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勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう  作者: うちうち


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2/3

村娘は落石を受け止めない

本日2話目です。

「ネリネ姉ちゃんは帰って」


 村の門の前で、ユリスくんは開口一番そう言った。


 朝の空気は冷たかった。草の葉にはまだ露が残っていて、街壁の影が長く土の道に伸びている。門のそばには、見送りに来た人たちが何人も立っていた。昨日までお祭りみたいに騒いでいた街も、今朝は少し静かで、誰かが鼻をすすり、誰かが笑おうとして失敗している。


 ユリスくんは、その真ん中で旅支度を整えていた。


 腰には剣。肩には新しい外套。背中には荷物。


 勇者である。

 すごい。


 だが、荷物の紐の結び方が少し甘い。


「やだ」


 私は言った。


 ユリスくんは眉を寄せた。


「やだじゃない。これから先は危ないの」

「知ってるよ」


 私は自分の背負い袋の紐を締め直した。ついでに、ユリスくんの荷物の紐も直した。結び目がほどけかけている。危ない。旅立ち三分で荷物を落とす勇者は、少し困る。


「だから行くんだよ?」


 そう言うと、ユリスくんが黙った。

 なぜか、息まで止めたように見えた。


「……だから?」

「うん」

「それ、どういう意味で言ってるの?」


 どういう意味。

 私は少し考えた。

 ユリスくんが遠くへ行く=監視できない。

 それは困る。


「ユリスくんが遠くに行くの、嫌だから」


 ユリスくんは、さらに黙った。


 門のそばにいたおばさんが「あらまあ」と言った。鍛冶屋のおじさんが咳払いをした。モルは私の足元で、何も聞かなかった顔をしている。


 ユリスくんの耳が、少し赤い。

 朝の風のせいだろうか。


「それに、ずっと見てきたんだから、途中でやめるのは変でしょ」

「……ネリネ姉ちゃん。本当に、分かって言ってるの」

「分かってるよ」


 ユリスくんは、手で顔を覆った。


「ユリス、ネリネが一緒なら安心だねえ」


 宿の主人が言った。


「ちゃんとご飯食べさせてもらうんだよ」

「靴下も替えを持ったか?」

「ネリネ、頼んだよ。昔からこの子、無茶するから」


 みんなが口々に言う。

 ユリスくんは、ものすごく複雑そうな顔をした。

 私はうなずいた。

 みんな分かっている。ユリスくんは、放っておくとご飯を抜く。


「荷物も多すぎるよ」


 ユリスくんが最後の抵抗みたいに言った。


「大丈夫。ほとんどモルが持ってるから」

「どこに?」

「毛の中」


 私はモルの背中の毛に手を入れた。

 もふ、と指が沈む。

 そこから、干し肉の包みを出す。次に替えの靴下。小鍋。包帯。火打ち石。焼き菓子。ユリスくんのお母さんに貰った、息子を頼むという紹介状。さらに焼き菓子。


 ユリスくんが黙った。


「便利でしょ」

「……羊って、そういうものだった?」


 モルが鼻を鳴らした。

 そういうものではない、という顔だった。




 ユリスくんは、その後も長い間、悩んだ。そして、何かを思い切ったかのように視線を上げ、こちらをじっと見つめた。


「なら、旅の間は……ネリネって呼ぶ」


 急にそんなことを言った。


「ネリネ姉ちゃん、じゃなくて?」

「うん。もう子どもじゃないし、一緒に旅をする仲間だから。旅に行くならそうしようって思ってたんだ」


 一緒に旅をする仲間。


 私は少し考えた。


「でも、私が一緒に行くって言ったの、さっきだよね?」


 ユリスくんが黙った。


「前から考えてたみたいな言い方だったけど」

「……呼び方くらい、前から考えることもあるよ」


 ユリスくんは、荷物の紐を結び直し始めた。

 さっき、きちんと結んだばかりの紐だった。


「そっか。分かったよ、ユリスくん」

「……ユリスくんは、そのままなんだ」

「だめ?」

「だめじゃないけど……」


 ユリスくんはそこで黙った。


 旅に出る前から、呼び方の練習が必要らしい。

 むずかしい。








 街を出てもしばらく、ユリスくんは変だった。

 歩幅が少し大きい。背筋も伸びている。たまにこちらを振り返って、何か言いかけて、やめる。何度か口を開いたけれど、そのたびに前を向く。


 旅立ったばかりで緊張しているのだろう。

 勇者は大変である。






 始まりの街を出て少し歩くと、小さな川に出た。


 水は浅く見えたが、流れは速い。川の上には古い木橋がかかっていた。板は灰色に乾き、縄はところどころ毛羽立っている。渡るたびに、ぎい、と眠そうな音が鳴りそうな橋だった。橋の下では、水が石に当たって白く泡立っている。


