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止められた理由

「これは本日の勇者であるアレン卿。私の妃と何を話されていたのですか?」


 穏やかな声音が耳に飛び込んできたので弾かれたようにそちらを向くと、優美な微笑を浮かべたエセルバートがヒューを従えて戻ってきていた。

 その佇まいは、まさしく理想の貴公子とされる姿そのままで。

 いつもの素を知っているシャノンにとって色々と思うところのある姿は、今日は何故かうすら寒さを感じさせた。

 何故か、無意識のうちに身震いしてしまった。幸いにしてエセルバートもロバートも気付いていないが。

 ロバートは現れた第二王子に丁重なる礼をとると、問われた言葉に対して口を開く。


「ええ。妃殿下が女性ながらに本を好まれることについてお話をしていただけです」


 そうきたか、とシャノンは沈黙したまま心に呟いた。

 エセルバートにシャノンが女性としては眉を顰められる趣味を有しているのだ、と告げ口するつもりだったのだろう。

 夫に顔を顰めさせ、シャノンの立場を無くすために。

 実にせせこましい意図を感じて、心の中でまたも盛大に溜息を吐いてしまう。

 期待を裏切って悪いが、それは無駄である。

 何故なら。


「そんなこと、今更貴殿に教えてもらわずとも知っています」

「は……?」


 それを踏まえてシャノンの為に蒼玉宮内に図書室を設けた、とエセルバートは笑みを絶やさぬまま告げる。

 ロバートはエセルの言葉を聞いて、信じられないという様子で絶句している。

 そんなロバートを見つめながら、エセルは朗らかに続けた。


「登城するとまっさきに大書院に駆けて行っていたことも。大書院で一番年若い常連だったことも。読書を始めると没頭して時間を忘れる本の虫であることも、知っていますよ」


 淀みなく流れるように紡がれる言葉に、聞いているロバートは言葉を挟むこともできずに狼狽えている。

 沈黙せざるを得ないままなのは、シャノンも同様だった。

 だが、シャノンは紡がれ続ける言葉を聞いているうちに、漸く先程感じた寒さの理由に気付いた。

 笑顔のエセルは――目が笑っていない。

 二人が蒼褪めつつあることに気付いているのかいないのか。

 エセルバートは飛び切り明るく輝くような笑みを浮かべながら、無邪気とも言える明るい口調で言い放ったのだ。


「書物を好むから何だというのでしょう? 伴侶たる女性が読書を好むなら、女の癖に賢しいと相手を貶めるよりも、その知の足元にも敵わぬ自分を恥じ己を磨くべきでは?」


 清々しい口調で紡がれた言葉に、ロバートは呻き声しかあげることができずにいるし、シャノンの顔から血の気が引く。

 ああ、と心に呻くシャノンは確信した。

 エセルバートは、先程までのロバートの言葉をしっかり聞いていたのだ。

 怒っている、と肌で感じる。

 思わず背筋に冷たいものが伝うほどに、エセルバートは現在貴公子の笑顔を仮面として被りながら怒りに燃えている。

 どうされました? と白々しいまで明るくロバートに問いかけていたエセルバートは、不意に思いついたといったように頷いた。


「大会の優勝者たる貴殿に、一戦申し込みたいのですが」


 聞いていた二人は、揃って目を見張った。

 何を言いたいのか、と呆然とした表情のシャノンとロバートに向けるエセルの笑みが崩れることはない。

 漸く言われたことを理解したロバートが、一つ咳払いしたのちに笑みを貼り付けて口を開いた。


「殿下は、国王陛下や側妃様に公の場にて剣を持つ事を避けるように、と言われていらっしゃるのでは……?」


 それを聞いたシャノンの表情が、明確に歪む。

 ロバートはエセルに対して、試合に出ることすら止められるような実力で自分に挑むのか、と明らかに侮っている。

 この段階でもはや不敬と咎めてもいい気はするが、エセルバートは微笑みながら続けた。


「貴殿程の実力者であれば、嗜み程度の相手など軽くいなせるでしょう。何、軽い宴の余興とでも思って」


 自分に勝利できたら名のある美術品を賞品としてさしあげる、と言い添えられてロバートは暫し考え込んでいた。

 提示されたものが、知らぬものはないという程に高名な画家による絵画だったからだ。

 蒼玉宮に収蔵された美術品の中でも、上から片手の指で足るほどの順位で価値があるものだ。

 シャノンは躊躇いを滲ませてエセルバートを、そして付き従うヒューを見る。

 いかに文武に長けていると聞こえ高くても、相手は御前試合で圧倒的な強さを見せつけた相手である。

 分の悪い勝負となるだろう。それに蒼玉宮の財産ともいえる品を代償とするなど。

 シャノンは止めようとしたが言葉が出てこない。代わりに、必死に訴える眼差しをエセルに向ける。

 だがしかし、エセルバートは微笑みを浮かべたまま。

 そしてヒューは、全く動揺した様子がなく、平静さを保ったまま控えている。

 やがてロバートがしかたありませんね、と渋々と言った様子で承知すると、エセルバートはヒューに命じて即席とはいえ勝負の場を整えさせる。

 居並ぶ人々は俄かにおきた騒ぎに、何事かと興味津々といった様子だ。

