2-5・約束の無い別れ
中央棟の一階にある食堂。
広いがただ長い机と椅子が並んでいるだけだ。
調度品も質素で殺風景な場所だった。
「そこに座っててね」
ナニーに言われて隅っこの椅子に座る。
きちんと掃除はされているが、やはり夜明けの空気は冷たく寒い気がした。
食堂の横にある扉のない部屋の中に炊事場があった。
ナニーがコンロに火を入れると、湯気が上がる鍋から良い匂いがしてきた。
「まだ胃が動いていないだろうから、やさしいものを入れておきな」
そう言って薄いスープとパンを出してくれた。
「ここにはあまり良い食材はないけど、一生懸命、コガ坊ちゃんが手にいれてくれたものだ」
ナニーは誇らしげに暖かいお茶を淹れてくれる。
「はい。 ありがとうございます」
セリが感謝の祈りを捧げると、ナニーは少し驚いた顔をしていた。
急いで食事を終わらせたセリが立ち上がると、ナニーが包みを持って側に来た。
「これ、汽車の中でお食べ」
断るのも失礼だと思い、セリはありがたく受け取った。
「ありがとうございます」
食堂を出て中央の玄関に向かう。
大きく明けられた扉から朝陽が差し込んでいた。
セントラルで見慣れた上等な服のイコガが馬車の横に立っていた。
「送ろう」
そう言ってセリの手を取り、馬車に乗せてくれる。
馬車の中で向かい合わせに座っていても、イコガは眠そうな目で窓の外を見ているだけだった。
この町は狭い。
すぐに駅に着いてしまう。
セリは思い切って話しかけた。
「あの、コガさん。 私が『ウエストエンド』に来たのはご迷惑でしたか?」
「さん付けしなけりゃ、別にいいよ」
投げやりな返事にセリはうつむく。
魔獣である馬に引かれている馬車は揺れるということがない。
まるで空を飛んでいるようだ。
だけど夕べ着いた時よりも早く感じる。
駅に到着し、先に降りたイコガがセリに手を差し出す。
馬車から降りたセリは、白い魔獣に挨拶するために近寄った。
「ありがとう、ステキな馬車に乗れてうれしかったわ」
くるりと馬の魔獣がセリに顔を向け、鼻面を押し付ける。
「まあ、触ってもいいの?」
セリは微笑んで、そっと魔獣の顔を撫でた。
「ありがとう」
気が済むと、小さく礼を取って離れた。
朝もやの駅の中に昨夜と同じ三つの人影がある。
「おい、見たか。 あの白馬が人間の小娘に気を許すとはな」
銀の髪のラオンはニヤニヤとその様子を眺めていた。
「は、ただ触らせただけでしょ」
ロクローは不機嫌そうにイコガを睨んでいる。
「コガー、汽車が出ちまうぞー」
ローブを引きずる駅長がイコガに声をかけた。
「今行く」
イコガはセリの背中に手を回し、先へと急がせる。
線路の上にはすでに準備を終えた汽車が待っていた。
セリを乗せ、イコガは彼女の荷物を持って自分も乗り込んだ。
「ウエスト駅まで送るよ」
「えっ」
セリの顔がぱあっと明るくなった。
客車の座席にセリと共に座ったイコガを見て、駅の三人が目を丸くしている。
動き出した列車の窓に向かって何か叫んでいたが、イコガはまるっと無視した。
「あははは」
駅が見えなくなると、イコガが我慢しきれなくなって笑い出した。
「コガって、笑い上戸ですね」
昨夜から結構笑ってる顔を見ている気がした。
「そうかな。 まあ、地元の皆にはガキだっていつも言われてるよ」
セントラルでは大人っぽい落ち着いた雰囲気だったイコガが、ここではまったく逆だ。
「そういえば確かに子供っぽいですね」
「えー、そう?」
イタズラっぽい笑顔でセリを見た。
ウエスト駅までは半日程かかる。
他に乗客もいないようで、しばらくは二人っきりだ。
「セリは、『ウエストエンド』に来て良かった?」
イコガはセリに訊ねた。
「はい」
セリはうれしそうににっこり微笑んだ。
「私、魔獣も妖精も見るのは初めてで」
怖くはないと、昨夜何度も話した。
イコガは楽しそうに魔物の話をするセリに危機感を覚えた。
「セリ。 君はまだ魔物の本当の姿を知らない。
『ウエストエンド』の本質もね」
セリは頷き、「分かってます」と答えた。
まったく怖くないわけではない。
だけどイコガに関することは何だか怖くない、というか、イコガがいると思うと何故か怖くない。
ただ本人を目の前にして言える言葉ではなかった。
「分からないし、危険だからこそ知りたいんです。
本質を知れば対処も出来ますでしょう?。
私は本当のことを、この目で見たいんです」
