第三葉:翡翠の涙、薄暮の旅立ち
世界が、融解していくようだった。
アルヴィスを中心に解き放たれた『薄暮』の魔力は、絶対的な質量となって教団の『純白の結界』を押し潰し、狂信者たちの肉体を次々と虚空へと消し去っていく。
光と闇が超高密度で混ざり合った混沌の濁流。
それは、理を無視して全てを無に帰す、圧倒的な拒絶の力であった。
「ぎゃああああ! 莫迦な……! 光と闇が、混ざるなど……!」
教団の指揮官が悲鳴を上げ、その姿が薄暮の霧に呑まれて消える。
襲撃者たちは悉く退けられ、国は、そして多くの民の命は救われた。
しかし、静寂が戻った『翡翠の揺籠』で、アルヴィスは激しく咳き込み、その場に膝を突いた。
「がはっ……、く、ぅ……っ」
ドサリと、愛用の槍が地面に転がる。
彼の白い肌には、まるで見えない鎖が皮膚に食い込んでいるかのような、不気味に発光する白い紋様が浮かび上がっていた。
これこそが、禁忌の代償。
教団の魔術が彼の体内で変異し、定着してしまった呪い――『純白の枷』である。
「アルヴィス様……!」
生き残った民や騎士たちが、涙を流しながら彼に駆け寄ろうとした。
だが、アルヴィスはそれを片手で制する。
「……来るな。近寄っては、いけない…っ」
彼の声は、苦痛に歪んでいた。
アルヴィスの足元、彼が触れている世界樹の根が、じわじわと灰色に変色し、枯れ始めていたのだ。
彼の体から溢れ出る『薄暮』のマナは、あまりにも強大で、あまりにも歪んでいた。
彼がそこに留まるだけで、この美しき楽園の生命力は吸い尽くされ、枯渇してしまう。
誰も悪くない。
彼は国を救った英雄だ。
民の瞳には、拒絶ではなく、痛ましいほどの哀悼と感謝の涙が浮かんでいる。
それが、今のアルヴィスには何よりも辛かった。
「――呪いを、解いてくる」
アルヴィスは痛む体に鞭打ち、ゆっくりと立ち上がった。
呼吸を整え、再び完璧な王太子の仮面を被り直す。
震える声を押し殺し、彼は愛おしい民たちへ向けて、最期の微笑みを向けた。
「私はこの国の王太子です。我が家たるこの揺籠を、自らの呪いで滅ぼすわけにはいきません。必ずや……この『純白の枷』を制御し、あるいは打ち破り、再び皆の前へ還ってきましょう」
誰も言葉を返せなかった。
その決意が、どれほど孤独で過酷なものかを知っているからだ。
アルヴィスは振り返ることなく、世界樹の結界をくぐり抜けた。
一歩進むごとに、背後の美しい緑の光が遠ざかっていく。
胸を満たすのは、果てしない憂鬱――
こうして、若き王太子だった青年の、果てしない『彷徨』が始まった。




