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「華瞭村領主、希角」
コノハがもう一度名前を呼ぶと、痩せぎすの男は不機嫌に顔を歪めた。
「一介の村娘の分際で…」
構えた領主の右手が光る。
閙か!と緊張するクラマとカラス。
「気安く私の名前を呼ぶな!」
白く光る気の塊を放つ領主。
しかしコノハは冷静に右手を正面に付き出し、掌で領主の閙を受け止めた。
そして握り潰す。
「な…」
驚く領主の顔を憂鬱そうな顔で見返すコノハ。
発酵した汗の様な酢っぱい匂いが辺りに広がる。
これは閙を使った時に発せられる臭いで、完全に消す事は絶対に出来ないらしい。
なぜ臭いのかは未だに解明されておらず、体内の気を外に出す時に体臭も一緒に放出してしまう、と言う仮説が現在の主流との事。
つまりこの臭いは領主の体臭が閙と共に飛んで来た物と考えられるので、中年男性の匂いを嗅がない様に数秒だけ息を止めるコノハ。
「あんたが私を中央に送るから、こんな事になってしまったのよ」
呼吸を止めているせいで鼻声になっているコノハを真面目な顔で見詰めるカラス。
中央から出発してこの村に着くまでの一泊二日の間、コノハは閙の制御する訓練をしていた。
クラマはまだ基礎しか教えていない筈だが、それなのにここまで出来るとは。
今行ったのは、掌に閙の膜を張り、それで相手の閙を包み込んで威力を殺す防御の技。
理屈で言えば簡単だが、実際にやるとなれば話は違う。
握るタイミングも大事だが、閙の強さが決定的に違わなければ不可能な技なのだ。
例えば、子供の本気パンチは、大人なら軽く掌で受け止められる。
しかし大人の本気パンチを掌で受け止めたら無事で済む保証は無い。
戦闘訓練次第では受け止められるだろうが、コノハは先日までは普通の少女だった。
つまり、領主とコノハの閙の強さは、子供と大人程の差が有ると証明された事になる。
それが分かっている領主は、真っ青な顔で一歩後退った。
「…カラス?」
優男にじっと見られている事に不快感を感じるコノハ。
兄もたまに妹の顔を見詰めるが、コノハ自身は男の人に見詰められるのを苦手に感じている。
少女と男性と言う、生物的にどうにもならない筋力の差に負けず嫌いの性格が疼いてしまうからだ。
「ん?どうしたの?」
自分が真面目な顔になっている事に気付いたカラスは、スッと笑顔になる。
「ここで服を出すって打ち合わせしたんじゃなかったっけ?違った?」
「ああ、そうだったね。了解」
カラスは腰に下げていた小さな鞄の中から白い布を取り出した。
それをコノハに頭から被せる。
「そ、それは!」
布の中心に頭を通す穴が開いているポンチョの様な衣装。
真っ白な生地の肩の部分には鎖状の縄が装飾として下がっており、胸には輝く白金の糸で刺繍された白虎。
「その色と形、そして刺繍!まさか、尋問官装束?」
頭を振り、ポンチョの中に残っているポニーテールを引き摺り出すコノハ。
「そう。私は西方大王直属の特殊尋問官です」
コノハが胸を張ると、白金の白虎が太陽の光を受けて輝いた。
ふと、玄関の扉の影で千角がこちらの様子を伺っている事に気付く。
今のこの行動は、兄を助けてくれた彼を裏切っているのではないか。
そう考えると決心が揺らいでしまいそうになるが、命世がコノハとしてこの役職を全うする事は兄の誇りになる筈。
病気に打ち勝つ、生きる希望になる筈。
そう願い、言葉を紡ぐ。
「華瞭村領主、希角は、鉄工職人達の住宅や作業場の建築の場で、村人を不当な低賃金で働かせている。その際、中央からの援助金を着服している」
「…く」
奥歯を噛む領主。
