第二十五話 愛はさだめ、さだめは死
「アレックス!」
マリアが身構える。
戦場の混乱を切り裂いて現れたのは、白い衣装と、狂気を宿した瞳を持つ男。
北の覇者、アレックスだ。
対峙していたコロニー軍の指揮官は、眉をひそめた。
(データにない個体だ。だが、この娘との関係は……?)
「名前を憶えていてくれたとは光栄だな、クイーン。ちょうどよくお祭り騒ぎに便乗させてもらったよ」
アレックスはニヤリと笑うと、予備動作なしで踏み込んだ。
ドォン!
「きゃああっ!」
マリアはガードを固めたが、以前とは比較にならない重い蹴りに吹き飛ばされ、瓦礫に叩きつけられた。
グラヴシップからのジャミングの影響で、ナノマシンの出力が低下しているマリアには、今の彼を止める術がない。
「ははは! どうしたんだ? 随分と調子が悪そうじゃないか?」
倒れたマリアの喉元を掴もうと、アレックスが歩み寄る。
だが、その前に白銀の影が立ちはだかった。
「キサマが何者かは知らんが、余計な手出しはするな。あれはこちらの獲物だ」
指揮官がスタンバトンを構える。
アレックスは鬱陶しそうに舌打ちをした。
「あの獲物は、このアレックスものだ。……邪魔すると言うのなら、まずはお前から壊してやるよ」
ヒュンッ!
アレックスの姿がブレた。
薬物強化された筋肉と、死線を潜り抜けた野性的な勘。
強化スーツのセンサーですら捉えきれない変則的な動きで、彼は指揮官を翻弄する。
「速い……ッ!?」
指揮官は必死にバトンを振るうが、アレックスはそれを紙一重で躱し、関節の隙間に打撃を叩き込んでいく。
「人が入っていて人の形をしている以上、可動域は生身と大差ない。……見てくれは御大層だが、中身が伴なっていないね!」
アレックスは余裕の笑みを浮かべ、直線的な機械の動きに対し、蛇のような柔軟さで懐に潜り込んだ。
そして、バトンを振り切った左腕を掴むと、ありえない方向へと一気に力を込めた。
メギョッ!!
嫌な破壊音が響く。
「ぐあああああッ!?」
指揮官の絶叫。
可動域を超える方向に力を加えられ、腕がへし折れたのだ。
実戦経験のない彼にとって、それは人生で初めて味わう「暴力による激痛」だった。
「なんだ、痛いのか? 可哀そうに……痛み止めはいるか?」
アレックスは懐からアンプルを取り出すと、自身の首筋に突き立てた。
脳内麻薬『スノウクラッシュ』
恍惚とした表情を浮かべるその姿に、指揮官の心は完全に折れた。
(勝てない……! この野蛮な獣には勝てない!)
だが、逃げ帰ったところで待っているのは任務失敗による粛清だ。
追い詰められた指揮官の目に、狂気の色が宿る。
(ならば、せめてミッションだけは……!)
プシュゥゥゥゥーーーッ!
スーツの足元からスモークディスチャージャーが作動した。
濃密な白煙が視界を奪う。
自分の手すら見えない白い闇の中、指揮官のヘッドアップディスプレイだけが、マリアのナノマシン反応を捉えていた。
(抵抗されては面倒だ。生かしておく必要はない。必要なのは脳とコアのナノマシンだけだ!)
指揮官の右腕から、高周波ブレードが射出される。
彼は迷いなく、マリアの心臓を目掛けて刃を突き出した。
ドスッ!!
肉を貫く感触。
煙幕が晴れ、荒い息を吐く指揮官の目の前に現れたのは――
「……え?」
呆然とするマリアの姿。
そして、彼女を庇うように立ち、腹部を刃で貫かれた男の背中だった。
「ア……アレックス……?」
マリアは理解できなかった。
なぜ? 彼は私を殺そうとしていたはず。私を狙っていたはず。
それがどうして、私の盾になっているの?
「が、はっ……」
「な、なぜだ……貴様……」
指揮官もまた、驚愕に目を見開いていた。
アレックスは口から血を吐き出しながらも、獰猛に笑った。
「言った……だろ。私の獲物に……手を、出すなと……ッ!」
ゴキィッ!!
アレックスの両手が、指揮官のヘルメットを左右から挟み込み、強引に回転させた。
頚椎がへし折れ、指揮官は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
静寂が戻る。
残ったのは、血まみれのアレックスと、震えるマリアだけ。
アレックスはゆっくりとマリアに向き直り、一歩、また一歩と近づいてくる。
その腹からは大量の血が溢れている。
「止まって! 血が! 手当を……!」
マリアは叫んだ。
自分を襲った敵。けれど、自分を守ってくれた恩人。
矛盾する感情に混乱しながらも、彼女はアレックスを見捨てられなかった。
駆け寄ろうとするマリア。
だが、アレックスの瞳に宿る暗い光を見て、本能的な恐怖が足をすくませる。
アレックスは、苦痛ではなく、愉悦の表情を浮かべていた。
(ああ、いいぞ……その顔だ)
薄れゆく意識の中で、アレックスは歓喜していた。
ただ殺して奪うだけでは、彼女の中で自分は「その他大勢の敵」で終わっていただろう。
だが、こうして命を救い、その身代わりとして死ぬことで――
(私は、お前の中に一生消えない『疵』を残せる)
(その穢れなき美しい白を、俺のどす黒い血で汚してやったのだ……!)
それは、歪みきった所有欲の成就。
最強の天使に、決して忘れられないトラウマを刻み込むことこそが、彼にとっての勝利だった。
「……はは」
満足げな笑みを浮かべたまま、アレックスはどさりとうつ伏せに倒れると、何度か痙攣し、やがて動かなった。




