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18.抱擁





 後日、アイリスと顔を合わせた時は気まずかった。


 僕は絶対何か言われると身構えていたが、大きな青い目を伏せて、詰問するといったことはされなかった。


 過去を詮索しないというルートレイの暗黙の了解があるからか。


 心のどこかで、アイリスに聞いて欲しかったと思っている自分がいた。話せば彼女はきっと受け止めてくれて、真剣に悩んでくれる。


 だがそれは独り善がりの自己満足にすぎない。


 ましてや自分から喋るような内容でもない。きっと、このまま自分で処理するのが最適解だ。


 最近ようやく駆け出しにしては上々な農具が出来てきていたが、今日は腕が思うように動いてくれない。三度失敗が続き、これじゃあダメだと外の空気を吸いに出た。


「アイリスにも知られたくない過去とかあるのかな」


 彼女とて人間だ。そういった過去のそれこそ一つや二つや三つや四つはあるだろう。


 あれだけ快活で花のようで老若男女に好かれている彼女が人には言えないような過去を背負っているとしたら、きっと僕では受け止め切れそうにないな。


 いかんいかん。弱気になりすぎている。


 何か心に鉛のようなものがあって、沈んでいる。


 これはよくないな。


 ただ、悲しいことに僕はこういう時にどうリラックスしたらいいのかわからない。

王都で修行していた頃に出来た友人にはいつも固すぎると言われていた。こういうことか。


「ラインさん、ちょっと付き合ってくれませんか?」


 断る理由なんかあるはずもなく、アイリスに付き合う。アイリスといれば気も紛れることだし。






 ちょっとそのへんに行くのかと思いきや、結構な距離を歩いた気がする。なだらかな丘陵を行き、湿度の


 高くひんやりとした洞窟に行き着き、アイリスはどんどんさきに進んだ。


「ここって危なくないの?」


 声が思いのほか反響した。


「たぶん大丈夫ですよ」


 慣れているのか、アイリスは辛うじて通れる狭い道や足を滑らせたら岩の間にはまって身動きが取れなくなるようなところでも、軽やかにステップを踏むように先に行く。


 かなり暗く、わずかに陽光が漏れるように差すばかり。


 滴る水が岩肌を抉り、受け皿のようになっている。


 最奥に到着した。そこから先は池で、アイリスは潜ればもっと先も行けると言っていた。

その言葉はあんまり耳に入らなかった。


 天蓋は一ヶ所だけ割られたように大きく露出し、空が臨める。そこから光の柱が立ち、水面を貫く。空中の水分に乱反射し、幻想的に輝いていた。


「どうです?」


 アイリスがこの風景を見たまま僕に問いかける。


「言葉が出ないよ」


 チラと横目でアイリスを見た。反射した白光が彼女の神を神々しく染め、燐光を纏ったような儚げは姿に目を奪われた。


 僕は無意識的に、気がついたらアイリスに抱きついていた。


 アイリスは驚きのあまり目をぱちくりさせ、僕も同様の反応をする。


 事象の処理にたっぷり時間を要して、アイリスから離れた。


「ごっ、ごめん!」


 やや声が裏返った。めっちゃ動揺している。


 アイリスの透き通るような白い頬がこの暗がりでもわかるほど赤くなり、口の開閉を繰り返す。


「なんか体が勝手に!?」


 音が消え、時が止まる。


「えいっ」


 動き出したと思いきや、今度はアイリスが僕に抱きついてきた。


「え、えっ……?」


「仕返しです!」


 と言いつつ明らかに恥ずかしがっていた。照れ隠しなのか頭を僕の背に押し付けてくる。


 理性と思考が仕事を放棄しそうだ。踏ん張れ!


「ラインさん、昨日から元気がなかったので、こうしたいのかなって」


 そんなに心配されるくらいだったのか……。


「うん、でももう大丈夫。アイリスのおかげで」


 アイリスは僕の背から離れ、赤い顔を伏せたまま胸をなでおろした。


「それに、ここもすごいしね」


「はい!ここは私のお気に入りなんです。気分が悪く落ち込んだ時なんかはいつも来るんです。だからラインさんにも見せてあげたくって」


 その健気さにもういちど抱き締めたくなったがすんでのところで踏みとどまる。


「ありがとう」


 そして僕はすっかり晴れ晴れとした気持ちになっていた。





 帰途、僕は意を決してアイリスに問うてみた。


「アイリスにも詮索されたくないことってあったりするの?」


 そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったのか、面食らった様子。


「んー、ありますよ。乙女には秘密があるものです」


 なんだか上手くはぐらかされた。


「いつか、きっと言うよ」


 この言葉はアイリスに聞こえていたのだろうか。


 いつか、もっとちゃんと心の整理がついたら、言おう。



 僕は元勇者なんだ、と。






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