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暗闇を、ともに

 すべて話し終えた頃には、もう陽もすっかり落ちていた。南部は既に7号からマルカ堂を出てからの出来事を聞いたというので、俺はさらにその前の、タクマと出会った時の事についても話した。包み隠さず洗いざらい告白するまで、俺は自分が何故そこまで南部に明かしているのか、分からなかった。それでも話さずにはいられなかった。そうでもしなければ、俺はもう独りに耐えられなかった。

 最後に南部が深く頷きながら俺の肩を叩いた時、俺は胸の内の方が一瞬熱を帯びたような気がした。単純に安心しただけではない。弱音を吐ける相手が目の前にいるという事に感動した。俺の言葉に耳を傾けてくれる人がまだこの世界には生き残っている。その事実が今の俺には何よりも救いだった。

 南部は俺に幾つか尋ねた。彼は記憶の欠落と頭痛の関係性を指摘した。

「前にも聞いたと思うけどさ、過去に何かでかい怪我してないか? もしかしたら、後遺症とかでそういう障害があるのかも」

「ない。怪我もそうだけど、病気も大きいのはした事がない」

 そう答えるしかなかった。今まで生活していて兆候のようなものはなかったと思う。そして、現在も特に身体に違和感を覚えることはない。

「そうか。素人の考える事だから曖昧だけどよ、そういうのってやっぱり脳とかそっち方面に関係してるんじゃねえかな。記憶喪失と頭痛以外に何か症状はないのか?」

 俺は少し迷った末、団地で頭痛に襲われた際に見た奇妙な夢の事を話した。記憶を逆に辿りながら説明していくと、その不可解さに自分でも改めて気付かされた。


“夕暮れに染まる砂利道”

 “独りでに揺れるブランコ”

 “何かが来る轟音”

 “悲鳴、肉体の内側から振動が伝わってくる”

 “泣きじゃくる少年”

 “誰かが「俺」を呼んでいる”

 “落ち葉が重なり合う快音”

 “不可解な言語が聞こえる”

 “血液と何かの生臭い匂い”

 “手。誰の手?”

 “目が眩むような閃光”

“芝生を歩く感触”

 “燃え上がる人間のシルエット”

 “遠い都市の景色”

 “耳障りなオルタナティブロック音楽”

 “テレビ画面、ニュースを喋るアナウンサーの顔”

 “飾り文字のJ”

 “少年●●”

 “石の階段。両脇に桜の木。花は咲いていない”

 “夕焼けチャイムの音”

 “食べかけのトースト”

 “水を撒く音”


 映像、音、臭い、単なる文字情報など、様々な情報が一度に脳内に再生された。その時、俺は懐かしいような怖いような感情を抱いた。そして、今も頭の片隅で闇を形成したまま漂い続けている。一体、これらは何を意味しているのだろうか。全て解き明かしてしまいたいという気持ちと、そうする事によって何か悪い事が起こるかもしれないという根拠のない不安が拮抗していた。

「それって、頭痛と同時に現れたんだろ。じゃあ、何か関係がありそうだよな」

「わからない。単に昔の記憶が蘇っただけかもしれないし」

「でもさ、一度にそれだけの量の記憶を思い出すって現実にあり得るか?」

 南部が指摘した。確かに俺もそうは思っていた。あの現象は、例えば試験問題を解いている最中に答えがぱっと閃く時の感覚とは異なる。俺自身が思い出そうとしていないにもかかわらず、まさに脳が勝手に動いたかのようだった。

夢の異常性を認めると、やはり何らかの特殊な原因があるのではないかと思えてくる。頭痛、記憶の欠落、奇妙な夢。この三つに共通するものは未だに分からない。今までは世界について行くのに精一杯で、自分自身の問題について深く考える余裕がなかった。俺の身体に何かが起こっているのは紛れもない事実と言っていい。しかし、一連の症状が表れたのは、この世界に異変が起こった直後だ。偶然の一致とは思えない。

「そういえば、夢の件でもう一つ話があるんだ。関係ないかもしれないが」

 そう言って俺は車に戻った。後部座席からタクマのリュックを持ち出すと、中身を手で探った。

 デジタルカメラはすぐに見つかった。電源を入れ、例の画像を探す。

「これを見てくれ」

 俺は南部にデジタルカメラを渡した。

「これって……木、か? 何で赤いんだろ」

「さあな、詳しくは俺にも分からない。この景色からして、撮影場所は恐らく小山台遺跡公園だと思う。黒目川を上流に向かって行く途中にあるんだ。ここからだと……遠くはないな」

