14.不穏の序曲か、安寧の足音か
本隊に合流した後からはとても速く、あっという間に青の国の都についてしまった。
というのも、ジェムは公爵が早く、奥方に娘を引き合わせたいと無茶をしたからだ。
そのため彼女は、貴族の中でも大貴族しか使えない鳳籠という、巨大な鳥が籠を抱えて飛ぶ乗り物に乗せられてしまったのである。
レパードはそれに同乗した。彼からすれば、離れる理由にはならなかったのだ。
そして公爵も、あとからレパードの力の事をマルコに聞いたらしく、彼もいち早く都に連れて行った方がいいと判断したらしい。
それだけ、火の門を開く、という事は重要な案件らしかった。
彼女はそれらをよく知らないが、とにかく。
「高くて気持ちが悪いです、揺れるし……」
乗り物酔いでとても気持ちが悪かった。
一般市民は空を飛ぶ乗り物、何て乗らない。
普通に乗る機会がなかった物に乗せられての移動、は、こたえた。
しかし。
ようやく降りるというところで、がたんと見事に着地に失敗したのは、何故なのか。
いきなり体が宙を舞ったと思えば、せめて空気を入れ替えておこうという心から開かれていた、窓まで体が飛んだのだ。
「ジェム!」
伸ばされた手が彼女を捉えて、引き寄せて抱え込まなかったら間違いなく、彼女の体は窓を突き破り落ちていた。
しかし抱え込んだ方も、慣れていない事をしたせいで背中を打ち付けたらしい。
「っあ」
滅多に聞かない男のくぐもった、そして苦痛をこらえた声。
「レパードさん、大丈夫ですか!?」
彼女は彼の腕の中で、相手を見上げて言う。
相手は顔をしかめた後、にやっと笑った。
「痛がる顔もいい男だろ?」
その冗談めかした声で、取りあえず彼に問題がない事くらいはわかった。
安堵の息が漏れるなか、自分の体勢を整える事で手一杯だったらしい公爵と、マルコの呆気にとられた顔を見る事になる。
「なんだよ、じろじろ見てんじゃねえよ」
男の少し尖る声に、公爵が返す。
「お前は猿か何かか? あれだけ見事に空中で動ける人間を、見た事が無い。だが礼を言おう、私の娘を助けてくれて……」
公爵の上からの物言いを、もはやレパードは聞いていない。
腕の中の少女を見ながら、彼女の頭がどこにもぶつかっていない事を確認している。
「痛くないですよ、どこもぶつけていませんから」
「だといいんだけどな、ジェムは石頭だから、ほかの物にぶつかってても物壊すけど、やっぱ心配になんのよ」
「ここで人の石頭の事を持ち出さないでくださいよ……」
「おれ知らねえよ、お前みたいに花瓶がおちて来ても、壊れた花瓶の心配してたやつ」
「だからそれはもう、忘れてくださいって……」
過去の、思い出したくない黒歴史を持ち出され、ジェムは顔を覆った。
あれはもう、忘れたい。
まだまだ幼児、と言われそうな年頃の頃、偶然二人で通りかかった街の二階で、花瓶がおちてきた事があった。
それは二階から手を滑らせた女性が、落とした花瓶だ。
レパードが庇う寸前で、それは小さなジェムに当たったのだ。落ちた破片が。
破片の殆どはレパードが身を挺して庇ったが、破片の一つがジェムの額に当たったのだ。
その花瓶は、かなり頑丈で。
破片の大半が当たったレパードは血を流したが、ジェムは違ったのだ。
ジェムの額に当たった破片は、柔らかな何かのように、粉々に砕け、きょとりとしたジェムが言ったのだ。
『れぱーどさん、かびんこわしちゃった、べんしょう?』
あの時はその女性が、路銀をたくさんくれた。
しかし後々から、この石頭事件はレパードが何かと思い出すものになってしまったわけだ。
「お前は自分の痛みに鈍感だから、すげえ心配になるの」
顔を見つめて、じっと目を合わせて言い出す男に、ジェムは言い聞かせた。
