およそ思惑通り
逃げる時に持ち出して来たのであろう、小さな革袋から水を一口だけ飲んでいた。
風呂に入れば喉が渇くのは当たり前で、彼女たちに貴重な水を消費させてしまった。水が無い状況に追い込んでしまうと、ここで生活する事に抵抗を感じてしまうかもしれない。
水については明日の朝にでもエリシーと相談するとして、地下三階の部屋に案内するとしよう。
彼女たちが入口付近まで戻ってきたところでスケルトンを送る。その手の看板には、寝床に案内するから付いて来るようにと書いてある。
同じ階に人がいなければ移動ルートの書き換えは比較的簡単なのだ。
彼女たちの方でも風呂で話し合った結果、ひとまずは僕の言うとおりに行動してみるという方針に決まっているため、実にすんなりということを聞いてくれた。
それでも右手は常に剣の柄に添えられていたが……。
そして、地下三階への階段を前にしてエリシーの足が止まった。宿泊施設は出来てそれほど経ってないからエリシーにはまだ伝わっていなかったのかもしれない。
しかし一瞬の逡巡のあと、後ろの二人に「行きましょう」と声をかけて少し離されてしまった案内人との距離を詰めた。
右【今夜はここで休むと良いでしょう。食料もどうぞ。明日の朝また来ます。】
左【よろしければ、左手を左頬に】
案内とは別のスケルトンで最後のメッセージを伝え、今日の連絡はここまでとなる。
まだ利用者こそ少ないが、ここのベッドはなかなか良い評価を受けている自信作だ。彼女たちも気に入ってくれることだろう。
スケルトンが出た後で直ぐに鍵が掛けられた。
警戒しながらも、張り紙を含む部屋の調度品等には目を向けてくれていたらしい。鍵をかけて、押しても引いてもドアがびくともしない事を確認し、ようやくエリシーは肩の力を抜いたようだ。
「ふぅ。……いないはずのスケルトンがいたり、地下三階が出来てたり、前に聞いた話とは所々違うわ。挙句の果てにダンジョンマスターだなんて……、意思疎通が出来たって例はあるらしいけど、雇いたいなんて言われたのは私たちが初めてなんじゃないかしら?」
「エリシーさん、こんなに深いところまできちゃって大丈夫なんでしょうか? さっきはお話を聞くってことになりましたけど、こんな所からじゃ逃げられないんじゃ……」
チコが不安そうに問う。
「多分大丈夫よ。騙すにしても手が込みすぎてるし、食料まで用意してこんなところに案内する必要はないと思うの。寝込みを襲うためにここまで回りくどいことをするくらいならお風呂に入っている時に襲ってくるでしょうし」
「それじゃぁ……そうだ! たくさん食べさせて太らせてから食べようとしてるのかも! そういうお話を聞いたことありますよ!」
どうやらこちらの世界にもヘンデルとグレーテル的な童話があるのかもしれない。
それにしてもチコちゃんはなかなか頭の切れる子のようだ。確かに掃除用の従業員は欲しいところではあったが、定住者をつくって継続的に魔力を回収しようとも考えていたのだ。そう言う意味では彼女の指摘も良いところをついていると言える。
歳の割には丁寧な言葉遣いだし、案外いいところのお嬢様だったのかもしれない。
落ち着いているように見えてもやはり不安なのだろう。周囲に気を配る余裕までは持てないようだ。
チコの言葉に、最年少のチヤがびくりと反応した。
「……食べられちゃうの?」
今にも消え入りそうなか細い声を上げる。
「えぇっ! あ……えと、違うのチヤ、えとね……えーと」
チヤの動揺に気づいたチコが慌てるが、本人もテンパっていて言葉にならない。
「二人共落ち着きなさいって。ダンジョンマスターがそんな風に考えてるんだとしたらご馳走用意して待ってるわよ。パンとちょっとの保存食だけじゃ太ったりしないわ。だから食べられたりしないわよ」
エリシーが助け舟をだす。本心ではどう思っているのかはわからないが、一番の年長者が僕を敵視していないことは上々だ。
