その49:少女待機中 上(鬼娘side)
「お姉……ちゃん」
光の消えた空色の瞳にうっすら涙を浮かべながら呟いた瞬間、エリスの体から力が抜け落ちる。それを支える少女は、いまだ混乱の渦の中にいた。
「なん、で?」
今まで大勢の人を殺めてきた。老若男女構わず、命令されれば誰だって殺した。そうしなければ自分が消されてしまうから……それを繰り返す内、徐々に心が死に、気が付けば全てに対して無感動になっていた。
結局は自分の為だ。我が身可愛いさに、死ぬのが嫌で大勢を殺した。
「……どうして」
が、そんな少女の心が揺れている。あの日、あの時、あの瞬間を思い出させるように。忘れるなと囁くように。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいーーー」
壊れたように謝罪を繰り返す姿はいっそ狂気じみていて、悲痛とさえ感じられるものだった。もう一生出ないと思っていた涙は、久しぶりの出番に狂喜乱舞しているかのように止めどなく溢れてくる。
だがいくら慟哭すれどもその声が、謝罪が、想いが、届くことは絶対にない。
「ごめんなさい……ホナミ」
なぜなら、その謝罪の対象はもうこの世にいないからだ。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■
親はいない。厳密に言えばいるけど、顔も覚えていない。私は産まれたときから孤児院で育った。
貧乏で空腹じゃない時なんてなかったけど、同じ孤児院の皆と過ごす日々は、今思えば平和で穏やかな日常だったと思う。
そんな私に大切な……愛を誓い合う恋人がいた。彼女は女の子で、名前はホナミ。短く切り揃えられた茶髪と、人懐っこい笑顔が魅力的な彼女に、私はどんどん夢中になっていった。
一緒に買い物に行ったり、一緒に料理をしたり、寝るときももちろん一緒だった。
布団の中で将来を語り合うのが楽しかった。毎日が幸せだっった、何気ない日常が愛しかった。その全てを彼女と共に愛していた。
ある日、院長に突然呼び出された。どうやら私を引き取りたいという人がいるらしい。私はホナミと離れたくなかった。ずっと一緒にいたい……この先もずっと。
けれど、その引き取り手の人は孤児院にお金をたくさん寄付しているらしく、私と引き換えに孤児院にお金が入ると院長に言われた。
それは何より他ならなぬホナミの将来にも繋がると言われ、私なんかが役に立つならと受け入れた。
彼女の役に立ちたかった。誰よりも彼女に幸せになって欲しかった。
「お金なんていらない!! あなたと……あなたと一緒なら、それで……それだけで、良かったのに」
私が孤児院を出るときに言われたその言葉が、深く心に刺さった。最後だから泣き顔よりも、あの眩しいくらいの笑顔が良かったと泣きながら思った。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■
あれからどれくらいの月日が流れただろう?
連れていかれた先で私を待っていたのは、地獄だった。私を引き取ったのは、非合法なことを生業とする闇組織で、私はそこの実験体として引き取られたのだと理解するのにそう時間はかからなかった。
死んだ方が良いと思えるような毎日で、現実は驚くほど非情だった。この世の理不尽を恨み、世界を憎んだ。
食べ物に毒が入ってなかった日はなかった。
薬品を投与されなかった日はなかった。
人が目の前で殺されない日はなかった。
苦しくて、辛くて、痛くて、怖くて……でも死ぬことすら許されない。
それからしばらく経ったある日のことだった。ふとした、本当にふとしたとき額に違和感を感じて触ってみた。普通なら……人なら本来ないはずの物があった。角が、あった。
ーーピチャン
水が滴る音が聞こえて顔を向けると、水溜まり越しに自分と目が合う。真っ赤な真紅の瞳と目が合う。
「あ……あっ、あ」
声が出ない。色の抜け落ちた真っ白な髪、紅色の瞳、禍々しい二本の角……この島国に住む人々は、畏怖と共にその名を記憶に刻む。
"鬼人"
高い魔力と、強靭な肉体。額から生える二本の角。ひとたび戦場に出れば、一騎当千の文字通り鬼神のごとき無類の強さを誇る。
度重なる戦でその数を減らした彼らは、人里離れた秘境でひっそりと暮らしているという。私からしたら絵本の中の存在だ。
私が今までされてきたことは、人を人為的に鬼人に変化させる為の実験だったと、今さらながらに気がついた。
その時私は、自分の心が音をたてて砕け散ったのを理解した。
愛しい、もしかしたらもう一度会えるかもしれない恋人に……こんな醜い姿を見られたくない。否定されるのが、怯えられるのが、怖くて恐くてたまらない。
キスしてなんて言えない。抱き締めてなんて言えない。一緒に……一緒に生きていきたいなんて言えない。
心のどこかで思っていた、風前の灯だった希望の火が完全に消えたのがわかった。




