10.万事屋
二日酔いがひどいけど、不思議と気分は悪くない。
僕らは竜の嘴亭で一夜を過ごし、日が出てきてから目覚めた。陽光を浴びての起床は気持ちよかったが、もう少し寝させてくれてもいいのにと恨めしく思いながらも手を組んで背伸びをした。
「おはようございます、ラインさん」
こんなところにも太陽が、なんて似合わないキザったい言葉が思い浮かんだのは二日酔いのせいだと思いたかった。
掃除をしたまま眠ったためかなり汚れていたし汗もかいていたので、アイリスは水浴びをして着替えてきますと言って店を後にした。
ルートレイは近場に川があり、それをここに最初に移住してきたルートレイ第一世代の人々が水路を引いたので結構色々なところに水がある。
これを道具だけでやったならもはや神業の領域だが、当時土系の魔術が得意なものが数人いたそうで、彼らの働きの賜物だそうだ。
流れる水も綺麗で、お酒や料理が美味しいのはまさにこの土台があってこそだろう。
僕はズーエルを置いてパラセリに感謝の言葉と代金を渡して帰宅する。
気持ちはたしかに清々しかったが、足取りはふらふらだった。
家の表面はボロボロで蔦も絡み、二階には横から伸びた木の枝が突き抜けているが、中は見違えたようだった。ただし一階だけ。
さすがに腐った床の交換などはキャパオーバーだったので、そういった部分は処分するために外して庭に集めておいた。
だから廊下はちょいちょい罠みたいに穴があるが、ここの修復は酔いが覚めてからしよう。
僕も水を浴びて着替えたいなと思った。
けれど、今すぐできないことを悟った。そう、着替えがないのだ。買わなければ!
せめて顔くらいは洗おうと、ここから二分もしないところにある用水路に向かった。
用水路には意外と多くの人がいた。そして近場だけでも案外多くに枝分かれしていた。
洗濯している人や野菜を洗う人、水遊びをする子どもに水を汲む人。
みんな僕を見かけたらまだ初対面の人も多くいるのに快活に挨拶をしてくれた。挨拶を返したが、噛んだり呂律が回らなかったりしていないか心配だ。
誰もいないところでゆっくりしながら顔を洗おうと思い、そのまま何故か十分も歩いた。まだ全然酔ってるみたい。思考能力が低下している。
人気のない用水路の脇に下り、草に覆われた地面に手と腰をついた。
こんなにのんびりしていて罰は当たらないんだろうか、なんて思っちゃうあたり、まだいまひとつ勇者パーティー時代の感覚が抜けていない。ルートレイに初めて訪れてから五日目だ。
「むしろ五日でこれならすぐかな」
あっという間にルートレイに染まってそうだ。
爽やかな風を浴びて日光浴をして、一息吐いてから水を掬って顔に打ち付ける。冷たくて気持ちいい。髪や服が濡れるのも厭わず十回くらいやっていたら、案の定びちゃびちゃになった。
「タオルをどうぞ」
「ああ、ありがとう」
当然のように受け取り、タオルで水分を拭き取る。
「…………失礼ですがどちら様で?」
全然知らない人だった。家事の途中といった格好の二十後半あたりの気の強そうな婦人。
「あら、ごめんなさいね。ウチはコセート。昨日竜の嘴亭で飲んだくれてたファーチェの妻よ」
なんと!? いかにも尻に敷かれてそうな……。
「尻に敷いてるって思ったでしょ?その通りよ」
ふふ、と見透かしたように言う。
「タオルありがとうございます。ラインです。最近越してきました。タオルは洗って返しますね」
「ああ、返さなくていいわよ。ほとんど手ぶらで来たって小耳に挟んだからきっとタオルもないと思ってね」
本当に鋭い。もしかして心を読まれているのでは!?