 橋の手前には木の看板が立っていた。


『古い橋注意。ひとりずつ渡ること』


 おお。人間はすごい。

 危ないものには、ちゃんと危ないと書いておく。これは知恵である。




「俺が先に渡るから。ネリネねえ……ネリネはあとから来てくれ」

「うん」


 ユリスくんは橋を渡った。板が何度か小さくぎいぎいと鳴り、途中で一度だけ足を止めたけれど、無事に向こう側へ着いた。渡り終えるとすぐに振り返り、こちらを見ている。


 次は私の番だった。

 モルは橋の前で足を止めた。


「大丈夫だよ」


 私が言うと、モルは橋を見た。

 私を見た。

 もう一度、橋を見た。

 なんとなく、失礼な気がした。


 私も橋に足を乗せた。

 みし、と板が鳴った。

 なるほど。古い橋。注意しよう。


 前を行くモルに続いて、私は慎重に歩いた。人間の村娘らしく、ゆっくり。一歩ずつ。湿った木の匂いと、川の冷たい匂いがした。靴の底越しに、板のしなりが伝わってくる。


 橋の真ん中あたりで、足元がまた鳴った。

 みしり。べきっ。

 私は足を止めた。


 次の瞬間、足元の板が抜けた。

 とっさに、私はモルを掴んで対岸へ放った。


 モルは空中で一回だけこちらを見た。

 ものすごく不満そうな顔だった。


 でも、きれいに着地した。

 えらい。





 ばきん、と乾いた音がして、視界がひっくり返った。

 空が下に来た。川が上に来た。

 いや違う。

 私が逆さになっている。


 落ちる前に、靴の中で爪を出して、橋の梁を掴んだ。身体は橋の下にぶら下がり、薄桃色の髪がまっすぐ川の方へ垂れている。下では水がごうごうと流れていて、冷たい匂いが鼻先まで上がってきた。いちおう風紀を乱すと良くないので、スカートの裾は両手で押さえた。


「ネリネ姉ちゃん!」


 ユリスくんの声が、橋の上から落ちてきた。よく見られたら足の爪は丸見えだったと思うのだが、ユリスくんはなぜか都合のいいことに目を明後日の方向に反らしていた。


「大丈夫だよ」


 そう答えると、ユリスくんの顔から血の気が引いた。

 大丈夫なのに。

 いざとなったら飛べるし。


「動かないで!」

「うん」

「手、伸ばして。お願いだから」

「うん」


 本当は、そのまま戻れた。

 でも、今それをやると、たぶん村娘ではない。

 私はユリスくんの手を掴んだ。

 村娘なので。






 引き上げられると、ユリスくんは私の腕を掴んだまま、しばらく動かなかった。


「……よかった」


 小さな声だった。

 それから、ほとんど縋りつくみたいに、私の肩へ額を寄せてきた。


 落ちていないので、よかったに決まっている。

 でも、ユリスくんの手は冷たくなっていて、指先に力が入っていた。


「大丈夫だよ」


 そう言って頭を撫でると、ユリスくんは返事をしなかった。

 ただ、もう一度だけ、息を吐いた。









 橋を渡り切った直後、背後で大きな音がした。


 ばきん、ばきん、と続けて板が割れる。縄が弾け、橋の真ん中が落ちた。木板が川に叩かれ、白い水しぶきが上がる。片側の欄干がゆっくり傾いて、最後に川の中へ沈んだ。


 水の音が、少し大きくなった。


 私は橋を見た。

 ユリスくんも橋を見た。


「……次の宿場まで行くしかないね」


 私が言うと、ユリスくんは何も言わなかった。

 ただ、とても真剣な顔で、私を自分の後ろへ下げた。






 橋が落ちたので、私たちは川沿いの細い道を進むことになった。


 左側には川が流れ、右側には高い岩肌が迫っている。道は狭く、モルの毛が時々、岩壁にこすれて白く揺れた。


 湿った石の匂いがした。岩肌のところどころが黒く濡れていて、細い水が筋になって落ちている。足元には崩れた小石がぱらぱらと散っていた。


 夜のうちに、少し雨が降ったのかもしれない。







 しばらく進むと、川沿いの道はさらに細くなった。右手の岩肌は頭上へせり出し、濡れた土がところどころで緩んでいる。その根元に、木の看板が立っていた。


『落石注意』


 おお。

 また看板だ。


「ネリネ、俺の後ろにいて」


 私は後ろに下がった。


 ただ、後ろからだと、ユリスくんの背中がよく見える。





 こつん、と乾いた音がした。


 崖の上から落ちた小石が、ユリスくんの足元を跳ね、細い道の端で止まった。見上げると、岩肌の隙間から砂がさらさらとこぼれている。濡れた土が乾ききっていないのか、細い根のあたりだけ黒く崩れていた。


