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泥濘の塹壕から敵将の腕の中へ ~手柄を奪われ見捨てられた魔導士は、敵国の名将に愛される~  作者: だんよ


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第一話 泥濘の塹壕と幼き転生者の選択

戦争ものです。魔法と銃が出てきます。この世界はそういうものと思ってご覧ください。

 降り止まぬ冷たい雨が、塹壕の底に掘られた泥水を容赦なく跳ね上げていた。

 湿った土と硝煙の入り混じった独特の悪臭、そして時折大気を震わせる重低音の砲声。

 鉄のヘルメットの鍔から滴り落ちる雨粒を指先でぬぐいながら、私――エレナ・アルスター准尉は、分厚いコンクリートの掩蔽壕(えんぺいごう)の隙間から、灰色に煙る無人地帯を見つめていた。


「おい、エレナ! 風向きが変わったぞ! 敵の第二線から魔力反応が上昇中だ!」


 隣でボルトアクション式連発小銃の遊底をチャキリと引いたのは、私の小隊の古参兵であるクラウス伍長だった。泥にまみれた髭面を歪め、緊張に張り詰めた瞳で前方を睨み据えている。


「分かっています、クラウス。敵の砲兵陣地は南西の森の奥……座標三〇七、仰角一五。砲兵用魔石の共振波形から見て、第4階梯の『広域榴散火球(フレア・榴弾)』ですね」


 私は胸ポケットから取り出した真鍮製の観測用計算盤を素早く操作しながら、冷徹な声で応じた。

 二十歳を迎えたばかりの私の小柄な体躯と、ヘルメットの下から覗く亜麻色の短髪は、この血生臭い泥濘の戦場にはいかにも不釣り合いに見えるかもしれない。

 だが、この連隊において、私ほど正確に敵の魔導砲撃の弾道を予測できる魔導士は一人として存在しなかった。


 なぜなら、私には「前世の記憶」があるからだ。


 近代兵器と総力戦の歴史が刻まれた平和な近代国家で生まれ育ち、理不尽な事故で命を落としたかつての記憶。

 目覚めた時、私はこのヨーロッパ風の異世界――ルーエン王国の片田舎で、小さな農家の赤ん坊として生まれ変わっていた。


 生まれた当初、世界はまだ表面的には平和を保っていた。

 隣国ガルディニア帝国との国境地帯で、資源採掘権を巡る小競り合いが時折報じられる程度で、私のような平民の赤ん坊にとって、戦争など遥か遠い異国の出来事でしかなかった。

 私が三歳を迎えた年、両国の対立は決定的な破局を迎え、正式な宣戦布告とともに大戦の幕が切って落とされた。

 だがその時も、幼い私に直接的な影響が及ぶことはなかった。大人たちが血相を変えて王都の動向を噂し合うのを、私は揺り籠の中から冷静に観察していただけだった。


(あの時、王国の新聞は『我が軍の圧倒的魔導戦力により、三ヶ月で帝国を屈服させる』と大々的に喧伝していたけれど……前世の歴史を知る私からすれば、最初から破綻した見通しだったわ)


 この世界における戦争は、かつての中世的な騎士の突撃や一騎打ちの時代をとうに脱していた。

 歩兵は全員が量産されたボルトアクション式の火薬式小銃を手にし、土を掘って幾重にも張り巡らされた塹壕と鉄条網の奥に身を潜める。

 そして何より、現代戦における重砲・榴弾砲の役割を果たすのが、魔導士たちによる「戦術魔法」だった。


 魔法の行使には膨大な体内魔力を消費するが、それを補うのが鉱山から採掘される使い切りの結晶――「魔石」だ。

 魔石を触媒として燃焼させることで、魔導士は数キロメートル先にある敵の陣地へ向けて、爆裂や火炎、岩石崩壊を伴う戦略級の砲撃魔法を雨あられと撃ち込むことができる。

 結果として何が起きたか。

 防御側の機関銃火網と魔導砲撃が圧倒的に優位に立ち、攻め込んだ兵士たちは無人地帯で虫けらのように薙ぎ払われる。

 攻守ともに決定打を欠いた戦線は完全に膠着し、気づけば戦争は十年もの長きにわたって泥沼の消耗戦へと突入していた。


 両国ともに数百万の将兵を喪失し、国家財政は破綻寸前。

 それでもなお、両国の支配層は「これまでに流した膨大な血の代償を、領土の割譲や巨額の賠償金によって回収しなければ引き下がれない」というサンクコストの罠に囚われ、戦争を止めることができなくなっていた。


 私が十七歳になった時、事態は私自身の身にも降りかかってきた。

 ルーエン王国は劣勢を覆すため、平民階級からも魔力適性を持つ者を強制的に徴募する方針へと舵を切ったのだ。

 幼少期から卓越した魔力操作の才を見せていた私は、貧しい農家の両親に支給される軍人恩給と支度金のため、そして何より自らの身を守る術を軍の内部で手に入れるため、志願という形で軍門を叩いた。


 過酷な訓練を経て、私は第4魔導歩兵連隊の戦術魔導小隊長として、この最も過酷な西部前線へと配属されたのだった。


 ◇


 ――ドォォォォォンッ!


