第二十六話 愛はさだめ、さだめは死②
戦いは終わった。
だが、エンジェルステーションに勝利の歓声はなかった。
あるのは、咽び泣く声と、荒野を吹き抜ける乾いた風の音だけだった。
拠点の裏手、見晴らしの良い丘の上に、真新しい十字架が立てられた。
その前で、マリアは崩れ落ちるように泣いていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
彼女の涙が、埋められたばかりの土を濡らす。
そこに眠っているのは、ネイバーのリーダー、ライオネルだ。
彼は勇敢だった。
強化スーツ兵が攻め込んできた時、仲間を守るためにハンマーひとつで突っ込んだ。
そして、その後のウルトラヴァイオレンスとの乱戦の中で、逃げ遅れた仲間を庇い、致命傷を負ったのだ。
マリアが駆けつけた時、彼はすでに冷たくなっていた。
どれだけナノマシンを注いでも、止まってしまった心臓が再び動くことはなかった。
「ライオネル……あんたは最高の隣人だったよ」
アレンが涙を流しながら、ライオネルの愛用していたハンマーを墓標の横に置く。
プリスキンも、無言で帽子を取り、敬礼を捧げた。
彼らは知ったのだ。奇跡の力を持つ天使がいても、死ぬ時は死ぬのだという現実を。
――
葬儀が終わり、生き残った者たちは「生きるため」に動き出した。
復興だ。
クラークとギーグスたちは、戦場となった雪原から使えるものを回収した。
強化スーツが二着、人型重機が一機、備蓄食料に布類。その他、機械パーツからバイオ燃料製造機、通信機やレーダーまで組み上げることができた。
「……被害のデカさに比べりゃ微々たるもんだが、何もないよりはマシか」
プリスキンが、鹵獲した強化スーツの整備をしながらぼやく。
皮肉な話だが、敵が持ち込んだ兵器のおかげで、ステーションの防衛力は戦う前よりも向上していた。
外では、破壊された外壁の修復工事が行われていた。
ウィィィン……ガシャン!
鹵獲した人型重機が、巨大な鉄骨を軽々と持ち上げ、積み上げていく。
アヴァロンの技術で作られたその機体は、繊細な作業もこなす優れものだった。
『ヴォォォォッ!』
それを見て対抗意識を燃やしたのが、マンシーだ。
負けじと残骸の山に突っ込み、巨大な装甲板を背負って運んでくる。
「僕の方が役に立つぞ!」と言わんばかりの働きぶりに、作業員たちから苦笑交じりの歓声が上がった。
グラヴシップの残骸は解体され、新たなバリケードとして再利用された。
かつて彼らを襲った鉄の船は、今や彼らを守る壁となったのだ。
拠点は、以前よりも強固に、そして機能的に生まれ変わろうとしていた。
日常が戻りつつあった。
たった一人を除いて。
――
「マリア……ご飯だよ」
アロウェイが声をかけるが、マリアは膝を抱えたまま動かなかった。
以前のように「お腹すいたー!」と走り回る姿は、もうない。
彼女は自分の手を見つめ続けていた。
この手は、パパを治した。たくさんの人を助けた。
自分の目の前で死んでみせた、アレックス。
そして、付き合いの長かったライオネルが死んでしまった事が、心に暗い影を落としていた。
(わたしが弱かったから)
(わたしが守るって決めたのに、守られたから)
「……そっとしておいてやろう」
クラークがアロウェイの肩に手を置く。
技術で壁は直せても、心の傷を直す技術は、彼ら科学者にも、ギーグスにも持ち合わせてはいなかった。
復興の槌音が響く中、エンジェルステーションはどこか重苦しい静寂に包まれていた。
天使の笑顔が戻る日は、まだ見えない。
――
エンジェルステーションに重い空気が停滞して数日が過ぎた。
復興作業は進んでいるが、そこに活気はない。
全員が、膝を抱えて動かないマリアの姿に心を痛めていたからだ。
アレンは、ライオネルが使っていた個室の整理をしていた。
遺品といっても、大した物はない。使い古したハンマー、酒瓶、そして少しの着替え。
彼は根っからの荒野の男だった。
