22 -贋者-
とある国、とある深い森に男は降り立つ。
強い魔力を感知して振り向くと、生まれてから1年も経過していないだろう蜘蛛の魔物、アラクネがこちらを睨みつけていた。
「……アラクネの幼体か。少し物足りないが、実験するには丁度いいか」
男はアラクネに、魔法陣の描かれた羊皮紙を向けた。
それに少しずつ魔力を込めていくと、羊皮紙からアラクネに向けて細い魔力の線が繋がった。
「さて。お前は、どうなりたい?」
男が問いかける。
突然現れた男に対して、警戒心を研ぎ澄ませているアラクネがその答えを持つはずもない……筈だった。
「人間……に、なり、たい」
アラクネというのは、孤独な魔物だ。
子を成した親はすぐにその命を落とし、生まれたばかりのアラクネの餌となる。
また、圧倒的な魔力量と膂力により自分を脅かす敵などいない。
その地域で主となる個体がほとんどで、共存や対等な存在などいないのだ。
そんなアラクネが、初めて人間を見た日のことだ。
彼らは個々の力こそ劣るものの、その数と連携によってアラクネに初めて傷をつけたのだ。
その傷は1日もしないうちに完治してしまったが、アラクネにとってはそれが大きく印象に残っている。
「人間に憧れる魔物か。ふふ、丁度いい。お前にはこれをやろう……名は、《贋者》」
その名がアラクネの耳に入ると、繋がっていた魔力の線がアラクネを包み込んだ。
男は訳がわからず暴れるアラクネをしばらく眺め、魔力が完全に馴染んだ事を確認してから姿を消した。
「人の本質とは、憎しみ殺しあう事だ。お前にはその力をやろう」
そんな言葉を残して。
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闇属性の適性が高いからか、単純に魂を防護する魔力の量で負けているのか、アラクネを眠らせることに悉く失敗している。
「面倒な……アヤメ、少し時間を稼げ。アレを出す」
「アレ?……ああ、あれっすね!ルミさんから出すなんて珍しいっすね!」
アヤメの言うように、正直出したくない手札ではある。
しかし、使える手札を渋るなんてわがまま言ってられないほど、このアラクネの実力が高いのだ。
私の魔法を受けてもびくともしない耐久力に、アヤメですら抑えるのがやっとな膂力。
それでいて、詠唱を伴った魔法を使用するという気持ちの悪さ。
早く仕留めておきたい。
「夢魔法・転魄の章《贋》」
私は魔石を放り、その魔石の主を呼び起こした。
その姿を見るだけで、無くした筈の右腕が痛むように感じる。
私の仇敵である、地竜が私の眼前に姿を現した。
「……そこの蜘蛛女の相手をしろ。殺せるならいつでも殺せ」
「グオオオオ!!」
私の右腕を食いちぎったあの頃と変わらず、本能に正直な性格だ。
私の命令を受け、アラクネにその強靭な口を向けた。
食えとは言ってないのだが、まあこの程度で死ぬような相手でもないだろう。
「《贋者》」
______今、人間の言葉を?
その疑問を反芻する前に、アラクネの結果が全てを教えてくれた。
アラクネの蜘蛛部分から生えていた、人間の上半身が消えている。
そしてただの蜘蛛となったアラクネの前脚が地竜の顎を押さえ込んでいた。
そのまま地竜の口を破壊するかと思ったが、アヤメが横から攻撃することで逃げる間を作った。
「……魂に作用する魔法か。厄介な」
先程のアラクネから感じていた魔力の質とは明らかに異なる、練られていない野生的な魔力を感じる。
魔力の質が変わっているということは、それ即ち魂が変質しているということだ。
先程と同じ相手だと思って戦えば、危険は免れないだろう。
「物理的な攻撃に気をつけろ!魔法はこっちでなんとかする!」
私は《骸砕》を円月輪に付与して放る。
アヤメと地竜のサポートのつもりだったのだが、アラクネはこちらを目視することなく円月輪を避けた。
空間感知能力は先程と比べ物にならないようだ。
「十戒・神速……モドキっす!」
アヤメが右足を踏み込むと、その姿が消える。
彼女が言った通り、ヴェンの《十戒・神速》を見て思いつきでやってみたところ、かなり実用性があったために普段使いさせている。
そんなことを考えている間に、アラクネの左前脚が2本叩き切られている。