 やがて二人は刃先を潰した模擬用の刃を手に、相対して立つ。

 最前列にて二人を見守る位置に立つシャノンは、傍らにいるヒューに小声で問いかける


「どうして止めないの……?」

「止めるまでもないと思ったので」


 視線は向かい合い剣を構える二人に据えたまま。

 中々に隙のない構えのエセルと、余裕すら感じさせる貫禄ある佇まいのロバート。

 返ってきた淡々とした言葉に苛立ったように、シャノンは再び詰問する。


「国王陛下達には、剣を持つなと言われているのでしょう?」


 国王と側妃が敢えてそれを口にするということは、エセルバートが戦う上で何か問題があるからだ。

 そんな状態で、武術において最も秀でていると証明したに等しい御前試合の勝者と対戦させるなど。

 唇を噛みしめて蒼褪めるシャノンに向かって、ヒューはひとつ溜息をついた。

 そして紡いだ言葉は、とても意外なものだった。


「ええ。……大人げない結果になるから、と」

「え……?」


 それはどういうこと、とシャノンが問いかけようとした瞬間だった。

 シャノンの目の前で、信じられない光景が展開された。

 甲高い音を立てて、視界を鋼の輝きが宙を舞う。

 シャノンは、最初何が起きたのかを全く理解出来なかった。

 それまで抱いていた懸念を覆すような出来事が起きていたのだ。

 更にいえば、ヒューに向けた問いの応えとも言える出来事でもあった。


 ――エセルバートが、ただの一撃で相手の剣を弾き飛ばしたのである。


 エセルバートが一歩踏み出した、と思った次の瞬間に勝負は決していた。

 呆然としていた皆が我に返った時には、エセルバートの剣がロバートの喉元に突きつけられていた。

 目を見開いたまま凍り付き言葉を失っているシャノンに、ヒューが冷静に説明してくれた。

 エセルバートの母である側妃の実家は武門貴族である。

 文官貴族より低くみられがちな武門でありながら、婚姻によってではなく自らの武勲により公爵家まで上り詰めた家門なのだと。

 公爵家の人間は一人の例外もなく武に長けている。そして、エセルバートは母からその血を引いている。

 天性の資質を受け継いでいる彼は、幼い頃から目覚ましい剣の才を見せつけたという――修練相手の騎士たちが、呆然として自信を失う程に。


「相手の矜持をへし折るような真似はやめろ、と陛下と側妃様に苦言を呈されてから。大会や公の場で剣を振るうことは止められていたのです」


 武術に長けているのはいいが、公の場で力を見せつければ禍根を生む事にもなりかねない。それを懸念した母である側妃様の意向で、エセルバートは御前試合などの公に武術を競う場は控えるようになったのだという。

 確かに、一撃で勝負を付けられたロバートは未だに茫然と目を見開いている。

 まだ現実を受け入れられていないのかもしれない。

 自分が侮っていた相手に、たったの一撃で負けたという動かぬ事実を。

 理解したならば、武人としての矜持は綺麗にへし折れるだろう。

 居並ぶ人々もまた、思わぬ展開に呆然として言葉も出ない様子だ。

 静まりかえり痛い程の沈黙が満ちる中、エセルバートはシャノンのもとに歩み寄ると、貴婦人に礼をとる騎士のように跪いた。


「この勝利を、我が妃シャノンに」


 エセルバートが告げた瞬間、人々から徐々に手を打つ音が聞こえ始め、やがては割れんばかりの拍手となる。

 喝采の中、エセルバートはシャノンを伴い静かに歩き出す。

 恥じらいに頬を染めながらどうして良いか分からないでいたシャノンは、差し出された腕にそっと手を回して共に歩き出す。

 ただ、嬉しかったのだ。

 エセルバートが自分の為に戦ってくれたということが。自分が暴言で傷つけられたことを怒ってくれたということが、胸が満ちて苦しい程に嬉しかった。

 何か言葉をと思うけれど、言葉が紡げない。

 二人は、呆然自失のロバートの前を通り過ぎかけた。

 ロバートの前で、シャノンはふと足を止めた。

 心が揺れ動き流されかけていたが、これだけは言っておきたいと思ったのだ。

 何か感じ取ってくれたのか、エセルバートは何も言わずにシャノンを見守っている。


「ごきげんよう。もう二度とお目にかかることはないでしょう」


 馬鹿丁寧な程の礼をとりながら、シャノンは淡々とした声音で別離の意思を告げた。

 親が決めた婚約ではあったが、一時は将来の伴侶と思った相手だった。

 未練は全くない。あるとすれば、自分の意思で終わらせられなかったことだ。

 そして、その後悔も今この時をもって終了した。


「シャ、シャノ……」

「私の妃の名を、気安く呼ばないで頂けますか?」


 呻くようにシャノンの名を呼びかけたロバートを、エセルバートがにこやかに制する。

 もうお前には名を呼ぶ権利すらないのだ、そう言いたげな光が蒼い瞳には宿っていた。

 息をすることすら許さぬような、怜悧な威圧を込めた眼差しに、今度こそロバートは言葉を完全に失い、呆然と立ち尽くす。

 そんな過去の象徴に背を向けて、シャノンは静かに夫である人共にその場を後にした。




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