西方大王直属と言う事は、コノハの上には西方大王しか居ないと言う事。
地位的には天帝と四人の大王以外の人間を顎で使える駒以下の存在とする程の権力を持っている。
コノハから見れば、地方の村の領主と一般の村民は同レベルの民衆でしかない。
なので、上下関係に敏感な元軍人の領主は黙って言葉を受ける。
「その上、以前から村人の年金の一部や孤児院経営費等の横領を行っている。これらは立派な違法行為である。よって」
きゅっと唇を噛むコノハ。
ごめんね、千角。
「華瞭村領主、希角から、領主の資格を剥奪。中央裁判所送りとする。その後の処遇は中央裁判所の判断に任せる事とする」
言い切ったコノハは、軽く天を仰いで息を吸った。
「…連れて行け」
息を吐きながら言うと、黒装束を着た二人の白天がどこからともなく現れ、領主の両腕を取った。
森で報告をしたあの少年じゃない、大人の男二人だった。
黒い布で顔を隠している。
領主はコノハを一睨みしてから顔を伏せ、全く抵抗せずにそのまま連れられて行く。
「建築屋も同じく中央裁判所送りとする。クラマ、探して」
「は」
剣を納め、コノハに軽く頭を下げるクラマ。
すると黒装束を着た少年が現れ、クラマと共に領主の家の中に入って行った。
体格から、香草の森の中で会ったあの少年だろう。
少年も黒い布で顔を隠している。
コノハ達以外の前では顔を隠す決まりらしい。
少年とクラマを見送りながら尋問官装束を脱いだコノハは、それをカラスに返した。
そして領主の家の玄関に歩み寄る。
「…千角。その、何て言うか…」
呆然としている千角の前に立つコノハ。
千角は、気まずそうなライバルの顔を見て我に返った。
「お、お前、尋問官だったのか…」
「千角のお父さんが私を中央に送ったせいで、何故かこうなっちゃったのよ。これが初仕事」
美少女のションボリとした顔から視線を逸らした千角は、密かに唇を噛んだ。
「父上が、言ったんだ。どんな事情が有ろうと罪は罰せねばならん、…って。父上が悪事を働いていたんなら、お前のした事は正しいんだろ」
言って、コノハに背を向ける千角。
「…うん。分かってくれて、ありがとう。そして、兄さんを助けてくれて、ありがとう」
頭を深く下げてから、コノハも千角に背を向けた。
そして領主の家から歩み離れる。
「かくしてあの少年の初恋は終わりました。ってね。それも風弥の計算通りって感じかね」
尋問官装束を鞄に仕舞いながらニヤけるカラス。
昨晩、絶対に命世に間違いが有ってはならないと風弥は言った。
つまり、馬の骨程度の男には妹はやらん!と言う事。
千角と命世のライバル関係を、風弥は勿論知っている。
いがみ合って育った幼馴染みが何故か結婚したと言う話は、噂程度では良く聞く。
男女の仲は常識や予想は通用しないのだ。
だから風弥は希角の処分を中央送りにしろとコノハに助言したのだろう。
そうすれば、領主の家族は中央の命令によって故郷の村に帰される。
旅の途中で千角の村に寄る事が有るかも知れないが、それよりも、旅が終わって村に帰って来た時に千角が居る事の方が兄には心配なのだろう。
予定では、西方を一周したら旅は終わる。
ひとつの地方だけの旅だが、それでも五年以上は掛る。
そんな辛い旅を終えた安心感と懐かしい顔に会った安堵感で命世の心がどう動くか分からない。
どうなるか分からないのなら、最初から千角の家族ごと村から追い出しておけば心配は無くなる、と言う訳だ。
もっとも、尋問官として有罪確定の領主の家に乗り込めば、中央送り以外の選択肢は殆ど無いのだが。
妹の方も兄さんラブラブだし、命世はマトモな結婚が出来るのかねぇ。
余計な心配だけど。




