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雷鳴を呼ぶ果実

 俺が正気に戻った時、あの頭痛は嘘のようになくなっていた。

 南部に貰った水をゆっくり飲みほす。幾分落ち着いてから俺はみんなに大丈夫だと言った。

「びっくりしたよ。体のどこか悪いのか?」

 南部が心配そうに尋ねた。

「たしかにそうかもな。・・でも分からん。もともと俺頭痛持ちじゃないし、こんなに激しい痛みを経験したのも初めてでさ。まったく何だってんだ・・・」

<その頭痛、たしかマルカ堂でもあったな。大丈夫なのか?>

 7号からも心配してもらえるとは思わなかったから少し驚いた。

(この頭痛はいつも突然やってくる。それまでは全く何ともないし、特に兆候と呼べるようなものも無い。全くもって謎だよ)

「九瀬さぁ、お前今日はもう休んでろよ」

 と南部。

「えっ?」

「今日のところは俺が見張り役やってやるよ。だからお前は少し寝てろって」

「おいおい、もう大丈夫だって言ったじゃないか。見張りくらいできるよ」

 俺はすっくと立ってみせた。すると、南部は俺の肩を叩いて座るよう促す。

「いいからいいから。念のため大事をとっといた方がいいだろ。任せとけって、馴れてるし」

「でもそんなの悪いじゃねえか・・・」

 結局、南部に説得されて俺は休む事になってしまった。

 最後に、南部は思い出したように付け加えた。

「あっ、夜はさすがに頼むぜ?やっぱ1人だと怖いし」

 俺は笑って頷いた。

「だな。昨日は本当に見てて危なっかしかったよ」

「それを言うなよ~」

 南部が去ってから、俺は改めてさっきの頭痛について考えた。

 あの時俺は痛みに苛まれ、意識が朦朧とした状態で何かを見た。あの荒唐無稽な映像は何だろう。単に意味の無いバラバラのイメージであれば、それほど深く考える必要も無いかもしれないが、俺にはどうも引っかかる。

<夢を見ていたのか?>

 7号が聞く。俺は首を振った。

 あんな支離滅裂な夢があるだろうか。風邪をひいて寝込んでいる時に見るような悪夢に近いものはあったが、何かが違う。

 以前にも頭痛に襲われた後に夢を見ていたような不思議な感覚を覚えた事はあったが、その内容はいつも記憶に残っていなかった。ただ、そんな気がしただけだとばかり思っていた。

「そうだ・・・誰かの声が聞こえたんだ。知らない人だったように思えたけど、嫌な雰囲気じゃなかった」

 自分でも何を言っているのか分からない。

「待ってるって言ってたんだ・・・」

 その時、俺はふとタクマのデジタルカメラの事を思い出した。そういえば、あの変な赤い木を見た時に頭痛が起きて・・。

 しかし、同じ写真を再び見てみても特に何も起きなかった。

 赤い木と、頭痛。どう考えても繋がらない。

 俺はため息をついて、よくよく写真を眺めてみた。さっきは細かい点まで気づかなかったが、やはり奇妙な写真だ。鉛色の曇り空の下、鮮やかな深紅に色づいた巨木がそびえ立っている。こんな色、明らかに自然の色じゃない。ちなみに、アングル的に見て、この写真はかなり下の方から撮影したようだ。しかもややブレてしまっている。

「それ・・・あたし知ってる」

 ふいにユイちゃんが言った。俺は彼女が自分から口を開いた事にまず驚いた。

 俺はなるべく怖がらせないように優しく話しかけた。

「本当に?どこだか教えてくれるかな」

「電車の見える公園。川沿いをずーっと行くとあるの。昔、みんなでよく行ったからわかる」

 電車の見える公園・・?俺は記憶を辿った。川沿いにある高台の公園で、タクマの家から近い所・・・

「あっ、小山台遺跡公園か!」

 俺はユイちゃんに聞いた。すると、彼女は自信なげに首を傾げた。

 俺はいまはっきりと思い出した。小山台遺跡公園といえば、子供の頃に友達とよく遊んだ場所だ。たしかにすぐ近くに黒目川が流れている。たしか小学生の頃だから、今から何年前だろう。タクマと、レナと、それからカイも一緒だったかもしれない。日が暮れて、どこかの幼稚園のスピーカーから夕焼けチャイムが流れ始めるまで毎日遊んだっけ。ユイちゃんの言うとおり、近くを西武鉄道が轟音とともに走っていて・・・

 轟音?

