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その50:少女待機中 下(鬼娘side)

それから私は考えることをやめた。


ひたすら受動的に、仕事と言う名の暗殺も淡々とこなしていった。何人殺したかは覚えていない。どうでもいいことだ。


ある日から待遇が激変した。量は少ないが、食べ物が1日3食出てくるようになった。食べろと言われたので食べる事にする。


制限はあるけれど昔のように外を歩くことも許された。どうでも良かったが、外を歩いてこいと言われたのでそうする。


薬物投与も拷問のような訓練も依然としてなくなりはしないけれど、それはもう私にとっては"当たり前"だ。恐怖も苦痛も慣れてしまえば、後は諦めと虚無感に置き換わる。


地下の路地と階段を幾度となく曲がり、登り、いつしか忘れて久しい昼間の光を見た。視界が一瞬真っ白になり、目が痛い。


徐々に慣れてきて、はるか頭上を見上げると、一面の青、蒼、碧。


感動は無かった…嬉しくも、悲しくも、寂しくもなかった。ただただ無感動な自分だけがあった。そして気付いてしまった…あの陰気でこの世の地獄のような場所のほうが居心地がいいことを。


笑いながら走り回る子供も、談笑しながら買い物をしている夫婦も、全てが憎悪の対象としか映らない。陽の感情は失われたのに、負の感情だけが膨らんでいく。


目の前が赤く染まっていく錯覚に囚われそうになり、頭を冷やそうと近くにあった長椅子に腰を落とす。


地面は乾いているのか、少しのそよ風でも砂ぼこりを風に乗せてどこかへ飛ばす。自分もあんな風にどこかへ…何てらしくないことを考えてしまう。


ふと地面にシミができた。一瞬自分の涙か?と頭に浮かんだ考えをすぐにありえないと切り捨てる。涙なんて最後にいつ流したかさえ覚えてないほど昔の感情現象だ。


ーー嗚呼、雨か。


その事に気付いた頃には、全身がびしょ濡れになっていて、角と顔を隠すのに着ていたフード付きのマントが水を吸ってずっしりと重みを増す。体に張り付くような布の感触が気持ち悪い。


鉛色の空を見上げると、途切れることなく雨が降り注いでいる。先ほどまでの空よりかは居心地がいい。


「…帰ろ」


口から漏れた言葉は、今の空よりも湿っていて暗いものだった。





◇ ■ ◇ ■



今回はいつもと何もかもが違った。


徹底された用意周到な奇襲、標的一人に対して大袈裟とも言える人数。どうやったら失敗するのか思い付かないほどの過剰戦力。


にも関わらず任務は失敗した。


抱き抱えていた少女を放り投げたと思った刹那、標的は消えていた。そして何事もなかったかのように再び元の場所に現れた。腕に放り投げたはずの()()()()()の少女を抱き抱えながら。


私はいつぶりかもわからない恐怖を思い出した…我々はもしかしたら得体の知れない化け物に手を出してしまったのではないか?


このままでは私も安全ではない。迅速に離脱して事の経緯を報告しなければ…その時だ、


「…えっ」


何か音がした記憶を最後に私は意識を失った。


目が覚めたらそこは今まで見たこともないような巨大な空間で、捕まったはずの自分は一切の拘束をされていなかった。それどころか、この場所に連れてきたであろう標的(ターゲット)は、自分を片手で抱き寄せて幸せそうな顔を無防備にさらして隣で寝ているではないか。わけがわからん。


しかしこれだけは断言できる…この標的は異常だ。


心臓を破壊されて生きている時点で、大概生物を止めている。しかも、戦闘能力の高さも去ることながら、


「勘弁…して」


心臓とさらに肺まで潰して、間違いなく殺したと思った致命傷の傷口は、すでに痕さえ残らず回復……いや、再生している。なんだ、この出鱈目(でたらめ)さ。

出鱈目さで思いだし首に手を当てると、長年自分を苦しめてきた忌々しい首枷の感触が今は感じられない。それがかえって違和感を感じさせる。


『これで君は自由だ。けれど…君にその気があるなら、待っててくれるかな?』


自分の腕に支えられて死んだように眠る標的の言葉が、頭の中で何度もよぎる。


もう何もわからない。


首枷がなくなった以上、この標的の少女を殺す理由もなくなった。自分は、今さら何を言うかと思われるかもしれないが、好きで人を殺めていたわけじゃない。だが、その道で今まで生きてきた。それ以外はわからない。


生きる理由も、意味も、必要性も……一体この先どうやって生きていくのか、そもそも生きていいのかすらわからない。


だから待っている。この少女が、自分になにかを与えてくれると言ったから。それが例え"死"であったとしても、自分は待つ。




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