不満があるわけではないが、やはり私の魔法ではあの身体能力を凌駕する攻撃はできないな。
おとなしくサポートに徹するとしよう。
「キチキチキチ!!」
脚を切り落とされ、牙をカチカチと鳴らして怒りを露わにしている様子のアラクネ。
しかし思ったよりかなり冷静なようで、2度目以降の十戒・神速モドキは脚を硬化することで防がれている。
「キリがないな……かといって隙が大きい魔法を使えばあの化け物じみた脚に突き刺されて終わりだ」
実際、私だけはこの化け物の動きを目で追うことしかできていない。
今後の課題であり、現在の問題だ。
自分の力が及ばない故に届かないのなら、犠牲を払わなくてはならない。
しかし私は、右腕どころか髪の1房すらくれてやる気はない。
であるなら、失っても痛くない駒を。
「おいトカゲ、私を覆うようにして守れ。魔法が完成するまで絶対に通すな」
「ゴオオオ!」
蜘蛛と対峙していた地竜は、即座に私の事を覆うように丸まった。
《贋》の最も優れた点、それは対象が肉の壁になることを躊躇わない点だ。
早速あの蜘蛛を眠らせる為に詠唱を開始する。
「眼を開いた愚かな童共よ
隠り世の詩を聞け
それがいましらの鎮魂歌となるのだ」
高速で移動するあの蜘蛛には、普通の《安寧》では当たらない可能性が高い。
なので、詠唱を少しいじって効果範囲を広げる。
かつてのように、発動するだけで体内魔力がぐちゃぐちゃになる様なヘマはしない。
適当な魔石をいくつか放り、中の魔力が消えていくのを眺めながら紡ぐ。
「冥土の土産は用意した
安らかに眠れ」
後は《安寧》を起動するだけ……そんな時、嫌な音が聞こえた。
______バリ、バリ、ビシャ、バリ。
それと同時に、私を守るトカゲの身体が薄くなっていった。
「まさか、この短時間でトカゲの魔石を喰らったのか」
アヤメの攻撃を抑えつつ、的確に弱点を突く。
全く、犠牲を払ってギリギリとは恐ろしい魔物だ。
「終わりだ。夢魔法・理外の章《安寧》」
自分を除く、範囲内の生物全てを対象とした。
これなら、どれだけ素早く動き回ろうとも関係無い。
ただ一つ不安があるとすれば、魔法の起動と共に聞こえたアラクネの声。
蜘蛛の言葉など理解はできないが、あれは……。
詠唱ではなかったか?
辺りが静まり返り、地竜の身体は完全に消え去った。
そこに残るのは、私とアヤメ、そして眠ったアラクネのはずだった。
「私の進化を手助けしてくれるとは、矮小な人間にも感謝を示さなくてはいけませんね」
それは、異様そのものだった。
蜘蛛を彷彿とさせる部位は完全に消え去り、一見するとただの人間に見える。
しかし、異様なのは彼女の中の魔力だ。
半人だった時とも、完全な蜘蛛だった時とも違う、圧倒的に洗練された魔力の質だ。
これほどの魔力を見るのは、かつての師、風魔公アリー以来だ。
「アヤメ、逃げるぞ」
即座にアヤメに声を届ける。
私の魔法で勝つことは、万に一つもあり得ない。
であるならば、不用意に命を散らすこともない。
大人しく逃げるのが最適だ。
「待ってくださいっす!」
こんな時にワガママを聞いている暇はないのだが、彼女の声から滅多に感じない、真剣さを感じたのでそちらを見る。
「多分だけど、今のあいつならアヤメが勝てるっす」
「何処を見てそう思った?幾ら魔法に耐性があるお前でも、あいつの魔法相手じゃ木っ端微塵になりかねないぞ」
軽く脅してみせるが、彼女曰く今のアラクネには”野生”特有の恐ろしさが無いという。
確かに、蜘蛛だった時に比べれば脆そうではあるが。
私には理解できない感覚、それを頼りにして良いのか?
______信じてくださいっす、ルミさん。
魔物風情が、そんな眼をしていた。
……私も、この状況で参ってしまったらしい。
自分の駒、肉壁以上の価値は無いはずなのだが。
「……ククク、面白いじゃないか。防御は任せろ、ぶっ倒れてでもお前を守ってやるから絶対にアレを倒せ」
「もちろんっす!」
そう言って私の知覚出来る速度の外に言ってしまった彼女は、笑っていたような気がした。
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