 “何かが来る轟音”

<何か思い出したのか?>

 7号が不審そうな目をした。

「いや、気のせいだとは思うけど・・・・・」冷や汗が額を流れる。「さっき頭痛で倒れた時、変な夢を見たんだ。あの時は何の事か考える余裕もなかったけど、もしかしたら今言ったその公園を見ていたのかも」

<だから何だ?>

「え・・!?」

 急に言われて俺は戸惑う。

<それに何か意味があるのか?>

 ・・・意味なんて、あるのか?俺は俯いて頭をかいた。

「・・・わかんねえけど」

 俺はさっきから何を言ってるんだろう。確かにこの写真は小山台遺跡公園だし、仮にもし俺がさっき見た夢と何かしら関係があったとして、それが何だって言うんだ?単に昔の記憶が蘇っただけじゃないか。

<下らない事を考えるな。今はそんな余計なおしゃべりをしている場合ではないはずだ>

 それもそうだ。こんな事に頭を悩ましていたって仕方がない。単なる思い違いかもしれない。

 俺はユイちゃんにありがとうとお礼を言い、再び今後の計画について話し合った。






 瓦礫の山の上を男が歩いていた。汚れた作業服を腰に巻き、上はTシャツ一枚だ。その後ろから数人の作業服を着た男と厚手のコートを羽織った女が続く。

「金原さん、あいつら中に入れといていいんですか?」

 後ろの男が聞いた。前を歩いていた男は立ち止まると、その場に腰掛けた。ポケットから煙草の箱とライターを取り出し、火をつける。ゆるやかに立ち昇る煙を眺めながら、

「とりあえずな。でもなんかウザい事したら殺すよ」

 金原が言うと、後ろの方で笑いが起こった。金原もつられて笑う。

すると、またさっきの男が言う。

「どうせ殺すんなら入れなきゃ良かったじゃないですか!あ、それにあいつらひょっとしたら感染してるかもしれませんよ」

「それは無えな」金原は断言した。「南部の話だけど、あいつらずっとモデルハウスに立て籠もってたらしいんだ。だからたぶん大丈夫だろ」

「はぁ・・・」

 後ろの男は今ひとつ腑に落ちない様子だ。それを察した金原はしぶしぶ説明する。

「もし感染してたら、2日か3日間だか立て籠もってる間にヤツらみたくなってんだろ。いま無事だって事は感染してねえって事だろうが」

 金原は数日前の出来事を思い出した。

 この団地内には、以前は他にも5人の避難者がいた。ここの作業員の知り合い連中で、異変の後に避難してきた奴らだ。しかし、そのうち4人がもともと感染しており、最終的には金原たちの手によって殺された。暴れたためにかなりてこずったが、解体中に出てきた鉄筋や鉄パイプ等で頭部を粉砕した。動かなくなった遺体は南部に指示して外に捨てに行かせた。残る1人は食料調達の際に外で失踪したまま帰って来ない。

「南部のやつも可哀相だよなぁ」

 金原は呟いた。あいつが失踪した時のヤツの顔といったら最高だった。生意気なガキが絶望に打ちひしがれている姿を見るのは気分が良い。

「だよね。あれ以来あの子毎日欠かさず外行ってんじゃん。マジ可愛いんだけど」

 コートの女が馬鹿にしたように笑った。それにつられて周りも笑い出す。

 その時、

「あのさぁ、前から思ってたんだけどあれ喰えんじゃね?」

 金原が指差す先には奇妙な色の植物があった。毒々しい色をした果実をたくわえ、蔓のような根を張り巡らしている。7号が変種第3号の亜種と仮定した植物だ。

 金原は亜種に歩み寄り、風船のような形状の果実に触れた。滑らかな表面にはザラザラした細い毛がうっすら生えている。

 果実をもいでみると、切断された茎の断面と果実から緑色の汁が溢れ出した。

「うわっ!汚ねぇ・・・」

 慌てて投げ捨てようとした時、汁からなんとも芳しい良い匂いがする事に気づいた。鼻を近づけて嗅いでみると、それはまるで桃かグレープフルーツのような甘い匂いだった。くるりと後ろを振り返る。

