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8 初対面の印象は最悪

 「セドリック・ヴァルターだ」


 無駄のない所作。机上の書類は一分の乱れもない。

 視線が合った瞬間、ほんのわずかに彼の目が止まった。

 だがそれはすぐに消え、何事もなかったかのように整った表情へ戻る。


 「なんでも、調査に協力したいとか?」


 声音は丁寧だが、温度がない。

 言外に『素人に何ができる』と線を引かれた気がした。


 「エルンシュタイン公爵ではなくご令嬢がお越しになるとは予想外だったな」

 「ここは私の領地ですもの。来てはいけない理由はありませんわ」


 少し強すぎたかもしれない。

 だが引く気はなかった。


 彼の眉が、ほんのわずかに動く。


 「感情的な行動は控えてもらおう。被害者が1人増えるだけだ」


 ぴり、と胸の奥に火花が散る。

 初対面でそこまで言うの。


 けれどその言葉には、軽さがなかった。

 突き放しているのではなく、“本気でそう思っている”声だった。


 「でも人は感情で動くものでしょう? それを切り捨ててしまったら、現実から離れてしまうわ」


 一瞬。

 彼の瞳の奥で何かが揺れる。


 「……なるほど」


 小さく、興味を含んだ声。

 嘲りではない。


 兄が苦笑した。


 「2人とも、そのくらいにしてくれ」


 張り詰めていた空気が、わずかに緩む。


 ──この人は、敵ではない。

 でも、簡単に味方にもならない。


 そして同時に思う。

 負けたくない。


 兄が一歩前に出る。


 「今、調査団のほとんどは王都の研究所で患者から採取した血液などのサンプルを解析している。つまりヴァルター氏は現場責任者だ。私はつど彼から報告を受けている」

 「あぁ、だから今日は定期報告に来たのだが。……思わぬ来訪者もいたな」


 セドリックが続ける。


 「ご令嬢のために改めて我々が“奇病”と呼んでいるものについて説明しよう。現在確認されている症状は、倦怠、発熱、食欲不振、発声・歩行困難など多岐にわたる。進行は緩やかだが次第に動けなくなり、発症から数年のうちに死に至る。聖女の聖魔法で進行を遅らせることはできるが完全回復はしない」


 その言葉は淡々としている。だが無感情なのではない。感情を削ぎ落としているのだと分かる。


 「発症年齢に偏りはない。ただし症例は領内南部、とくに農地に近い地域に集中している。家族内感染の確証はないが、同一地域での連続発症が確認されている。つまり通常の感染症とは感染経路が異なる可能性が高い」

 「死者は?」


 私が問うと、兄が目を伏せた。


 「確認されているだけで53名だ」


 短い答え。空気が重く沈む。


 53。


 数字が胸に落ちる。顔も名前も知らない人々の重みが、一瞬で形を持つ。


 セドリックの視線が再びこちらへ向いた。


 「そしてこの奇病が“風土病”と呼ばれる最大の要因。それはエルンシュタイン領に常住する人間のみが発症していることだ。ここで生まれ育った者に限られる。俺や王都と領地を行き来するジュリアン領主代行は発症していないし、短期の旅人にも例はない」


 つまり、この土地に根を下ろす者だけが蝕まれる。

 私はようやく理解する。だから最終的には父は私を行かせてくれたのだ。


 「さて、ここまでが現状分かっていることだ。その上で、君はどうする?」


 彼の目が、ほんのわずかに細まる。

 試すように。

 あるいは、確かめるように。


 『患者サンプルから病原菌は特定できなかったってこと?』


 私は紗奈の言葉をそのままヴァルターさんに伝えた。


 「そうだ。王都の研究所にある最新の解析機でも検出されなかった」


 即答だった。迷いがない。


 『寄生虫でもない?』


 「確認済みだ。血液、便、組織片、いずれからも該当するものは検出されていない」


 淡々としているが、準備していた答えのようでもある。


 「人以外への感染例は?」


 私の問いに、ヴァルターさんはわずかに目を細めた。


 「明確な発症例はない。少なくとも人間と同様の症状は確認されていない」

 「じゃあ動物には感染しない?」


 私の問いに、彼は首を振った。


 「20年前、南部を流れる支流で魚の大量死があった。原因は特定されていない。一時的な水質悪化として処理された」


 水面に白い腹が浮かぶ光景が脳裏をよぎる。

 それが、始まりだったのではないか。

 背筋が、ひやりと冷える。


 「同時期、家畜に顕著な病は出ていない。ただし、酪農家から乳量の微減が報告されている。統計上は誤差の範囲とも言えるがな」


 誤差。

 便利な言葉だ。


 「作物の異常は?」

 「奇形や枯死はない。むしろ収穫量は20年前の新農法導入以降、安定して増加している」


 20年前。

 その数字が、静かに落ちる。


 「人の最初の症例は15年前だ。南部で農作業に従事していた高齢の男性。当時は単発例と判断された」


 魚の大量死から5年後。


 「その後も散発的に報告はあったが、関連性は見出せなかった。10年前からは高齢者と乳幼児の死亡が増加し始め、3年前からは成人の発症例も顕著になっていることがこれまでの調査で判明した」


 静かな拡大。

 ゆっくりと、確実に。


 「領地全体で症例は確認されているが、特に南部での増加が著しい」


 20年前魚の大量死。

 15年前の農夫。

 10年前からの乳幼児、高齢者の死者の増加。

 3年前からの健康な成人の死亡の増加。


 だが、その糸はまだ形を持たない。


 「家族内感染は確認されていない。短期滞在者も発症していない。発症者はいずれも長期にわたり南部に居住している」


 これだけ調べていてもなお原因は解明されていない。

 この国は先進国と呼ばれていて、医療レベルは他国と比較しても劣るところはない。


 現代の科学力で太刀打ちできる病なのかと不安になってくる。


 『いや、まだ全部やり切ったとは言えんやろ』

 「患者への詳細な聞き取りは?」


 紗奈がまだ足りていないと言ったことを尋ねた。

 セドリックの視線が、静かに私を射抜いた。


 「行っていないわけではない」


 言葉は冷静だが、わずかに硬い。


 「重症患者に長時間の聴取は負担になる。特に乳幼児と高齢者が多かった時期は、ようやく調査団が発足したばかりでね。体制も整っていなかった。領内で完結させようにも、医療資源そのものが逼迫していた」


 「加えて」


 セドリックが静かに続ける。


 「症例は散発的だった。地域的な偏りも、当初は明確ではなかった。関連性が見えない以上、生活歴を細かく掘っても有意な相関は出ないと判断された」


 合理的だ。

 限られた人員。

 救える命を優先する現場。

 仮説なき聞き取りは、ただの負担。


 だが。


 「……今は違う」


 私が言うと、彼の視線が上がる。

 だが、その先が続かない。

 違うと言ったものの、それは直感でしかなかった。


 症例は増えた。

 南部に偏在している。

 時間軸も整理できた。


 それでも何が“違う”のか。


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