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廃工場のゴブリン

大きな扉をくぐった瞬間、空気が変わった。

ひんやりとしていて、肌寒く感じる。

鼻を刺す鉄錆の匂いに、蓄積された埃っぽさでむせた。

廃工場の内部は薄暗く、窓からの日光でなんとか視界を保てていた。

天井は高く、見上げても奥が霞んで見える。

崩れかけた鉄骨は剥き出しになり、そこにはいくつもの蜘蛛の巣が張り巡らされている。

そして、途中で千切れた巨大なチェーンが天井から垂れ下がっていた。

かつて稼働していたであろう機械は、今ではただの鉄の塊となって並んでいる。

赤黒く錆び付き、所々が崩れ落ちていた。

コツ、コツ、と足音が響く。

自分たちの歩く音だけが、不気味なほど広い空間に反響していた。


「……広いなぁ」


誰かが小声で呟く。

床には割れたガラス片や、用途も分からない金属部品やゴミが散乱している。

踏むたびに、ジャリ、と乾いた音が鳴った。

瑛慈はゆっくりと周囲を見渡した。

奥へ続く通路。

乱雑に置かれたコンテナ。

二階部へと繋がる鉄階段。

どこから魔物が現れても、おかしくない。

自然と、握る手に力が入る。


(……どこかに、いる)


魔力で感じ取れるまでには成長できてない。

それなのに、自分たち以外の気配が確かにあるのだ。

視線を向けるたび、暗闇からこちらをじっと見ているような感覚がある。

気のせいなどではない。

すると――

カラン、カラン……。

どこか遠くで、鉄パイプか何かの金属が落ちるような音がした。

全員の身体が強張る。

咄嗟に武器を構える者。 息を呑む者。 辺りを見回す者。

静寂が落ちる。

だが、それ以上の変化は何もない。


「……んだよ、ビビらせんなって」


緊張を誤魔化すように、クラスメイトの一人が吐き捨てた。

緊張の糸が切れたのか、武器をしまう。

瑛慈も風でも吹いて何かで落ちたのだと思っていた。

しかし、すぐにおかしいと感じる。


(風でも吹いて……?)


廃工場には結界を張っていると言っていた。

なら、風なんて吹くはずがないのでは……。

窓も割れている。

それなのに、空気はぴくりとも動いていなかった。

聞こえるのは自分たちの足音だけ。

瑛慈はもう一度、周囲を見渡す。

その瞬間――


……カラン。


再び何かが落ちる音がした。

二階通路の奥の方。

暗闇の中で、小さな影が動いた。

目を凝らし見ていると、突然、こちらに向かって飛び掛ってきた。

くすんだ緑色の肌に、大きく濁った黄色い眼。

裂けた口から鋭い歯を覗かせ、小柄な体躯をした生き物。

人の形をしているが、明らかに人ではない。

これが、"ゴブリン"か……。

手には、錆びた包丁を握っている。

そして、迷うことなく振り下ろしてくる。

イタズラする程度の魔物だと言っていたが、確かにこれは、明確な殺意を感じる攻撃だ。

瑛慈は寸前の所で避ける。

ゴブリンは着地することなく、顔面から落ちて転がった。


「……ひぃ!」


誰かから驚いた声が上がる。

ゴブリンはゆっくり立ち上がると、ニタァ、と口を歪めた。

次の瞬間―― 甲高い叫び声が、廃工場全体に響き渡った。

暗闇が、動いた。

物陰に潜んでいたゴブリンたちが、一斉に姿を現す。

手には、同じような包丁や、ナタや手斧といった人間が使っていたと思われる物を武器に用いていた。


(なるほど……ポルターガイストの正体はこういうことだったのか)