「宮下、お前ちょっと食ってみ」

「えっ!?俺ですか!?」

「毒味だよ、毒味。いいから早くやれよ」

 宮下と呼ばれた男は露骨に嫌そうな顔をしたが、逆らいはしなかった。金原から果実を受け取ると、目を瞑ってかじりついた。

 すると・・・

「あれ・・・?これ全然美味いですよ!」

 宮下は美味そうにひと口ふた口とバクバクかぶりつく。ピンク色をした柔らかい果肉は水分をたっぷり含んでいて、噛む度に甘い汁が溢れ出てきた。飢えた喉が一気に潤う。

 金原は他の仲間にも食べさせるためにどんどん果実を茎からもいでいった。そして、最後に自分も一つ手に取った。






 階段の踊場で休んでいた俺は、南部の差し入れを食べた後に、部屋への侵入を試みた。一階まで下りてからベランダの窓ガラスを割って入り、玄関に回って鍵を開ける。昨夜は疲労困ぱいしていたから気にならなかったが、夜になると踊場はかなり冷え込む。俺はともかくとして、7号とユイちゃんには耐えられないだろう。

 7号を担いで運び入れると、俺は次に荷物類を運んだ。ユイちゃんにも少し手伝ってもらった事で少し距離が縮まったのは良かった。

 今後の計画については特に新しい案はまだ出ていなかった。それぞれがぼんやりと不安を抱えたまま黙って物思いに耽っていると、気が付けば太陽が真上に昇っていた。

<サクト・・・・・>

 沈黙を破ったのは7号だった。どうかしたのか、と尋ねようと口を開きかけた時、

<いいからそのままで聞け>

 7号はうたた寝をしているユイちゃんの方を目で示した。俺は何か重要な話でもするつもりなのかと襟を正すように座り直した。

<私は何に見える?>

(・・・えっ?)

 俺は拍子抜けしてしまった。いきなり何を言い出すんだ。驚いていると、7号は遠くに思いを馳せるように窓の外を眺めた。

<何故だろうな・・・>7号は一旦言葉を切り、深く溜め息をついた。<お前たちを見ていると不思議とそんな事ばかり考えてしまう。変種とは何なのか、私は何なのか。こんな所にいて良いものなのか・・・・・>

 俺は黙って7号の話に耳を傾けていた。何故、彼女はこんな事を自分に言うのだろう。口調には表面的に自嘲的なニュアンスが織り交ぜられてはいたが、そもそも彼女がこれだけの問いを口にする事自体が変だ。俺は何と声をかけて良いやら分からなかった。

 すると、7号は急に空気が抜けたようにフッと笑った。

<色々と詮索しているようだが全て聞こえているぞ。そうか、私がこんな事を口にするのは異常か>

 俺は頭を覗かれた恥ずかしさにむっとした。毎度の事とはいえ、やっぱり慣れない。軽くプライバシーを侵害されている気分だ。

(だって普段はもっと偉そうに上から物言うじゃん。冷たさはそんなに変わらないけど)

 ちょっぴりし返ししてみる。7号はまた僅かに笑みを浮かべた。その顔にはいつものような尖った感じは無く、それどころかむしろ無邪気ささえあるように見えた。

<気持ちが悪いか?変種がこんな事を言ったりして>

(・・・別に。なんか少し意外だっただけだよ。ていうか、最初からそれくらいだったら喋りやすかったのに)

 こいつは自分では気づいていないのだろうか。少なくとも、この数日間でこいつはぐっと人間味を帯びてきた。出会った頃はこんなふうに雑談をしようとしても全く相手にされなかったのに今ではだいぶ打ち解けたと思う。

 それは俺自身にも言える事だ。はじめは不安を抱いていた事もあったが、共に無我夢中で困難をくぐり抜けていく内に自然と信頼関係が成り立っていったように思う。今では7号の第6感覚によるナビゲーションは生きる上でなくてはならない存在になっている。

