13.王様
フィフィライタ王国の首都ザーヤインの中央に聳えるようにして建つ王宮では要職に就いている者や軍上層部、貴族、そして国のトップである王も加えての会議が開かれていた。
「――以上で報告を終えさせていただきます」
軍関係者の男が書類を片手に報告をしていた。
その内容に、会議に参加している人々が激昂してテーブルを叩き、ワインの注がれたグラスを投げ付けた。
「馬鹿な! 兜率天のジェミラルニルナルに敗れただと!?」
「勇者ラインハルトの離脱に続き、なんたる失態!」
「このままでは魔王軍が図に乗って攻勢を強めるのではないか!?」
「我が軍の士気にも関わる!」
まとまりなく、各々が怒号を飛ばす。
縦に長いテーブルの最奥に座る権力の体現を身に纏う幅広の人物。彼こそがフィフィライタ王国の国王、
ヴィダイ・ザサ・フィフィライタである。
「鎮まれ」
威圧感のない声色であったが、場から一瞬にして音が消え去る。
「此度召集したのは今後の対応と対策を考えるためである。ニュスク」
ヴィダイ王は右隣に座っている怜悧な顔をした男に話を投げる。
ニュスク・ワーホンは伯爵の爵位を頂く貴族であり、フィフィライタ王国の宰相だ。
「はい。大まかな対策としては、兜率天のジェミラルニルナルを再戦にて討ち果たすか、新たに勇者パーティーを祭り上げるといったものが妥当でしょう」
「あるいは本格的に魔国へと進軍するか」
宰相の言葉に被せてきたのは王国軍の実質的な最高権力者、ギャセーズ・ゴルキン将軍。
「それができれば既にやっているでしょう、将軍」
ギャセーズをたしなめるように言ったのは王の御前であるにもかかわらず頬杖をつき、欠伸をする覇気の欠片もない輩。ギャセーズはその人を鋭い眼光で睨むが、意に介さない様子で飄然としている。
彼はヴィダイ王の実弟、ヴィクタ・フィフィライタ。ヴィクタは文官として類稀な才能を有しており、先代国王がヴィクタこそが次期国王に相応しいと度々漏らしていたほどだった。しかし、現実に彼は王座に座らず、兄ヴィダイの補佐をやっている。
周囲の人間からは民衆も含めてヴィクタこそが王になるべきだとの声がしばしば上がるが、如何せん本人がこの調子なので現国王がよほどの失態を犯さない限りは変わらないだろうと思われていた。
よほどの失態を犯さない限りは――まさに今回の勇者パーティーの大敗がこれに該当し得るわけだが。
「魔国進軍に本腰を入れれば、国の防御が手薄になる。その隙に他国から攻められたらどうするおつもりで?」
「今は人間同士で争っている場合ではなかろう」
「それは将軍の言う通りなんだけどね。そう思わない連中もいるってことよ。魔族と同じくらい悪魔的な人間っていうのも」
ヴィクタは人々を上手く扱う王に必要な能力を備えている。
「フィフィライタの利益のみを追及するなら防衛に徹するべきだが、それだと魔王を討ち取った時に蜜を啜れなくなる」
「我が国から勇者と高ランク冒険者ティナ・フィングを送り出したが、まさにその二人が戦闘不能ときた。専守防衛するべきじゃないか、ヴィクタ?」
ヴィダイ王は弟に助けを求める。
「とりあえずはどんな些細なことでもいい。情報が必要だ。情報さえあればあとはどうとでもなる。そういう感じで頼んだよ」
ヴィクタは王以外のすべての出席者に発言する。ヴィダイ王だけは知らないかもしれないが、こういう場においてヴィクタの発言は国王以上の強制力を持っている。ヴィクタに少しでも王になりたいという気があればとうになっているだろう。
ヴィクタの目が何を見ているのか、それを知る者はいない……。
§
一方、フィフィライタ王国やその他周辺諸国と対魔国ユステナス同盟の盟主、大国リッテイ王国では。
精緻な装飾が無数に施された荘厳な宮殿の一室、クウムの間ではフィフィライタ同様に緊急会議が行われていた。
リッテイ国王、宰相、王国軍元帥、大臣、そして万一の場合のための近衛兵たち。
「勇者が戦線から離脱してから間もなく魔王軍最高幹部六欲天の一角、第四天が兜率天のジェミラルニルナルに大敗を喫し、我が国が送り込んだ若くしてリッテイ魔術協会の最高術士に上り詰めたハーネス・リブラが戦傷により後日死亡。残された面々は荒野の民の集落に敗走したのち、アカリレ教大神官ティルフィ・セイキットが行方知れずとなる。さらには最も深い怪我を負ったここユステナスに五十人といないA級冒険者テナ・フィングはもはやその道から引退せざるを得ず、まさしく惨憺たる有り様」
「かのパーティーに残された戦力はケヤソーム皇国の城壁と称される騎士ドゥーン・アスケイクと、ユステナス闘技大祭で一切の武装をせずして前人未到の七連覇を成し遂げたアドン・バースの二名、と」
二人の大臣が上がってきた報告を読み上げ、元帥は唸る。宰相の眉間にもシワが寄っている。
王は泰然自若としていた。
リッテイ王国五十八代国王、フリートリヒ・オース・リュイクスネス・オリア・リッテイ。