イコガはこのままではよくない気がした。
だけどどう説明していいのか分からない。
「君が普通じゃないのはよく分かったよ」
どれだけ沈黙が続いただろうか。
汽車が底の見えない『魔の渓谷』にさしかかる。
空はすっかり明るくなり、細く長い鉄橋の全体が見えるようになった。
窓の外を見ていたセリは改めてその光景に感激していた。
「すごい!。この鉄橋はどうやって架けたのかしら」
イコガは、そういえば『ウエストエンド』のことはセントラルの図書館でも探せないとアゼルから聞いた。
「この橋はかなり昔に、うちの先祖とセントラルの王族とで、魔力を使って造ったそうだよ」
あちら側とこちら側から、お互いに魔力を伸ばし合い繋いだらしい。
「へえ、じゃあ、その頃は仲良かったんですね」
「あー、今も別に仲悪い訳じゃない。 一部に馬鹿がいるだけだ」
イコガの言葉にセリはなんともいえない顔になった。
本当にセントラルでのイコガとは別人のように口が悪い。
「あの、ナニーさんからもらったんですけど」
セリは鞄から包みを取り出した。
硬いパンに柔らかく煮込んだ肉が挟んである。
煮汁が染み込んでいて、パンが程よく柔らかくなっていた。
「一緒に食べませんか?」
「いいの?」
包みにはパンが二つ入っていた。
きっと滅多に来ない客のために奮発してくれたのだろう。
セリは頷く。
「ナニーさん。 ご領主様が手に入れてくれた物だって自慢してました」
一つパンを受け取って、イコガは照れ笑いを浮かべる。
「彼女にはずっと世話になっててね。 頭の上がらない相手の一人だよ」
セリはふふっと笑う。
「『ウエストエンド』は住民の皆が家族みたいですね」
領主だからと威張らないイコガと、まるで子供のように扱う住民たち。
「あー、そうかもしれないな」
二人は硬いパンを噛み締めるように食べ続けた。
「セリ、あのな」
食べ終わるとゴミを片付けながらイコガは口を開いた。
「はい」
真っ直ぐにセリを見る。
「君が好奇心旺盛なのはいいさ。
でも、真実に行き着くにはきっと……覚悟がいる」
良いことばかりじゃない。
命がけの場合だってある。
「知らないほうがいいことだってある」
イコガはウエスト駅が目に入ると、身体を浮かせてセリに顔を寄せた。
これだけ顔が近いと、黒色と誤魔化しているイコガの目の色が、本当は透き通った青であることが分かる。
昨夜、思わず口づけした場面が蘇り、セリは一瞬息が止まった。
「だから、もうこの地に来てはいけない」
その声は冷たく、目を見開いたセリの心に深く沈んでいく。
座席に座り直したイコガは、もうセリを見ていなかった。
「おーい、セリ」
駅に着くと祖父が待っていた。
イコガが荷物を持ち、セリと共に祖父の側に向かう。
「すまなかったな、孫のわがままに付き合わせて」
「いえ」
祖父に挨拶したイコガは無口な青年に戻っていた。
すぐにセントラル行きが出る。
その列車までイコガはセリたちに付き合った。
セリの祖父はしばらくの間、イコガをじっと見ていた。
「あんた、またセントラルの美術館に来るかい」
「分かりません」
そう答えたイコガに、セリの祖父は笑顔を向けた。
「うちの孫娘を泣かせないなら、また一緒に見に来るといいぜ」
思いがけず許されたことに、イコガは一瞬、驚いた顔になった。
二人が列車に乗り、座席に座るのをイコガは窓の外から見ている。
そして動き出した汽車に合わせて歩き出す。
返事が聞きたくて、セリは窓を開けて顔を出した。
だけどイコガとの距離はどんどん離れていき、もう声は届かない。
セリの目には、言いたいことがありそうなイコガの顔が焼き付いた。
「さよならも無しか」
祖父の言葉に自分から言えば良かったとセリは後悔した。
ぽすんと座席に座る。
未知の土地に緊張していた昨日が嘘のように今は寂しい気分だった。
まるで彼女の気持ちのように、物悲しい汽笛が鳴った。
二日後、セリはセントラルの家に戻った。
もうすぐ新しい職場に行かなければいけない。
『ウエストエンド』のことは良い想い出としよう。
そう決めた。
「これからは学生ではないのだから、責任を持ってがんばって」
父親の言葉にセリは大きく頷く。
「はい」
セリの新しい生活が始まる。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
第三部につきましてはもう少しお待ちください。