<さっきの質問だが・・・・・実際の所はどうなのだ?>

 7号が尋ねた。あまり気にしていないような言い方だったが、繰り返し聞くくらいだからきっと俺に答えてほしいのだろう。

 改めて考えてみると、結構難しい質問だ。俺は7号をどう思っているんだろう。幼馴染みのレナに瓜二つで、でもめちゃくちゃ偉そうでたまに腹が立つ。でもなんだか憎めない。スポーツセンターの一件以来、こいつが側にいてくれた事で俺はずいぶん救われたと思う。相手は人間ではないのかもしれないけれど、少なくとも俺にはそんな事信じられない。

(・・・やっぱり、俺には人間にしか見えねぇな。そりゃあ厳密に考えたら変種とかに分類されるのかもしれないけど、見た目もまるっきり人間のガキだし言ってる事だって正しいし。・・・・・それに、何だかんだで俺らの味方じゃんか)

 俺はニヤリとした。7号が何なのかなんて問題じゃない。変種だから嫌だなんて考えた事も無い。7号は7号だ。そうとしか考えられない。

 すると、予想に反して7号は顔を伏せていた。

(おいおい、寝てんのかよ・・・。せっかく真面目に答えたってのに・・・・)

 ちょっとシャクだったので無理やり起こしてやろうと身体に触れた時、

<サクト!>

 7号がハッと顔を上げた。今の今までの表情からは一転して、鬼気迫ったようなものが感じられた。その異常に緊迫した悲鳴のような叫びに、寝転がっていたユイちゃんも弾かれたように跳ね起きる。俺もびっくりして手を引っ込めた。

「何だ!?」

 7号は両目を閉じて気を集中させた。額には既に汗が光っている。

<・・・・・団地の中に、一体の変種が侵入したのだ・・・・・・!>

 俺は耳を疑った。そんなバカな!あの頑丈な壁を越えて変種が入って来ただなんて信じられない。人間でさえ1人で破るのはかなり難しいはずなのに、果たして変種のような獣に破れるのか?

 7号はひどく焦っているように見えた。もしも追跡者のような強力な変種が侵入したとしたら、確かに一刻を争う。この場所に隠れていても絶対に安全とは限らない。全身の毛が逆立った。俺の脳裏に再びあの恐怖が蘇る。

 そして、7号はさらに信じられない事実を告げた。

<あの男だ・・・・南部とかいう男!あいつが・・・自らの手で変種を中に入れたのだ!>

「まさか・・・!嘘だろ・・・?」

 しかし、俺には分かっていた。7号は絶対に嘘をつかない。あいつは一体何を考えているんだ!

 俺は何も言わずレミントンを担いだ。タクマのリュックサックからBB弾のボトルを取り出し、マガジンに込める。これはほんの気休めだ。至近距離ではほとんど使い物にならないだろうが、いざとなれば銃床を打撃に使ってやる。相手は一体だけだから多少は役に立つはずだ。

<場所はここのすぐ近くだ。階段を下りて左、約10メートル先のフェンスの前だ!今はそこにいる!>

「昨日来た時と同じ所だ!すぐ行く!」

 俺は立ち上がった。心臓の鼓動がいつもより早い。息を吸うために開いた喉が震えていた。このままだと、恐怖から来る興奮で感覚が鈍ってしまう。俺は深呼吸をした。

<危険だと判断したら逃げろ。私も全力でサポートする>

 俺は7号の目を見て頷いた。その小さな瞳を見つめていると、不思議と勇気が湧いてくる。

「ねえ!何が起こってるの!?何かがここに来るの・・・!?」

 そう言ったのはユイちゃんだった。幼い肩を震わせ、カッと目を見開いて脅えている。

 俺は今すぐ飛び出して行きたい衝動をぐっとこらえ、ユイちゃんの肩にそっと手を置いた。

「・・・ごめん。怖がらせちゃったね。でも俺が必ずなんとかするから大丈夫だ。ユイちゃんは俺が帰って来るまで7号のそばにいてやってくれないかな。ここにいれば絶対に安全だから」

 言葉が上手く出てこなかったけれど、それでも俺はユイちゃんを安心させようと必死で説明した。最後に無理やり笑って見せると、ユイちゃんは静かに頷いた。そして、7号にぴったりと寄り添った。