「今はちゃんと、自分の痛みが分かるから大丈夫ですよ」
「おう」
完全に二人の世界のような空気だが、ここは公爵もマルコもいるのだ。
そして着陸したため、外には使用人たちもいるのである。
外は着陸に失敗した事で、がやがやと騒いでいたが、それも一段落したらしい。
公爵が、立ち上がり出入口を開く。
そして、厳格な声で言った。
「いったいなんだ、着陸に失敗した理由は」
その声に、ざわついた人々が静かになる。
針がおちる音まで聞こえてきそうなそこで、着陸を誘導していた誰かが言ったらしい。
「殿下が、近くで騎竜していまして、その羽ばたきで鳳が体勢を崩し……」
「……またか!?」
公爵が溜息をつく。
「こんな事が何度も続けば、重大な問題になる、陛下に早急に奏上しなくてはならない」
全く、と苦々し気な色も含まれているのは、きっと気のせいではない。
ジェムは公爵の後姿を見つつ、そう思った。
だが公爵も、いつまでもこれで誰かを怒るのは得策ではない、とわかっているらしい。
「ザフィーア。その男にいつまでも掴まっていないで、一緒に降りよう」
背後を振り返って呼ばれた名前は、どこの誰に向けられたのか。
ジェムが怪訝な顔をしていれば、公爵が言う。
「ザフィーア」
彼が近付き、手を差し出してきたのだ。
「あの……わたしはジェムという名前なんですが」
「それは、そこの男が勝手に呼んでいる名前であるだけで、正式に与えられた名前ではないだろう? 貴女は私の娘であり、ザフィーアと呼ばれる事になるのだ」
ジェムは呆気にとられた。
まさか名前まで変わるとは、聞いていない事だったせいだ。
「別にジェムで問題ねえだろうが」
レパードが、彼女の側からすれば至極もっともな事を言った。
だが。
「それではいけない。きちんと祝福された名前でなければ、な」
公爵も譲らない。
ジェムはどういえば角が立たないかを考える。改名までさせられるのは、不本意だ。
しかし素直に言えば、それは公爵を不愉快にさせるばかりだろう。
彼からすれば、実の娘が、自分が一生懸命に考えた娘に相応しい名前、を拒絶するのだから。
どうしよう……と揺らいだ視線を見たレパードが、鼻を鳴らした。
「後でジェムとゆっくり話し合おうぜ? 今はとにかく、降りるしかねえだろ」
公爵は一度頷き、ジェムの手を取ろうとする。
「……」
レパードはひどく不愉快そうな顔をしたが、この乗り物から下りる時に手を貸すなら、慣れている相手の方がいい、と判断したらしい。
面倒事を避けるために、公爵の手を取ったジェムに対して、何も言わなかった。
そして籠から下りれば、そこは彼女の知るどんな所よりも立派な場所だった。
大体にして、規模が大きい。
彼女の知っている領主の館や、氷の国の屋敷とは比べ物にならない大きさなのだ。
これが青の国なのか……と思って気付くのは、建物がやや青みのある石でできている事だ。
この色のために、青の国なのだろうと一人納得していれば。
「なんだ公爵殿、機嫌よさそうに」
兵士たちの背後から、声がかけられた。
その声を聞き、兵士たちが直立不動の姿勢をとり、道を一斉に開ける。
なんだかお芝居みたい、と思っていたジェムだったが、その先から現れた男性に目を奪われた。
男性は、彼女の知識を飛び越えたような、立派な衣装を身にまとっていたのだ。
とにかくすごい、布から縫い方から、装身具から、何から何まで想像を絶する高級さなのだ。
そしてそれらを、嫌味にならないように着こなしている。
まるで、そう言ったものに囲まれて暮らしているような、馴染んだ感じだ。
この人は一体誰だろう。
ジェムはそこで相手の顔を見る。
なるほど。
造作は整っているだろう。白いかんばせと青い瞳と、それから緑がうっすら感じ取れる金の髪。顔だちは作られたように美しく、そして母親に似たのか女性的な部分も感じられた。