昔見た心霊番組を思い出していた。

勝手に動く物の正体は、魔物のイタズラだったのかと、呑気に思っていたのだ。


瑛慈は慌てて、意識をゴブリンたちに向けた。

そして、後ろを向き確認する。

真柄は腕を組み、手を出すつもりは無いようで、氷室も杖を出しているものの、見守るだけのようだ。

覚悟を決め、剣を抜く。

久遠も戦闘態勢に入り、晴香も杖を出した。

エレーナは……欠伸をしていた。


「ふぁ〜……ん?私は戦う気はないよ。

その程度の魔物くらい倒せないとね」


それもそうだ。

エレーナは、魔王とも戦ったことがある魔法使いなのだから。

エレーナがゴブリンと戦ってしまったら、実戦演習の意味がなくなる。


「当然、そのつもりだよ。エレーナは何もしなくていい」


瑛慈の言葉に、久遠と晴香が頷く。


「俺も戦う気なんて無いから。ゴブリン相手とか冷めるし……。三人でやっちゃって。

あとは、適当にあんたらで片付けてよ。

どっかの誰かさんが最強の式神を使えるから、すぐに終わるでしょ」


蘆屋が仲間である、弥勒院、巴、黒須と、近くにいる瑛慈たち第二班と、三班の面々にそう言った。

当の本人は、近くにあった机に腰掛け、晴香を睨んでいた。

晴香は俯いてしまう。

弥勒院が小さく溜め息をついた。


「分かりましたよ、朔さん。……ふぅ、私たちで対応しましょう」


「弥勒院さんがそう言うなら、私はそれで構いません」


「……僕も」


弥勒院という、錫杖を持つ僧侶の男が第一班の実質的なリーダーのようだ。

巴も黒須も不満そうだが、蘆屋の実力を知っているからこそ、納得したのだろう。

瑛慈はふと、第三班の面々を見た。

武器を構えているが、完全に腰が引けている。

だが、心配する余裕はすぐになくなった。

ゴブリンたちが一斉に飛び掛ってきたのだ。

今度は避けきれず、剣で受け止める。

その一撃に、驚いた。

見た目は小さい子供くらいの大きさのはずなのに、力が恐ろしく強かったのだ。

剣で受け止めきれず、弾かれてしまう。

その隙を違うゴブリンが捉え、手斧を振り下ろす。


『最後まで、足掻け』


以前言われた、真柄の言葉が響く。

咄嗟に不慣れな魔法を放とうとする。


「アクアショ……」


詠唱の途中、そのゴブリンを久遠が殴り飛ばしてくれたのだ。


「大丈夫ですか、瑛慈さん。小さいからって甘くみちゃダメですよ。

相手は、"魔物"なんです。

人間みたいに優しくなんてありません」


壁に叩き付けられたゴブリンは、そのまま動かなくなり、やがて霧のように崩れて消え去った。

その間にも、別方向からゴブリンが迫り来る。


「ギャァァッ!!」


包丁が振り下ろされる。

今度はしっかりと防いだ。

弾き返すと同時に、一歩踏み込んだ。

横一閃。

斬撃はゴブリンの身体を真っ二つに裂く。


「ギ、ァ……?」


断末魔すら最後まで上がらず、身体は黒い霧となって崩れ落ちる。


(……俺も、倒せた)


その感触に、瑛慈の目が見開かれる。

だが、その暇も与えず、群れは次から次へと襲い掛かってくる。


「……瑛慈さん、後ろ!!」


晴香の声。

振り返るより先に、悪寒が走った。

咄嗟に身体を捻り、反応する。

直後、手斧が顔を掠めた。

頬が軽く裂け、浅く血が滲む。


「っ……!」


いつの間にか、背後に回り込まれていた。

ゴブリンはニヤニヤと笑っている。

二体、三体と、下卑た笑い声を上げながら、瑛慈を囲むように近付いてくる。


「ギィシシシ……」


その時だった。

黒い影が横から突っ込んできた。

凄まじい速度で拳が叩き込まれる。

轟音と同時に、ゴブリンの頭部が潰れ、床へ叩き付けられた。

再び、久遠に助けられた。

赫拳装の隙間から、赤黒い光が脈動している。

続けざまに、もう一体の腹へ拳を突き刺した。

鈍い破裂音とともに、ゴブリンの身体が宙に舞い、そのまま数メートル先まで吹き飛んだ。


「……数が多いですね」


久遠は冷静だった。

赫い拳を見たゴブリンたちは、わずかに怯んでいるように見えた。

その隙を逃さず、第一班の巴が床を砕く勢いで踏み込んだ。

同時に、薙刀が大きく円を描いた。

空気を裂く鋭い音と共に、ゴブリンたちの胴が深く裂ける。

周りにいる、一歩離れたゴブリンたちすらも、喉や腕、胴がまとめて裂けていた。

血飛沫とともに、黒い霧が舞う。

薙刀を振るうたび、それはまるで花弁のように散っていく。

その攻撃は、あまりにも凶悪で、あまりにも美しかった。

しかし、ゴブリンは身体が裂けようが、痛みに構わず襲ってきたのだ。


戦場は、激化していく。

第三班の一人が悲鳴を上げた。

視線を向けると、転倒したところにゴブリンたちが群がっている。

ニタァと笑い、包丁を振りかざす。

助けたくても周りのゴブリンが邪魔だった……。


「"ウィンドカッター"」


そこへ晴香が魔法を放ち、無理やり引き剥がした。


「大丈夫ですか……!?」


間一髪のところだった。

怒号と悲鳴、金属音が絶え間なく響く。

訓練とは、やはり違った。

油断すれば、本当に死ぬ。

目の前のゴブリンを倒しても、すぐに現れる。

二階通路。

コンテナの陰。

壊れた機械の隙間……。

視線の先には必ず、黄色い目が浮かび上がる。

まるで無限に沸いているのではないかと錯覚してしまうくらいだった。

それでも、確実に減ってきている。

瑛慈は剣を握り直した。


(……ちゃんと戦えている)