「ウチって昔から勘がいいんだよ」
酔いが覚めた。
昨日酒を飲みながらファーチェはああいう女がいいだのと語っていたが、浮気しようと思っただけで諌められそうだ。もっとも、あんな話をしていたが最後は惚気けていたので存外愛妻家なのだろう。
「あ、やっと見つけました!おーい、ラインさーん!」
斜め上あたりから澄み渡った呼び声がかかる。
淡い金髪に青い瞳。そしてどこか幼さを残したかんばせに蠱惑的な身体。それを包む上等なドレス風の衣服。
「女を待たせるんじゃないよ!」
どんと背中を押され、よろよろとたたらを踏む。
「まったく、アイリスを悲しませたら承知しないからね!」
コセートは強い口調とは裏腹に、温かい目をしていた。
僕は今一度タオルでのお礼を言い、アイリスのもとへ走る。
衣服が売っているお店を案内してもらおう。
「お父さんの服があるので差し上げます!」
「でも悪いし、普通にここにあるお店も見てみたいから案内してほしいな。大丈夫?」
「そういうことなら任せてください!」
胸を叩く。視線が吸い込まれそうになるのを抑え、足元に目を逸らした。
「なら万事屋ですね!」
獣人の双子たちや寺子屋のあった建物がルートレイで一番密集している場所にある。
服以外に鍛冶道具もあれば嬉しいし、あとはベッドなんかも欲しい。家には使える家具がほぼないので揃えるのに苦労しそうだ。
僕はアイリスに連れられて、平屋の建物の前に着いた。看板はどこにもないし、本当にここはお店なのだろうか。
逡巡していると、アイリスは何食わぬ顔で入店。僕も後を追う。
ひとたび入ると空気が変わった。僕は思わず腰を落とし、アイリスを守れるよう体勢を作る。
「ほう、かなりのやり手だな」
奥からニタニタと胡散臭い笑みを湛えた長髪の男が歩いて来た。ゆったりした服を着て、おまけに裸足だが、ただものではない。
尋常ならざるプレッシャー。
「驚かせて悪かったな。そこの椅子にでも座っていてくれ。酒でも飲もうや」
ふっとプレッシャーが嘘のようになくなり、長髪の男は手をひらひらとさせながら奥に消えていった。
「……今のは?」
「あの人が万事屋のラウザントさんです」
体から緊張が抜け、促されたままに座る。
アイリスは何も感じていないようだし気のせいなのか?
なんて考えていたら、さっきの人がコップを三つ持って戻ってきた。
「ほれ」
一つをアイリスに渡し、もう一つを僕に寄越す。
「ありがとうございます!」
「……どうも」
釈然としない。
ラウザントはどこかからもう一脚椅子を出し、僕らの前に置いて座った。
「さて、自己紹介からしようか。オレは万事屋をやっているラウザント・フェツナームだ」
「ラインです」
「鍛冶師なんだってな! いやあ、七年前からいなくなっちまったから助かるぜ」
「あの家の前の持ち主ですか?」
「なかなか肝が座ってるじゃねえか。いいねえ。久々の上ものだなあおい」
機嫌よさげにコップの酒を景気よく飲み干した。僕の質問は無視だった。
「悪い悪い。気が乗ってな。で、何を買いに来たんだ?」
会話が噛み合わない。噛み合せる気がないのかも。
「ラインさん、服をこれしか持っていなくて」
いつの間にかアイリスもコップの中身を飲み切っていた。
「ここにゃ布はあっても服はねえぞ?」
「あれ、そうでしたっけ?」
「もう作るのが面倒になってな。布さえありゃあとはなんとかなるだろ」
豪快な人物、と好意的に言えばなる。
「だいたいなあ、ここに引っ越してきたってんなら色々貰えば済むだろ?」
「ラインさんがお店を見てみたいって言うので」
「別に見ても面白くねえぞ? 基本ガラクタだしな」
味のある店内はどちらかというと骨董品店という趣きだ。たしかに色々あるといえばあるが、品揃えは絶妙に悪い。種類自体はかなり多くあるのだが。
「まあなんだ、わざわざ来てくれたんだ。なんか祝いのものをあげねえわけにもいかないしな」
待ってな、と残して何かを探しに行った。
「マイペースだなあ」
「ラウザントさんは特にですね」
パラセリもかなりだったが、突っ込む元気はなかった。
受け取ったお酒をちびちび飲んでいたらラウザントが随分な荷物を抱えてまた来た。
「いやあ、すっかり忘れてた。さっき言ってた前の鍛冶師が遺した道具が大量にあってな。ルートレイに鍛冶師が来たらくれてやれってオレに預けてたのを」
ドサッと僕の目の前に置かれる。
「それはおまけだ。本命はこっち」
布に包まれたものを差し出してきた。
包みを外し、息を呑む。
「鍛冶用の槌。聞いた話だと四百年前にドワーフの名工が未来の鍛冶師のために拵えたオリハルク十三宝具の一つ、九の槌」
僕は駆け出しもいいところの鍛冶師もどきだが、この槌のすごさは僕にもわかる。ほんとうに四百年前のものなのか?
重心の位置も完璧すぎて逆に違和感を覚えるほどだ。柄を握るとまるで僕のために作られたかと錯覚さるくらいしっくりくる。
「気に入ってくれたみてえで何よりだ。オレが持ってても宝の持ち腐れにしかならねえ。存分に活用してくれ」
「こんなものを本当に貰っても……?」
声が震えた。無理もない。
「オレは自分の目を信用している。それを使って業物を作り出すのを期待しているぞ」
そうは言っても初対面の人間にこんなものを渡すなんて正気とは思えない。
「まあ気にすんなって。帰った帰った。今日は閉店だ」
反論する間もなく大量の道具と名槌ごと僕とアイリスを追い出し、店の扉に鍵をかけた。鮮やかな手際だった。
嬉しいは嬉しいけど浮かない顔で僕はアイリスにお願いして槌だけは運んでもらった。
彼女には手伝ってもらってばかりだ。近いうちに恩返ししないとな。
結局服はまだ少し先になりそうだった。
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