Ⅳ
大変遅れてしまい申し訳ありません……。
鍵穴の上に魚座のマークとローマ数字の”Ⅱ”が書かれた扉の前に着く。
道中、稲垣が神之崎に”魚座のキーワードは『私は信じる』なんだよ”と話しているのを耳にした。
”信用よりも自分が生存する為に協力する”として一致団結した直後に、そんな言葉を与えられるとは……。
大層な皮肉だな。
仮面の集団はこうなる事を見越していたのかもしれないと思うと、掌の上で踊らされているような気がして不快だ。
ここの扉は他と違い、木製の観音開きで厳かな装飾が施されており、さながら宮殿の扉のようでコンクリート剥き出しのこの廊下の雰囲気にはそぐわないものだと感じた。
神之崎は覚悟を決めたようで唇を横一文字にきゅっと結び、この先に待ち構えている”愛里美海”との再会に備えているらしい。
……津河井の二の舞にならずに済みそうだ、と若干の安堵を覚える。
先程話を聞いたのだが、愛里美海は神之崎の同級生で友人だったそうだ。
五年前の中学二年生の時、愛里がいじめを受け不登校になって以来顔を合わせていない、そう言っていた。
その間に何があったのかを聞いても、口を閉ざすばかりで何も話さなかった。
余程口に出したくないのだろう。
……何となく察しはつくが。
全員が揃ってからの方がいい、哀田を待つべきだ、という闇野の提案により俺達はこの扉を開かず待機していた。
そして五分程経った頃だろうか。
「悪い悪い」
離れた所から哀田の声が届いた。駆け足でこちらに向かってくるのが見える。
「何してたんや」
氷石が問うた。
「いや、ライター落としちまってよ」
仏頂面をしながら、右手に持つシルバーのライターをこちらに見せる哀田。
古い物なのだろうか、表面には数多くの傷が伺える。
哀田はそれを握り込むとポケットにしまった。
……何か考えていたわけではないのか。
そう思い、呆れた視線を送る。
まあ、あの暗闇の中だ。多少時間がかかった理由にも納得がいく。
じゃあ入ろうか、と闇野が口にした時。
「リサ!」
「わ、な、なに……?」
柊が突如、神之崎の名を呼んだ。
視線を漂わすと、厳しい表情をした柊が神之崎の前に一足分の距離を置いて立っていた。
神之崎はびくりと身体を震わせ、怯えた小動物のように身を縮こませる。
「……さっきは、当たって悪かったよ。アタシも、さ、あんな事起きて、現実感なくて、気が動転しちまってた」
そう言って力なく笑う柊。
そして、大きく息を吐き出す。
「次は、アンタの番だ。何が待ち受けてるかなんて分かんねーけど、何があっても出来る限りのサポートはする。だから、ビビるんじゃねーぞ」
その言葉に神之崎は目を丸くし、そして顔を俯かせた。
間が空く。
戸惑っているのか、恐怖を抑え込もうと必死なのか。
顔を上げ、柊の顔をじっと見つめる。
そしてウサギのストラップを再びぎゅっと握り締めると、こく、と頷いた。
才條が鍵を差し込み、解錠する。
俺は右扉の取っ手を掴み、ぐいと引いた。
……重い。
あまりの重さに呻き声が自然と漏れる。
扉の中に金属の塊が詰め込まれているのではないかと思う程だ。
左扉の取っ手を引いている哀田もその重さに顔を顰めている。
ギイイ、と重たい音。
「また真っ暗ですね……」
怜南が扉の向こうを覗き込みながら呟いた。
「なんや、遠くに足跡みたいなんが光ってるで」
「……よく分からないが、早く入ってくれないか。この扉、異常に重い。長くは押さえられないぞ」
俺がそう口にすると、奴らは急ぎ足で部屋の中へと入っていった。
この扉を押さえ閉じないようにはさせてくれないらしい。
普通の扉ならば足を挟めばいいが、この扉で同じ事をしようものなら足の骨折は免れないだろう。
切断、なんてのもあり得るかもしれない。