「よし、じゃあ行ってくる!」






「もう少しだからな・・・・我慢しててくれよ・・・・・」

 南部は少女を負ぶさって歩いていた。少女と言ってもとうに息絶えており、紫色の死斑が身体中にびっしりとあらわれていた。腕や脚には獣か何かに食いちぎられたような深い傷痕がいくつもあり、患部はぐちゃぐちゃに膿んで黄色やら紫色やらに変色していた。汚れてボサボサの髪の毛に隠された顔面には2つの穴がぽっかり空いているのみだ。

 しかし、どういうわけかその身体には特有の硬直が見られない。だらんと南部の背に沿ってもたれかかっていた。

 醜く変わり果てた青黒い遺体をさも大事そうに運ぶ南部の表情は必死だった。常に人の気配を気にしながら、かねてよりの計画に基づいて歩を進める。先輩やサクトたちがいる場所から一番遠く、死角になっている43号棟まで運んでしまえばとりあえずは・・・・・。

 パワーショベルが停めてある瓦礫の山を横切ろうとした時、砂利道を走ってくる足音が聞こえた。

「おい!そんな事してどうするつもりだ」

 後ろから呼び止められた。もう見つかってしまうとは・・・・・。南部は歯を食いしばった。

「九瀬か。悪いけど見なかった事にしてくれ」

 南部が再び歩き出したので、俺は慌てて後を追った。

「ふざけるな!待て!」

 俺は南部の前に回り込んだ。

「どけよ」

 南部が恐ろしい形相でこちらを睨んだ。何故彼がここまで執着しているのか分からないが、俺は真実を伝える事にした。

「諦めろ、そいつは感染してる。直に動き出すぞ」

「・・・だから何だよ。こいつはまだ意識があるんだ。死んでなんかいない」

 一瞬眉が動いたが、それでも南部は一歩も譲らない。目線を逸らし、俺の横をすり抜けようとする。俺は再び立ちふさがった。

「・・・・・南部、そいつ誰なんだ?」

 気まずい沈黙がおとずれた。しびれをきらしたのか、7号の苛立った声が届いた。

<何をしてる、早く外に追い出せ!今ならまだ間に合う!>

(待ってくれ。なんとか説得したい)

 その時、南部が囁くように言った。

「彼女だよ・・・・・」

「え・・・?」

「こいつは俺の彼女なんだ!だから勘弁してくれよ!さっきから死んでないって言ってんだろ!」南部は吠えた。そして、そのあと囁くようなか細い声で「助けてやりてえんだよ・・・・・・・・」

 南部は再び歩き出した。俺はどうしても返す言葉が見つからず、地面を睨んだ。南部の言葉が頭の中で反響している。

 彼女?だから外に出る事も躊躇しなかったのか?この人を探すために?いや、でもこの先どうするつもりなんだ?

 こうしているうちにも南部はどんどん先に行ってしまっている。7号の怒鳴り声がさっきから脳内にわんわん響いていた。頭に血が昇った俺は、苦し紛れの提案を出した。

「南部、わけを話してくれないか?」

 南部の足が止まった。

「お前が何考えてんのか俺だって知りたいし、第一水くさいじゃないか。お前のしようとしてる事に賛成するか反対するかはその後で決める。だから、俺にも教えてくれないか?」

 時間が無くてヤバい時ほど冷静に。タクマから学んだ事だ。振り向いた南部の目を、俺はしっかり見据えた。ここでたとえ少しでも目を逸らしてしまってはいけない。

「こんな状況だからこそ協力しなきゃだろ。1人で抱え込んだって良い事なんかひとつも無いと思うぜ」

 長い沈黙の後、南部は溜め息をついた。

「・・・・・ついて来いよ」

 俺たちは南部が隠れ場所に指定していた団地の中に入った。は既に2階のドアは開けてあり、遺体はその中に運び入れた。凄まじい異臭が充満したが、お互い顔には出さなかった。

<何をしている!手遅れになるぞ!>

 7号が理解できないというように喚いたが、ここは自分に任せてもらうしかなかった。

 俺は先に沈黙を破った。

「その人、名前何て言うんだ?」

「・・・・・カナ。深谷カナ」

「カナさんはどこで見つけ・・・・・あの、会ったんだ?」

「もともとはこの団地の中にいたんだ。仮設住宅の近くにある俺の団地に泊まってた。もう長い仲なんだ、異変が起きた時にも車で真っ先に助けに行って、ここへ連れてきた」

 南部はほとんどうわの空といった様子だったが、俺は時折相槌を打ちながら聞き続けた。

「その頃はもっと元気だったよ。2人でこの囲いの中を散歩したり・・・でも、あの日カナは一緒に外に出たいと言ったんだ。いくら危ないって言っても聞かないから、俺は連れ出したんだ・・・・・・・・」