 鼓膜を劈く爆音が響き渡り、塹壕の胸壁が激しく揺れた。

 敵の放った第4階梯の魔導榴弾が、無人地帯の泥濘を巻き上げて巨大な火柱を噴き上げる。吹き飛んだ土塊が雨のようにヘルメットを叩いた。


「うわあっ! 敵の弾幕射撃だ! 頭を下げろ!」


 塹壕の中で若い歩兵たちが悲鳴を上げてしゃがみ込む。

 だが、私は身を屈めながらも、冷静に魔導観測鏡を覗き込み、背後の通信兵へと叫んだ。


「通信手! 後方の大隊司令部へ打電! 敵の砲撃斉射の間隔は四十五秒! 敵の魔石冷却バイパスの隙を突き、こちらから対砲兵魔導射撃(カウンター・バッテリー)を叩き込みます!」

「は、はいっ! ですが少佐殿からの許可がまだ……!」

「待っていればこちらの塹壕が先に吹き飛びます! 責任は私が取ります、早く!」


 私は腰のホルスターから、掌サイズの高純度魔石を取り出した。青く透き通った結晶が、私の魔力と同調して眩い光を放ち始める。

 深呼吸を一つ。大気中のマナの乱れを肌で感じ取り、頭の中で三次元の弾道計算式を瞬時に展開する。


(敵の砲列は散開陣形……だが、地下の魔石貯蔵庫の換気ダクトが座標二〇九の丘陵裏に露出している。あそこを叩けば、誘爆で敵の砲台群を一網打尽にできるわ)


「『地脈を統べる重力の楔よ、天を仰ぎて巨魁なる穿孔の杭となれ――第4階梯・岩錐穿孔弾(ペトラ・カノン)』!」


 カチリ、と手元の魔石が砕け散り、膨大なエネルギーが私の両腕を通じて前方へと収束した。

 ドシュゥゥゥッ!

 大気を切り裂く音とともに、直径二メートルを超える巨大な岩石の螺旋槍が、豪雨を切り裂いて放物線を描いて飛翔していく。


 数秒後――。


 ズガガガガガガアアアアンッ!


 敵陣地の奥深くで、目も眩むような紅蓮の閃光が立ち上った。

 狙い通りの誘爆。敵の魔石集積所が連鎖爆発を起こし、猛烈な爆風が敵の塹壕線を吹き飛ばしていくのが見えた。


「め、命中だ! 敵の第一砲兵中隊が沈黙したぞ!」

「小隊長殿、やりました!」


 クラウスや兵士たちが歓声を上げる。

 私は息を整えながら、即座に小銃を構えて号令を下した。


「突撃準備! 敵の混乱が収まらないうちに、第三塹壕線を制圧します! 小銃隊、着剣! 私に続いてください!」


 笛の音がピーッと響き渡り、私の小隊は泥濘を蹴って突撃を開始した。

 私の正確無比な魔導支援と、前世の歩兵浸透戦術を応用した小集団による死角の制圧。

 わずか三十分の白兵戦の末、私たちは数ヶ月にわたって膠着していた敵の第一線・第二線塹壕を完全に突破し、前線を一キロメートル以上も押し上げることに成功したのだった。


 しかし――。


□□□□□□□


 ガルディニア帝国軍・第3師団前線司令部。

 分厚い丸太と土嚢で固められた地下壕の中で、漆黒の髪を短く刈り込んだ青年将校――ヴィルフリート・フォン・ベルンハルト准将は、硝煙の立ち込める戦況図を冷徹な青い瞳で見つめていた。


「報告! 第七地区の第一・第二線塹壕が突破されました! 敵の魔導部隊による精密な対砲兵射撃を受け、第四砲兵中隊が全滅! 現在、敵歩兵が第三線へ浸透中!」


 伝令兵の悲壮な叫び声が響く中、参謀たち章官の顔には焦燥と動揺が広がっていた。


「馬鹿な……! 我が軍の陣地配置は完璧だったはずだ! 地下の魔石弾薬庫の位置を、どうやって敵の一小隊が見抜いたというのだ!?」

「ルーエン軍め、新型の探知魔導具でも実戦投入したのか!?」


 狼狽える部下たちを一瞥し、ヴィルフリートは静かに立ち上がった。

 彼が腰の軍刀の鞘を軽く鳴らすと、壕内の喧騒が一瞬で静まり返る。


「取り乱すな。敵の探知魔導具ではない。……あの部隊の指揮官の腕だ」

「は……? 敵の指揮官、ですか?」


 副官のオットー大尉が怪訝そうに尋ねる。

 ヴィルフリートは煙草に火をつけ、紫煙を燻らせながら、戦況図の第七地区を指先でトントンと叩いた。


「魔石の共振波形と地形のわずかな高低差から、地下構造の弱点を逆算して精密射撃を叩き込む……並みの魔導士にできる芸当ではない。それに、突破後の歩兵の散開パターンも見事だ。無駄な正面突撃を避け、機関銃の射界を巧みに外しながら拠点を各個撃破している。恐るべき戦術眼を持つ魔導士が、あの部隊の先頭に立っている」


