その45:拳でのOHANASI
今朝の目覚めは最悪だった。何せ心臓をナイフで貫かれた激痛で目が覚めたのだから、当然と言えば当然だ。
そんな本日の最低最悪な目覚めに内心で毒づきながら、自分に放たれる文字通りの鬼畜連撃をポケットに両手を突っ込みながら紙一重で全て絶対回避する。その際に頬を叩き付ける風圧に、涼しい顔をしつつ内心で冷や汗をかく。
ストレート、アッパー、踵落としと多種多様な見事な体術に拍手喝采を贈りたいが、残念ながらその相手は現在進行形で俺を殺そうとしているわけで……そんなことを考える間にも物理法則を無視したような格ゲーじみた連続攻撃を、こちらも曲芸じみたアクロバットな動きで回避する。
「っ……化け物!」
二本の角を額から生やして、目を真っ赤にしながら殺意と共に殴りかかってくる目の前の少女の方が、見た目だけで言えば明らかに化け物だと思う。
殺そうとしてきたから殺り返そうと思ったが、相手はもはやお馴染みの美少女。しかも種族は『鬼人』……オタク魂を刺激されないわけがない。俺は今となってはTS猫耳少女だが、心は『礼』と『和』を重んじる日本人だ。
そんな訳で、ここはジャパニーズソウルに基づいて、拳の語り合いを止めて理性的な対話をしようじゃないか。と言うことで、
「まぁ落ち着いて、まずはゆっくり話をーーー」
「死ね!!」
とっさに拳を受けた右手の骨が折れた。
骨折の頻度は、もはや骨折は友達と言えるレベルだ。表情が痛みで強張り、慣れ親しみたくもない鈍痛がじわじわと脳に伝わってくる。
右手に意識を一瞬だけ集中させ、負傷部分を再生する。その間も、どうやったら目の前の少女が俺の話を聞いてくれるかを考えていた。この場で完膚なきまでに痛め付けても、それは最終的な問題の解決にはならないだろう。
「これで……!」
体勢が崩れた隙を見逃さずに、顔面目掛けて体重を乗せた渾身の右ストレートが迫ってくる。しかし、あまりに遅い。避けるのもカウンターを放つのも余裕……だが、ライフで受けたら常人なら即死しそうな威力を持った一撃だ。
(義姉ちゃんなら……こうするはず)
その一撃を俺はーーー、
「がはっ!……あ、ぐっ」
正面から受けた。一瞬で心臓が破裂して、背中から鬼っ娘の手が飛び出す。体内に異物が入って来た違和感を感じる前に口からゴポッと、音をたてておびただしい量の血を吐き出した。
「ハァ……ハァ、やっと……捕まえた」
手を突き刺さして動きが止まった鬼っ娘を、引き寄せるように両手で強く抱きしめる。言葉だけ聞くと凄まじい犯罪臭がするが、今はそれどころではない。
心臓だけでなく、その奥にある肺も潰れてしまっているため呼吸をするたびにヒューヒュー、と弱々しい音がする……さらに抱き寄せた際、より深く手を押し込まれたせいで吐血して鬼っ娘の顔を血塗れにしてしまったのはご愛嬌だろう。
「ひゃ!?」
しかし鬼っ娘にとっては想定外の事態だったらしく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で素っ頓狂な声をあげて目を白黒させている。その瞬間の顔は年相応の可愛らしい表情だった……しかしそれは一瞬で、すぐさま拘束を解こうと暴れだす。
だが俺の腕はびくともしない。しばらく抵抗を続けた鬼っ娘だったが、そのうち無意味だと理解したのか……はたまた疲れたのかはわからないが、一切の抵抗を止めておとなしくなった。
圧倒的な静寂がこの場を支配する。時々俺が血の混ざった咳を吐き出す音だけが響く。
「……なんで?」
「ん?」
以外にも先に口を開いたのは鬼っ娘だった。
「なんで……避けなかったの? なんで……殺さないの?」
