無謀な追跡者
7号は目を覚ました。どうやら気を失ってしまっていたようだ。
瞼を開けようと筋肉を動かそうとしたが、ピクリと一瞬疼くだけだった。頭がぼーっとして、まるで全身から力が抜けていくかのようだ。ほんのひと呼吸するだけでも肺が疲労する。なんとか呼吸を整え直した時、7号はユイが 近くに居ない事に気づいた。しかし、やがて第6感覚によって現在の団地内の様子が把握できると、彼女はようやく焦りはじめた。
人間が、いない。ユイもサクトも、それに他の避難者たちの反応も感じられない。これは一体どういう事だろう。7号は自分の記憶を辿った。たしか、南部とかいう男が変種になりつつある死体を持ってきて、サクトがそれを阻止しに行って・・・・・そのあとだ。突然頭に強烈な衝撃を覚えて、それから徐々に意識が薄らいだのだ。気絶する前にサクトに何かを伝えようとしたような気がするが・・・。7号はさらに記憶の断片を探した。
変種第9号。その記憶と共に7号は何もかも思い出した。団地に迫る変種第9号の群れの反応を捉えた自分は、サクトにすぐ逃げるように伝えようとしたのだ。しかし、そうしようとした直後に意識を・・・。自分は変種第3号の亜種を見くびっていた。今回の気絶は亜種が発した強力なSOS信号によるものだと判っていた。団地の作業員たちによって果実を取られて食べられた際、隠されたある習性が発動された。自身に危害を加える存在を察知した時に、その根源を排除するために別の肉食動物を呼び寄せるSOS信号を発信するという、一種の自己防衛システムである。その信号は7号の第6感覚に悪影響を及ぼし、彼女の意識を奪ったのである。そして、最終的に亜種はお目当ての悪夢を呼び寄せたのだった。
それでは、この有り様は何だ。何が起こった?
真実を追及するため、7号は団地の外へ感覚を飛ばした。サクトやユイはどこへ行った?変種第9号は?しかし、何故か上手く意識が飛んでいかなかった。もう一度試してみた。しかし、何度挑戦してみてもどういうわけか外の情報が全く入って来なかった。
7号は苛立った。もういい加減うんざりだった。このところ酷くなりつつある体調不良とも何か関係があるのだろうか。自力で動けない7号にとって、この能力だけが唯一の武器だ。その頼みの綱がこういった状態になると、たまらなく不安になってくる。
しばらく試したあと、7号はきっぱりと諦めた。そして、状況を整理した上で仮説を立て始めた。
この惨状を説明するためには、まずあの変種から考慮してみる必要がある。変種第9号は非常に特殊な生物だ。幼体の頃に蓄えた養分のみで成体期を過ごす。成体は2種類の触手を持ち、その先から局所的に電流を流す事で獲物を失神させる。獲物は生きたまま幼体に貪り食われる事になる。成体は巣の幼体のためにのみ狩りを行い、自分は成体になってから約2日で死ぬ。彼らにとってこの団地は恰好の餌場だろう。
最悪の場合としてサクトやユイは連れ去られた可能性もあるが、厄介な事に変種第9号は狩りの痕跡を残さない。つまりこの団地で何が起こったのかを知る直接的な手掛かりが無い。しかし、この場合は恐らく希望的観測は出来まい。
せめてどこかに生存者でも残っていれば・・・・・。その時になって初めて7号は南部の存在に気づいた。
南部ユウダイは床にうずくまって震えていた。
彼は何かに恐怖していた。彼は目の前に横たわる深谷をまともに見る事が出来なかった。
このまま時間が止まれば良いのにと思った。この先に起こる事が少なくとも自分と深谷にとって悪い事であると予想された。そして、自分にはそれをどうすることも出来ないと理解していた。
7号の声が彼に届いた時も、最初のうちは全く気づかなかった。
<私の声が聞こえるか>
何度か試した末、南部はようやく反応を示した。
サクトやタクマたちの時と同様に彼は困惑しているようだったが、いちいち説明をしている余裕は無いと7号は判断した。
<単刀直入に言う。私は変種第7号。お前が今聞いているこの声の主だ。今からお前に簡単な質問をする>
直後、南部の頭が著しく混乱した事に7号は気づいたが、敢えて質問した。明確な言葉になっていなくても、脳内のイメージを拾い集めて総合的に判断すればよい。
<ここ数時間以内に、この団地で何が起きた?サクトやユイはどこに行った?>
7号が尋ねると、南部の脳内に思考の断片がいくつか現れた。しかし、それらはどれも期待外れに近かった。
(誰だ?・俺に話しかけてるのか?・信じられない・たぶん気のせいだ・)
肝心な内容に南部の思考が触れていない。こんなやり取りではいくらなんでも時間がかかり過ぎると判断し、7号は言葉を変えた。
<そうだ。私はお前の脳内に直接話しかけている。言っておくが警戒する必要はない。お前の力を貸してほしいのだ>
どれくらい走っただろう。夢中で走っているうちに随分遠くへ来てしまったようだ。立ち止まると、途端に俺の全身をどっと疲労感が襲った。俺は少し歩調を緩めて息を整えた。
