20 料理上手な彼女
家を出ると既に夕日は沈んでおり、空には星が輝き始めていたので、二人は急いで市場に向かった。
アヤメの指示の下、肉や野菜、調味料の類を購入して家に戻った。ちなみに材料費はザックが全額払った。慌てて家を出たアヤメが財布を忘れてきていたためである。
家に帰ったアヤメは早速、調理に取り掛かった。アヤメは手馴れた手つきで肉や野菜を切り、鍋に放り込んでいった。どうやら煮込み料理を作っているようだ。
ザックはその様子をジッと見ていたが、途中で「恥ずかしいので向こうで待っていてください」と言われたので、大人しくテーブルで料理の完成を待つことにした。
「お待たせしました」
明日の予定を考えながら三十分ほど待っているとアヤメが鍋ごと料理を持ってきた。食事はいつも外食で済ませるザックは食器類を殆ど持っていない。数人分の取り皿とフォーク類はあるが、大皿の類は無いので本日は鍋が大皿になる。
「それではいただきましょう」
「そうだな。いただきます」
食事の挨拶を済ませて、アヤメが作ったシチューを口に運ぶ。
味は文句のつけようのないほど美味しかった。芯まで煮込まれた野菜のうま味が口の中に広がる。あまりの美味しさにスプーンを動かす手が止まらない。
あっという間にザックの取り皿はきれいに空っぽとなってしまった。
まだまだ食べ足りないザックはおかわりをよそうために顔を上げると、テーブルの反対側に座っていたアヤメがフフッと微笑を浮かべていた。
「美味しかったですか?おかわりならまだまだありますからね?」
アヤメは嬉しそうに声を弾ませてザックの皿を受け取る。
傍から見ても分かるほどがっついていたのだろうかと恥ずかしい気持ちになったが、シチューで満たされたお皿を受け取ると、すっかり羞恥は霧消し再びシチューをかきこみ始めた。
「ふぅ……ごちそうさん。めっちゃうまかったよ」
合計で四杯のシチューを平らげたザックは腹をさすりながら、アヤメに感謝を伝える。
この街の外食も値段に見合う程度には美味しいが、アヤメの料理にはそれ以上の付加価値があるように思える。優しい味というか暖かみのある味というか、食べていると幸せな気分になる。明日からもアヤメが作ったご飯が食べれるかと思うとそれだけでワクワクする。ザックは食にこだわりを持つタイプではないが、これほどまでに美味しい食事が毎日あるというだけでテンションが上がる。
「あれだけ美味しそうに食べていただけたら作った方も冥利につきます。今日は時間が無かったので一品しか作れませんでしたが、明日からはもっと頑張りますので楽しみにしていてくださいね」
皿洗いをしながらアヤメは答える。
調理をしていないザックは皿洗いを申し出たが、「後片付けまでが料理です」とアヤメに言われてしまったので、お言葉に甘えてくつろがせてもらっている。
至福感に包まれたままウトウトしていると、肩をトントンと叩かれた。瞼を開けて振り返るとアヤメが銀貨を一枚差し出している。
「えっと……これは……?」
意図の分からないザックはアヤメに尋ねる。
「今日の材料費です。細かい銅貨は無いので、とりあえずこれを受け取っておいてください」
先ほど棚上げにしておいた材料費らしい。もっとも、ザックは材料費をアヤメに支払わせるつもりはないので、右手で壁を作りノーの意思を示す。
しかし、アヤメはその態度に不服があるようで、ムスッとした表情を作る。少しだけ膨れた表情は子供のようで可愛らしくもある。危うく彼女に押されそうになるが、今のアヤメに金銭的な負担はあまりかけさせたくないので、ザックもここは譲るつもりはない。
「アヤメ。何回でも言うけど、俺は君からお金を貰うつもりはない。こんな美味しい食事を作ってもらえるなら、むしろ俺が君にお金をあげないといけなくなっちゃうよ」
いささかオーバー気味の表現であるが、アヤメの料理にはそれだけの価値があるのは確かだ。
手料理を褒められたアヤメは嬉しそうな表情をするが、すぐにハッとなって頭を横にブンブン振る。
「ま、またそんなお世辞を言って……乗せられませんよ」
上手くいきそうだったが、すんでのところで失敗に終わってしまう。
こうなれば仕方がない。最後の手段だ。
「アヤメの料理の腕は家賃や食材費よりも価値があるものだと俺は本気で思う。だからこの共同生活で君にお金を出してもらうのはこちらとしても申し訳ないんだ。だからここは家主として俺の顔を立てさせてくれないか」
部屋の借主である立場を最大限に利用する言い方だ。少し高圧的に聞こえてしまうのであまり言いたくはなかったのだが、アヤメも頑として引かないので最終手段に出させてもらった。
「……分かりました。しばらくはザックの言う通りにします」
相変わらずアヤメは不満げであるが、とりあえずは引き下がってくれたようである。
「よし。そういうわけでこの話は終わり!お風呂の準備はしてるから先に入っていいよ」
「待ってください!一番風呂は家主が頂くべきです。ザックが先に入ってください」
一難去ってまた一難。二人は再度、押し付け合いを始めた。
三十分の論争の後、じゃんけんに負けたアヤメが先にお風呂に入ることになった。
◇
「ふあぁぁぁ……っと」
ザックは香ばしい匂いで目を覚ます。いい匂いではあるが、昨日までは感じなかった匂いなので、不思議に思ったザックはリビングへ向かう。
「あっ。ザック、おはようございます。ちょうど朝ご飯ができたところなので、テーブルを空けてください」
そこにはキッチンで料理をしているアヤメの姿があった。
どうやらザックよりも早起きして朝食を作ってくれたらしい。
そういえば、アヤメに「料理を作ってほしい」と頼んでいた。ザックとしては夕食だけお世話になるつもりだったのだが、彼女は三食全部作るつもりらしい。
夕食だけでいいことを伝えようとも考えたが、昨日は材料費や家賃の件でこちらが強引に押し切ったので、きっとアヤメは受け入れないだろう。
それに、ザックとしてもアヤメの美味しいご飯を毎食食べれるのだ。経済的にも安くつくし、いいことづくめなのでとりあえず食事は彼女に任せることにしよう。
アヤメが食卓に並べたのはグラタンであった。昨日のシチューの余りで作ったのだろう。きつね色にこんがりと焼けたホワイトソースが食欲をそそる。
だが、ザックはふとあることに気付く。
「あれっ?グラタンってオーブンやグリルがないと作れないんじゃなかったっけ?」
料理に詳しくないザックでもこの程度の知識はある。しかし、この家にはそんな調理器具はない。あるのは昨日初めてその役割を果たしたコンロ二つだけである。
ザックが首を傾げていると、アヤメは自分の両手の手のひらを見せつけてきた。
「私にはこれがありますから。温めるのも冷やすのも思いのままです」
そう言ったアヤメは手のひらから小さな炎を生み出す。なるほどこの美味しそうな焦げ目は魔法によって作られたのか。
……そう考えると少し食欲が削がれる気もしないではない。魔力が味や栄養素に悪影響を与えていないだろうか。
「ザック。早く食べないと冷めますよ」
「あ、ああ。それじゃあ、いただきます」
人生初の魔法で作られたグラタンに一抹の不安があったが、アヤメに急かされたのでザックはグラタンに口をつける。
うん。ただのめちゃくちゃ美味しいグラタンだった。