繊細な美しさともいえる。
体躯はどう見ても男性の物だが、それでも細身なのは間違いなかった。
しかし。
レパードさんの方が格好いいな、とジェムは内心で判断を下した。
こんな格好をしなくても、レパードは道行く人が呆気にとられる華がある。
顔立ちも身のこなしも、レパードさんの方が勝っている、とジェムは判断したわけである。
身びいきかもしれないが、彼女は真剣にそう思った。
そして、レパードよりも魅入る理由がなければ、ジェムは視線を別の所に向けることもたやすい。
正体は気になるが、それはすぐに分かるだろう。
彼女の予想は正しく、公爵が言う。
「殿下、リチャード殿下。私の娘がついに見つかったのですよ、大変に喜ばしい事です。しかし殿下、あれほど、鳳が飛んでいる範囲で竜に乗るのはおやめくださいと、様々な人間が申しているでしょう」
「飛びたい所を飛んで、なぜいけない? 竜は自由が好きなんだ」
殿下と呼ばれたその男、リチャードがそう言ってから、ジェムを見た。
そして数秒、動けなくなる。
余りにも穴が開きそうな位に見つめられ、ジェムはどうしたら公爵の後ろに隠れられるかを考えそうになった。
しかし。
すっと、レパードが彼女を隠すように前に出たので、内心でかなり安心した。
誰しも、いきなり知らない人間に、知らない場所でじろじろと見られて居心地がいいわけがないのだ。
まして、人の視線を集めた事のない少女ならば特にそうだ。
「……なんて美しい青い目なんだ」
ややあってから、リチャードがうっとりとしたようにそう呟くのが聞こえてきた。
「公爵殿、彼女がザフィーア嬢なのか?」
そして確認をして来るので、公爵が得意げに頷いた。
「ええ、私の探し続けた娘です」
「……なるほど……父上に急ぎ伝えなければ」
彼は自分の中で何かを結論付けたらしく、ひとしきり頷いてから、ジェムに微笑みかけた。
「それでは、近いうちにまた」
またなんなのか。
ジェムが問いかけようとしても、リチャードは大股で歩き去って行った。
それらが終わったのちに、レパードが少し肩の力を抜く。
「ひとのもん、物欲しげに見やがって」
小さな小さな声を聞き、ジェムはその肩をちょいとつついた。
「なんだよ?」
「見てて思いましたけど、レパードさんの方がいい男ですね」
耳打ちで一言、それでレパードの機嫌がよくなる。
「あたりまえだろ?」
そして、素直にレパードを褒める事に、ジェムは何の抵抗もないのだ。
昔から二人はこうなので、二人の中では当たり前のあれそれこれである。
相手に対して言いたい放題、これが二人の通常なのであった。
「さて、殿下で足止めを食らってしまったけれども、行こう。……君はそちらで、マルコに説明を聞きなさい」
公爵がレパードを見ながら言う。
しかしレパードはどこ吹く風だ。
「なんで?」
「この国での門士の在り方を聞くべきだからだ」
「門士じゃねえのに」
「その力を操れるのだから、そういう称号になるべきだ」
「称号一つ、あってもなくてもおれはおれのままだろうが?」
「レパードさん、それブーメランですよ、あってもなくても変わらないなら、一応説明だけ聞いてから持つかどうか決めればいいでしょう」
「おー、言われてみりゃそうだな。マルコ、さっさと説明してくれよ」
「図説した方が早いから、こっちに来てもらえないだろうか」
「おー」
マルコの言葉に、レパードが頷いてから少女を見下ろす。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわな」
彼等が歩き去っていくのを見て、公爵が言う。
「私たちは、一度屋敷に行こう。妻が首を長くして待っているんだ」