 ユリスくんが剣に手をかける。


 私は崖の上を見た。鳥が一羽、岩の隙間から飛び立つ。


 なるほど。

 落石注意。





 次に、拳くらいの石が落ちてきた。


 ユリスくんは半歩下がって避けた。

 えらい。





 そう思った直後、崖の上で、低い音がした。

 ごり、と岩がずれる音。


 見上げると、岩肌に引っかかっていた大きな塊が、雨で緩んだ土ごと動いていた。最初はほんの少し。けれど、支えていた細い根が切れると、重さを思い出したみたいに一気に落ち始める。


 樽くらいの大きさの岩は斜面を滑り、途中の出っ張りにぶつかった。

 がん、と音がして、跳ねる。


 小石とは違う。

 空気が押される音がした。


 岩は転がりながら、落ちるたびに速くなる。表面の土が剥がれ、灰色の石肌が見えた。


 ユリスくんは剣を抜きかけていた。

 でも、剣でどうにかするには、少し大きい。





 岩がもう一度跳ねた。

 不規則に跳ねた先は、ユリスくんの立っている場所だった。




 突き飛ばすか。

 間に合うし。


 でも、人間は弱い。勢いを間違えたら、それだけで怪我をするかもしれない。




 岩を割る。

 できる。


 でも、目立つ。村娘は落石を爪で割らない。





 抱えて避ける。

 できる。


 でも、速すぎる。たぶん目立つ。





 覆い被さる。


 これなら、ユリスくんは動かない。岩も、ユリスくんには当たらない。村娘でも、たぶんできる。


 よし。


 私はユリスくんに飛びついた。


「ネリネ?」


 ユリスくんの声が、すぐ近くで聞こえた。


 目が合う。

 びっくりした顔をしている。なぜか、耳まで赤い。落石のせいだろうか。





 次の瞬間、背中に岩が当たった。

 どすん、と鈍い音がした。







「ネリネ姉ちゃん!」


 ユリスくんが私の肩に手を伸ばした。

 顔が白い。さっき私が橋の下に逆さになった時より、もっと白い。


「背中、見せて」

「背中?」

「今、背中に当たった。ちゃんと見ないと分からないよ」


 あ。

 私はそこで、ようやく気づいた。

 背中は、よくない。

 服の下には、畳んだ羽根がある。


「大丈夫」

「……大丈夫って言わないで」

「当たってないよ」

「当たった」


 ユリスくんの声が、少し低くなった。

 怒っているというより、困っている声だった。


「頼むから。ちゃんと見せて」

「次の宿場で診てもらう、でどう?」


 私が言うと、ユリスくんはしばらく黙った。






「……絶対だぞ」

「うん」

「本当に。約束して」


 私はうなずいた。

 背中を見せない方法は、宿場に着くまでに考えることにした。






 そのあと、私はユリスくんに心配された。

 ほとんど怒られているみたいな心配だった。


 橋で逆さになったこと。

 大丈夫と言ったこと。

 落石の前に出たこと。

 背中を見せようとしなかったこと。


 全部、よくなかったらしい。


「いいか、ネリネ。お願いだから、俺の後ろにいて。危ないと思ったら、まず俺に言って。絶対に、前に出ないで」

「うん」

「本当に分かってる?」

「分かってるよ」


 私はうなずいた。


 ユリスくんはまだ青い顔をしている。声も少し震えていた。

 こんなに必死に怒られたのは、初めてかもしれない。

 昔、木の棒を反対に持っていた頃のユリスくんは、私に怒ったりしなかった。

 ともかく次は、もう少し上手にやろう。

 そう思った時だった。




 ユリスくんの後ろで、岩肌の色が少し動いた。


 最初は影かと思った。

 でも違う。


 濡れた灰色の岩に、同じ色の鱗が張りついている。平たい身体。地面すれすれに伸びた首。草の間から、横に裂けた大きな口がゆっくり開いた。


 魔物だ。

 岩陰に潜んでいたらしい。


 ユリスくんは、私を見ている。

 魔物は、ユリスくんの背中を見ている。


「ネリネ、聞いてるの」

「うん」


 聞いている。

 ユリスくんの話は、ちゃんとあとで聞く。

 でも今は、ユリスくんに話を続けてもらっている場合ではない。





 私は両手を広げて、ユリスくんと魔物の間に飛び込んだ。


 今度はちゃんと前を向いた。

 これなら、背中を見せろとは言われない。完璧。


「え」


 ユリスくんの声がした。

 同時に、目の前で、魔物が大きく口を開けた。






「ネリネ姉ちゃん!!!!」


 ユリスくんの声が、山道に響いた。

 返事をしようとしたけれど、私は魔物の口の中だったので、少しだけ言いづらかった。

たぶんこんな話です。

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