それはこの世界の闇で生きてきたであろう、彼女ならではの問いだろう。彼女からしたら、敵に捕まるのはすなわち、死ぬことと同義なのだ。顔は胸に隠れていて見えないが、体が小刻みに震えているのが抱きしめている腕から伝わってくる。
こんな小さな女の子が……そう考えるとチクリと心が痛む。それぐらいの良心はまだ残っているらしいと自嘲気味に苦笑しながら、左手を折れてしまいそうなほど細い腰に添え、もう片方の手を鬼っ娘の後頭部に添えて自分の胸に抱き寄せる。俺が男のままだったなら一度はやられてみたいシチュエーションである。
「なんで、か……なんでだろう、ね」
問いに対する答えを考えるも、出血多量と激痛でフラフラする体と、だんだんと焦点が会わなくなってきた視界……死にはしないだろうが気絶は避けられないだろう。
(火無華には……謝らないといけないな)
巻き添えになってほしくなかった彼女は、念のため安全な場所に駄女神様と一緒に転移させておいた。あまり遠くはないので、もう少しでここに戻って来るだろう。
そして体の限界が目前にまで迫っている。
今だって、ほぼ鬼っ娘に体重を預けてやっと立っているような状態だ。恐らく持ってあと数分の意識だと直感で理解する。
「ごめん、ね」
抱きしめていた手を離すと、鬼っ娘はゆっくりと腕を引き抜いた。引き抜かれたと同時に胸に空いた風穴から一瞬血が吹き出したが、それもすぐに塞がった。
フラっと前のめりに倒れそうになった体を、残った意識を総動員して気合いで踏ん張り、鬼っ娘の首に付けられた金属性の首輪を両手で掴み、一瞬で素材の許容量を超える魔力を流し込んで付与された様々な術式を破壊する。
素材はちゃっかりそのまま【アイテムボックス】に入れる。極限状態でも抜け目ないのが俺である。
最初に火無華と会った時と同じものを付けていたことを考えると、この首輪は恐らく"奴隷の首輪"だろう。用途や効果はご存知の通りだ。
「え……っ!?」
一瞬、何が起きたのか理解できなかったらしい鬼っ娘は、目を大きく見開いて何度も首輪があった場所を撫で、その顔に驚愕の表情を浮かべている。
「これで君は自由だ」
傷が塞がって喋りやすくはなったが、失った血液までは元通りにならないため、依然として極度の貧血が続いているの。どちらにしろ一瞬も気を抜けない状況には変わりはない。
「けれど……君にその気があるなら、待っててくれるかな?」
言いたいことを言って気が緩んだのだろう。その一瞬の気の緩みが、限界だった体と意識に止めを刺した。
スローモーションで床が迫ってくるのを視界の端で捉えながら、地味に痛いんだろうな、と他人事のように思いすぐに来るであろう体を襲う衝撃に備えて目をつむった……しかし、俺の体に衝撃が走ることはなかった。
うっすらと恐る恐る目を開けると、視界に写ったのは無表情な……しかし、どこか心配と驚きを合わせたような顔をした鬼っ娘がいた。黒目黒髪の彼女に、今は亡き義姉の面影がフラッシュバックする。
無意識に動いた手が、彼女の頬に添えられる。
「お姉……ちゃん」
最近はよく気絶するなと思ったのが最後、今度こそ俺の意識は深いまどろみに沈んでいった。
◇■◇■
深海の底のような、深い深い暗闇の中に俺の意識は漂っていた。体は無重力の中にいるようなふわふわした感覚があるだけで、音もなければ光もない……まるでこの世界に来る直前のあの空間のようだと思った。
ーーース
無音の空間に、小さな波紋が広がる。
ーーリス
先ほどよりも大きな波紋が、声が、小さくもはっきり聞こえる。昔、良く聞いた声だ。
そして、今ではもう二度と聞けない声だ。懐かしく、優しく、愛しいあの人の声だ。
泣きそうになるのを必死に堪える……あの人のことになると、俺は途端に涙脆くなってしまう。