王位継承から二年目でありながら賢王と呼ばれる初代、四代、十九代、三十五代国王と比較しても遜色ないほどの傑物。
そして先見の明を持つだけでなく、その慈悲深い性格と高潔な理想を実現するだけの能力を兼ね備えており、民からの支持も厚い。
加えてフリートリヒの子息も優秀であり、国の未来は明るいと国民の顔に影はない。
「ホネスト右大臣、ハーフォイ左大臣、第一天と第二天は多少の―いや、第二天との戦闘において勇者が離脱したか。だとしても報告によれば実質勇者抜きで第二天も討ったという。ならばこれはどういうことだ?」
痩せすぎなホネスト右大臣と太りすぎなハーフォイ左大臣は互いに顔を見合わせ、申し訳なさそうに目を伏せた。
「どういう、とはどのような意味でしょう? 私どもでは考えが至らず」
「なに、単純な話だ。第一天及び第二天と第四天には隔絶した差があったのかということだ。明らかにバランスがおかしい」
「それを言うなら、第三天が出張ってこなかったのも気がかりですね。魔王が同盟の勇者部隊を本格的に潰しにきたのでしょうか」
嫌な顔一つしないフリートリヒの言葉に、さらなる疑問を呈する宰相。
「とするならば、我々はしてやられたわけですな」
苦虫を噛み潰したような元帥。
「もしも第二天と第四天との間に尋常ならざる実力差があるというのなら、もはや第六天、そしてそれらを統べる魔王には勝つ術がないということになる。無論、純粋に戦力だけで結論付けるならば、だがな」
「あるいは勇者が抜けたことに原因が?」
「そう、まさにそれだ、デュシプシオ」
フリートリヒと同じくらいの年頃と思われる若い宰相が進言し、フリートリヒが声を大きくする。
「<勇者>スキルがたとえば魔族を弱体化させる効力を持っていたとしたらおかしな点は何もない。しかし、史実やスキル図鑑にはそのような記載はない」
ちなみにスキル図鑑とは、アーガインの十三人の弟子の一人、オックス・ラトが作り上げた図鑑で、この世に存在するスキルの実に九十四%を網羅しているという。
「これを受けて魔王軍は確実に攻勢を強めるだろう。応急処置として全国的に防御を固めてくれ、コーピッド元帥」
「御意に」
白髪に蓄えられたヒゲという、見た目だけでいえばフリートリヒより王様のようなリッテイ王国軍元帥コーピッドは敬礼。
御歳七十四歳という高齢だが元帥でい続けるのは、彼の卓越した指揮能力にある。
先代国王時代からおよそ九年もの長い年月を元帥として過ごし、その間に起こった戦争では何度かは敗走したものの全体的に見れば勝ち続けている。数度の敗走は大局を見据えてのものであった。
「僕はマクリリム公国に行く」
マクリリム公国。その言葉に場がざわつく。近衛兵たちですら目が見開くほどだ。
およそ三百年前、魔王を討伐し凱旋した大賢者アーガイン・マクリリム公は祝いの宴にも出席せず、早々に自身の家に戻るやリッテイ王国からの独立を家族に突然唱え出し、反対した両親を殺害。家督を奪い、さらには周辺の貴族にも同様の話を持ちかけ、反対した者は皆不審死を遂げた。その後すぐに混乱する民衆や貴族の私兵を扇動し、統一戦争を勃発。魔王を倒した英雄が旗印としてある彼らを止めること叶わず、マクリリム公国の独立を認めた。
このことは世間には知られていない。魔王を討伐したことで活気が取り戻されようとしていた時分のことであったし、この統一戦争がわずか三日で終わったことで隠蔽された。一般には褒賞として独立したとされている。
マクリリム公国は絶対不干渉を掲げており、歴史からはそれ以降姿を消している。
大賢者アーガインの凶行を知るものはそれゆえに、マクリリム公国を禁忌としている。このことを国王であるフリートリヒが知らぬはずはない。
「僕は幼少の頃、アーガインに一度会っている」
「は!?」
デュシプシオが口を阿呆のように開ける。
「大賢者アーガインはまだ生きているし、狂人でもない。アーガインの凶行などというものが当時の政府の無能さを隠すために体良く作られたものなのではないかと疑いにかかるほどに聡明な、噂に違わぬ賢人だった」
だから心配はいらない、とフリートリヒ。
「近衛は連れるから気にするな」
「当然だ! いや、そうではなく!」
最近は大人しいと思ったらこれかとデュシプシオは頭を抱えた。
大臣二人は苦笑いをしながら溜息を吐く。
「しかしこのような時勢に王自ら他国へ赴くとなると……」
「代理を立てるべきですね」
「アーガインに会ったことがあるのは僕だけなのだが?」
「手紙を持たせればいいでしょう。何があろうと今は国外に出てはいけません」
「チッ」
「今舌打ちしたな!?」
フリートリヒとデュシプシオは幼馴染。主従の関係だが、キレやすいデュシプシオはしばしば口調が乱れる。
右大臣と左大臣は片付けを始め、元帥は早速仕事に取りかかるべく退席した。
フリートリヒはデュシプシオに説教をされるもまったく聞いておらず、そのことについてさらに説教。
各国は静かに動き始める。




