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用意されていた黒い服は、身体の線が出るくらいに細い着物だった。
特に袖が細く、腕を通すのも一苦労した。
嫌がらせかと思ってしまうくらい着難い。
しかし裾は引き摺る程長く、ゆったりとしている。
バランスの悪い、奇妙なデザインだな。
医者が用意してくれた食事も、あんまり美味しくなかった。
白飯と山菜汁、肉料理に漬物といった超豪華な物だったのに。
質素でも、取り立て作り立てが美味しいって事かな。
そう思いながらも米の一粒も残さずに平らげる命世。
満腹になり、立ち上がって伸びをする。
うん、調子が戻って来た。
医者からゴム紐を貰い、髪を上げてポニーテールにする。
仕上げに前髪を留めている髪飾りを指で撫でる。
この髪飾りをいの一番に着けなければ落ち付かなくなって来た。
「私の着物はいつ返して貰えますか?」
筋を伸ばす柔軟体操をしながら訊く命世。
診察机で頬杖をしている医者は、引っ詰めにしている頭を掻きながら少女を眺めている。
「今日は良い天気だからすぐに乾くと思うよ。…やっぱり普段の格好が良い?」
「うん。動き易い方が良い。この服、動き難いし」
「文官用の機能性重視の物だからね。ここは仕事場だから、子供向けの服が無いのよ。あんたに合う小さい服はそれしかなかったのさ」
「そうですか」
体操を終え、さてこれからどうしようかと考えていたら、医務室のドアがノックされた。
「失礼します。命世さんの具合はどうですか?」
医者の返事の後にドアを開けて入って来たのは、命世が着ている物と同じデザインの着物を着た女性だった。
ただ、色が赤い。
それに、不自然な程に胸が大きい。
上半身の線が出るデザインなので、ついそっちに目が行ってしまう。
「食事もキレーに平らげ、元気そのものよ。問題無し」
笑顔で応えた医者に頷いた胸の大きい女性は、命世に視線を向けた。
不思議な事に、瞳が青い。
くるくると巻かれている髪も金色だった。
兄から聞いた事が有る、異人と言う奴だ。
初めて見た。
「命世さん。私は西方大王の秘書を務めさせて頂いているサウグタです。宜しく」
「よ、よろしく」
背の高い異人の雰囲気に気圧され、固まる命世。
物凄い美人なのに、氷の様な冷たい雰囲気を纏っている。
危険な野生動物を目撃した時の様に視線を外せない。
しかしサウグタはそんな反応に馴れているので、顔色も変えずに続ける。
「今回の問題には西方大王自らが対処されます。命世さんはこれを拒否出来ません。私が案内致しますので、逸れない様に付いて来てください」
淀み無く言ったサウグタは、ドアを全開にし、勝手に閉まらない様に手で押さえたまま半身になった。
外に出ろ、と促されているらしい。
不安そうに医者を見る命世。
その視線を受けた医者は、肩を竦めて笑った。
「大丈夫。罪人には白い飯は出さないから。命世、あんた、客人待遇だよ。大手を振って大王に会ってきな」
「あのぅ、そうじゃなくて…」
「ん?」
「西方大王って、何?」
そう訊いた命世にキョトンとした顔を見せた医者は、次の瞬間、大口を開けて笑った。
「あんた、何も知らないんだね。そりゃ不安にもなるわな」
「兄さんから聞いてはいるよ。大王って人が四人居るって。ただ、西方ってのが初耳なだけ」
大笑いされた事に居心地の悪さを感じた命世は、唇を尖らせて言い訳をする。
「四人居るってのを知ってるなら話は早いじゃないか。東西南北の四方向に一人ずつ大王が居るんだよ」
口の端を上げたままの医者は、白衣の裾を直しながら説明する。
