管理者レンの有給休暇 〜神の仔、初めてエデンの観光客になる〜
*平和な日々編『現在』の話*
「――レン。本日くらいは、その刀を置いて、ただの『旅人』として歩きなさい」
世界樹の葉が柔らかな木漏れ日を降らせる午前。
アルヴィスは穏やかな声で、隣を歩くレンに語りかけた。
本日は王としての執務をすべて臨時の休みとし、レンを伴って国を案内する日であった。
レンは刀の柄をぽんと叩きながら、いつもの飄々とした調子で肩をすくめる。
「えー、刀を置いたら、もしまたお前がハチミツの香りを放って虫に襲われたとき、誰が結界を作成するんだよ、王様?」
「……っ、その話はもう二度としないと誓いなさい! 」
一瞬で素の口調になって顔を赤くするアルヴィス。レンはそれを見てケラケラと笑い声を上げたが、その瞳が周囲の情景を捉えた瞬間、ふと静かに細められた。
どこを歩いても、美しい緑の光と瑞々しいマナが満ち溢れている。そして何より、すれ違う民や騎士たちが、誰もレンを「異物」として見ていなかった。
彼らは王の無二の相棒であるレンを見つけるたびに、深々と頭を垂れ、心からの感謝を込めて笑顔で手を振り返してくるのだ。
「ようこそ、レン様!」
「世界を救ってくださり、ありがとうございます!」
「……へえ。みんな、俺みたいな得体の知れない男を、本気で歓迎してくれてるんだな」
レンの口から、いつもの軽薄なトーンが消え、静かな本音がこぼれ落ちた。
数千年のあいだ、彼は世界のシステムが壊れないように、ただずーーっと見守るだけの孤独な『観測者』だった。
誰にもその正体を知られず、誰と深く交わることもなく、ただ人が生まれては死んでいくのを、箱庭の歯車として眺めてきた日々。
そんな彼にとって、世界とは「守るべき対象」であっても、決して「自分が属していい居場所」ではなかった。
アルヴィスは足を止め、レンの少し寂しげな横顔を真っ直ぐに見つめた。そして、ふっと、これまでで一番優しく、誇らしげな笑みをその美しい唇に浮かべた。
「当然です。貴方は私の背中を守り、この国を根こそぎ救ってくれた大恩人だ。この翡翠の揺籠のすべての命が、貴方の味方であり、貴方の家族なのですよ」
アルヴィスはレンの肩を、少し手荒に、だが確かな温度を込めてぽんと叩いた。
「数千年の任務、本当にお疲れ様でした、レン。……これからの数千年は、退屈しのぎではなく、この俺たちの家で、美味いものでも食べながら、のんびりと過ごすといい」
初めて、アルヴィスが王としてではなく、一人の友としての心からの言葉を、レンへと贈った瞬間だった。
レンは驚いたように目を瞬かせ、それから、胸の奥から込み上げるどうしようもない温かさに、目元を少しだけ熱くした。
「……あはは。お前、本当に優しいねえ、アルヴ。急にそんな格好いいこと言われたら、俺の計算盤がバグっちゃうわ」
レンは照れ隠しに前髪をくしゃりと掻き、それから、いつもの不敵で飄々とした、最高の相棒の笑みを取り戻した。
「オッケー、じゃあ神の仔の初めての有給休暇、トコトン付き合ってもらうよ。――その代わり、明日は最高級の卵を使った『フレンチトースト』ってやつを料理長に作らせてよね、王様?レシピも用意しとくからさ」
「『ふれんちとーすと』……フン、それくらい、いくらでも作らせてあげますよ。――手際だけは、認めていますからね」
「あはは、お前が食べたいだけじゃないか、元・王太子様」
木漏れ日の中、並んで歩く二人の影。
数千年の孤独の果てに、神の仔はついに、自分が心から笑って「ただいま」と言える、本当の楽園を見つけたのだった。




