第四葉:寂れた酒場、毒(呪い)の効かぬ漣(レン)
『翡翠の揺籠』を去ってから、三年。
アルヴィスの彷徨は、常に孤独と隣り合わせだった。
彼が宿に一晩泊まれば、翌朝には庭の荷馬車の荷台が腐り、宿の周りの雑草が灰色に枯れ果てる。
人々は彼を「疫病神」と呼び、あるいはその金と黒の双眸を見て「呪われた悪魔」と怯えた。その度にアルヴィスは、フードを深く被り静かに街を去る。
その繰り返しだった。
ここは人族の辺境にある、うらぶれた鉱山街。
すっかり夜が更けた薄暗い酒場の片隅で、アルヴィスは一人、果実水だけを注文して息を潜めていた。長旅で疲れ果てた体に、かすかな『薄暮』のマナが暴走しかけ、彼の周囲の空気だけが陽炎のように歪んでいる。
近づけば、普通の人間なら目眩を覚え、体調を崩すほどの呪いの毒気。
「……はあ、宿を探すのも一苦労だな。早くこの街も出ないと、また草木が枯れる……」
気を抜いた口から漏れたのは、低く、疲れ切った彼の本音だった。
誰も近づこうとしないその席に、突如として影が落ちる。
「お、ここ空いてる? ちょっと隣失礼するよ、お兄さん」
アルヴィスが怪訝に眉をひそめて顔を上げると、そこには一振りの奇妙な片刃の剣を持った、黒髪の青年が立っていた。
軽薄そうな笑みを浮かべ、身のこなしはどこか飄々としている。
だが、アルヴィスの鋭い観察眼は、その青年の一歩、指先の動き一つに、一切の無駄も隙もないことを見抜いていた。
「……お勧めはしませんよ。私は少々、体に悪い『病』を患っていましてね。隣にいると、貴方の体にも障る」
アルヴィスは瞬時に笑顔の仮面を被り、穏やかだが冷たい声で拒絶した。
だが、黒髪の青年は気にした風もなく、どさりと隣の席に腰を下ろす。
それどころか、アルヴィスの周囲に渦巻く薄暮のマナに触れても、顔色一つ変えなかった。
「障る? 何が? ああ、このピリピリした黒紫のモヤモヤのこと?」
青年は、まるでそこにある煙を払うかのように、素手でアルヴィスの呪いのマナを弄んでみせた。
アルヴィスの目が驚愕にみ開かれる。
この呪いは、並の騎士や魔術師なら触れただけでマナを汚染され、悶絶するはずのものだ。
「……貴方、何者ですか。なぜ、平気な顔をしていられる」
「ん? ああ、これくらい俺にはただの微風みたいなもんだからさ。あ、自己紹介が遅れたね。俺はレン。レン・ヴァルハイト。しがない流れの剣士さ」
レンと名乗った青年は、ニヤリと底知れない笑みを浮かべ、懐から紙に包まれた小さな塊を取り出した。
ふわりと、甘い、嗅いだことのない香りが漂う。
「長旅でお疲れだろ? ほら、甘いものでも食いなよ。元・王太子様?」
その言葉に、アルヴィスの背筋に極上の緊張感が走った。