「西方大王は、天帝から見て西の方角を治めている、その方向で一番偉い人って訳さ。悪い噂は、ちょっとぐうたらって事くらいしか聞かない人」
ゴホン、と咳払いするサウグタ。
「おっと、口が滑った。ま、良い人だって事は私が保証するよ。あんたはあの風弥の妹で身元はハッキリしてるから、無体な事はしないだろうよ」
「兄さんを知ってるの?」
「医者と患者って関係さ」
そうか、ここに勤めていた時は、兄さんはこの先生に診て貰っていたのか。
「では、命世さん。参りましょう」
サウグタに頷いてから医者に礼を言う命世。
「ありがとう、先生。お世話になりました」
「うん。元気でな」
机に肘を突いたまま手を振る医者と別れ、廊下を歩くサウグタと命世。
脱走を図っていた時とは違い、大勢の人が行き交っている。
何をそんなに急いでいるのか、全員の歩く速さが妙に早い。
命世達に視線を向ける暇も無い様だ。
ドアが開けっぱなしな部屋の中で働いている人達も見えた。
その風景を見て、なる程と思う命世。
男女共に上半身の線が出る程に細い着物は、書き物をする時に袖が邪魔にならない様に出来ているのか。
男性はグレー、女性は黒。
赤い着物はサウグタしか着ていない。
秘書とか言う物だからだろうか。
と、部屋の窓の外に有る黄色い建物が見えた。
今居る白い建物を含めたよっつの建物が東西南北をそれぞれ治めていて、その中心に一番偉い人が居る建物が有るって事かな。
って事は、この国で一番偉い天帝って言う人があそこに居るのか。
その人に年金を貰っている訳だから、兄さんの恩人なんだよな。
もし会えたらお礼を言わなくちゃ。
「こちらです」
歩きながら考え事をしていた命世は、サウグタの声で我に返った。
そして柱の中の螺旋階段を登る。
上へ上へと登り続けて三十分。
好い加減疲れて来た所で階段が途切れた。
これ以上登れないって事は、ここは最上階かな。
最下層にしか無かった階段と廊下を遮る扉が有るし。
サウグタが扉を開け、医務室の時と同じ様に先を譲る。
恐る恐る進むと、一人掛けの椅子がふたつしかない部屋に出た。
それぞれの椅子に女性が座っている。
二人共豪華な着物と金色の髪飾りを着ているが、腰に細身の剣を下げているので、門番みたいな物らしい。
座ったままの門番の女性に頭を下げられたサウグタは、その部屋の奥を目指す。
扉を開けて次の部屋に行くと、また狭い部屋が有った。
今度は手足を伸ばして寝れるくらいに大きい椅子と、派手な装飾の付いた机が真ん中に置かれて有る。
今まではずーっと石の床だったのに、この部屋にはふかふかな絨毯が敷かれてあった。
スリッパのまま上がっても良いのかなと命世は悩んだが、サウグタが平気で土足で上がっているので、命世もそのまま歩く。
ふかふかで柔らかい繊毛の感触が気持ち悪い。
「では、ここでお待ち下さい。西方大王はお忙しい身ですので、中々時間が取れないのです」
「はぁ」
部屋の隅に立っていた着物にエプロンの侍女に何やら指示するサウグタ。
「なるべく早く戻りますので、暫くお寛ぎ下さい」
「はぁ」
気の無い返事しか出来ない命世を残し、部屋を出て行くサウグタ。
入れ替わりに盆を持った侍女が部屋に入って来る。
「どうぞお座りになってください」
テーブルに緑茶とお菓子を置いた侍女に言われるまま椅子に座る命世。
床と同じ様に、皮張りの椅子もふかふかで柔らかかった。
異国製かな。
座り心地の良さに気を良くした命世は、折角なので出された菓子を抓む。
花の形を模した木の葉大の砂糖菓子は、とても甘かった。
村では滅多に口に出来ない甘味に意識を支配された命世は、不安や緊張を忘れて顔を綻ばせた。