これが今まで冒険者への対応によるものだと言うのならば報われたというものだ。
二人が落ち着いたところで、エリシーが二人に声をかけた。
「それじゃ、ご飯を食べて今夜は寝ましょう。もう日が変わっているかもしれないし、明日のために体力を回復しないとね」
エリシーが指差す棚の上にはパンと干し肉が三つずつ置いてある。
彼女たちが風呂に入っている間にスケルトンに運ばせたものだ。
随分質素になってしまったが、悲しいことに現在提供できるメニューの質としては平均的なものとなっている。
食の改善は急務となるだろう。
「それにしても、なんでダンジョンに食料が保管されているのでしょう?」
「多分ここに来た冒険者たちが置いていったものね。入口近くの張り紙に食べ物を置いていく様に書いてあるらしくてね、ギルド側もその程度の要求なら叶えてあげた方が友好関係を築きやすいと考えたらしいわ。ギルドでここを紹介される人はその時に、『なんでもいいから食べ物を置いて来るように』と伝えられるのよ。私の時もそうだったわ」
「ギルドがダンジョンを助けるようなことしていいんでしょうか?」
「んー、そのあたりは上の方でも随分もめたみたいよ。なんたってこんなダンジョンは前代未聞なわけだし。最終的には、友好的に対応した方が人間側の益が大きいという事に決まったのね」
「ダンジョンマスターと仲良くなって良い事ってなんですか? あんまり思い浮かばないんですけど……」
「例えば……そうね、ここは出来たばかりのダンジョンだからダンジョンコア……ダンジョンの一番奥にある宝物みたいなものね。これ以外の魔石は粗悪品ばかりで、よっぽど沢山集めないと小遣い稼ぎ位にしかならないのよ。ダンジョンコアは高く売れるけど、冒険者数人とひと握りの貴族や商人が儲けるだけで、ギルドや付近の町への利益にはならないわ。
それに対して、小さいダンジョンの段階で友好関係を築いていおけば、いずれダンジョンが大きくなって質のいい魔石がとれるようになった時に融通してもらえるかも知れないでしょ? それまでは野営地や補給拠点として使ったりも出来る。今の私たちもこれに含まれるのかしらね。
そして、最大の目玉は観光地としての利用よ。初めて人が来た時にはもうお風呂があったらしくてね。今も新しく宿泊用の小部屋が用意されてるみたいに、これからの発展の仕方しだいでは観光地として世界中の人を呼び込めるんじゃないかって考えてるのよ。この国はそれ程大きくないし、これといった特産品もないわ。偉い人達は、このダンジョン目当てに他国からも人が来るようになれば、彼らが落としていくお金で国や町がだいぶ潤うだろうって考えたのよ。まぁ、利用しようと思えばいくらでも……ってことね。友好ではなくて、利用し利用される関係とも言えるけど」
「そうだったんですか……。観光地だなんて、ダンジョンは怖いところだって教わったから考えもつきませんでした」
「ここ以外のダンジョンについてはその感想であってるわよ。ギルドが条件付きとはいえ『危険なし』と評価したダンジョンなんて他にないとおもうわ。あと観光地として有名になるとしても数十年後でしょうね。尤も、観光地だなんて誰が言い始めたのか知らないけど、そんなに上手くいくものなのかしらね?」
チコはまだ小さいのに難しい話によくついて行いっていると思う。
どうやらここまでは僕の思惑どうりに進んでいるように思う。少々うまく行過ぎていて怖いくらいだ。
ここはギルドの思惑通りに強くて狩り易い魔物を配置したり、観光地として機能しそうなダンジョンを目指すとしよう。
彼女たちにとっても僕にとっても非常に有意義な時間であったが、どうやら難しい話に辟易している者もいるようだ。
「ねぇ。……もうご飯食べていいの?」
チヤの言葉に二人はキョトンとしたあと、苦笑してまた見合った。
「そうね。続きは食べながらにしましょうか」
結局続く難しい話にチヤは不満そうではあったが、邪魔せずに早々と眠ってしまった。