。胸元には主張強いブローチ。長い脚を際立たせるためか極限にスカートが短く、さらにはレースまであしらっている。
「あらゆる観衆を魅了する美しい演技。さすがはワタクシの終生のライバルと言ったところかしら!」
「あ、ありがとう、阿澄さん……」
引き攣った笑いを浮かべる月村。
阿澄とは一年の入部当初からの関係だ。その頃、新入部員全員にお試しにと軽く演技をさせられたのだが、当時においても月村の実力は頭一つ抜きんでていた。それからというもの対抗心剝き出しに、こうして何かと絡んでくるのである。一方的に。
「この度は悔しい思いを致しましたが……、月村さん!」
「は、はい?」
尊大に胸を張る阿澄は、挑戦的な眼差しと共に月村に指をさす。
「次回こそは必ずワタクシが、主役の座を射止めて差し上げますわ! 顔を洗って待ってなさい!」
「は、はぁ……」
「それと、次期部長という最高位も譲りませんから! オーホッホッホ!」
「いや、それはまだ早いんじゃ……」
乾いた笑いを漏らす月村の横で、現部長の雨宮が頭を抱える。
「阿澄……。何度も言ってるが、お前はもうちょっと今回の役どころに集中しな?」
「問題ありませんわ、部長。ワタクシは常に完璧ですので!」
「どこからそんな自信が来るのやら……。お前も悪くないんだが、どうしても地が出るんだよなぁ……」
「ワタクシという絶対的な個があるからこそ、舞台はより苛烈に! そして鮮烈に! 超絶華麗に成立するのですわ。――それではみなさん、オ・ルヴォワール!」
再度高笑いをしながら、颯爽と教室を離れる阿澄。呆れる雨宮に、唖然とする後輩たち。
いつもといえばいつもの光景。
変わらない日常――それが心地よくて、月村の頬は思わず緩む。
「やれやれ……」
雨宮も困った様子ではあるが、口元には笑みが浮かんでいた。個性豊かな後輩。人間性の濃さもまた、役者には必要だと彼女も理解しているのだろう。
「ま、でも間違いなく今後の演劇部を引っ張っていくのは月村と阿澄だからな」
「部長……」
「特に月村。お前には華がある。阿澄のような自己演出能力の賜物じゃない。持って生まれたもの――清らかで慎ましく、強い華だ。お前が入部してくれて本当によかったと思ってるよ」
「やめてくださいよ、そんなの私……」
「謙遜するな。今年入った部員たちもお前の芝居に魅入られたやつばかりなんだぞ」
雨宮の言葉に何度も頷く後輩たち。女子が多い演劇部では、月村に対して羨望すら超えて畏敬の念まで向けられている。同性に好かれて悪い気はしないが、やはり困惑してしまう。
事実として、勉学の成績は常に上位。容姿端麗で、性格も優しい。おまけに部のエース。月村は正しく完璧超人――そう慕う者も多いのが現実である。
「でも、だめなんです」
「ん? 何がだ?」
「まだ掴みきれてない部分があって。ラストシーンなんですけど」
「ラストシーン? あぁ、姫騎士である主人公が、魔女の呪いに打ち勝つところか」
髪の毛先を指で撫でながら、月村は頷いた。
今回の劇は、いわゆる純正のファンタジーものだった。
主人公はお飾りだった姫。とある王国の末娘だった彼女は、意地悪な姉たちの奸計にはまり、姫騎士に任命され旅をすることに。その世界には魔女が存在しており、人々を混沌に貶めていた。
姫騎士というのは代々、騎士団を連れて魔女を討伐する任を背負うのだが、主人公の場合は違った。
旅をするのは彼女只一人。テイのいい厄介払いでしかなく、有り体に言えば追放だった。
しかし、徐々に騎士としての才能に目覚めた主人公は、旅の行く先々で信頼を得てどんどん仲間が増えていく。そして遂には、諸悪の根源である魔女を倒すというシンデレラストーリーだ。
問題は、その戦いの過程で命を蝕む呪いを受けてしまうこと。死を間近に、一時は心を折られる主人公。それでも民の為に剣を再び取り、最後には勝利を収め、人々は永遠に彼女を讃えることになるのだが――。
「姫騎士の心が分からなくて……。どうしてあんな絶望した状態から立ち上がることが出来たのかなって」
「一応台本を書いた身としては、あの場面は民衆に及ぶ危機に直面して呪いを跳ね返す――」
「責任感ももちろんあるんだと思います。けど、人間ってそんな単純じゃないじゃないですか? いくら国民を守るためとはいえ、それだけで感情が奮い立つものでしょうか」
「手厳しいなぁ、そこまで掘り下げられるとは。素人の脚本にイジワル言わないでくれよ」
苦笑する雨宮に、「いやいや、文句じゃないんですって!」と慌てて月村はブンブンと激しく手を振った。
「……呪いを受けたとき。それを跳ね返したときの気迫。その感情の落差。何もかも解放されたときの、あの躍動する気持ちがまだイマイチ表現できないんです。前向きな心情が理解できないから、あの瞬間だけ私と主人公が乖離してしまうんですよ」
「そうか? 私には、お前の演技は違和感なく映るけどな」
お世辞ではないだろう。雨宮は姉御肌で面倒見のいい性格だが、演劇となると目線が厳しくなる。彼女からの指導も、今回の役どころについてはない。本番でも通用するレベルだという証明ではあるのだが。
「でも、お前は納得してないわけだ」
「鬱々とした感情は得意なんですけどね。このままだと魔女役の阿澄さんに喰われちゃいそうで」
「あー……。アイツもノッたときの爆発力は凄いからなぁ……」
月村は唇を噛み締めた。
そう、阿澄の魅力はそこなのだ。
相手との掛け合いによって、磨きがかかるタイプ。アドリブに強く、ときには台本を無視してまで周囲を引き込んでいく。そこに周りの役者も乗せられるのだから凄いものだ。
対して、月村は真逆。
自身が演じる役の人物像をじっくり一から構築するタイプなのだ。よく言えば憑依型。悪く言えば機転が利かない。
特に今回は戦闘シーンが用意されてある。クライマックスで姫騎士と魔女がお互いをぶつけ合う。観客のいる本番で、阿澄がどういった芝居を見せるのか――想像しただけで震えがきてしまう。
「……怖いか? 月村」
試すように、意地悪い笑みを向ける雨宮。
「……いえ」
首を振って、月村は不敵に微笑み返す。
「望むところですよ」
だからといって負けるわけにはいかない。
こちらだってライバル視しているのは変わりないのだから。
「私にも意地がありますから」
「その意気や良し! お前にはお前にしか生み出せないモノがある。そこを目指せ」
「そうですね。私も、もっと深く潜ってみることにします。姫騎士とよりシンクロできるように」
台本を胸の前で抱える月村。そして、自分を取り巻く部員たちに視線を向ける。
初の大役を任せてくれた部長、それに期待してくれている仲間。皆を失望させたくない。絶対に成功させたいと、決意を新たにする。
「役を追求するときのお前は本当に楽しそうだ」
雨宮の言葉に、月村は少し照れながら自然と笑みがこぼれていた。
心が満たされる感覚。己の居場所がここなのだと教えてくれているようだった。
その後は談笑しながら、この日の部活は終わりとなった。




