表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄、ありがとうございます。——これで殿下を訴えられます  作者: kaka


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/2

第2話 「請求書は、朝日とともに」

翌朝。


公爵邸の食堂に、朝日が差し込んでいた。 窓辺の薔薇が、昨夜の雨に濡れて、まだほんの少し首をうなだれている。給仕のアンナが、いつも通り、紅茶を淹れてくれている。湯気が、糸のように立ちのぼる。


——いつも通りの、朝でしたわ。 ……新聞、を、開くまでは。


『公爵令嬢、断罪の場にて感謝を述べる』


一面、最大級の見出しでしたわ。 副題が、二段に分かれていて、


『「ありがとうございます」と微笑む』 『気鬱の病か、それとも——』


そして、その下に、わたくしの肖像画が載っている。 ……いえ、肖像画ではないわね、これは。昨夜の現場で、どなたかが、こっそりお描きになったのだ。 笑顔の。三年ぶりに披露した、あの笑顔の。


——お描きになるのが、お早いこと。 王都の新聞社って、こんなにも仕事が早かったかしら。少し見直しました。


「お嬢様」


アンナが、紅茶を置きながら、おそるおそる口を開いた。 アンナはわたくしより二つ年上で、十四のときからわたくしの世話をしてくれている。この三年、わたくしの「悪役令嬢ムーブ」を、一番近くで見て、一番傷ついていたのも、たぶん、この子だ。


そのことについては、まだ、何も話せていない。


「お嬢様、その……世間で、たいへんな噂に……」 「ええ、読んでいますわ」 「……『気鬱の病』ですって……」 「あら、いいじゃない、これ」


わたくしは、紅茶のカップを持ち上げた。 アンナが、目を丸くする。


「少なくとも、この見出しのおかげで、当面わたくしの命は狙われませんもの。」


——気鬱の病になった令嬢を、わざわざ刺客で消す貴族はいない。狂った犬は放っておけば自分で死ぬ、と思われるからだ。 むしろ、わたくしが昨日「完全に正気で、計算ずくで」あの場に立っていたと世間が気づいた瞬間に、わたくしは襲撃対象になる。それはマリエル様の側からしても、そうですわね。


だから、この『気鬱』の見出しは、わたくしにとって、当面の防弾チョッキですわ。新聞社さま、ありがとう。 ——新聞社さまへの感謝が、一日のうちに二回もあった、と日記に書いておこう。


「あの……」 「アンナ」 「は、はい」


わたくしは、新聞を畳んだ。 そして、テーブルの向こうの、彼女の顔を、まっすぐ、見た。


「あなたに、まだ、ちゃんと、お詫びをしておりませんでしたわね」


アンナの肩が、ぴくり、と跳ねた。 三年前、おとり捜査を始める前夜。わたくしはアンナを呼んで、「これから三年間、わたくしはあなたに、ひどいことを言うかもしれない」と告げた。理由は伝えられなかった。アンナは、わかりました、と頷いた。頷いたうえで、それからずっと、何度も傷ついていた。


——傷つけた側の覚悟だけで、傷ついた側の傷が消えるなら、世界はとっくに平和ですわよね。


「……お嬢様、それは、後日、ちゃんと、お時間をいただいてから」 「ええ、必ず」


わたくしは、頷いた。 ……これも、後日、必ず、片付けなくては。三年分の、わたくしのもう一つの仕事として。


そのとき。


——どん、どん、どん。


玄関の扉が、叩かれた。 一回、二回、三回。礼節を欠かない回数。けれど、明らかに、急いている回数。


「お嬢様、どなたか——」 「アンナ、わたくしが出ますわ」 「えっ、で、ですが、お嬢様」 「いいえ、これは、わたくしの仕事ですから」


わたくしは、立ち上がった。


——ふふ。早かったですわね、王家。 想定では、午前十時頃にいらっしゃるかと思っておりましたのに。慌てていらっしゃるご様子。


玄関を、ゆっくり、開ける。


そこに、立っていたのは。


——王家の使者ではなかった。


「——アーデンフェルト公爵令嬢、シャルロッテ様で、お間違いございませんか」


灰色のローブに、王国の紋章ではなく、天秤の刺繍をつけた、痩せた男性。年の頃は四十前後。肩には書類鞄。腰には、ペンと印璽。 ……ああ。


「王立中央裁判所」の、事務官ですわ。


わたくしは、深く、礼をした。


「はい、シャルロッテにございます」 「王立中央裁判所書記局より、令状を持参いたしました。お受け取りいただけますでしょうか」


……令状。 早い。早すぎる。昨夜の今朝で、裁判所が動いた、ということ。


——いえ、違いますわね。昨夜の段階で、裁判所は、すでに動いていた。 わたくしの婚約破棄が公的に宣告されるよりも前に、誰かが、裁判所に話を通していた。


……ふふ。やってくれますわね、シュタイン子爵。 さすが、王家の財務官は、わたくしと同じ種類の生き物でいらっしゃる。


「拝受いたしますわ」


わたくしは、両手で、令状を受け取った。 封蝋の天秤が、朝日に照らされて、わずかに、光った。


「念のため、立会人として申し上げますが——」


事務官は、淡々と続けた。


「本日付、王立中央裁判所に、王太子レオンハルト・フォン・ヴァルムント殿下を被告とする、債務不履行ならびに名誉毀損訴訟が、原告アーデンフェルト公爵家の代理人より提起されております。」


