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暗転

 夜の静寂は突如として破られた。

 言語を絶する音と衝撃が、眠っていた俺を覚醒させた。

「ろっ……ぜ!」

 夢うつつに南部の声が断片的に聞こえる。何だろう、酷く取り乱しているようだ。

 その時、身体が強い揺れを感じた。天地が踊るような不可解な感覚だ。

 何かが破壊される嫌な音がした。窓が破られたのか、痛いほど冷たい空気が顔に当たる。

 ユイちゃんの甲高い悲鳴が遠くから届いた。何もかもが非現実的に思えた。騒ぎの様子が、霧の向こうに霞んで見えているかのように、俺の意識は朦朧としていた。

 頭がひどく重く感じる。とにかく、物凄く眠い。ここの所安心して睡眠を取れた事が無かった分、蓄積されていた疲れが一気に出たのだろう。開きかけた目蓋が睡魔に負けて下がる。

 誰かの腕が俺の身体を乱暴にまさぐった。次の瞬間、俺の身体はぐいっと前に引っ張られた。

「九瀬!」

 南部が絶叫した。

 車外に転がった俺は、打撲して痛む頭を抱えて目を開けた。そして、何度か続けてまばたきをする。いったい何が起こったというのだろう。

 ひんやりする地面に手をついて立ち上がろうとすると、後ろを振り返る間もなく南部に肩を掴まれた。バランスを崩して足がもつれたが、南部は俺を引きずるようにして無理やり立たせた。

「走れ!」

 言われるがまま、俺は走った。辺りはまだ暗く、足元さえろくに見えなかった。加えて、起きたばかりで頭がいまだ冴えなかった。自分が今何をしているのか、よく分からない。

 やがて、少しずつ暗闇に目が慣れてきた。周囲の景色がぼんやりと確認出来るようになり、漸く自分たちがまだ幹線道路の上に居る事を知る。隣を見ると、ユイちゃんが息を切らして走っていた。時折漏れる喘ぎには、微かな悲鳴のようなものが混じっていた。

 車の方が気になり、俺が後ろを振り返ろうとしたその時だった。

 衝撃が、空気を裂いて俺たちの所に波紋のごとく届いた。全身の皮膚が震えた。それは獣の咆哮のようでもあった。あまりの出来事に、南部もユイちゃんも走るのをやめて立ち止まった。

 後方の闇に蠢くものがあった。それは鈍重な動きで地を這っていた。

「おい、あれは……」

 南部の声が震えていた。

 月明かりに照らし出された怪物の全貌は、昼間にコンビニで遭遇した巨大な生物と酷似していた。さっきまで俺たちが中に居た車は、怪物の巨大な顎によって後部がぺしゃんこにされ、見るも無残な有り様だった。

「ふざけるな、こんな所まで追いかけて来たってのか? 何て事だ……俺たちの車が!」

「落ち着け! 今は何も考えずに、とにかく安全な場所まで逃げるんだ。これ以上やつに近づいたら、終わりだぞ」

 取り乱す南部をなだめながら、一方で俺は内心で狼狽していた。あのコンビニからここまでは、少なくとも数キロの距離があるはずだ。そんな途方もない道のりを、やつはここまで這ってきたというのだろうか。

 いったい何のために……?

「ちくしょう。何でこんな事に……」

 俺は絶句した。絶望的な状況だった。車が破壊された今、俺たちは身を守る最後の術を失ったのも同然だ。この怪物から逃れる事も、もはや一筋縄ではいかないだろう。おまけに辺りの暗さから、夜明けまではまだかなり時間があると推測出来る。つまり、俺たちはこの視界の悪い中を全くの丸腰で逃げ続けなければならないのだ。

 怪物は車の残骸を踏み潰してこちらへじりじりとやって来る。昼間見た時と同じで、やはり速くは動けないらしい。しかし、恐るべき点はコンクリート製の壁をいとも簡単に突き破ってしまうほどの怪力だ。あの巨体による突進を受ければ、待つのは死だ。そして、角質化した鱗状の皮膚と、乗用車の車体をも噛み砕く頑丈な顎。まともに相手をしても、おそらく勝ち目は無い。

