30:バットガール
バキンと硬い何かが粉砕する音がした。
それは人の骨などではなく、薄いが硬く変質した蜘蛛の装甲が砕ける音だった。
恐怖で目を閉じた大村が「んひっ」と情けない悲鳴を上げたその先に、猛然と振り下ろされたのは金属のバットだった。
「ヘイ、ボーイ!」
「えっ? あっ……」
大村の視線が叩き潰された蜘蛛の残骸から、鉛色に光を跳ねる金属の棒を伝って辿りついた先には、小麦色に焼けた肌を汗に濡らした体操着姿の少女がいた。
「アーユーオーケイ?」
片言感あふれる英語を添えて、倒れ込んだ大村に手を差し伸べる。
「あ……アイシンク、ソー……」
大村も釣られて片言英語で返しながらその手を取った。
「オー! オーケイオーケイ! アハハ!」
キラリと八重歯を覗かせる弾けるような笑顔に引っ張られ、ようやく大村は体を起こした。
「マイネームイズ……」
「チャコ!」
名乗ろうとしたその名前を、別の声が大村の後ろから呼んだ。
「オー。ヘイ、キャプテン!」
チャコと呼ばれた少女は、大村に向けるよりも一層明るい笑顔でその声に手を振って答える。
「大丈夫か? ……あと俺は部長じゃない」
「ブチョーじゃなくてキャプテンね!」
「意味は一緒だろ……って言ってる場合じゃないな! 君も大丈夫か?」
「あっ……はい」
チャコに続けて大村に声をかけてきたのはがっしりとした体つきの男だった。
チャコと同じ金属バットを手にしている。
しっかりとした口調や体格は大村よりも年上に見えるが、その一方でくっきりと日焼けした顔つきにはまだ中学を出たばかりの幼さも見て取れた。
「大村! 大丈夫か!?」
「安藤さん!」
立て続けに現れたのは安藤だった。
ようやく見た知っている顔に思わず安堵する。
安藤の方も、怪我のない大村の様子に安堵してみせた。
「安藤……!」
その安藤に驚きの表情を見せたのはチャコがキャプテンと呼んだ男だった。
「山内!? なんでこんな所に……って今はそれどころじゃねぇ! 逃げろ!」
「あぁ、状況は分からないが……賛成だ! 行くぞ、チャコ!」
「アイアイサー!」
キャプテン、山内に続いてチャコも場違いなほど陽気な笑顔で駆け出す。
その手にもったバットで近寄る蜘蛛の子を蹴散らしながら進む姿は頼れる以外の何物でもなかった。
「大村も一緒にいけ! あとで食堂で合流するぞ」
「ちょ、待ってろって……安藤さん!?」
「野暮用だ! すぐに追い……」
並木の下にはまだ新藤達が残っている。
あの数の巨大な芋虫に囲まれて、そう簡単に逃げられるわけがない。
そう思って振り返った先に、ヒイロの姿が見えた。
「おい安藤! 逃げるぞ!」
言いながら、ヒイロがメオンを抱えて猛然と駆けて来ていた。
なぜか抱き方がお姫様抱っこに変わっていたが、それ以上にその後ろの光景に安藤はギョッと目を見開いた。
ヒイロは緑の津波に追われていた。
「なにボケっとしてんだ! 走れ走れ走れって!」
「な、なにやってんだよテメェはよぉー!?」
鉄砲玉のように駆け出し、並走するヒイロに思わず叫んだ。
一体これはどんな数だ。
何をやったらこれだけの量の虫を集められるのだろうか。
「オーマイガッ!? キャプテン、これがジャパニーズTUNAMIね!?」
「うおっ!? 違う! 違うけど! とにかく走るぞ、チャコ!」
「安藤さん!? なにやってんスか安藤さーん!?」
「逃げるぞ大村! ダッシュだダッシュー!」
それぞれに驚愕の言葉を発しながら、誰が決めたかあひとまず旧校舎に駆け込んだ。
「上だ! 上に行け!」
校舎の中だろうが芋虫達は追ってくる。
ヒイロの指示で一行が階段を上った所で、ヒイロは剣を振り上げた。
階段を破壊すれば、少しは足止めになると考えての行動だったが、それより先にその必要はなくなった。
ヒイロ達の後を追って旧校舎の狭い入口に突撃した芋虫の群れは柱の至る所がへし折った。
そのまま屋根が部分的に崩落し、入口は完全に閉鎖された。
おかげで押しつぶされた芋虫たちの大量の体液が飛び散ることになり、一行は緑の津波から逃れ得た。
「あー、マジやばかったわ」
「ヤバかったわじゃねぇよ! 新藤コラ!?」
旧校舎の二階、教室の一つにヒイロ達は逃げ込んだ。
追ってくる生き物の気配はなかったが、念のために窓は全て閉じ、埃っぽい薄布のカーテンを閉めた。
「ハァ……何だよあの化け物みたいな虫は……。どうなってんだよ、この学校はッ!」
安藤が疲れ果てた様子で溜息を吐いた。
「とにかく助けを呼ぼうぜ? 誰か携帯もってないのかよ? 俺のはオシャカだ」
「おい安藤、お前、誰に助けを呼ぶつもりだ?」
山内が呆れた様な声で安藤に問いかけた。
安藤は意味がわからず声を荒げる。
「誰だって良いだろ!? あんな化け物に襲われたんだぞ? もう一人死んでる! 警察だろうが自衛隊だろうが、誰でも良いだろ!?」
言いながら藤田の最後の姿を思い出してしまい、どうして良いか分からない後悔の感情を暴発させるように安藤の両腕が机を叩いた。
「無理よ。私たちはこの学校という閉鎖空間に隔離されてるの」
チャコと一緒に女子トイレから戻ってきたメオンが暗い声で答えた。
「……やっぱりな。そんな事だろうと思ったよ」
山内はやけに冷静に納得したように窓を見やった。
薄いカーテンから日の光がこぼれ込むその先にはヒビ割れた空が広がっている。
「……はぁ? 何言ってんだよ、お前ら……」
「隔離って……んなバカな事……」
ワケが分からないのは安藤と大村だった。
藤田も含め、三人はこの旧校舎で目覚めたばかりだった。
旧校舎には元々人などいない。
本校舎がどうなっているかも二人は知らなかった。
「あー、じゃあちょっと説明するわ。俺たちに分かってる事だけな」
そう言ってヒイロは教壇に立った。