「ちょっと待てよ。それで結局、この写真は何なんだ?」

「似ているんだ。俺が見た夢の光景と……」

 正確には、似ているのは光景ではなく、音だった。あの時夢の中で耳にした何かの轟音は、小山台遺跡公園の脇を通る西武線のそれに似ていた。以前は単なる偶然の一致だろうと思って重要視しなかったが、今は些細な謎もとことん追及しなければ気が済まなくなっていた。

「物凄く荒唐無稽な話だが、もしかしたら俺はこの場所に行った事があるのかもしれない」

 俺が言うと、南部は顎に手を当てて考えるようなポーズを取った。

「それはつまり、記憶が抜け落ちている期間にってことか?」

 俺は頷いた。失われた一週間、俺はどこに居て、何をしていたのか。仮にどこかへ出かけていたとすると、しかし、異変の最中でどうやって家に戻ったのかという問題が浮上する。通常種や変種が街のあちこちを歩いている状況で、無闇に外を歩き回るなどという事が果たして可能だろうか。いや、むしろそうする理由が考えられない。例え家族の安否が気になったとしても、自ら探しに行く事などまず不可能だし、自分もそう判断するはずだ。

「じゃあ、そこに行ってみる手もあるかもな」

「……え?」

 南部が予想外の言葉を口にしたため、俺は思わず聞き返してしまった。

「ここから近いんだろ? その遺跡公園って所。実際に行ってみて色々確かめれば、九瀬も何かフッと昔の記憶を思い出すかもしれないじゃん」

 こういう方法ってドラマとか小説なんかでよく聞くじゃん、と南部は付け加えた。なんと楽観的な考え方だろう。しかし――

 俺は息を飲んだ。本当に記憶が戻るのだとしたら、今の俺にとってこれ以上重要な事はない。この胸の中にずっと居座り続けている暗い影を払拭出来るかもしれないのだ。

「だけど……」

 確かにそれは有効な手段なのかもしれない。実際、タクマが撮影した写真を見た時には例の白昼夢を見た。あれは記憶の一部が蘇ったようにも思える。しかし、脱落した記憶を取り戻すためだけに小山台遺跡公園を目指すというのはあまりリスクが高過ぎる。通常種に遭遇する危険性は低いが、変種はまだ街のあちこちに潜んでいるはずだ。

「心配ない。俺たちには車があるんだ。明るい内に急いで移動して、向こうで少し散策したらすぐまた移動すればいいじゃん。九瀬だって、この先ずっと記憶が戻らなくてもいいのかよ」

 南部の言動は相変わらず軽い。けれど、今はその軽さに救われる。彼にもきっと悪意などはなくて、ただ純粋に提案してくれているだけなのだろう。仲間のために、リスクを承知で……。誰かに似ていると思った。無論、特定の一人ではなく。

 その時、ユイちゃんがとぼとぼと帰って来た。俺たちの表情を順に伺い、間に入って座ろうか迷っていた。

「お帰り。ここ座りなよ」

 南部は自分の隣を示した。ユイちゃんは小さく頷くと、言われた通りに腰を下ろした。少しぎこちない空気が流れる。

 南部が沈黙を破った。

「ユイちゃん、実はこれからの事で大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」

「はい」

 ユイちゃんが襟を正すような素振りを見せたため、南部はそのままでいいと言った。

南部は、今し方俺としていた話をユイちゃんに対して改めて語った。俺は内心で止めようかどうか迷った。今の彼女に全てを背負わせるのはよくないと思った。

だが、予想に反してユイちゃんは動じていなかった。それどころか、俺の記憶喪失の事実を聞くと、すぐに俺の顔を心配そうに見つめてきた。その時、俺は確かに胸の内に込み上げるものを感じた。彼女の目には幼い眼差しとは別に、様々な眼差しが映り込んでいるように見えた。まるで、俺を遥か遠くから励ましているようだった。

そして気がついた。ユイちゃんは、俺にとって単に守るべき存在というわけではないのだ。共に不安や恐怖を分かち、支え合って生きていくべきなのだ。これまで、俺は彼女が凄惨な光景を見るのを防ぎ、車の中という安全な領域の中に押し込めてしまっていた。彼女がそれを望んでいるとは限らないのに。

安全地帯に逃げ込みたかったのは、この俺自身だ。

 南部の話が終わると、俺たちは車内に戻った。話し合う事はまだ残っていたが、体力的にも限界だった。俺たちは見張りの番も忘れてシートに身体を預けた。一瞬、柔らかい布団の感触が恋しくなる。

 すると、南部がユイちゃんに潰したティッシュ箱を渡した。枕のつもりらしい。ユイちゃんはくすっと笑って、箱を頭の下に敷いた。

 俺たちは一つなのだ。そう思うと、胸の奥のもやもやがまた少し晴れたような気がする。俺は目を閉じた。視界が暗転する。でも、すぐ近くからは仲間たちの息遣いがちゃんと聞こえていた。


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