薄暮の王の無茶振りと、料理長のメランコリー
*平和な日々編『現在』の話*
アルヴィス・アルカディアが真の王として即位してから、数週間。
平和を取り戻した『翡翠の揺籠』の王宮厨房では、歴史あるエデン宮廷料理の長を務める老料理長が、深く深く頭を抱えていた。
「ああ、なんということじゃ……。我が人生において、これほどの窮地を味わう日が来ようとは……」
老料理長を絶望させている原因。
それは、つい先ほど、新王アルヴィスが自ら厨房へと赴き、優雅に放った『一つの料理発注』であった。
『――宮廷料理長。今宵の晩餐ですが、エデン最高級のコカトリスの卵と、聖樹の完熟ミルクを用い、あの“ぷりん”という黄金の菓子を再現しなさい。……食感はスプーンですくえるほど滑らかで、底にはほろ苦い琥珀色のカラメルという液体が敷かれている、あの至高の芸術です』
料理長はその「ぷりん」なる未知の菓子の製法を、聖典や古文書、あらゆる宮廷レシピから必死に探したが、世界のどこにもそんな記述は存在しなかった。
再現できなければ、王の期待を裏切ることになる。
老料理長はあまりのプレッシャーに、胃を押さえてシクシクと泣き崩れていた。
そこへ、刀を肩に担いだレンが、ひょっこりと厨房の勝手口から顔を出した。
「よお、料理長。朝からえらい落ち込んでるね。システムに深刻なエラーでも出たか?」
「おお、レン殿……! 命の恩人、いや、王の無二の相棒よ! お聞きくだされ、アルヴィス様が、何やら“ぷりん”なる恐ろしい『禁忌の術』の再現を、無詠唱の凄まじい威圧感を放ちながら要求してこられたのじゃ……! 私はもう、胃が痛くて……」
レンは老料理長の訴えを聞いた瞬間、すべてを察して、腹がよじれるほどの大爆笑を喉の奥で必死に堪え、ニヤリと「裏の顔」で笑った。
(あの野郎……、俺が毎晩の『肥満防止トレーニング』でプリンの支給を制限したからって、まさか宮廷のプロたちを脅して作らせようとするなんてさ。本当に優等生の顔して、やることが腹黒いっていうか強欲すぎるだろ……!)
「なるほどねえ。王様、意外とワガママだなぁ。……いいよ料理長、その胃痛の原因、俺が全部『肩代わり』してあげるわ」
レンはそっと老料理長の肩を叩くと、懐から一枚の紙切れを差し出した。
それは、創造神のデータベースから引き出し、この世界の言語へと翻訳して書き写した、完璧なる『異世界プリンの王宮アレンジレシピ』であった。
「これ、俺の親父が残した秘伝の製法。この通りに卵とミルクを混ぜて、大樹の微熱で蒸し焼きにしてみて。絶対に王様、笑顔で『手際だけは認めますよ』って言うからさ」
「おおお……! これは世界の救いじゃ! 神の仔の奇跡じゃ……!!」
老料理長は涙を流してレンの手を握りしめ、まるで聖典を受け取るかのようにレシピを掲げて調理に取り掛かった。
その日の夜。玉座の間で、完璧に再現された最高級エデンプリンを一口食べたアルヴィスは、瞳を一瞬でとろけるように見開いた後、コホンと気取った咳払いをして料理長を褒め称えた。
「見事です、料理長。エデンの技術力は、私の想像を超えていた。手際だけは認めましょう」
「ははぁっ! ありがたき幸せにございます……!」
涙を流して平伏する料理長。
その玉座のすぐ隣、特等席のレンは、アルヴィスにしか見えない角度で、これ以上ないほど意地の悪いニヤニヤ顔を浮かべていた。
(お前、プロを脅して作らせたくせに、何が『手際だけは認めます』だよ。裏で俺がレシピ渡したの、全部お見通しだろ? 元・王太子様)
(……っ、うるさい男ですね、貴方は。黙って、明日はクレープを作成しなさい)
(あはは!さぁて、どうしようかな)
民の前ではどこまでも高貴で完璧な王と、その裏で完全に料理長たちの救世主となっている神の仔。
平和になった翡翠の揺籠の厨房は、王太子の食欲と、レンの粋な世渡りによって、今日も美味しく、騒がしく回り続けるのだった。