 南部は拳を握り締めた。

「そこで・・・・・感染したのか」

 そう聞いた後で、俺は自分が余計な事を言ってしまったと気づいた。

「感染して錯乱したババアが襲ってきて・・・それで、あの糞野郎、俺じゃなくカナを狙いやがったんだ!!」

「もうわかった、南部!もういいから!」

 しかし、南部はなおも続ける。

「俺だってさぁ、戦ったんだよ・・・・・・そばにあったもんを全部投げて。後ろから首絞めようともしたのに・・・・・それなのにあいつ、全然カナを離しやがらねえんだよ!!かと思ったら急にどっかに行っちまいやがった・・・・・」

 俺は顔をしかめた。通常種が獲物を置いてどこかへ消えた?そんな事あり得るのだろうか。もっと詳しく聞いてみたかったが、今は我慢する事にした。

「・・・・・後からノコノコ出て来てみたらこれだよ。アハハハハハハッ」

 南部は狂ったように笑いながらカナの遺体を指差した。

「もういい・・・・・悪かった。こんな事聞くつもりじゃなかったんだ。本当にごめん・・・・・・」

 南部にそんな過去があったなんて。あの場違いなほどの明るさは、きっと悲しみの裏返しだったのだ。俺は、勝手に早合点していた自分を恥じた。

「・・・・・こいつを守るのは俺の責任なんだ」

 南部は言った。俺はもうこれ以上あれこれ聞く気はなかった。おそらく俺が何と言っても南部は考え直してはくれないだろう。しかし、このままでは変種が解き放たれてしまう。どうすれば・・・・・

 その時、突如としてキーンという耳鳴りがした。それに続いて、外で恐ろしい悲鳴が聞こえた。

 俺は反射的に立ち上がった。何だろう、嫌に胸が騒ぐ。

 ベランダに出てみると、そこには目を疑う光景が広がっていた。

 団地の上空30メートルくらいの所を、おびただしい数の巨大なエイのような生物が浮遊していた。青白く滑らかな体の両端にヒラヒラと波打つ膜のような物がついている。間違いない、新手の変種だ。

「・・・・・!!」

 エイたちが泳ぐように飛び回っているその真下で、仮設住宅の住人たちが逃げ回っているのを見つけた。

 その時、一匹のエイが腹のあたりから水色の細い糸のような触手を伸ばしはじめた。フワリフワリと徐々に高度を下げ、触手で直下を逃げる男の頭部に触れた。

 その瞬間、バーンという物凄い破裂音がした。すると、触れられた男の身体が硬直し、そのままバタリと地面に倒れ込んだ。全てがほんの一瞬の出来事だった。

「今の、何をしたんだ・・・・・」

 すると、エイは今度は頭の先から白くて太い無数の触手を出し、男をぐるぐる巻きにして絡め捕った。男の脚が僅かに見えたが、ピクピクと小刻みに痙攣していた。

 俺は7号とユイちゃんの事を思い出した。今彼女たちを二人きりにしておくのは危険だ。

 外へ出ようと歩き出しかけて、俺はふとある事に気づいた。どうして7号から何の連絡も無いんだ?そういえば、彼女からの連絡はいつの間にか途絶えていた。妙だ・・・・・7号ならあの変種が来た事に気づかないはずがない。きっと警戒して俺に連絡してくるに決まってる。

 まさか・・・・・!考えるよりも先に俺は走り出していた。

さっきまで轟いていた悲鳴は嘘のように消え、あたりは不気味な静けさに包まれていた。

 仮設住宅の前は地獄と化していた。突如として飛来したエイの変種により、作業員の大半が失神させられ捕獲された。しかし、エイたちは捕らえた人間を喰おうとはしなかった。気味の悪い白い触手で捕まえておくだけ。まるで集める事だけを目的としているようにも見えた。

