07
初めての野宿を二回経験した後の昼頃、大きな物体が見えて来た。
石で出来た筍みたいな形の、縦に細長い建造物。
「中央が見えて来たよ」
同じ馬に跨っている郵便屋が命世の耳元で言った。
「あそこが兄さんが働いていた所?」
「そうだよ」
「へぇ~」
この国の政治の全てを取り扱っている所だけあって、流石に大きい。
郵便隊が中央に近付くに連れ、その壮大さが如実になって来る。
何十階建てだろう?
想像していた物の何十倍も規模がでかい。
首が痛くなる程顎を上げ、物珍しげに見上げる命世。
白い壁に黒い瓦。
赤い窓枠には木の板ではなく透明なガラスが嵌っている。
「さぁ着いた。ここが中央入口だ」
中央は高くて白い壁に囲まれていた。
左右を見渡してみても壁の先が見えない程広い。
「さ、命世ちゃん。気を付けて降りてね」
「ありがとう」
護衛隊の中で一番背の高い男の手を借りて馬を降りる命世。
旅の疲れと兄への心配で口数が少なくなっている命世は、とびきりの美少女になっていた。
本来の男の子の様な性格を知っている郵便屋は普通に接しているが、正体を知らない他の男達は腫物を触るかの様に扱っている。
黙って座っていれば美人って言葉はこの子の為に有るんだなぁ、と笑いを噛み殺す郵便屋。
「じゃ、ここで待っていて」
命世を護衛隊に任せた郵便屋は、果ての無い壁には不釣合いな程に小さな白い門を護っている二人の門番に近付く。
村の門番とは違い、皮の鎧兜で武装し、これ見よがしに大きい剣を腰に差している。
かなりの威圧感を持っている男達だ。
郵便屋に手紙を渡された門番は、それを読んでから命世を睨んだ。
村の外に出てしおらしくなっている命世は、柄にもなくその視線に身を竦ませる。
「罪人に縄を打ってないのか?」
「見ての通り、ただの子供ですよ?逃げませんし、暴れもしません。護送隊ではなく、郵便隊が問題無く連れて来られたのがその証拠です」
門番に頭の先から足の先まで不躾に見られ、むっとする命世。
しかし外見だけは良い少女なので、不機嫌なその表情も儚げに見える。
小声で相談する門番の二人。
「そうは言っても、罪人が大手を振って歩く訳にも行くまい。縄を」
「ああ、分かりました。では私めが」
門番の動きを慌てて制した郵便屋は、馬車の荷台から荷物梱包用の細い紐を取り出した。
「ごめんね」
謝る郵便屋に首を横に振って応える命世。
「良いの。郵便屋さんにも立場が有るもんね。分かってるから」
命世の両手首を紐で結ぶ郵便屋。
しかし結び目は緩く、ちょっと力を込めればすぐ解けそうだった。
全然痛くない。
「それじゃ、頑張って」
「…うん」
表情の暗い命世を門番に引き渡した郵便屋は素早く馬に跨る。
用事の済んだ場所に長く留まれる程ヒマではない。
「帰りも俺達が村に連れて行く事になると思う。だから帰りの心配は要らないよ」
「うん、分かった」
二泊三日の短い間、密かに隊のアイドルになっていた美少女に向かって手を振り、名残惜しげに去って行く郵便隊。
両手首が縛られている命世は手を振り返せない為、視線だけで彼等を見送る。
「さぁ、こっちだ」
門番に背中を押されて白い門の中に入る命世。
二人居た門番の片方は外に残り、もう片方が命世に続いて門を潜る。
門の中は普通に暮らせる様な造りになっていた。
一本道の様な土間が真ん中に有り、左右に分かれている板間で数人の男達が思い思いに寛いでいる。
やかんや空っぽの弁当箱が散らばっていて、布団を敷いて寝ている男も居る。
門番達が交代待ちをする詰め所らしい。
そんな生活感の有る中、土間を真っ直ぐ歩かされる命世。
「ん?なんだい?その娘は」
土間の突き当たりには木製のドアが有った。
そのドアの前には、椅子に座っている男が居た。
雰囲気的には門番だが、武器を持っていない。
代わりにタバコを燻らせている。
そんな男の前に立たされる命世。
「裁判所行きの罪人だよ。後は宜しく」
郵便屋が門番に渡した手紙がタバコの男に渡る。
そして両手首が縛られたままの命世を残して門の外に戻って行く門番。
「まだ子供なのにねぇ。何やったんだ?」
手紙に目を落とすタバコの男。
「はぁん。領主への暴行ね。個人で?ハッ、そりゃ豪気だ」
手紙にはもう一通の封筒が有り、それを開くタバコの男。
その中の手紙に目を通すと、タバコの男は微かに片眉を上げた。
「んー、了解。さて、と」
タバコを土間に落とし、煙を吐きながら立ち上がる男。
中肉中背で姿勢が悪いので、命世と同じくらいの背の高さだ。
「お嬢ちゃん。俺が裁判所にあんたを案内する。俺の後に付いて来な」
「う、うん」
おずおずと頷く命世。
すると男は奥のドアを開けて一人で出て行った。
私を残して行くのかよ!
