番外編 第六話
※この世界は都合の良いゆるふわな世界です。
春の柔らかな日差しが、ベルンハルト城の執務室の窓辺を暖かく照らしていた。
机の上に広げられた一通の親書には、かつて私の祖国であったルーエン王国陸軍省の真新しい印章と、国王直筆の署名が記されていた。
『エレナ・フォン・ベルンハルト伯爵夫人(旧姓:アルスター)殿。
過去の大戦における不当なる戦死宣告の取り消し、ならびに貴女が挙げられた数々の卓越せる軍功の公式認定と、心からの謝罪をここに表明いたします』
親書に添えられた公式記録の写しには、かつてバレット少佐によって歪められ、隠蔽されていた真実が、一字一句違わずに正しく書き直されていた。
第七地区の対砲兵射撃も、第二線塹壕の突破も、第三中継基地の防衛も――すべて私と、私の小隊の仲間たちが命を懸けて成し遂げた功績として、国家の公式戦史に永遠に刻まれたのだ。
そして、バレットによって『無謀な突撃を行い玉砕した』と泥を塗られていたクラウスやミリアたちの戦死記録も、『最後まで誇り高く友軍を護衛し、壮絶なる戦死を遂げた真の英雄たち』として、最高位の武功叙勲とともに名誉回復が果たされていた。
「ガルディニア帝国政府からの厳重な外交抗議と、ヴィルフリート様の働きかけのおかげですね……」
私が静かに親書を閉じると、背後から温かな腕が伸びてきて、私の肩を優しく抱きしめてくれた。
夫であるヴィルフリートが、愛おしそうに私の髪に頬を寄せていた。
「当然の報いだ。あのような卑劣な嘘で、君と君の戦友たちの名誉が汚されたままなど、私が絶対に許すはずがない」
「ありがとうございます、ヴィルフリート様」
「さあ、支度はできたかい? 今日は、彼らに会いに行く日だろう」
ヴィルフリートが優しく微笑み、私の手を引いて立ち上がらせてくれた。
◇
ベルンハルト領から北へ向かうこと数日。
私たちが辿り着いたのは、かつて十年にわたる大戦の激戦地であり、あの『乾坤一擲・縦深突破作戦』の最前線となった、両国の国境に連なる広大な丘陵地帯だった。
かつて泥濘と血の海に覆われ、黒煙と硝煙が立ち込めていたその大地は、今や見渡す限りの緑の草原へと生まれ変わっていた。
黄色い野花が春風に揺れ、青空には白い雲雀が高らかに囀っている。
あの日、私たちが凍えた手足で引き金を引いていた塹壕の跡は、柔らかな土と草花によって静かに埋め戻されていた。
丘の頂に、白亜の大理石で造られた巨大なモニュメント――両国の講和条約に基づき共同で建立された『戦没者慰霊碑』が、静かに佇んでいた。
「ここが……みんなの眠る場所……」
私は馬車を降り、胸に抱えていた大きな花束を抱き直した。
ベルンハルト城の温室で、今朝摘んできたばかりの純白の白百合の花束。
石碑の正面には、あの日、この最前線で命を落としたルーエン王国軍・ガルディニア帝国軍双方の将兵たちの名前が、出身や身分に関係なく、平等に刻まれていた。
その中央、第4魔導歩兵連隊の刻銘欄の前に、私は歩み寄った。
『クラウス・マイヤー伍長』
『ミリア・ハルトマン通信兵』
『……』
指先で、冷たい大理石に刻まれた戦友たちの名前をそっとなぞる。
目を閉じれば、今でも彼らの声が鮮やかに聞こえてくるようだった。
『小隊長、風向きが変わったぞ!』
『小隊長、後方から電文です!』
『小隊長……逃げて……!』
いつも不器用に笑いながら私を支えてくれたクラウス。
怖がりながらも、最後まで無線機を離さなかったミリア。
昨日まで同じ乾パンを分け合い、戦争が終わったら何をしようかと語り合っていた仲間たち。
「クラウス……ミリア……みんな……」
私の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ち、石碑の台座を濡らした。
私は抱えていた白百合の花束を、そっと石碑の前に手向けた。
「みんなの無実と名誉、ちゃんと取り戻したよ。あの無能な上官は罰を受けて、みんながどれほど勇敢に戦ったか、国中の人々に正しく伝わったわ」
私は胸に手を当て、溢れ出す想いを言葉に乗せて語りかけた。
「そしてね……私は今、とても幸せに暮らしているよ。あの時、私を救ってくれた敵将のヴィルフリート様が、私の夫になってくれたの。みんなが私を守ってくれたから、私はこうして生き延びて、温かな愛と平穏を手に入れることができたわ。……本当に、ありがとう」
風がふわりと吹き抜け、白百合の甘い香りが丘全体へと広がっていった。
草花がサラサラと音を立てて揺れ、まるで天国の仲間たちが「よかったな、小隊長」「幸せになってね」と笑顔で頷いてくれているかのような、温かな温もりが私の全身を包み込んだ。
隣に寄り添っていたヴィルフリートが、軍帽を脱いで胸に当て、石碑に向かって深々と敬礼を捧げた。
「エレナの戦友たちよ。貴殿らが命を懸けて守り抜いてくれたこの尊い女性を、私は生涯をかけて愛し、必ず幸せにすると誓おう。……どうか、安らかに眠ってくれ」
ヴィルフリートの真摯な誓いの言葉に、私の胸はいっぱいの感謝で満たされた。
◇
祈りを終え、私たちは手を繋いでゆっくりと丘を下り始めた。
振り返れば、澄み渡る群青の空の下で、白亜の慰霊碑と手向けられた白百合の花束が、眩い太陽の光を浴びて神々しく輝いていた。
「エレナ。帰ろう、私たちの家へ」
「はい、ヴィルフリート様」
私は最愛の夫の手を強く握り返し、満面の笑みで頷いた。
泥濘の塹壕を越え、理不尽な裏切りと絶望を乗り越えて辿り着いた、光り輝く新しい世界。
散っていった仲間たちの想いを胸に、私はこの温かな手と共に、どこまでも続く平和な明日を歩み続けていく。
(番外編完)
これで終わりです。
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