——アーデンフェルト公爵家の、代理人。


わたくしの、お父様。 やっぱり、もう、動いてくださいましたのね。


わたくしは、令状の封を解いた。 中には、簡素な、けれど、隙のない文面が、並んでいた。


『召喚状』 『令和暦六七二年、月五日、第三鐘までに、当裁判所第一法廷に出頭されたし』 『原告側証人として、シャルロッテ・ヴァン・アーデンフェルト殿に出頭を命ずる』


——証人。 ……ええ。承知しておりますわ。


そして、令状の最後の行に、鉛筆書きで、こう、書き足されていた。


『 P.S. 朝食はお済みでしょうか。法廷の昼食は、たいへん不味うございますので、しっかり召し上がってきてくださいませ。 ——父』


…………。


わたくしは、令状を、そっと、胸に当てた。


——お父様。 三年間、わたくしの計画を、ひとつも問わずに見守ってくださって、ありがとうございます。


そして、こんなときに、まず、娘の朝ごはんの心配をしてくださって、ありがとうございます。


アンナが、後ろで、こっそり、洟をすすった音がした。 ……ええ、わたくしも、ちょっとだけ、目の奥が痛い。けれど、泣くわけにはいかないのですわ。今日も、まだ、笑顔の練習中ですから。


「事務官さま、拝受いたしましたわ」


わたくしは、姿勢を、整えた。


「第三鐘までに、必ず、出頭いたします。」


「ご協力に感謝いたします」


事務官は、深く一礼し、踵を返した。 灰色のローブの裾が、朝の風に、ふわりと、揺れた。


——天秤の刺繍が、遠ざかっていく。


扉を、静かに、閉める。


「お、お嬢様……」 「アンナ、すまないのだけど、二つ、お願いがあるの」 「は、はい!」 「まず、黒のドレスを出してちょうだい。襟の高い、装飾のないやつ。それから——」


わたくしは、振り返って、微笑んだ。 三年ぶり、三度目の笑顔。今日はもう、頬がつらない。慣れてきたみたいですわ。


「朝食を、おかわり、いただけますか。お父様が、法廷の昼食は不味いと、おっしゃるものですから。」


アンナは、ぽろぽろと泣きながら、頷いてくれた。 何度も、何度も、頷いてくれた。


……ありがとう、アンナ。 あなたへの謝罪は、もう少しだけ、お待ちくださいまし。 ——その前に、わたくしには、まだ、片付けなくてはいけない、仕事が、ありますの。


王立中央裁判所。


第一法廷。


——王都の中心、白亜の柱に支えられた巨大な石造りの建物。「神の代わりに、人間が人間を裁くと決めた、この国で最も傲慢な場所」だ、と、お父様はよくおっしゃっていた。


わたくしは、その傲慢な場所の、原告側証人席に、いま、立っている。


黒のドレス。襟の高い、装飾のないやつ。 髪はひとつにまとめ、サファイアのチョーカーだけは、外さなかった。母の形見だ。お母様、今日は、見ていてくださいませね。


法廷を見渡す。 被告席に、王太子レオンハルト殿下。一晩で、別人のように、顔色が悪い。隣には、王家の弁護士が三人。


そして——傍聴席の、最前列に。


聖女マリエル様。


……いらっしゃいましたわね。 昨夜、わたくしと目が合ったあの一瞬、彼女は「失敗した」という顔をした。けれど、一晩経って、今朝、彼女は、ここに、来た。逃げずに、来た。


そういう人だと、わたくしも、知っていた。 だからこそ、三年かけたのだ。


マリエル様の唇が、わずかに、動いた。 ——音は、聞こえない。けれど、わたくしには、その唇の動きが、はっきりと、読めた。


『 ・お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す ・お・ね・え・さ・ま 』


……ふふ。 やっぱり、こちらに来ましたのね、マリエル様。 「聖女マリエル」の仮面を、捨てて。


三年前、わたくしの家から、姿を消した、本物の妹として。


わたくしも、唇だけで、返した。


『 ・お・は・よ・う ・マ・リ ・ ——お・帰・り・な・さ・い 』


マリエル様の——いいえ。 マリエッタ・ヴァン・アーデンフェルトの、瞳が。


静かに、揺れた。


——コーン、コーン、コーン。


第三鐘が、鳴った。


「これより、開廷する」


裁判長の声が、響いた。


——わたくしの、三年がかりの仕事は、まだ、終わっていない。 ……そう。これは、ただの、幕間でしたのね。


さあ、第二幕の、始まりですわ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