哀田が入ったのを見計らい、閉まりかけた扉の隙間に素早く身を潜り込ませる。
直後どおん、と重々しい音を立てて扉は閉ざされた。
暗闇。
氷石の言っていた通り、部屋の奥にこちらに爪先を向けた足跡のマークが青白く光っていた。
距離は大体五メートル、と言ったところか。
近付こうと足を一歩、踏み出す。
「――よおおおうこそ、ファッキンガーイズ!」
「っ……!?」
背後から突如、鳴り響いた声。
ばっ、と勢いよく振り向くと、モニターが目に入った。入ってきた扉の上に設置されているようだ。
その画面には、薄暗い背景に”愛里美海”であろう姿が映し出されている。
星科と同じパーカー。フードは被っていない。
奴の胸元には小さな円盤のプレートがついたシルバーのネックレスが、光を反射してきらきらと輝いている。
左側は耳上までのショート、右側は肩下までのロングというアシンメトリーの黒髪の毛先には紫色のメッシュが入っていた。
その前髪は顔の右半分を隠している。それ以前に、顔は仮面に覆われていて見えないが。
すると、愛里の背後に、何かが映り込んだ。
人影だ。
こちらに向かって腕組みをし、立っている人影。
その存在に気付き目を凝らすも、背景はよりいっそう暗くなり何も見えなくなってしまう。
「”No.9”、神之崎リサぁ。マーク光ってんの見えるよな? な? 見えねぇとは言わせねぇぞ? そこまでひ、と、り、で、移動してくださーい。あ、それ以外の奴ら動きやがったら即射殺な。
それだけはつまんねぇからやめろよ。暗闇だから見えないと思ったら大間違い、今のおまえらの間抜け面こっちに丸見えだからさぁ」
喉を痛めているのか、しゃがれた低い女の声はそう早口で言い切って、けけけと笑った。
いかにも馬鹿っぽい話し方だな。星科とは全く違う印象を受ける。
しかし、こいつも間違いなく”R・S”とかいう集団の一味だ。
……逆らえばどうなるのかは目に見えている。
「……リサさん」
怜南の声だ。
神之崎は怜南の傍にいるらしい。
その直後、神之崎のか細い声が頑張る、と一言だけ音を表した。
コツコツという靴音が徐々に遠ざかる。
俺は暗闇を見回しながら辺りを窺った。
何も見えやしないが、呼吸や衣擦れの音から他の奴らの存在ははっきりと感じ取れた。
……音の反響が凄まじい。余程広い部屋なのだろうか。
いや、広いというよりは恐らく天井が高いのだろう。
先程の愛里の声や神之崎の靴音は、上方に吸い込まれるようにして響いていたような気がする。
腕を組み俯いた。足下は暗く何も見えないに等しい。
改めてこの建物の規模の大きさを認識する。
俺達一人一人に部屋が用意されているのなら、少なくとも九部屋ある事は確実だ。
その広さは見当も付かない。
……しかし、こんな大掛かりな建造物を世間の目に晒す事なく建てられる土地など、この国にあっただろうか。
思考を巡らせる。
……そうだ、四国か? 四国は現在都市開発中の為、一般人は立ち入りを禁じられている。
あの広大な土地ならば、建築が可能だろう。
だがそんな事が起きていたのなら何かしら話題になる筈だ。報道関係が黙っていないだろうし。
ふと、嫌な考えが頭を過ぎる。
……まさか、海外か?
「こ、ここで、良いの……?」
神之崎の囁き声が思考を遮った。
その方向に顔を向けると、足跡のマークの上に黒い影。
マークから放たれている光が、奴の黒い靴の踵を僅かに照らしている。
「あーそうそう、そこ。んで、このモニターの方向けよ。そのマークから足はみ出すんじゃねぇぞ」
靴の爪先がこちらに向くのが見て取れた。
「はいはいあんがとさーん」
振り返るとモニターに映っている愛里は俯いていた。何かを操作しているのだろう。
……次は、何が来る?