「……ん?」
ベッドの枕の下から、一枚の厚紙が出てきた。
レーションの空き箱を切り開いたものだ。裏返して、アレンは息を呑んだ。
そこには、木炭のようなもので、拙い絵が描かれていた。
ライオネルが一番最初に描いたマリアの肖像画。
絵心など微塵もない、子供の落書きのような線。
だが、それが誰を描いたものかは一目でわかった。
大きな瞳、風になびく髪、そして――満面の笑顔。
「……馬鹿野郎。こんなもん隠し持っていたのか」
アレンは目頭を押さえ、その厚紙を掴んで部屋を出た。
――
マリアは自室のベッドで、ぼんやりと天井を見つめていた。
ドアが開き、アレンが入ってくる。
「マリア」
「……パパ」
「これがライオネルの部屋から出てきた」
アレンは無言で厚紙を差し出した。
マリアはゆっくりと視線を動かし――そして、目を見開いた。
黒い炭で描かれた、不器用な線。
そこには、マリアが大口を開けて笑っている姿が描かれていた。
下手くそだ。でも、不思議と温かい絵だった。
「あいつは、お前のこの顔が好きだったんだ」
アレンが静かに語りかける。
その言葉は、優しく、そして厳しかった。
「あいつが何のために、あの怪物みたいなスーツ兵に向かっていったかわかるか? お前を泣かせるためじゃない。お前のこの『笑顔』を守りたかったからだ」
「……っ!」
マリアの手が震える。
絵の中の自分は、こんなにも幸せそうに笑っている。
ライオネルは、これを見たかったのだ。泣き腫らした今の顔じゃない。
「泣いてばかりじゃ、あいつは一体、あの世でどんな絵を描いたらいいんだ? ……笑うんだマリア。無理にでもいい、あいつのために笑ってやってくれ」
アレンの大きな手が、マリアの頭を撫でる。
マリアは絵を胸に抱きしめ、声を殺して泣いた。
悲しみの涙ではない。決別の涙だった。
――
涙を拭ったマリアが向かったのは、医療区画だった。
そこには、先日生まれたばかりの赤ん坊と母親がいる。
「……入っても、いい?」
「ええ、もちろんよ。マリアちゃん」
母親に促され、マリアはベビーベッドを覗き込んだ。
小さな命は、無防備に眠っている。
あの襲撃の夜、もしマンシーが間に合わなければ。もし自分が諦めていたら。
この温もりは、冷たい骸に変わっていたかもしれない。
ライオネルのように。
(……もう、嫌だ)
マリアは赤ん坊の小さな指に、自分の指をそっと重ねた。
悲しみよりも熱い、マグマのような感情が胸の奥から湧き上がってくる。
守れなかった悔しさ。理不尽に奪われる怒り。
それらが混ざり合い、鋼鉄のような「意志」へと変わっていく。
(二度と、させない。ライオネルみたいな人を、もう絶対に出さない)
(この子を……ここにある全ての命を、わたしが守る)
そのためなら、なんだってやる。
優しいだけの天使はいらない。必要なのは、理不尽な敵をねじ伏せ、家族を守り抜く力だ。
マリアは顔を上げた。
その瞳から、迷いは消えていた。
――
翌朝。
食堂に集まっていたギーグスたちの前に、マリアが現れた。
いつもの作業着を着て、髪をしっかりと結んでいる。
目はまだ少し赤いが、その口元には――ライオネルの絵と同じ、力強い笑顔があった。
「おはよう、みんな! 今日も仕事するよ!」
その声の張り。
全員が、箸を止めて彼女を見た。そして、誰からともなく安堵の息を漏らし、ニカッと笑い返した。
「おう! 遅えぞ寝坊助!」
「今日は忙しいぞ、マンシーも待ってる!」
マリアはアレンの前に立つと、真っ直ぐに彼を見上げた。
「パパ、クラーク博士。お願いがあるの」
「なんだ?」
「もっと教えて。機械のこと、ナノマシンのこと、戦い方のこと。……わたし、もっと強くなりたい」
その瞳に宿る、痛いほどの覚悟を見て、アレンとクラークは顔を見合わせ、力強く頷いた。
「ああ、いいだろう。スパルタで行くぞ」
「アヴァロンの知識、全て君に授けよう」
太陽が昇る。
瓦礫と鉄屑の街に、再び槌音が響き始めた。