「あ……」

 ユイちゃんが泣きそうな声を出した。

「どうしたんだ」

「お兄ちゃんのリュック、車の中に置いて来ちゃった……!」

 俺は唇を噛んだ。万事休すだ。今戻れば、あの怪物との戦闘は避けられない。至近距離では、のろま相手でもさすがに危険だ。

 こんな時、彼らならどうするだろう。タクマなら、7号なら。

 そう考えた時、俺の足は自然と前へ踏み出していた。

「待てよ! まさかリュックを取りに行くなんて言わないよな」

 俺は彼の問いを無視し、

「南部、お前はユイちゃんとここにいろ。あいつの他にも変種が潜んでいるかもしれない。リュックを取ったら、こっちに投げる。そいつを受け止めたら走って逃げろ」

「お前はどうするつもりだ」

「おとりってやつだ。俺があのノロマを引きつける。その方が、まとまって逃げるよりは生き延びられる可能性が高いだろう」

 不思議だった。言葉を並べるたびに、指示を出すたびに、心が落ち着く。焦燥し、血が上っていた頭が、徐々に冷えていく。

 南部は反対した。しかし、俺たちには一刻の猶予さえ残されてはいなかった。彼もその事を理解していたのだろう。最後には、俺が行くのを止めはしなかった。

 彼は言った。

「気をつけろよ」

 かつて俺が親友に向けて言った言葉だ。あの時、俺はその言葉に二つの意味を込めた。一つは、友の身を案じ、危険な状況に陥ったら迷わず逃げろという意味だ。そしてもう一つは、死ぬ事によって自分を独りにしないでくれという意味だった。

 今、俺はあの時のタクマの立場にいる。そう思うと、心が勇み立った。

「ああ」

 二人にそう告げると、俺は走り出した。起きたばかりでふらつく足を無理やりに前に蹴り出し、アスファルトの硬い地面を踏みしめる。

 眼前に怪物が迫った。二つの巨大な眼が俺の動きを捉える。

 来るなら来い。そう思った。

 俺は道の脇にある細い歩道に入った。怪物は巨体を引きずるようにして向きを変えた。どうやら上手く注意を逸らす事が出来たようだ。

 俺はさらに十メートルほど走り、無残に破壊された車の所まで来た。辺りが暗く、加えて破壊の程度も酷いため、タクマのリュックを見つけるまでに時間がかかった。足元にはガソリンが流出しており、爆発する危険もある。漸くシートの下にリュックを見つけ出した時、俺は軽く安堵した。

 これはタクマが遺した物だ。言わば、彼が生きた証しだ。そして、これからは俺たちが前へ進んでいくための道標となるだろう。絶対に失ってはならない。

「南部!」

 手に入れたリュックを渾身の力を込めて投げる。暗闇に舞ったリュックは怪物の頭上を越え、遥か先の地面に落下した。その時だった。

 怪物が、信じられないほど俊敏な動きで突進して来た。まさに爆発力と形容するに相応しい、凄まじい勢いだった。あまりに突然であったため、俺は避ける隙が無かった。

 怪物の鼻面が胸の辺りに直撃した瞬間は意識があった。呼吸が止まる。

 ――何が。

 思考が追いつかなかった。俺は数メートルほど弾き飛ばされ、アスファルトに激しく身体を打ちつける形で漸く止まった。

 俺は腰を曲げた状態でうつ伏せに横たわっていた。見ると、左足があらぬ方向へ折れ曲がっている。着地時に折れたのだろうか。始めは痛みを感じなかったが、見つめているとやがて耐え難い苦痛に襲われた。

 腕も足も動かせない。さながら、見えない何かに羽交い締めにされているかのようだった。息が乱れ、痛みと恐怖で脂汗が吹き出た。

 怪物が速く動けないという推測は全くの誤りだった。俺は自らの愚案を恥じた。あの巨体にあれほどの敏捷性が備わっているとは、夢にも思わなかった。

 怪物が接近した。足が噛まれ、俺は怪物の方に引きずられた。生暖かくて臭い息が顔にかかった。

 俺は食われるのか。俺の最期は、こんなものなのか。ユイちゃんを守り切れず、タクマや7号によって救われたこの命さえ繋ぎとめる事が出来ないのか。

 答えは、果たして残酷なものだった。

 俺は後方に強く引っ張られ、そのまま怪物の太い舌に絡めとられた。ざらざらした舌の上を滑り落ちていく時、頭痛がしたような気がした。

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