見失わぬように無我夢中でエイの変種を追いかけ、着いた場所は市街地からかなり離れた鬱蒼とした雑木林だった。遠くに見える背の高い木の天辺には今も数十体のエイがフワフワと飛んでいる。彼らはそれ以上遠くへは行く気がないらしく、さっきから同じ所をぐるぐる旋回していた。あそこがもし彼らの巣だとしたら、急がないとユイちゃんの命が危ないかもしれない。
幸い辺りには通常種や他の変種の姿は見えなかった。もう既にエイたちに狩られた後という事だろうか。いずれにしても今の俺にとっては好都合だ。
俺はなるべく音を立てないように慎重に歩いた。団地に置いてきたレミントンの事が頭をよぎり、俺は少し心細くなった。あの時は外に出る事に夢中で冷静さを完全に失っていた。素手でどうにかできる相手ではない事くらい分っていたはずなのに。
林の中に入った。歩く度に落ち葉がカサカサと音を立てる。気付かれないだろうか。俺は頭上と正面だけに注意した。これだけ枝が重なり合っているし幹も狭い間隔で生えているから、あの巨大なエイたちは林の中に入れないはずだ。となれば、恐らく攻撃は上からの触手による攻撃に限られると思われる。気休めにしかならないと思いつつも、俺は近くに落ちていた木の棒を拾った。
策は無かった。だから、最悪のケースも幸運なケースも同時に考えておこうと思った。その過程で生じた恐怖心は自然に興奮へと変換された。
手がかりが掴めぬまま木々の間をさまよい歩いていると、どこか上の方から気味の悪い音が聞こえてきた。胡桃の殻を割るような乾いた音に粘膜が擦れあうはような音が重なるような感じだ。俺は歩くペースを落とし、棒を構えながら音のする方に歩いていった。
最初に見えてきたのは、頭上に集まっているおびただしい数のエイの姿だった。ほとんど音を立てていないから気づかなかったが、距離は物凄く近かった。俺はそばに乗り捨てられていたトラックの陰に隠れ、エイたちの方を窺った。無数のエイたちが折り重なるように飛んでいるその直下にある数本の木の幹に、薄桃色の泡のようなものが纏わりついていた。何かのイベントで使用されるような巨大なテント状のそれは地面にドロッと垂れていた。泡の一つ一つは一定のリズムを刻んでいるかのように不気味な膨張と収縮を繰り返していた。例の不可解な音はそのリズムに合わせて聞こえる。
すると、上空のエイが白い触手を垂らしてきた。触手の先には団地にいた作業員の1人がぐるぐる巻きにされて捕らえられていた。エイは作業員を泡の中心部に向かってまるで餌を撒くかのように投げ込んだ。その瞬間、泡がまるで生命を吹き込まれたかのように恐ろしい速さで動いた。真ん中にぽっかりと深い穴が空き、その縁にニュルリと柔らかい手のようなものがいくつも形成された。そして、それらはあっという間に作業員の身体をバラバラに引き千切った。筋肉が一瞬で引きちぎられる嫌な音と、内臓がボトボトと落ちる音が俺の耳に深く刻まれた。
俺はそこで堪えきれずに目を逸らした。次に見た時には、作業員の身体のパーツは穴に徐々に飲み込まれていた。やがては全てが泡の中に消え、不気味な音とともに残酷な末路が予想できた。
なるほど、ヤツらはあの胸くそ悪い泡に食わせるために獲物を取っておいたのか。俺は震える体を手で痛いほど掴んだ。あの泡の中には何がいるのだろう。そう考えるだけで吐き気がこみ上げてくるようだった。
ユイちゃんはどこにいるのだろう。まだ上空で待機しているエイたちのどれかに捕縛されているだろうか。だんだん不安になってきた。
そうこうしているうちにまた別の触手が餌を持って垂れてきた。その時、俺の頭にある作戦が浮かんだ。それは触手のある動きを見ていたら咄嗟に閃いたものだった。触手が上から餌を運ぶ際、突き出していた木の枝を折ってしまった。すると、目にも留まらぬ速さで別の触手が伸びてきて枝を遠くに弾き飛ばしたのだ。
すぐに俺は餌が泡に届くまでの時間を数えた。触手が伸びはじめてから泡に届くまでは約10秒間だった。餌が触手を離れてから泡に届くまでが約2秒だった。
次に、俺は身を隠しながら可能な限り泡に近づいた。しかし、目的は別にあった。
泡の周囲には異様な臭いが充満していた。木の葉の絶妙な隙間からエイの触手の付け根がはっきり確認できる場所を見つけると、俺はそこに片膝を立てて座った。上から姿を確認されないように、身体をできるだけ折り畳んで茂みに隠すと、俺は深呼吸をした。
全ての可能性は10秒間に限られる。タイミングを外せばそれらを一度に失うのみだ。それに、これはあくまでユイちゃんがまだ待機中のエイに捕らえられていると仮定した計画である。文字通り触手がユイちゃんを運んでくるのを見るまでは何もできない。
現在地から泡までは約5メートルくらいだ。全速力で走ればギリギリで間に合うか間に合わないかの境界線だが、今はもうやるしかない。
胸の鼓動が異常なほど速くなっていた。俺の身体は明らかに恐怖している。
(落ち着け・・・。今から俺は当たり前をやるんだ。やれる事だけをやるんだ。これは生きるために必要な作業なんだ。できないはずがない)
気休めにしかならないと思いつつも自分に言い聞かせると、思いのほか心が軽くなった気がした。
その時、新しい餌が泡の真上に用意された。その顔は見紛うはずが無かった。俺は走り出した。