固唾を呑む。
「――きゃああ!! な、なに!?」
神之崎の悲鳴と、何かのモーター音。
金属同士が接触する、キンという高い音が四度連続して響く。
「リサさん!?」
怜南の甲高い呼び声が耳に入った。
機械音は失せ、神之崎の今にも泣き出しそうな助けを求める声だけが部屋を占める。
そして、目に突き刺さるような眩しい光。
「……っこ、れは!」
光に目が慣れ、視界が開けるとそこには驚愕の光景があった。
見上げたまま、目を見はる。
天井の高さはおよそ五メートル。
正面の壁に密接するように立っている二本の鉄製の柱は、天井まで伸びている。
その柱の床から二メートル程の高さにそれぞれ一つずつ機銃が備えられていた。
柱の間には、拘束された神之崎が。
額、首、腹部、足首を左右の柱からのびている金属製のアームで固定され、それらから逃れようと必死にもがいている。
しかし、最も衝撃なのは、それらではない。
「ギロ、チン……?」
誰かが声を震わせながら呟く。
神之崎の頭上高くに存在し、威圧と恐怖を放っている、重々しい斜めの刃。
それは、かの有名な処刑法の”ギロチン”を彷彿とさせた。
しかし、明らかに一般的なギロチンとは異なる。
本来は下方に首を固定し、その上に刃を落とし切断するという斬首を目的としたものだ。
受刑者の苦痛を出来る限り長引かせないようにと生み出された処刑方法。
目の前にあるものはそうではない。神之崎は刃の真下に直立した状態で固定されている。
これはつまり、身体を前後に一刀両断する器具である、という事だ。
その結末を想像し、背筋が凍った。
「何て事を……!」
才條が俺の横を通り過ぎ、からからと下駄の音を響かせながら神之崎に近付く。
と、あー!というしゃがれたうるさい声。
「おーっと、それ以上近付いたらおまえが死ぬぜババァ」
愛里がけけっと笑いながら、モニターの向こうで肘をついていた。
才條の足音がぴたりと止まる。
「……どういうことかしら?」
「そこにはな、赤外線センサーが張られてんだよ。見えねぇから分かんねぇか? しゃあねぇ、オレはヤサシーから特別に見せてやるよ。皆々様モニターにちゅーもーく!」
モニターは暗転し愛里の姿が消えた。
直後、この部屋を様々な角度から撮影している映像が映し出された。
そして、ナイトビジョンに切り替わる。
そこに映る才條の眼前には、床と水平に伸びる複数の白い線が天井まで続いていた。
「そのセンサーは熱を感知すると、あの機銃が自動で作動して熱源をバーンと撃ってくれんだ。まあありがちな防犯装置って感じ? 今回は神之崎リサっつうお姫様を守る為に使わせて貰ったよ」
愛里はそう言って、ひゃははと下品な笑い声を上げた。
不快に思い顔を顰め、モニターを睨み付ける。
「あー、おまえら信用なんねぇって顔してんな。んならそうだな……。哀田ぁ!」
「! な、なんだよ」
哀田は突如名前を呼ばれ、煙草に火を付けようとしていた手を止めた。
「その煙草、火ぃ付けて向こうに放ってみろ」
「……テメェなんぞに指図される覚えは」
「哀田君。いいから」
才條に制止され、哀田は不満げに顔を歪める。
いかにも渋々と言った様子で愛里の言葉に従い、煙草に火を付ける。
奴はそれをぽい、と向こうに放り投げた。
――瞬間。
連続した軽い発砲音が部屋を占領する。
「うわあ!」
「きゃっ!」
火薬の臭い。機銃の銃口から微かに立ち昇る煙。
煙草がセンサーに触れたと同時に機銃が作動し、撃ち抜いたのだった。
煙草はバラバラになり中の葉が散らばっている。それは射撃の正確さを表していた。
「ひゃははは! なあ見たか見たか? あのホームレス今ので間抜けな声上げてすっころんだぜ、マジ面白ぇ! あ、跳弾の心配はしなくていいぜ。床にも壁にもちゃあんと対策してあっからよ」
不愉快なけたたましい笑い声を上げながら、手を打ち鳴らす愛里。
煙草だったものが転がっている周辺に目をやると、床にはいくつもの弾痕があった。
発射された銃弾の衝撃を吸収する素材にでもなっているのだろう。
「それじゃあ本題入るぜ、イッツショータァァイム!!」