Ⅰ
大変遅くなりました、申し訳ありません……。神之崎リサ、過去編です。よろしくお願いします。
寒空の下、マフラーに顔をうずめて寒さに耐えながら雨に濡れたアスファルトの上を歩く。
今日は中学校受験の合格発表日。
緊張のために震える脚を必死に動かして、なんとか生徒玄関前に着く。その場には既に多くの受験者が集っていた。
肩を落とし落ち込む人や、泣いている人、友達と抱き合って喜ぶ人、たくさんの人がいる。
そんな人混みをかき分け、受験番号がズラリと並んだモニターの前に立ち自分の番号を探した。
落ちていたらどうしよう、という焦りと緊張からどくんどくんと心臓が跳ねる。
落ちていませんように、落ちていませんように……。
そう必死に祈りながら番号を目で追っていく。
「あ……」
あった、リサの番号。良かった、本当に良かった!
受験票とモニターを何度も見比べて間違いではないと確認する。
安堵のあまり全身から力が抜けそうだ。
ママとパパが車で待ってる、教えに行かなきゃ。
踵を返し小走りで駐車場へと向かう。
……ママとパパ、喜んでくれるかな。褒めてくれるかな。
そんな期待に胸を躍らせて、車の後部ドアを開いた。
運転席に座るパパ、助手席に座るママが同時に振り向く。
「受かったよ、パパ、ママ!!」
合格したのが嬉しくて、とびきり明るい声が出る。
リサの言葉にパパとママの顔がぱっと明るくなった。
「リサちゃん、すごい! おめでとう!!」
「さすが俺たちの娘だな、おめでとうリサ」
二人が顔を合わせて笑うのを見ていると、リサも嬉しくなってくる。
やった、リサの合格を喜んでくれてる!
今度こそ、今度こそ――
「本当に良かったー! もし落ちたら、引越ししなきゃいけないねってパパと話してたの」
「……え?」
「え? じゃあないだろう、不合格なんて周囲に知られたら我が家の恥じゃないか。それに公立中学校に娘が通っているだなんて、嘲笑の的になるに決まっている。それじゃあここにはいられなくなるだろ」
パパはそう言うと、本当に良かった、今日はお祝いだなと言いながらママと朗らかに笑い合う。
リサは、今日も愛想笑いをしてため息を堪えた。
この光景も傍から見れば、娘の合格を喜ぶ仲の良い家族に見えるのかな。
……いつもこうなのに。期待したリサがバカだった。
「合格したからって油断しちゃダメだよ? ここの学校でも常に成績優秀でいること。じゃないとリサちゃんもパパもママも困るんだから、分かってるよね?」
「リサのために言ってるんだぞ」
いつもの”リサのため”と飾られた言葉に呆れ果てる。
膝の上で握り締めた拳を見つめて、小さく頷いた。
「……うん、分かってるよ。リサ、頑張るね」
心にもないことを口走っている自分に嫌気がさす。
リサはこの二人から産まれた、たった一人の子供だ。
長い不妊治療の末やっと授かった子供がリサなんだよ、リサが八歳のときママがそう言った。
不妊治療、当時すでにその意味は知っていて、両親がどれほど子供を望んでいたのかを痛感したのはそのときだった。
だから期待に応えたいと、二人が喜んでくれるならと、幼い頃から努力をし続けている。
だけど、二人がリサのことを思って喜んでくれたのは一度もない。
これはリサの勝手な想像に過ぎないけれど、たぶん間違いないと思う。
なぜなら二人はいつも二言目には「恥をかかせないでね」といった類の言葉を口にするからだ。
自分本位で世間体を常に気にして、周りからの評価しか見ていないんだろう。
それに、リサが今日学校でどんなことがあったか、楽しかったことはあったか、それを話しても二人は興味なさげに聞き流し、ちゃんと聞いてくれることといえば成績や小論文のコンクールなどの結果だけだった。
リサ自体のことなんか、微塵も見ていないんだ。
帰路を走る車の中で入学式のスーツはどうしようか、新調しようか、と浮足立った二人を見て堪えていたため息がこぼれた。
……
入学式が終わり、ホームルームも終わり下校時間になった。
至る所に掲げられた「2056年度 私立泉ヶ峰女子中学校 入学式」の文字が心に若干の影を落とす。
”ここの学校に入ったんだから、期待を裏切らないでよ”、両親がそう言っているような気がした。
そんな暗い考え方はするものじゃない、と首を横に振る。
とうとう明日からここでの学校生活が始まるんだ。
友達を作って楽しくやっていきたいな。明日はたくさんの子に声かけて、人見知りは卒業するんだ。
わくわくとドキドキが入り混じって、なんだか落ち着かない。
早く明日にならないかな、なんて思ってしまう。
心配と不安は、拭い去れないけれど。
傷一つない茶色い革製の鞄に新品の教科書を入れた後、鞄を肩にかける。
肩にずしりとした重みを感じながら教室を出た。
「お疲れリサ! 一緒に帰ろ」
その声に、俯いた頭をぱっと上げる。
リサに向けられた明るい声の主は、廊下の壁に寄りかかり笑っていた。
胸の前でささやかに手を振るその姿が可愛らしくて、リサもくすりと笑う。
「うん!」
彼女に近寄ると、胸に付けている「ご入学おめでとう」と書かれている花飾りの横の、「愛里 美海」と書かれた真新しい名札が夕日を反射してきらりと光った。
