065 母親としての義務?
いつもの夏と同じように融は実家に帰って来ていた。
今年も衣虎がいる間は鏡子を波川家に預ける手はずになっている。
トロフィーを衣虎に見せたら、興奮気味に喜んでくれた。
「さすが兄さんだ!やっぱり僕の兄さんはすごいや!」
衣虎は競技のルールや人気選手の名前も詳しく知っている。融に向かってその情熱を語ってくれた。融は一生懸命に自分の思いを伝えようとする衣虎の言葉に静かに耳を傾けていた。
拙い自分の話を真剣に聞いてくれている大人びた兄の姿を見て、衣虎はより一層融のことを尊敬していた。
(言えない。実は、いまだにどんな競技なのかさえよくわかっていないだなんて。
まさか衣虎の趣味がスポーツ観戦で、しかもこの競技の大ファンだなんて知らなかった)
大切な弟の夢を壊してしまわない様に、融は全身全霊で取り繕っていた。
表情は余裕に見えるけど、内心では限界ギリギリだった。
ちなみに、戦車引きは超能力競技の中でも一番のパワー系競技である。
その才能、参加できるだけの能力を持つ者の数も少なく、各学校に一人いるかどうかというぐらいだ。
戦争が起きたら真っ先に兵士として参加させられてしまう強力な超能力者が主な競技者たちなので、世界大戦が起きる未来では無くなってしまった幻の競技なのだ。だから、融は知らなかった。
穏やかに日々が過ぎていた蒸し暑いある日のこと、普段この家にいない人物が密かに帰って来ていた。この家の当主、転法輪倫だ。
部下から情報をもらうまで、融が優勝していたなんて知らなかった倫は、直接会っておめでとうの言葉を伝えたくて仕方が無かった。
夏休みになり、融が家に帰ってくるタイミングをずっと待っていたのだ。
やっと、敵との小競り合いもひと段落して帰ってこられた。
「融も事前に教えといてくれればいいのに。私も応援したかったな。
黙っていた仕返しに、母さんも息子たちを驚かせるために、こっそり帰ってきたゾ!」
帰ってきたとはいっても、倫はあまり長く基地を離れるわけにはいかない。融や衣虎と少し話したら基地に帰ることになっていた。
「ああ、いっそのこと一ヶ月くらい休みをとって、息子たちと一緒にゆっくり過ごしたかった」
倫は穂積から融の居場所を聞いて、その部屋へと向かっていた。
「たっだいまー」
勢いよくかけた声は、すぐに小さく消えそうな大きさになっていった。
部屋に入ってすぐに目についた融が、ソファーに横になっていたからだ。
メガネ型情報端末も外して、テーブルの上に置いてある。どうやら眠っているみたいだ。
倫は融を起こさない様に、足音にまで気を使って眠っている融に歩み寄る。
穏やかな寝顔をすぐ近くで眺めている。倫にとって、いつまでもこうしていたいと思えるほどの幸福な時間だった。
融が寝返りを打った。寝顔を見ていたリンの視線が一瞬外れて、テーブルの上の眼鏡型情報端末が目に入った。
「駄目じゃないか、融。情報端末は個人情報の塊なんだぞ。こうやって無防備に置かれたら誰かに盗み見られてしまうかもしれないじゃないか」
倫は自分がプレゼントしたそれを手にとって、身に着けてみた。
言っていることとやっていることが逆だった。
「生体認証作動中、持ち主以外の人物は使用不能に設定されています」
倫が情報端末を勝手使おうとすると、プロテクトが作動した。
「ふっふっふ、私をいったい誰だと思っているんだ!こんなこともあろうかと、強制解除できるようにしておいたのさ!」
倫がわずかに操作すると、プロテクトが外れた。息子の個人情報を盗み見る気満々である。
「さーて、融は普段どういう使い方をしてくれているのかな?」
倫が最近の操作履歴を表示する。
通信履歴の名前には、前もって部下に調査させておいた名前が並んでいた。
波川美涼、雪村鏡子、青山進馬、三崎杏菜。学校でもよく彼らと遊んでいるみたいだ。
「愛する息子の交友関係を軍の情報機関に調査させて把握するのは、母親としての義務みたいなものだよね」
彼らの名前を入力して、映像ファイルを表示させると膨大な量のデータが並んでいた。
「うわぁ、こんなにたくさん録画しているのか。ややっ!中等科の入学式の映像もあるぞ。融の視界からの映像記録だから、融の顔は鏡に映った時くらいしか映っていないけど、これはこれでいいものね。こっそりコピーしておこうかしら」
映像を再生して観ながら、倫は自身の腕輪型情報端末にデータをコピーする。
「融が参加した合同体育大会の映像記録は無いのかしら?」
倫は関連しそうなワードを入力して検索する。
「これもまた多いわね。
あれ?融が優勝した時の映像記録が無い。なんでかしら?普通こんな時の映像こそ記念に残しておくものじゃないの?」
この時の融にとっては、自分でも何をやっているのかわかっていない出来事なので、重要な出来事だとはさっぱり思っていないから記録なんてしていなかった。
「うん?自分の映像は残していないのに、他の人の映像はいっぱい残っているわね」
倫が表示した映像には月城晶の一等で走り抜ける映像や、月城結梨亜の力強い勝利の瞬間が映っている。
「月城さんちの女の子たち?もっと調べてみるか?」
二人の名前を入力すると、大量の画像、映像データが表示された。
「月城晶ちゃんは融の同級生で友だちみたいだから映像があるとしても、月城結梨亜の映像や画像データがこんなにあるのはなぜかしら?
初等科では他学年との交流ってほとんどないから、出会ったのは中等科になってからのはず。ほんの数カ月でこんなにデータがある?
なんだか嫌な予感がするわ!そう、母親の直感的な!」
映像データのコピーとともに、月城結梨亜の名前を要注意人物として倫は心に刻み込む。
数日前のデータがあった。この日からは夏休みだった。
記録されていた映像を再生してみていた。
「おかえりなさいませ、融さま」
首にスカーフを巻いた執事の穂積が丁寧に頭を下げている。
融は執事と軽く挨拶をかわすと、家族たちの予定を尋ねていた。穂積が、父親は帰ってこないと報告している。
「あの人ったら、相変わらず融のことが苦手なのね」
自分の夫の態度に倫は少し不満を持っていた。彼は昔から融と距離をとっている。衣寅にはそんな様子は見られないから、子供が苦手でそうした態度をとっているというわけではなさそうだ。
「兄さん!おかえりなさい!!」
映像の中に衣虎が出てきた。母親の倫には決して向けてくれないような輝く笑顔で融に抱きついた。融が頭をなでて、最近の調子を聞いている。兄弟の会話をしていた。
「衣寅っ!!」
衣虎の映像も倫は勝手にコピーしていた。
それから、倫は自分の画像データを、融の眼鏡型情報端末に勝手に送っている。少しでも融に気に入られようと暴走中だ。
「せっかくだから、新しくフォルダーを作ってあげた方がわかりやすいかな?」
自分のデータを送り終えると、謎のフォルダーを発見した。
「なんだろ?」




