第二十七話 死の迷路
天空の楽園、スペースコロニー『アヴァロン』。
かつて栄華を極めたその場所は、今や阿鼻叫喚の地獄と化していた。
ウゥゥゥゥゥ――ッ!!
鳴り止まない警報音。
居住区のあちこちでエラーが起き、混乱した市民があふれ出している。
原因は明らかだった。地下深層で増殖した『暴走ナノマシン』が、ついに抑制ラインを突破し、コロニーの中枢システムを食い破り始めたのだ。
「ミュラー長官! 第3ブロックの気密隔壁が作動しません!」
「治安維持部隊は何をしている! 暴徒を鎮圧しろ!」
「部隊からの応答ありません! 彼らは……職務を放棄して脱出ポッドへ向かっています!」
中央統制室で、ミュラーは呆然と立ち尽くしていた。
すべてが裏目に出た。
事態打開の切り札として送り込んだ『グラヴシップ』と精鋭部隊は、音信不通。
虎の子の戦力を失ったことで、市民への抑えが効かなくなり、パニックは暴動へと変わった。
アロゥエイが暴走ナノマシンを漏洩しただとか、全てはクラークの陰謀だとか、プロパガンダに何の意味も無かった。
「……ええい、知ったことか! 私は生き残るぞ!」
ミュラーは制止する部下を突き飛ばし、隠し持っていた黄金のIDカードを握りしめて走り出した。
向かう先は、宇宙港だ。
――
宇宙港は、逃げ惑う人々で溢れかえっていた。
我先にと脱出ポッドに殺到する市民たち。
定員オーバーのポッドが無理やり射出され、軌道計算もされないままデブリと衝突して砕け散る。
そんな混沌の中、巨大なハンガーの扉が開いた。
「どけ! 下民ども!」
銃声が響く。
現れたのは、ミュラーを含む数十名の『コロニスト』たちだ。
彼らは武装した私兵を使い、群がる市民を容赦なく撃ち殺しながら、一隻の大型船へと向かった。
大型降下輸送艦『ノア』。
数百人を収容できるその船を、彼らはわずか数十人で独占しようとしていた。
「この船は選ばれた我々が使う! 貴様らはそこで朽ち果てろ!」
ミュラーたちは市民を蹴散らし、船内へと雪崩れ込むと、すぐさまハッチを閉鎖した。
窓の外で泣き叫び、扉を叩く人々の姿を、彼らはあざ笑うかのように見下ろした。
「ハハハ! ざまぁみろ! 我々は生き残る! 地上に降りたら、また新しい王国を作るのだ!」
ミュラーは狂ったように笑いながら、メインコンソールに座った。
自動操縦システムはナノマシンの影響でダウンしている。だが、マニュアルで推力を噴かせばいい。
「発進! さらばだ、アヴァロン!」
ゴオオオオオッ!!
巨大なスラスターが火を吹く、自分たちも乗せろと詰め寄っていた多数の市民たちを巻き添えにして、輸送艦『ノア』は港を離脱した。
船内には安堵の空気が流れた。ワインを開け、祝杯をあげる者さえいた。
だが、その祝宴は長くは続かなかった。
「……おい、地球が遠ざかっていないか?」
誰かが呟いた一言で、空気が凍りついた。
メインスクリーンに映っているのは、青い地球ではなく、漆黒の宇宙空間と、遥か彼方で輝く太陽だった。
「逆だ! スラスターが逆噴射している! 地球への降下軌道じゃなく、太陽への軌道に入っているぞ!」
「な、なんだと!? 進路修正しろ!」
「ダメです! 制御を受け付けません! システムがロックされています!」
悲鳴が上がる。
ナノマシンによる汚染は、航行コンピュータの根幹まで腐らせていたのだ。
船は、正確に、そして冷酷に、太陽へ向かって加速を続けていた。
「止めろ! エンジンを切れぇぇ!!」
「……だめです、操作を受け付けません。太陽への到着予想時間は、約三ヶ月後です」
絶望的な宣告だった。
すぐには死ねない。
彼らを乗せたハイテクな船は、頑丈な棺桶となって、広大な宇宙を漂流し始めたのだ。
――
一週間後。
船内から「秩序」が消えた。
「よこせ! その水は私のものだ!」
「俺は議員だぞ! 食料を優先的に配分しろ!」
この船は短距離の降下用だったため、備蓄食料はほとんど積まれていなかった。
さらに、フードディスペンサーもナノマシンの影響で故障し、ただの鉄屑となっていた。
一ヶ月後。
船内から「声」が消えた。
誰もがガリガリに痩せ細り、虚ろな目で床に転がっていた。
高価な調度品も、宝石も、ミュラーが大事にしていた黄金のIDカードも、そこらへんにゴミのように散らばっていた。
喉の渇きを癒やす役には立たなかったからだ。
「……み、ず……」
ミュラーは床を這いずり、一滴の水滴を求めて洗面台へ手を伸ばした。
だが、蛇口からは乾いた音がするだけだった。
皮肉なことに、生命維持装置(空調)だけは完璧に稼働しており、彼らを「生かさず殺さず」の状態に保っていた。
死ぬまでの時間を、極限まで引き伸ばすために。
(私は……選ばれた……人間……)
ミュラーの意識が薄れていく。
脳裏に浮かぶのは、かつて見下していた地上の風景か、それとも捨ててきた市民たちの顔か。
彼は乾ききった舌で何かを呟こうとして、そのまま動かなくなった。
――
三ヶ月後。
静寂に包まれた『ノア』は、太陽の至近距離に達していた。
船内には、ミイラのように干からびた数十の遺体が転がっていた。
彼らは飢えと渇き、そして絶望の中で、互いを憎みながら死んでいった。
船体の温度が限界を超える。
装甲が溶解し、窓ガラスが弾け飛ぶ。
灼熱の太陽風が船内に吹き込み、転がる骸と、彼らが執着した富や名誉を、等しく灰へと変えていく。
やがて、小さな光の瞬きと共に、船は消滅した。
地上の誰にも知られることなく、誰に弔われることもなく。
それは、楽園を食い潰した寄生虫たちへの、宇宙からの静かなる処刑だった。