きっとこれは夢なのだろう。今までも何度か似たような夢を見たことがある。そして例外なく目覚めたときの虚無感と寂寥感で心が砕け散りそうになるのだ。
エリス
これは、目覚めたらまた火無華に慰めてもらわないとな、と威厳もへったくれもないことを考える。しかし、こればかりはどうしようもないと自分でも割り切っている。
そしてはっきり俺の名前を呼ぶ声は、先ほどとは違い確かな存在感を持って鼓膜を震わす。
嘘だ、と心が現実を否定する。期待させないで、と魂が泣き叫ぶ。
「エリス」
声が質量を帯び、実体を持ち、意思を宿してこの場に瞬間で響き渡る。意識が一気に覚醒し、停止していた体の全ての機能が再起動する。
「エリス……私だ、目をーーー」
「嫌だ」
両手で目を押さえつけて視覚情報の一切を遮断し、拒否する。
怖い……目を開けてそこにいる人が、想像と違うことが怖い。目の前に何もなかったり、このまま現世に戻るのがどうしようもなく恐ろしい。
駄々をこねる幼子のように目と耳を塞ぎ、現実逃避をする俺を見て声の主は、やけに頭に響く声で呆れたようにこう言った。
「はぁ、まったく、相変わらず手のかかる子だ……」
言葉とは裏腹に、その声には喜びや嬉しさが滲み出ていた。声が近づいて来る。自然と手に力が入る。
「私にはね、義妹がいるんだ。とっても可愛い自慢の義妹がね」
声の主は懐かしむように……慈しむように話を続ける。
「最初こそ、その場の勢いとノリで拾った子に警戒やら何やらはあったけど……数日一緒に過ごしただけで私の方が絆されちゃってね。それはもう見事に惚れちまったわけだ」
先ほど深海の底と言ったが、どうやらホントらしい。口に海水が入り込んできた。頬にも液体が伝って流れている。
「それからしばらく二人で旅をして、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、一緒に笑って……信じられないくらい楽しくて幸せだった」
声はまだ消えない。消えてくれない。
「その幸せをくれた義妹の名前はねーーー」
もしこれが夢なら、今すぐにでも覚めて欲しかった……だって怖かったから。その名前を聞いたら、認めなきゃならないから。
もしかしたらが……現実になるのが怖かった。
「エリス……って、言うんだ」
その時、俺はやっと海水が自分の涙だと気が付いた。手にいくら力を込めても、少しも止まる気配がない。俺の涙腺は職務放棄をしたらしい。
「目を開けても……いい、ですか?」
掠れるようなか細い声が出た。そもそも声を発したかどうかさえも疑わしいくらい、小さな小さな声だった。
それに対する答えは、この世の何よりも、誰よりも優しい抱擁だった。
涙でボヤける視界を少しずつ開いていく。
「……っ」
声にならない声が出た。心臓が止まったかと思うほどの衝撃と、溺れそうなほどの安堵がごちゃ混ぜになったような矛盾した感情が、全身を満たしていく。
「久しぶりだね、エリス」
腰まで伸ばした烏の濡れ羽色の黒髪を一つにまとめてポニーテールにし、やや釣り上がった目は日本刀のように鋭くも凛々しい。唯一以前と違うのは、俺とは反対側の右目が、血を溶かし込んだかのような深紅の色をしている。
「お姉ちゃん……」
そう一言呟くことしか、俺にはできなかった。
まいど、四葉です。
実に4ヶ月ぶりの更新……長らくお待たせしました。
ちなみに書き溜めはないので、次は早くても来月になると思います。
今回の話はいかがだったでしょうか? 四葉はしてやったりという顔です。これがやりたかったんです、はい。
『リン』はこれからもちょくちょく出していきたいと思ってるので、安心してください。
ではまた。