逃げるしかなかったあの日とは違う。

今の自分には、仲間も、武器も、戦う力がある。

床を蹴り、次のゴブリンへ向かっていった──



「……はぁ、はぁ」


最後のゴブリンを倒すと、廃工場の中の空気が和らいだ。

瑛慈は握った剣を鞘にしまい、その場で膝をついた。


「終わった……のか……?」


自分で口にしても、実感が湧かなかった。

視界の端では、倒れたゴブリンたちが黒い霧となって崩れていく。

頬を伝う汗を拭い、ゆっくりと辺りを見回した。

さっきまで戦闘していたとは思えないほど、静かさが漂う。

残ったのは、皆の荒い呼吸だけだった。

剣を握っていた手を見ると、かすかに震えていた。

疲労だけじゃない。

初めて、自分の意思で魔物を斬った感触が、まだこの手の中に残っていたのだ。

肉を裂く感覚に、骨に当たる鈍い衝撃。

そして、霧になる直前に飛び散った血。

これが、魔物との戦いなのか……。


瑛慈が辺りを見渡すとエレーナが居なくなっていたことに気付いた。

まさか、帰った?と思っていると、上の方から声が聞こえてきた。


「……私だったら、ここにいるよ〜。

戦いの邪魔になると思って、上から見ていたんだ」


エレーナは宙に浮いている。

そして、その手には本を持っていた。

最初の方は戦闘の様子をちゃんと見ていたのかもしれない。

しかし、途中から飽きて本を読んでいたのだろう。

どれだけ戦っていたのかは分からない。

気付けば、それだけ時間が経っていたのだ。

エレーナが降りてくるのと同時に、真柄と氷室が近づいてきた。


「ご苦労だった。

初めての実戦演習にしては、まずまずだ」


真柄が腕を組みながら言う。


「これでこの現場の案件は完了だ。

……死人が出なくて、何よりだ」


自分のことで精一杯だった。

周りを気にする余裕なんてなかった。

見回すと、確かに死んだ者は居ないようだが、怪我をしている者はいた。

どうやら深い傷ではなさそうだったが、傷口を押さえ痛がっている。

生々しい血が、手や制服にこびり付いていた。

それを班の仲間が回復魔法で治している。


「では、対魔校に戻りましょう。

初めての実戦演習だったし、怪我をしている者もいる。

戻ったら、閉校時間まで自由に過ごしてもらって構わないわ。

……それでいいですよね?班長」


「あぁ」


氷室の言葉に、真柄は軽く頷くと出口へと向かった。

それに続くように、皆も歩き出した。


外へ出ると、特事室のメンバーが駆け足で近寄って来た。


「中のゴブリンの群れは一掃した。

念のため、残りがいないかも確認し、後処理を頼む」


了解、と短く返事をし、廃工場の中へと入っていく。

瑛慈は振り返った。

そして、開かれた扉から覗く廃工場の中を見て思った。

初めての実戦演習、生死をかけた戦いがここまで身と心をすり減らすものだとは……。

下位魔物との戦闘でも、これだけの人数をかけて、これだけの労力がかかってしまった。

それでも、なんとか生き延びることができた。

その安堵よりも先に、別の感情がこみ上げてきて、また手が震える。

頭では落ち着いているつもりだ。

だが、これからもっと危険な現場があるのだと思うと、震えが一段と大きくなった。


「瑛慈、どうした?」


エレーナに声をかけられ、慌てて魔法陣へと入る。


「"ディメンション・ゲート"」


氷室の詠唱とともに光が立ち上がり、重力が抜けて、またあの浮遊感を感じる。

目を閉じ、震えている手に、無理やり力を込めた。

さっき見た光景が蘇り、そして、まだ見ぬ魔物を想像してしまう。

瑛慈はその震えごと、意識の外に追いやった。

目を開け、前を見る。

そこは──対魔校のグラウンド。

生きて戻ってきたのに、震えは消えなかった。

消えないまま、胸の奥で形を変える。


──恐怖から、覚悟へと。


震えを噛み締めるように握り込み、静かに一歩を踏み出した。

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