 俺はまだ43号棟から抜け出せずにいた。1階までは降りたものの、すぐ近くにエイが飛んでいるため、迂闊に出ることができないのだ。

 隠れ場所から顔を出すと、ほんの数メートル先でコートを着た女が釣り上げられるのが見えた。これじゃあいつまで立っても外に出られない。

 もどかしさのあまり舌を噛むと、気がゆるんだ隙に足が地面に擦れてガリッと音を立てた。

「・・・!!!」

 エイがいる方向から、パタパタという音がした。ヤツらが体側の膜を動かす時の音だ。だんだんと近づいてくる気がする。

 しまった!こっちに来る!俺は息をのんだ。

 どうする?今すぐ飛び出せば、不意をついて逃げられるかもしれない。上に登って逃げ場が無くなるよりはマシかもしれない。ただ、失敗した場合は一瞬で全てが終わる。もしあの水色の触手に少しでも当たれば、二度と動けないだろう。その先に待つのは恐らく死だ。俺だけじゃない、やがては7号とユイちゃんにも魔手は迫る。どう考えたってリスクが高すぎる。

 考えれば考えるほど俺の足は鉛のように重くなっていく。

 その時―カサッ・・・カサッカサッ・・・。顔のすぐ右横で音がした。俺はゆっくりその方向を見る。

 それは、白い触手が団地のコンクリート製の壁を這う音だった。俺は叫び声をあげたくなるのをこらえた。身体が強張る。

 もう終わりだ・・・・・一瞬の躊躇が命取りになった。

「サクトさん!!どこにいるの!?サクトさん!!」

 突然、少し離れた所でユイちゃんの甲高い声がした。すると、目の前まで迫っていた触手はピクリと一瞬反応して引っ込んでしまった。エイが方向転換するのが気配で分かった。

「7号さんが目を開けないの!!ねえサクトさん!!早く戻って来て!!」

 ダメだ、今外に出てはいけない!

 俺は立ち上がろうとした。しかし、腰が抜けてしまっているのか、ちっとも足に力が入らない。

 くそっ、こんな時にどうして・・・・・!俺は音が出るのも気にせず、足をガンガン叩いた。

「動けよ・・・この役立たず!動け!」

 その時、耳をつんざくようなユイちゃんの悲鳴が聞こえた。

 俺は足を引きずるように、匍匐前進で隠れ場所から這い出た。

「ああッ・・・・・!!」

 あらゆる動きがまるでスローモーションのように感じた。

 3匹のエイに取り囲まれたユイちゃんは尻餅をついていた。

 水色の触手が伸びる。

 バァァァン!!!

 ユイちゃんの身体が完全に倒れた。白目をむき、腰を浮かして反らした身体は痙攣している。

「や、やめてくれ・・・・・」

 無数の白い触手が束になって襲いかかる。ユイちゃんの足や腕、首筋と順番にシュルシュルと絡みつき、何かを調べ上げるかのように下品に這い回った。

 そして、全身を蹂躙したあと、ユイちゃんをぐるぐると触手で巻きとり、再び浮上した。

 こんな状況なのになぜ俺の足は動かないんだ。目の前で起こっている事全てが冗談のように思えた。

 エイたちがどんどん集まってきた。俺は畏怖した。全部でいったい何匹いるんだ?見えている個体だけで少なくとも20匹以上はいる。

 すると、エイたちはこちらに背を向けて次々に飛び去った。

「待て・・・・・!」

 俺はまだ力が入らない足を無理やり持ち上げた。階段の手すりに掴まりながらなんとか立ち上がる。

 ユイちゃんが連れ去られた!タクマが命より大切にしていた妹が連れ去られてしまった!

 俺は、エイたちが去った方角を睨んだ。最後尾のエイの後ろ姿がまだ若干見えている。まだ間に合う!

 俺はよろよろと歩き出した。

「待ってくれ・・・!!その子だけは・・・・・その子だけは殺さないでくれ!!」

 じんわりと太ももから足首にかけてが熱を帯びてきた。グッと力むと目を覚ました筋肉に力が漲る。

 急げ!ユイちゃんだけは何が何でも絶対に取り返すんだ!

 瓦礫の山を横切り、フェンスの前に来た。俺は昨日南部が使っていた穴に身体を滑り込ませ、外に出た。

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