 ヴィルフリートの口元に、微かな笑みが浮かんだ。

 敵に対する憎悪ではなく、純粋な武人としての敬意と興奮を宿した笑みだった。


「だが――局地的な勝利に酔いしれ、突出した部隊の末路は決まっている」


 ヴィルフリートは鋭い眼光を地図へと落とし、淀みなく命令を下した。


「第十二猟兵大隊を即座に動かせ。敵の突出部の両翼――座標二一四および二一八の森林地帯へ迂回させよ。工兵隊は予備の第3階梯・遅延爆砕陣を第二線と第三線の間に展開。敵が前進を続けた瞬間、後方を遮断して挟撃する。正面の残余部隊には後退を命じ、敵を誘い込め」

「はっ! 直ちに!」


 ヴィルフリートの命令は電光石火の如く前線へ伝達された。

 退却と見せかけた偽装後退、そして完璧なタイミングで左右から襲いかかる十字砲火と機動包囲。

 名将ヴィルフリートの指揮下にある帝国軍は、瞬く間に体制を立て直し、突出したルーエン軍の先鋒部隊へと襲いかかった。


□□□□□□□


「……っ! 全隊、停止! それ以上進むな!」


 敵の第三線塹壕の手前で、私は直感的な悪寒を覚えて手を挙げ、部隊を制止させた。

 静かすぎる。

 先ほどまで頑強に抵抗していた敵兵が、蜘蛛の子を散らすように奥へ引いていく。

 その退却の動きには、敗走特有の無秩序さが微塵もなかった。


(誘い込まれている……! 敵の指揮官は、あえて中央を譲って私たちの両側面を包囲する気だわ!)


 前世の歴史で幾度となく繰り返された「カンナエの戦い」や「突出部包囲殲滅」の典型的なパターン。

 次の瞬間、左右の森から無数の曳光弾と、第3階梯の爆発魔法の閃光が一斉に私たちの背後へと降り注いだ。


 ――ズガガガガガガッ!

 ――ババババババババッ!


「小隊長! 左右から敵の増援です! 退路を塞がれます!」

「くそっ、なんて手回しの早さだ! さっきまで潰走してた連中が、もう陣形を組み直してやがる!」


 クラウスが悲鳴のような声を上げる。

 敵の指揮官の判断速度は、私の予想を遥かに超えていた。

 局地的な突破口を開いた直後に、これほど無駄のない機動反撃を仕掛けてくる指揮官が、敵軍の最前線にいるのだ。


「全隊、直ちに後退! 奪った第二線塹壕の掩蔽壕(えんぺいごう)を盾にして、後続の本隊の合流を待ちます!」


 私は手持ちの魔石をもう一つ割り、第3階梯の煙幕魔法を展開して敵の視界を遮りながら、必死の思いで部下たちを後退させた。

 辛うじて壊滅だけは免れたものの、苦労して奪い取った前線は再び敵によって押し戻され、戦況は何事もなかったかのように元の泥濘の膠着状態へと引き戻されてしまった。


 ◇


 後方の大隊司令部テント。

 雨漏りのする薄暗い天幕の中で、私は泥だらけの軍服のまま、大隊長であるゴドウィン・バレット少佐の前に立っていた。

 王都の名門貴族の出身であるバレット少佐は、戦場にいながら香水の匂いを漂わせ、磨き上げられた革靴を自慢げに机の上に乗せていた。


「……というわけであります、少佐殿。敵の迅速な機動反撃と予備兵力の投入により、第七地区の完全制圧は困難と判断し、部隊を後退させました」

「ふん、無能な平民どもが」


 バレット少佐は吐き捨てるように言った。


「せっかくこの私が立てた『敵砲兵陣地への奇襲突破計画』を、貴様らの不手際で台無しにしおって! 前進を続けていれば、敵の師団司令部まで蹂躙できたものを!」


 私は奥歯を噛み締め、俯いて拳を握りしめた。

 あの対砲兵射撃の座標を割り出したのも、突撃を指揮したのもすべて私だ。バレット少佐は何一つ指示を出さず、安全な後方テントで紅茶を飲んでいただけだった。

 それどころか、作戦の成功部分はすべて自分の手柄として連隊本部に報告し、押し戻された責任だけを現場の私に押し付けているのだ。


(言っても無駄ね……。この男に戦術のイロハを説いたところで、理解できるはずもない)


 私は心の中で冷ややかに溜息をついた。

 その後も、戦場の各地で同じような戦いが繰り返された。

 私が現場の判断で敵の隙を突き、局地的な突破を果たすたびに、敵の天才的な指揮官――後で知ったその名は、ガルディニア帝国軍の若き名将ヴィルフリート准将――によって、恐ろしいほどの正確さで押し戻される。


 一進一退の不毛な殺し合い。

 泥と血に塗れた塹壕の中で、兵士たちの命だけが砂時計の砂のように削られていく。

 だが、そんな終わりなき泥沼の戦線に、やがてルーエン王国軍参謀本部による、狂気じみた「乾坤一擲の大作戦」の諫が下されようとしていた。


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