門番は私を先に門の中に入れたぞ!
と心の中でつっこんだが、まぁ、ここまで来ておいて逃げる訳ないか。
交代待ちしている門番達の目も有るし。
なので素直にドアを潜る命世。
「う、わぁ…」
命世は思わず感嘆の声を上げる。
扉の先は白い建物に続く道だったのだが、その道は石造りの橋だった。
眼下は深い穴。
底は霧が出ていて見えない。
その霧の中から白い建物が生えている。
「どんだけおっきいんだ…」
見下ろしても見上げても果てが見えない建物。
それと同じ様な建物が他にも有った。
青、赤、黒、そして白の四つの建物。
想像が出来る筈もない、とてつもない規模。
「これが、中央…」
四つの建物の壁に有る無数の窓。
その中全てに行き交う人影が見える。
どれ程の人数が働いているんだろうか。
「凄いだろう?中央は」
足を止める男。
「うん。凄い」
興奮に頬を染めて建物を見渡していた命世も足を止める。
橋の幅は五メートル程も有って決して狭くはないのだが、手摺りが無いので、どうにも中心に居たくなる。
「これだけの人数で働いても、全員大急がしだ。この国全体の政治をしているんだからな」
「へぇ」
「だから、おまえさんみたいな『どうでも良い犯罪』なんかに構っている暇は無いんだとさ」
建物に向いていた命世の視線が男に向くその前に、男の手が命世の肩を掴んだ。
「え?」
「恨むんなら、自分の村の領主と、その領主にケンカを売った自分を恨んでくれよ」
身体のバランスを崩された次の瞬間、命世は橋の裏側を見た。
鉄で造られた骨組みに蜘蛛の巣が張ってあって、思わず掃除をしたくなった。
いやいや、そうじゃない。
何だ?
今、何が起こってるんだ?
「??」
物凄い風を受けて息苦しさを感じている自分。
白い建物の壁や窓が猛烈な勢いで上に流れて行っている。
いや、自分の身体が下に落ちているのか。
混乱していた命世は、やっと結論を導き出した。
どうやら自分は橋から落とされたらしい。
「って、嘘!死ぬ死ぬ!」
霧の中に入ると、やっと地面が見えて来た。
茶色の土、所々に生えている緑の草。
その地面に、何か黄色い物が動いている。
地面に近付くに連れ、動いている物の姿が分かる様になった。
それはトラだった。
肉食最強の獣。
地面に落ちて即死しなかったとしても、トラに食べられてきちんと死ねる仕組みになっているらしい。
「どうしよう、どうしよう」
死が現実に、しかも数秒後に有る事をハッキリと自覚した瞬間、命世の脳味噌はこれまでに無い程の高速回転を始めた。
過去の思い出が走馬燈の様に蘇る。
幼い頃は、兄さんが姉で、命世が弟だと思われてたっけ、なんて事を思い出している場合じゃない。
この危機を回避するにはどうしたら良いのか。
病気の兄を残して死ぬ訳には行かない。
生き残る方法を考えなければ。
空が飛べたら助かるのに。
飛べないから却下。
建物に手を付けて勢いを殺せば助かるかな?
いや、それで助かってもトラが居る。
様々な考えの末、領主が使った不思議な力を思い出した。
領主の手が光り、命世の身体は何メートルも吹っ飛ばされた。
あの力を地面に向かって撃てば勢いを相殺出来るかも?
そして、トラも追い払える。
あの力が使えれば…!
しかしそれは空を飛ぶくらい無謀な案。
だが、地面はもうすぐそこに有る。
悩んでいる猶予は、もう無い。
自分と同じ人間である領主が使えたんだから、自分にも使える筈だ!
そう信じて、藁にも縋る思いで両手に意識を集中した。