リサは美海の温かな手を握る。美海がぎゅっと握り返してくれて、その手に引かれるまま学校を後にした。
……
「同じ学校入れて良かったー! あたし面接ダメで落ちたんじゃないか、ってすごく不安だったんだよね」
「美海は受かるって、リサ分かってたよ」
えっ、そう?と得意げな表情の美海。
美海は一度目標を定めると決して意志を曲げない謙虚な自信家で、リサの大好きな親友だ。
消極的で目標の持てない自分とは完全に真逆で、とても憧れている。
小学生の頃、そんな彼女に話しかけられてから友達になった。
「へへ、ありがと!」
「……ねえ美海、クラス、どう?」
「ん? そうだなあ、何人かと話したけど仲良くなれそうだったよ。リサは?」
そう聞かれ、黙り込む。
「……ちょっと、心配。美海がいない、なんて」
人見知りが激しく、今までも美海がいなければクラスに馴染めなかっただろう自分は、実のところたくさんの知らない人がいる新しいクラスでひとりぼっちになってしまわないか心配で仕方がなかった。
友達を作ろうと意気込んではいるけれど、実際に行動に移せるかどうかは微妙だ。
考えるばかりで実行できなかった、なんてざらにある。むしろ、その方が多いくらい。
どうにも、新しいことに挑戦するのも、新しい人に関わるのも苦手で。
このままじゃダメだって分かりつつも変えられないままでいる。
「リサ、友達できるかな……」
「あたしといるときみたいにしてれば大丈夫だよ、心配いらないって」
「……うん、そうだよ、ね」
頭の中では分かってる。分かっているけれど。
……新たな環境に馴染めないのは、失敗だ。
失敗は、自分の恥であり、関わらせた人を自分の恥に巻き込む行為であるという認識がある。
恥をかくのはリサにとって最も恐ろしいこと。恥をかけば両親からは見放され、周囲からは嫌われるから。
だから、失敗はできない。誰にも見放されないためにも、失敗だけは絶対にできない。
「まあ、クラスは別々になっちゃったけどそっち遊びに行くし、お昼とか一緒に食べよ! だから、そんな心配そうな顔しない! ね?」
頭の中の脅迫的な観念に悩ませていると、美海が優しく微笑みながら励ましてくれる。
彼女のおかげで、全ての不安が吹き飛んでいくようだった。
「……うん! ありがとう、美海」
こんなにも自然な笑顔でいられるのは、美海といるときだけだ。
美海の優しい言葉が、行動が、表情が、リサにとってとてつもない癒し。
心臓が脈打つのを感じる。先ほどの不安からくるものとは全く異なる、心地の良い響き。
美海の手を握る手に力がこもる。
それに気付いてか、より強い力で優しく握り返してくれた。
……美海と、ずっと一緒にいたいなあ。
幸福感に包まれ、美海とともに薄暮時を過ごす。
いつの間にか、肩の重みはすっかり感じなくなっていた。
……
「お、おはよう」
ドキドキと脈打つ心臓を感じながら、右隣の席の女の子に挨拶をする。
女の子は一瞬きょとんとした表情を見せるとにっこりと笑って、おはようと返してくれた。
すると続けざまに女の子が口を開く。
「私、千葉ののか、っていうの。これからよろしくね」
「あ、り、リサは、神之崎、リサ。よ、よろしくね、ののかちゃん」
慌ててとっさにリサも自己紹介をする。
そこから、どこから来たの?とか趣味は?なんて話に繋がっていった。
他の子からするとこんなのは普通かもしれないけれど、リサにとっては大きな一歩だった。
良かった、ちゃんと話しかけられた……!
小躍りしたい気持ちに駆られる。
次第にののかちゃんの友達が集まってきて、多くの子たちと話すことができた。
「ののかちゃん、ありがとう、リサ……、友達できるか、心配だったから……」
昼休みになりそう言うと、ののかちゃんはまたきょとんとした表情をして首を傾げた。
「私、お礼言われるようなことしてないよ? ふふ、でも、どういたしまして!」
えへへ、と照れ臭そうに笑う彼女を見て、不安は波が引いていくように消えていった。
「リサー!」
教室の入り口から美海が呼んでいた。
こっちだよ、とその場で手を振ると上靴をぱたぱたと鳴らしながら駆け寄ってくる。
「あ、リサちゃんの友達?」
ののかちゃんに問われ、うん、と大きく頷く。
「リサ、友達できたんだ、良かったね! だから言ったじゃん、心配いらないって」
「美海のおかげ、だよ」
本心からの言葉だ。
美海が励ましてくれなかったら、行動できなかっただろうから。
「リサをどうぞ、よろしくお願いします」
美海がののかちゃんに向かって深々とお辞儀をする。
「なんか美海、ママみたい……」
「実質保護者じゃない?」
そんなやり取りをしていると、隣からふふふっと笑い声がした。
気付くとののかちゃんが口元を手で隠して笑っている。
「二人とも、すごく仲良いんだね」
その言葉に反応して、美海が腕を絡めてくる。
一気に体温が上昇するのを感じた。顔が熱い。
「当然! 小学校からの仲だから!」
満面の笑みでそう言った美海の横顔に見とれてしまう。
ありがとう、美海。本当に、大好きだよ。
そんな想いを込めて、美海の腕にぎゅっと抱き着いた。




